第三十七話 少女の攻防
まどろみが支配する世界、心地良いような、それでいてしんどいような中にアインス・ディエスはいた。ゆっくりと瞼を開けたアインスは、見知らぬ白い天井をボーっと眺める。
徐々に脳が覚醒し、なぜ自分がここにいるのかを少しづつ思い出す。剣の姫に散々斬られ、謎の錠剤を呑まされた記憶が蘇り、条件反射のように飛び起きる。白いシーツと共に銀髪がふわりと舞い、個々が何処なのかを確認しようとした時。
「起きたわね」
「あっ………」
視線を少し横にずらした所、壁にもたれて腕を組んでいたエス・レイドルはニコリともせずに冷たい声色で話しかけてきた。返事をしようとして、言葉が詰まった。自分を鍛えてくれる師匠だというのに、襤褸雑巾にされた苛烈な訓練を思い出して、何と言ったらいいのか分からなくなる。
自分を無残な姿にした彼女に、無意識の内に畏怖を覚えてしまった。黙りこくった私に、師匠は淡々と告げた。
「はっきり言うわ―――アンタ、冒険者の才能ないわよ」
「………っ」
知っていた、知っていたとも。自分に冒険者の才能がないことなど。もしあったのならば、兄の後を付いていった自分も、【極光】のクランマスターにスカウトされている筈なのだから。兄にはわざわざ声をかけて、私にはかけなかった。つまり、そういうことだろう。
「さっさと冒険者辞めろって言いたいとこだけど、オーマがわざわざ名指しで鍛えろって言ったから判断に困るのよねー………」
まるで他人事、いや実際に他人事なのだから当然だが、言っていることと裏腹にどうでもよさそうに告げられほんの少し苛つきを覚え―――俯いていた自分の視界に、突然エスが覗き込むように私の瞳を見つめる。びっくりして、ベットの後ろに下がろうとして、止められる。
「何、その態度?」
「な、何のことですか………?」
「噓つき」
心の底を見透かされたかのような………いや、実際に見透かされているのだろう。そうじゃなきゃ、「噓つき」なんて言われないだろうし。兎も角、目の前の人が今はどうしようもなく怖い。散々斬られた痛み、自分如きどうとでもできる圧倒的に上の立場に恐怖を覚える。
「本音を言うわね………目障りだから、消えて?邪魔なの、アンタみたいな薄汚い女。視界に入れるだけで目が腐るから」
「………っあ、貴女は私を鍛えてくれるんですよね!なら、私を強くする責任みたいなのはないんですか!?」
流石にそこまで言われれば、温厚だと言われていた私とて、噛みつくくらいはする。というか、普通に酷い。生まれてこの方、そんなこと一度たりとも言われなかった。
寧ろ、近所のおばさんからは「アインスちゃんは綺麗ねー」とか、「お兄ちゃんと並ぶと余計美しいわー」などと、褒め言葉ばっかり貰っていたので、罵倒されることに胸が締め付けられた。
胸元に手を置き、震えながら吐くように言った言葉に、エスは暗い目で溜息を吐いた。
「私、アンタを鍛えるつもりないから。アンタに冒険者辞めさせるためだけに、気絶するくらい切り刻んだだけ」
「えっ………?」
「言ったでしょ?冒険者の才能がないって。オーマは優しいからアンタに希望を持たせようとしたみたいだけど、私ははっきり言うから。無才に時間を割くほど暇じゃないし、このまま冒険者をダラダラ続けても死ぬだけ。取り返しのつかないことになる前に、辞めなさい」
言葉が出ずに、沈黙する。きっと、いや、絶対にエスが言っていることは正しい。冒険者として大成しない、死ぬくらいならこのまま何の危険もない実家に帰って、ただの娘として過ごす方が良いだろう。
そのことは分かっている、そっちの方が平和だって。彼女の言葉に従うように、頷こうとして―――。
『俺とお前は、もう家族じゃない』
妹に、家族にしか分からないであろう、苦虫を嚙み潰したように告げた兄の顔が脳裏に過った。世界一大好きで、優しい兄が何かに苦しんでいることを。
『共に君の兄を救おう!』
真っすくに目を見つめて、自分の力を求めてくれた青年を思い出した。世界の真実を教えてくれて、兄を救うために力を貸してくれる【英傑】を。
「………いや、です」
「はぁ?」
今にでも泣いてしまいそうで、恐怖を感じながらもそれでも必死に自分の想いをぶつける。
