第7話『祇園・花街の暗号屋』
1. 雨の石畳
祇園、花見小路。
しとしとと小雨が降り始め、濡れた石畳が街灯の橙色を反射して艶やかに光っている。
タカトは傘を差しながら、少し気後れした様子で歩いていた。
「……本当にここに情報があるのか? このエリアの通信トラフィックは極めて低い。静かなものだ」
タカトがARグラスの表示を見ながら呟く。
「だからよ」
先を歩くイオは傘も差さず、濡れるのも構わずに進んでいく。
「ネットに流れない情報は、ここ(口)からここ(耳)へ流れるの。サーバーにもログにも残らない、最も安全な暗号通信よ」
イオは一軒の、看板すら出ていない古い京町家の前で足を止めた。
入り口には『一見さんお断り』の札。
格子戸の隙間から、お香の匂いと、微かな三味線の音が漏れている。
「入りなさい。……私のツケにしておくから」
イオが格子戸を開ける。タカトはゴクリと喉を鳴らし、その敷居を跨いだ。
2. 座敷の支配者
通されたのは、奥にある静謐な和室だった。
床の間には季節外れの椿が生けられ、掛け軸には『不言実行』の文字。
「ようおこしやす。イオはん、久しぶりどすなぁ」
襖が静かに開き、一人の舞妓が入ってきた。
名は小夜子。
華やかな振袖にだらりの帯。白塗りの化粧に紅を差したその顔は、幼さと妖艶さが同居した、作り物めいた美しさがあった。
「元気そうね、小夜子。……と言いたいところだけど、今日は遊びに来たんじゃないの」
イオが単刀直入に切り出す。
「分かってますえ。イオはんがここに来る時は、いつだって『血生臭い話』の時や」
小夜子はクスリと笑い、タカトの方へ流し目を送った。
「そちらのお兄さんは? ……初めてお目にかかりますなぁ」
「……特別電脳対策室のタカトだ」
タカトが身分証を出そうとすると、小夜子は扇子でそれを制した。
「あら、ご丁寧に。そないな堅いもん出さんでも、分かりますえ」
小夜子はタカトの顔をまじまじと見つめ、ニコリと微笑んだ。
「えらい『立派な』時計をしてはりますなぁ。一秒たりとも狂わへん、正確無比な時計や。きっと、ご自身の生活も、遊びも、さぞかしキッチリしてはるんでしょうなぁ」
「え……あ、ああ。公務員だからな。時間は守る」
タカトは褒められたと思い、少し照れたように眼鏡を直す。
その様子を見たイオは、ふっ、と鼻で笑った。
この街の言葉は、裏の裏まで読み解かなければ真意には辿り着けない。
「褒め言葉の包装紙で包んだ皮肉」に気づかず、律儀に礼を言うタカトの姿は、小夜子にとって極上の余興だろう。
「ふふ、おおきに。それに、ええ匂いがしますわ。上等な『紙』と『インク』の匂い。……始末書とか、ややこしい書類に囲まれてはる、偉いお役人さんの香りどすなぁ」
小夜子は優雅に座布団に座り、タカトに茶を差し出した。
「ここにはな、いろんな人が来はります。政治家はん、社長はん、職人さん……。みんな、ここ(座敷)に来ると口が軽うなる。街中の『内緒話』が、吹き溜まりみたいに集まってくるんどす」
3. 散らばった欠片
「単刀直入に聞くわ」
イオが茶を一口啜る。
「小夜子。最近、街で起きている騒ぎのことは知ってるわね?」
「へぇ。鴨川のドローン騒ぎに、清水さんの停電。……全部、イオはんが片付けはったんとちゃいますか?」
「ええ。でも、片付けても片付けてもキリがないの」
イオは指を折って、これまでに遭遇した敵の「特徴」を並べ始めた。
「五条大橋で、大量の『ドローン』が龍になった。
伏見稲荷では、捨てられた『家電製品』が狐になった。
そしてさっき、嵐山で遭遇したのは……『ガードレール』に『信号機の支柱』をツギハギにした鵺とかいう化け物」
イオは言葉を切る。
「でも、一番の問題は『材料』じゃない。それを動かしている『中身』よ。
……最近、『電脳神隠し』の被害者が増えているのは知ってる?」
「へぇ。病院で眠り続ける奇病のことどすな」
「被害者たちは昏睡状態にある。……でも、意識データはどこかへ吸い上げられている。
私たちの推測じゃ、空っぽの脳みそを外部から『生体CPU』として使って、あの複雑なガラクタの身体を制御している可能性が高いの」
すると、小夜子がハッとしたように顔を上げた。
