第三十話 最速と狂気
「うっ、うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」
落ちる、落ちる、落ち続ける。闇の中をただひたすらに、一寸先は闇という言葉を体現したかのように闇へと消える。終わりが見えず、このまま地獄に落ちるのではないかと錯覚してしまう程に長かった浮遊の旅は、突如として終わりを告げた。
突然見えた床に、急いで着地の体制をとる。なんとか着地を果たし、下半身にジーンっとした衝撃が加わる。
「無事かっ、ヨハン!」
「あ、あぁ………なんとかな」
ヨハンと呼ばれた男は、駆け寄って来た仲間の騎士に無事を告げるがその顔は晴れない。まさか、落とし穴なんて陳腐な罠に引っかかってしまった屈辱、仲間と別れてしまったことにより生じる焦燥、複数の感情が絡み合い衝撃から抜け出せない。
「………仲間は、他の騎士は?」
「ここに居るのは約四十人、団長の姿は何処にもない」
三百人の部隊が僅か四十に別れてしまっただけに飽き足らず、絶対的なリーダーの不在。敵の掌の上に落ちてしまった、その絶望が心身を支配する。蒼白な顔で仲間を見ていると、戸惑ったように仲間は口を開けた。
「後、一応あそこに………」
おずおずと指を指すと、そこにいたのは獣人。灰色の髪と鋭い眼光をした槍を携えた狼人、【帝王】の幹部の一人、凶暴な番犬とも呼ばれる【灰狼】フェルス・モバルト。仁王立ちし、先に続く通路を睨み続ける【灰狼】から溢れ出る殺意を前に、騎士の誰もが遠巻きにし見守っていた。
「………ヨハン、お前が話しかけてくれ」
「お、俺がかッ!?」
「今この場で誰よりも位が上であり、先輩なのは君だ。臨時の代表として頼む」
「お、お前ぇ………!」
貧乏くじを引かされたと嘆き、恐る恐る【灰狼】に話しかける。
「は、【灰狼】。これからどう動くか、作戦会議をしたい。貴方も参加しては貰えないだろうか」
「うるせぇ黙れ」
(と、取り付く島もないッ!?)
一瞥することもなく、告げられた言葉にこの場にいる誰もが驚きのあまり言葉を失う。【灰狼】は不服そうに鼻を鳴らし前に出る。
「作戦なんざ必要ねぇ、駆けるだけだ」
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「ククク………」
『白夜』の構成員は闇の世界で嘲笑った。作戦は完璧、偉大なる『白夜』の王の思惑通りに事は進んでいた。【灰狼】達がいるこの階層は、罠が張り巡らされた領域。一歩進むごとに数多の罠が発動する。
針の山が敷かれた落とし穴、毒が混じった矢の雨、火炎放射、突如として飛来する武器。どれも喰らえばひとたまりもない。即死級の罠にへっぴり腰になっている所を、背後から襲い掛かり奴等を仕留める、それがこの層域に配置された自分達の使命だ。
(あの憎き【帝王】と騎士団を手玉に取るこの感覚………たまらないな)
あの傲慢な連中が泣き叫ぶ姿を想像しただけで興奮してくる。柱や壁の隙間に身を潜めた同胞と共に、まだかまだかとその時を待っていると―――一陣の風が吹いた。それと同時に、次々と連鎖するように発動するトラップの数々に思考が奪われた。
「………は?」
思わず漏れ出てしまった言葉を、誰が責められるだろうか。状況に付いていけず、放心状態の自分のもとに、ボスから託された『通信石』が振動しだした。慌てて『通信石』を起動すると、鋭い声が聞こえてきた。
『避けろッ!?』
焦りを滲んだボスからの命令、どういうことだと聞くよりも先に、自分の首が胴と泣き別れになったのを最後に見た。
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「ガァァァッ!?」
「な、何が起きて―――」