「お兄ちゃんが………大好きな人が、大変な目に遭うのを知っていながら………何もしなかったら、絶対に後悔する」
「………………」
「あの人に、言われたんです。一緒に助けようって。赤の他人だっていうのに、力強くて頼りになる声で………だから、私は辞めません。冒険者を続けて、お兄ちゃんを救って見せます!」
私が歯向かうのは予想外だったのか、しばし口をつぐんでいた師匠が何か言おうとして―――爆発音が聞こえてきた。
「「ッ!?」」
互いに驚き、爆発の起こったであろう方向を凝視する。何が起きたのか分からずにいる私と対照的に、師匠は既に平静になっていてすぐさま扉を飛び出ていった。その背を慌てて追いかける。何で追いかけたのかは、よく分からない。咄嗟に、つい条件反射的に後を縋ったとしか言いようがない。
もの凄い速さで駆ける師匠は、聞こえてくる剣戟や怒号を気にすることなく、最上階へと目指す。目的は多分―――オーマさんだ。あの人の元に行こうとしている。息をみっともなく乱しながら、階段を必死に駆けあがる。
その一瞬、エスの顔が見えた。さっきまでの冷たい表情は一切なく、焦燥の顔が浮かんでいた。鍛錬の時も、ベットの上にいた時も見なかった焦りの表情に、驚きと何故か安堵した。冷徹なだけの人ではなく、誰かを思える人だと知れただろうか?
よく分からないことばかりで、状況に振り回されてばかりだが………負けるわけにはいかない。どれだけ辛かろうとも、家族の為、信じてくれたあの人の為に。
その思いで階段を上り切り、最上階の廊下を風となって走り、もはや点になりつつある師匠の背に追い縋っていると―――師匠が大きく後ろに下がったのが見えた。剣を引き抜いた【剣姫】は、何時の間にそこにいたのか、黒髪の狐の獣人と相対していた。
「誰、アンタ。犯罪者にしてはそこそこやるみたいだけど」
「アンデレと申します。『神の使徒』と、そう呼ばれる存在です」
神。その名前を聞いて脳に空白が生まれる。オーマさんが語った、世界を裏で牛耳っている『邪神』。あの獣人は、その手先の一人なのだろう。兄を操ろうとしている存在に、怒りが込み上げて鞘から剣を引き抜こうとして―――踏みとどまった。
「………っ」
剣呑な雰囲気を感じ取った。ここ最近、数多くいる冒険者の中でも、最上位に位置するであろう人達………【帝王】と【極光】と関わる機会が多かった影響か、自分と彼等彼女等の実力差がどれだけ離れているのかを、何となくではあるが分かるようになりつつあった。そして、目の前の狐の獣人はとてつもなく強いということだ。
それに、師匠はアンデレを「そこそこやる」と評した。話すようになってから、さほど時は経っていないが、エス・レイドルという人となりを何となく分かるアインスは、彼女が負けず嫌いな性格だと知っている。そんな彼女が、強いと称したのであれば………きっと、信じられないくらい強い。
(下手したら………師匠よりも?)
「そんな訳あるかッ!!黙っていろ間抜け!!うざったいんだよッ!」
「は、はいー!!?」
「………彼女、何も話していないですが?」
「言わなくても分かるのよ!目線と息遣いでね!【帝王】の幹部ならできて当然!!」
まるで私の考えを読み解いたように叫んだ師匠に、咄嗟に返事をする。私達のやり取りを訝しげに見たアンデレに、律儀に師匠は答える。貴女、変な所で真面目ですね………わ、分かりました!もう何も言わないっていうか、考えないので、その目はやめてください!!
「………アイツはもういい。それで、アンタはここに何の用?迷っただけなら、まだ見逃してあげてもいいわよ」
「目的はただ一つ………この領の王です」
ここの王、となればそれは【帝王】のクランマスターを指していて………そこまで考えた私よりも先に、師匠が駆け出していた。
「死ね」
短い別れの言葉、目前に迫っている剣先を前に、アンデレは眉一つ動かさず―――エスの背後にいた。驚愕で目を見張るアインス、必中の斬撃を躱されたエスは共にアンデレを見た。
「そういえば、一つだけ言いたいこと………というより、訂正しておきたいことがあったんです。貴女は先程、私を見逃すと言いましたが………それは」
アンデレは、振り返ってはエスの顔を見つめて口元を歪めて言った。
「強者のみに許された発言です。貴女程度が言っていい言葉ではない」




