第9話『宵山・極彩色の悪夢』
1. 駒形提灯の下で
7月16日、宵山。
京都市街は、一年で最も美しく、そして妖艶な夜を迎えていた。
「……すごい熱気だ。空気が震えているみたいだ」
タカトがニューロリンカーのノイズを抑えながら、湿気を帯びた夜空を見上げる。
四条通の夜空を埋め尽くすのは、無数の駒形提灯だ。その柔らかな蝋燭色の明かりが、通りを埋め尽くす数十万人の浴衣姿を照らし出している。
通り沿いの山鉾からは、鉦と笛、太鼓が織りなす「祇園囃子」が絶え間なく響いている。
その独特なリズム――通称「コンチキチン」の音色は、人々の高揚感を煽り、現実と異界の境界を曖昧にするような魔力を持っていた。
「風情があるわね。……この『光の洪水』さえなければ」
イオは油断なく周囲を警戒しながら、眩しそうに目を細めた。
現代の祇園祭は、伝統と最新技術が融合していた。
「長刀鉾」や「函谷鉾」といった歴史ある山鉾には、極彩色のプロジェクションマッピングやARホログラムが重ねられ、空中にデジタルの龍が舞い、仮想の花吹雪が散っている。
「どいつもこいつもピカピカ光ってて、どれが敵の『ガラクタ山鉾』なのか、さっぱり分からないわ」
敵は、この日のために「完成品」を用意した。
すべての山鉾が光で着飾るこの夜なら、中身が錆びついた鉄屑の塊であっても、誰も気づかない。
2. 南からの侵入者
「しらみつぶしに探すしかないのか……?」
タカトが焦りを見せたその時だった。
『ウオオオオオオオッ!!』
南の方角から、地響きのような大歓声が上がった。
ビルの谷間の路地から、強烈な光が溢れ出している。
ズズズズズ……ッ!
腹に響く重低音と共に、「それ」は現れた。
路地の幅ギリギリを埋め尽くす、異様に巨大な「光の塔」。
まばゆいネオンカラーのホログラムを纏い、観衆の目の前にぬぅっと姿を現す。
「……おい、嘘だろ」
タカトが絶句する。
「動いている? ありえない! 今夜は『宵山』だぞ! 山鉾が動くのは明日の昼からだ!」
だが、観衆はそれを気にしない。
「すげぇ! 今年は夜も動くのか!」「サプライズ演出だ!」
人々は、その異常事態すらも最新のアトラクションだと思い込み、熱狂して道を空けていく。
「イオ、あれだ! あれが敵だ!」
「ヒットしたわね。こっちに向かってくるわ!」
3. 人の壁
巨大な山鉾は、ゆっくりと、しかし確実にイオたちのいる四条烏丸の交差点――数十万人が最も密集する「祭りの心臓部」へと迫ってくる。
「迎え撃つぞ!」
タカトが前に出ようとするが、すぐに動けなくなった。
巨大な山鉾を一目見ようと、群衆が殺到し、強固な「人の壁」となって二人を押し戻したからだ。
「くそっ……! 人が多すぎて近づけない!」
タカトが歯噛みする。
肌が触れ合うほどの人口密度。熱気と汗の匂い。その中で誰もが興奮し、スマホを掲げている。
「タカト、上よ!」
イオはタカトを抱えて路肩の信号機へ跳躍し、交差点に面したビルのテラスへと飛び乗った。
「見て、タカト。あいつ、わざと人が多い場所を選んで、ど真ん中に陣取る気よ」
イオが眼下を指差す。
山鉾の周囲は、まさに「立錐の余地もない」ほどの過密状態だった。
4. 暴かれる中身
テラスの上から、ようやく敵の山鉾の全貌が見えた。
高さ25メートル。
極彩色のホログラムで「黄金の鳳凰」が描かれているが、その下にあるのは、様々な産業廃棄物を無造作に寄せ集めて固めた、巨大なゴミの塔だ。
本来なら豪華な織物で飾られる胴体も、錆びたトタン板や道路標識で覆われている。
そして、アスファルトを粉砕しながら進む、あの凶悪な金属車輪。
山鉾が交差点の真ん中で停止した。
『コン……チキ……チン……』
スピーカーから流れる祇園囃子が、次第に大きく、歪んだ音に変わっていく。
「タカト、あいつ何をする気?」
「……分からない。だが、まずいぞ。これだけの人が密集している場所で何かされたら……!」
タカトが顔を青ざめさせた。
5. 人間スパコン
巨大な山鉾が交差点を完全に制圧した、その瞬間。
頂上にある「鉾」が、夜空に向かって閃光を放った。
キィィィィィィィン……!