ありえない、ヨハンは目の前の光景にそんな感想しか出てこなかった。次々と巻き起こる罠の数々。引っかかれば決して無事では済まないであろう罠の中を、たった一人の男が駆けていた。通路を走り、壁と天井さえも足場に変えて、縦横無尽に動き回る。瞬きの間に姿は消え、遥か遠方へといる狼人を前に言葉が出なかった。
「この程度で、俺を止められるとでも思ってんのか?」
何も特別なことはしていない。ただ罠が発動するよりも先に動くことで回避している。状況に付いていけずむざむざと姿を現した『白夜』の構成員を仕留める。相手の視界が捉えるよりも速く、通り過ぎる間に槍を一閃。悲鳴さえ上がることなく、瞬く間に数多の屍を晒す。
炎が吹き、刃物が舞う中、傷一つ負わない狼人の姿を見て思い出した。【灰狼】、王都最速の冒険者、彼の上に立つ【帝王】のクランマスターたる【英傑】も、最強の冒険者として名高い高名な【勇者】も、速さという面においては後塵をきしていると言うことを。影すら残らない神速を前に、騎士団の誰もが呼吸を忘れて見ることしかできなかった。
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フェルスが蹂躙している同時刻、別の階層でも戦いが勃発していたが、騎士達は何一つ動けないままでいた。まるで闘技場のような場所に叩き落されてしまい、四方八方から魔獣が出てきたのだ。
獅子のような魔獣、ミノタウロス、ゴブリンロード、マンティコアなどの上位に位置するであろう魔獣。王都の地下に魔獣が住み着き、犯罪組織の手駒になっているというだけでも大問題なのだが、そんなことはまったく考えられなかった。
「ウオーーーーッ!!魔獣ッ!敵ッ!斬る斬る斬るッ!!」
魔獣の群れに特攻し、叫びながら双剣を振り回す男に、騎士団の誰もが目を奪われ、その姿に恐怖を覚えた。【狂剣】サバルト・ラージュ。【帝王】の幹部の一人にして、王都では悪い意味で有名な男だった。
敵味方問わずに襲いかかり、相手の息の根が途絶えても切り刻む辻斬り。どれだけ傷を負っても、瀕死の重傷を受けても、決して止まることを知らない戦闘狂。何故、未だに捕まっていないのかが不思議なくらいだと言われていた。
当時は、根の葉もない噂だとばかり思っていたが、そんなことはなかった。今の数の騎士だけでは逆立ちしても敵わない相手に、一歩も引くことなく剣を振り続ける【狂剣】の戦いを見て、その狂気を感じた。
「オラオラオラオラオラオラッ!!」
魔獣の牙が肩に食い込んでも、炎の息吹がその身を焦がそうとも、【狂剣】は叫び続けた。邪気も痛みも感じさせない満面の笑みで、嬉々として死闘に身を投じる。恐ろしかった、絶え間なく流し続ける血を気にすることなく、双刃を振るう姿が、魔獣なんかよりも、犯罪者なんかよりもよっぽど怖かった。
理性なき魔獣も、幾ら傷つけようが笑顔で戦い続ける男に恐怖を覚えた。【狂剣】とはよく言ったものだ、その名に恥じない狂った剣は、次々と魔獣を斬り捨てる。ゴブリンロードの両腕を落とし、首を刎ねる。獅子のような魔獣の胴体を串刺しにし、マンティコアを肉塊へと変えた。
「コレでッ!終わり、だッ!!」
一閃。最後まで立っていたミノタウロスも、ついにその剣の前に倒れ伏した。死んだ魔獣の上に立ち、今にでも高笑いをしそうな光景に足腰の力が抜け、尻もちをついてしまった。呆然と見ることしかできない中、【帝王】の回復術師が手をかざして、【狂剣】の傷を癒していた。
「サバルト様、傷を癒します」
「おおッ!ありがとなッ!!よしッ、お前等ッ!先に進むぞッ!!」
勢い良く感謝を告げる【狂剣】は、こちらに近づいてきた。その歩みが、今何よりも恐ろしく乾いた笛のような音が口から漏れ出た。回復術師の女は、そんな情けない騎士団の姿を一瞥し、【狂剣】に伝える。
「サバルト様、前をお願いしてもよろしいでしょうか?この者共は少し動けないようなので」
「ん?そうなのかッ!分かったッ!先に行くから、後から付いて来いよッ!!」
「お聞き頂きありがとうございます」
