第四十八話 本の虫
ドルラス・ラドンクは、至って普通の平民の家の出だった。一家は農家として、農作物を育てて市場に売りに出す、家庭の食卓を支える実りある仕事。家族全員、農家の仕事に誇りを持っていた。ただ、ドルラスだけは違った。手を汚し、生命を育むことにまるで気乗りしなかった。
「つまらない。これの一体何が面白いのか、疑問でしかない」
両親や親戚の前で、何一つ臆することなく農家を小馬鹿にしたような物言いだった。父は怒り、ドルラスに怒鳴った。母は困り、農家の仕事がいかに素晴らしいものかを説いた。それでも、ドルラスは自分の意見を変えなかった。
(農家という仕事の大切さは理解している。なくては困るものであり、人から感謝や笑みを向けられる素晴らしい仕事であるとも。ただ………)
どうしても、やりがいを感じられない、心が動かない。父と母の仕事をいくら手伝っても、農家の仕事に心が揺さぶられることがなかった。手を泥まみれにして作物を育てた時の達成感も、人から感謝されても、どこか冷めたような目で見ていた。
「………ここにいても、退屈なだけか」
ある日、そんな欠伸の出るような日々に疲れて、直ぐ近くにある林の中へと入って行った。両親からは、魔獣が出るから決して行くなと言われていた領域だが、刺激を求めたドルラスは林に踏み込んだ。
人の手が施されていない自然界、木々が生い茂って、澄んだ空気が満ちている。今まで感じることのなかった、解放的な感覚に脳が透き通ったような気がした。もっとこの感覚に身を任せたい、そう思って奥へと進んでいく。脳の片隅で警戒していた魔獣など、この頃には既に抜け落ちていた。奥に進むにつれ、見たこともない木の実、緩やかな流れの大きな川、思わず上を見上げてしまう程の大樹を見た。
「世界は、こんなに広かったのか………」
生まれてから七年間、畑から少し歩けば知ることのできた世界だったというのに、一切知らなかった。近所でしかない林だけで、多くの発見があった。ならば、より大きな森林はどうだ?数多の生命が泳ぐ大海は?果てしなく広がっている空には?疑問が尽きることはなかった、初めて知った世界の広大さに沸々と興味が湧き上がって来た。
「………よし!」
決めた、今よりもっと大きくなったら旅に出よう。畑の中だけで生涯を終えたくない。この目で世界を見て回りたい、不可思議な未確認物を発見したい。意気揚々と家へと帰っていく。今夜だけは、興奮して眠れないかもしれない。
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あれから二年、気がついたら、ありとあらゆる書物を読み漁る本の虫になっていた。最初は、旅をするのに必要なものは何かを知る為だけに、親に頼んで本を買ってもらって読んでいた。だが、本には紙切れを束ねただけのものとは思えない程、多くの叡智が詰まっていた。
「………砂漠?何だそれは、一体どんなものなんだ!」
「エルフのみが暮らしているエルフの里なるものがある?それは一体どこにある!どうしたら行けるんだ!」
「魔獣と遭遇してしまった時の対処法だって?重要な事じゃないか!どうやって凌いだらいいんだ!!」
ただの世界の旅行本でしかなかった、人によっては一生読むことのないような本。かなり分厚い本だったが、あっという間に読み終わってしまった。
「………もう終わり?続きはないのか!?」
ふざけるな、まだ説明しきれていないことが沢山ある。古代の遺跡に隠された文明は?天空に存在すると噂されている大国の謎は?世界を滅ぼしかねない竜はどこにいる?知りたい、知りたい、この世界の全てを知りたい。それからは、本を読むことが生き甲斐になっていた。
「足りない、これだけでは足りる訳がない!」
本を読み終わる度、親に新たな書物が欲しいと頼み込んだ。最初の内は買ってくれた親も、次第に積み重ねられた本の塔を前に、父が口を挟んできた。
「ドルラス………お前、何冊買う気だ?」
そんなこと分からない、強いて言うならばこの世界の全てを知り尽くすまでだ。正直にそう答えたら、馬鹿を見る目をされた。
「そんなにあったら、全部の内容を覚えきれないだろう?読み返せばいいじゃないか」
などと言われたので、買って来た本の内容を一言一句的確に読み上げて見せた。父には化け物を見る目で見られた、とても実の息子に向けるような目ではない。たかが本に書かれていたことを読み上げただけだろう。諦めたように本を買ってくれたが、本を買ってくれる期間が長くなった。
何故だと聞いたら、「そんな頻度で買われたら、我が家は文字通り本に潰される」と言われてしまった。そこまで言われたら自重せざるを得ないが………理解は出来ても納得は出来なかった。読み終わってしまった本の数々を前に私は、新たな知識を求めて奇行に先走るなどという醜態を晒してしまった。どうにか、この欲を鎮める方法はないのだろうか。
「………そうだ、売ればいい」
読み終わった本を古本屋で売りさばき、ついでに古本屋にあった本を購入した。こうやってやり繰りすれば、新たな本を買い続けることができる。売られていく本を前に、父が「折角のプレゼントが………」などと言って悲しそうな顔をしていたが、知ったことではない。売られたくないなら、新しい本の一冊でも買ってこい。
そうして本を買って、読んで、売って。買って、読んで、売ってを繰り返していたら、次第に読む本が無くなってしまった。
「店主!この本の続きは!?」
「………ないよ」
「ならばコレは!?『異なる世界は実在するのか!?』という本は!」
「………ないよ」
「それならば『ゴブリンでも分かる世界情勢』は!『海底遺跡、そこにいた民族とは』、『魔法の起源』、『神の黙示録』でもいい!本の続きはどこにある!?」
「………全部、ないよ」
「店主!!それでも貴方は本屋か!?本のない本屋など詐欺ではないか!?訴える準備は出来ている、法廷で会おう!」
「………アンタの読んだことのない本は、もうここにはないよ。別の本屋に行きな」
取る島もなく、店を追い出された私はトボトボと家に帰っていった。読むべき書物が、もうない。その事実は私の心に深く刺さり、ベットの上にうつ伏せで飛び込んだ。一体、私はこれからどうやって生きて行けば―――。
「………待てよ」
むくりとベットから起き上がった、私は窓から差し込まれている夕日を前に呟いた。
「そもそも、だ。私は旅に出たくて情報収集していたのでは?」
思い出した、本来の目的は旅に出ることであり、本を読みこんで知識を蓄えた賢者になることではないのだ。完全に目的を見失っていた、正直もっと知りたいことはあるのだが………。
「読む本がない、つまりは新たな段階に移行する時が来たのかもしれない」
口角を上げて、この辺り一帯を書き記した地図を広げる。いよいよ夢を実現させる時だ。旅に出た経験はないが、知識は全て頭の中にある。私はただの旅人ではない、ありとあらゆる知識を蓄えた最強の旅人だ。
「準備を始めるとしよう」
まずは手始めに、畑のすぐ近くにある林の中にでも行こうか。野宿の経験をそこで積む。私は馬鹿ではない、いきなり野宿が成功するとは思っていない。知識と経験の差がどれだけあるかを確かめてから、旅に出ることにしよう。
「嗚呼、楽しみだ」
この世界には、どんなものがあるのか。心が躍るような発見はあるのか。今から楽しみで仕方がない。