耳をつんざく高周波音。
その刹那、歓声を上げていた20万人の観衆が、ピタリと動きを止めた。
「……なによ、これ……?」
イオが息を呑む。
あれほどの喧騒が嘘のように消え、不気味な静寂が広がる。
全員が、虚ろな目で山鉾を見上げている。
彼らが耳に装着しているニューロリンカーのインジケーターが一斉に赤く点灯し、不気味な明滅を始めたのだ。
イオが隣を見る。
「タカト……?」
タカトの動きも止まっていた。
彼の瞳から光が消え、口元が半開きになる。
ゆっくりと、他の観衆と同じように、機械的に山鉾を見上げ始めた。
「タカト!?」
イオが肩を揺さぶるが、反応がない。まるで人形のようだ。
その時、イオの肩のあたりで、幾何学的な光が明滅した。
支援AIのK.U.D.Aがホログラムとして顕現する。
『ピ、ピピ! ピガーーーッ!』
K.U.D.Aが激しい電子音を発し、イオの視界に赤い警告ウィンドウを展開する。
「K.U.D.A? ……『大規模ハッキング検知』?」
『キュインキュイン(このエリアのニューロリンカーが全て強制同期されている……サーバーを経由しないP2P接続。超高速演算を開始!?』
イオが戦慄する。
「つまり、この20万人全員がハッキングされて、何かを計算させられてるってこと!?」
その時、スピーカーから流れる祇園囃子が、機械的なリズムに固定された。
『コン……チキ……チン……』
それにあわせて、タカトを含む20万人の耳元のライトが、一寸の狂いもなく明滅する。
「同期している……。あのお囃子のリズムを信号にして、全員の脳処理を揃えているんだわ!」
イオが歯噛みする。
「タカト! しっかりして!」
だが、タカトは虚ろな目で「コン……チキ……」と呟くだけだ。
「ええい、こうなったら!」
イオは『七星』の柄頭で、タカトの耳元にあるニューロリンカーを強打した。
バギィンッ!
デバイスが砕け散り、火花が散る。
「ガハッ!!」
タカトが激しく咳き込み、その場に崩れ落ちた。
「はぁ、はぁ……! い、今、意識が持っていかれそうに……」
脂汗を流しながら、焦点の定まらない目でイオを見る。
「よかった、正気に戻った! ……ねぇタカト、これを見て!」
イオはK.U.D.Aが解析したホログラムウィンドウをタカトに見せた。
タカトは震える手でデータを読み取り、驚愕に見開く。
「……データの送信先が、京都市のメインサーバーだと?」
タカトが眼下の光景――同期して明滅する20万人の群衆を見下ろし、絶叫した。
「そうか……! 奴は20万人の脳を並列接続して、都市OSへの総当たり攻撃を仕掛けているんだ!」
「総当たり攻撃?」
「ああ! 本来なら数百年かかる暗号解読を、20万人の脳による人海戦術で、強引にこじ開けるつもりだ!」
タカトが悲鳴に近い声を上げる。
「イオ、止めろ!
生身の人間にそんな負荷をかけたら……全員の脳がどうなってしまうか分からない!」
「よかった。やることは一つね」
イオが『七星』を抜く。
「あの指揮者のタクトをへし折れば、演奏は止まる」
その時。
ギギギギギ……ッ!
交差点の中央に立つ巨大な山鉾が、不気味な駆動音を立ててこちらを向いた。
たった一人の「同期解除」を検知したのだ。
山鉾のホログラムの一部がノイズ混じりに剥がれ落ち、中から「錆びついた建設機械のアーム」や「引きちぎられた高圧ケーブルの束」が、防衛機能として溢れ出した。
20万人の人間が、言葉を失い、ただリズムに合わせて明滅している。
優雅だった「宵山」の風景は、一瞬にして、巨大で無機質な「演算回路」へと塗り替えられてしまったのだ。
(第9話 完)