淡々と無表情にも等しい鉄の仮面で頭を下げると、【狂剣】は一目散に奥へと叫びながら走っていった。【狂剣】の姿が闇に消えて見えなくなって、漸く冷や汗と怖気が消え始めた。
「………速く立ってください、騎士団の方々。サバルト様に追い付けなくなってしまう前に」
「お、お前………さっきのを見て、何とも思わないのか!?」
「何がでしょう」
一方的な上からの物言いに、自分達を庇ってくれた相手だと言うのにも関わらず、反論してしまったが、聞かずにはいられなかった。
「【狂剣】の戦い方だ!あんなにも自らの身を顧みずに戦う姿を見て、何も感じないのか!?」
仲間を庇って、自らが誰よりも傷付こうとする英雄願望なんかではない。アレは、純粋に戦いを楽しんでいる。傷の痛みも、生と死の境界さえも楽しんでいるのだ。まさに、戦闘狂。正義の側に付く人間とは思えない。絞り出した声と視線から、言いたい事が分かったのか、女は小さく息を吐いた。
「確かに、初めてあの方の戦いを見たのであればそう思うのも無理はありません。ですが、それこそが【英傑】オーマ・グライアンド様に認められし、【帝王】の幹部が一人、【狂剣】サバルト・ラージュ様です。慣れろとは言いませんが、ご理解してください」
「ど、どうかしている!?あんな戦闘狂を幹部にするなど!お前達のクランマスターの頭は、どうかして―――」
最後の二文字、「いる」という言葉を言いきる前に、回復術師が腰に提げていた剣が頬に食い込んでいた。ツーっと流れる血を前に動けずに、回復術師の女を見ることしかできなかった。
その目は、黒く濁っていた。座り込んでいる自分を心底侮蔑するような目を向けられていた。いきなり暴挙を振るわれたのにも関わらず、騎士団の誰も動けずにいた。
「…………………次にあの方を侮辱したら、その喉を潰す」
剣の狙いを喉元に変えて告げる宣告に、小さな悲鳴が漏れ出た。ややあって剣を鞘に納めて女は経論を語るように声を上げた。
「オーマ様は正しい。あの方の考えに間違いはない。疑うことすら愚か、私達はあの方に従うのみ」
頬を染めて、片手を頬に当てて話す。さっきまでの冷酷ささえも覚えた表情から一変した姿に、困惑が隠せなかった。
「【帝王】は誰もがあの方に救われた。絶望のどん底にいる私達を、明るい光で包んでくれた。故に私達はあの方の手足となって動く駒になるまで。あの方が白といえば白、黒といえば白であろうと黒に塗り潰す」
次第に強くなる語気に、感じたのは『狂信』。とても一個人に向けられるものとは思えない信仰、一切の曇りも陰りなく信じ切っている。その女の在り方に、悟ってしまった。
【帝王】は、恐らく全員が【英傑】オーマ・グライアンドに心酔しているのだと。でなければ暴れ回る暴風である【狂剣】を押さえられてはいないしはし、負けず嫌いで人の下に付きたがらない冒険者の中でも、トップ層だと言われている【帝王】の幹部達が大人しく従っている訳がない。
【帝王】の冒険者が抱える余りにも歪んだ感情を前に、頭が急速に冷却されていったのが分かった。その事実に生きていた中で最上級の恐怖を感じ、歯が、体が、魂が震える。目の前の女も、【狂剣】も恐ろしいが、今何よりも恐ろしいのは【英傑】だ。
一体何をどうやったら、ここまでの忠誠を誓わせられるのか。この場に居ないのにも関わらず、いや、居ないからこそ恐ろしい。【英傑】の姿が、思考が見えない。
「今後、貴方達があの方をぞんざいに扱っている所をみたら………どうなるか分かっていますね?」
壊れた玩具のように首を必死に動かす。何度も頷いた騎士達の姿に満足したのか、女は満足そうに身を翻し【狂剣】が進んだ通路へと歩いていく。慌てて自分達も女の後を追い、かなりの距離を置いて先へと進んだ。一面の暗闇が、まるで自分達の心を表しているようだった。
「………ックション!………うーん、風邪かな?」
「誰かが噂しているのでは?」
「そうかなぁ………まぁいいや。ロゼ。準備するよ」