「……CPU、いいますとな、計算機のことどすか?」
「ええ」
「それなら、一つ気になる話がおます」
小夜子は声を潜めた。
「うちのご贔屓に、大学病院の先生がいてはるんですわ。その先生が、酔っ払って嘆いてはりました。
『眠ってるはずの患者の脳が、休まるどころか、起きている時より激しく動いてる』て」
「激しく動いている?」タカトが身を乗り出す。
「へぇ。脳波のグラフが真っ黒になるくらい、ものすごい速度で何かを処理させられてる、て。
まるで、『終わりのない計算ドリルを、寝ながら永遠に解かされているみたいや』……そう言うてはりました」
タカトが息を呑む。
「……間違いない。やはり彼らの脳は、演算装置として酷使されているんだ」
イオが小夜子を見据える。
「中身の話は繋がったわね。
次は、入れ物の話よ」
イオは畳み掛けるように問う。
「ねぇ小夜子。
街から消えた『大量のガラクタ』。
もし、誰かが『生体CPU』を使って動かすための『巨大な肉体』を作っているとしたら……その材料が集まる場所に、心当たりはない?」
「……ガードレールに、鉄柱、ですか」
小夜子は少し考え込み、やがてパチリと扇子を閉じた。
「それなら、一つだけ心当たりがおます。
最近、解体業者の旦那衆がボヤいてはりましたわ。『儲かってしゃあないけど、気味が悪い』て」
「気味が悪い?」
「へぇ。『西院』の産業廃棄物処理センターの話どす」
小夜子が具体的な地名を挙げた。
「西院……京都の西か」
「あの工場、最近になって買取価格を上げたらしくてなぁ。特にイオはんが言うたような、『ガードレール』やら『鉄骨』やら、大きな鉄くずを根こそぎ集めてるらしいんです」
「それに、運送屋はんも言うてました。『計算が合わへん』て」
「計算?」
「へぇ。工場には毎日、山ほどの廃材を積んだトラックが列をなして入っていく。
せやのに、リサイクルされた再生金属を運び出すトラックの数が、妙に少ないらしいんです」
小夜子は声を潜めた。
「入る量は山ほどあるのに、出てくる量が少なすぎる。……まるで、『鉄が工場の中で食べられてる』みたいや、って」
4. 点と線
「……『食べられている』か」
イオの中で、バラバラだった点がカチリと音を立てて繋がった。
「タカト、その工場のデータを調べて」
「あ、ああ」
タカトが慌ててARグラスを操作する。
「……データ上は、搬入量と搬出量の収支は完璧に合っている。不正な備蓄の記録もない」
「でも、現場の人間は『出ていく回数が少なすぎる』と言っている」
イオは確信を持って断言した。
「つまり、データの方が改ざんされているのよ。
消えた鉄は、工場の中で何に使われていると思う?」
「……まさか」
タカトが顔を青ざめさせる。
「リサイクルせずに、そのまま工場の中に溜め込んで……『妖怪を作る材料』に流用しているのか」
「そうよ。それなら全ての辻褄が合う」
イオは冷ややかな笑みを浮かべた。
「運び込まれた『ガラクタ』と、ネットワークから盗まれた『意識』。
その二つが出会う場所は、そこしかない」
タカトは顔を上げる。
「西院の伝説……『賽の河原』か。
死んだ子供たちが、親を想って石を積み上げる場所。
現代では、何者かがガラクタを積み上げて、ロクでもないモノを作ろうとしているわけだ」
5. 地図にない深淵へ
「おおきに、小夜子。いいネタだったわ」
イオは懐からチップ(謝礼)を弾いた。
「さすがね。京都の『地獄耳』は健在ってわけだ」
「お役に立てて何よりどす」
小夜子はチップを懐にしまい、深々と頭を下げた。
「お気張りやす。……西の方角は、日が沈む死者の国(黄泉)への入り口言いますさかい」
店を出ると、雨は上がっていた。
濡れた路地に、二人の足音が響く。来る時のような迷いはもうない。
「西へ向かうわよ」
イオが夜空を見上げる。
「あの工場で何が行われているのか、確かめる必要がある」
「ああ。もし本当に妖怪の生産ラインがあるなら、放っておくわけにはいかない」
タカトがARマップの西側に赤いピンを立てる。
二人の向かう先は西。
そこには、都市の排泄物を飲み込み続ける、巨大なコンクリートの墓場が待っている。
(第7話 完)




