第5話『不可視のバグと、市役所の男』
1. 小説家じゃない
京都市役所、本庁舎地下。
「特別電脳対策室」の無機質なデスクで、タカトは頭を抱えていた。
目の前のホログラムウィンドウには、作成途中の報告書が浮かんでいる。
【案件番号:617-A 伏見稲荷大社・千本鳥居エリアにおける空間異常】
タカトは充血した目をこすり、キーボードに指を走らせる。
『……雨煙る宵闇の向こう、朱色の鳥居が無限に増殖する特異点において、我々は論理の破綻を目撃した。そこにいたのは、廃棄された機械の怨念か、あるいは都市の深層が生み出した幻影か。錆びついた狐たちは、電子の涙を流しながら――。
なお、事態の収拾には、白装束を纏った未確認の女性個体が介入。彼女は物理法則を無視した斬撃を用い、空間そのものを切断することで事象を強制終了させた。その姿は、まるで古の伝説にある――』
タカトの手が止まる。
彼は自分が打った文章を読み返し、乾いた笑いを漏らした。
「……なんだこれは。三文小説か?」
公式文書に「怨念」だの「伝説」だのと書けるわけがない。
そんなものを上層部に提出すれば、即座に精神鑑定送りだ。
だが、昨夜の伏見稲荷で見た光景――無限回廊と、それを物理的に断ち切った白い女――を正確に記述しようとすると、どうしても語彙が詩的になってしまう。
事実がありのまま書けない。この街のシステムには、「怪異」を入力する項目がないのだ。
「クソッ……!こんな報告できるか!」
タカトは荒々しくバックスペースキーを叩き続けた。
文字列が消えていく。事実が、闇に葬られていく。
代わりに、彼は無表情で定型文を打ち込んだ。
『原因:磁気嵐による空間認識デバイスの一時的な不具合』
『処置:システム再起動により復旧。市民への被害なし』
ターンッ!
叩きつけるようにエンターキーを押し、送信完了。
これで「異常なし」だ。この街は今日も平和で、システムは完璧に機能していることになった。
「……やってられないな」
タカトは深いため息をつき、冷めたコーヒーを煽った。
彼が許せないのは保身ではない。
「数値化できないバグ」が、この完璧なスマートシティのど真ん中を堂々と歩いているという事実だ。
その時だった。
デスクの隅、ホログラムディスプレイの横で、場違いなアナログ電話がけたたましく鳴り響いた。
ネットワークから物理的に隔離された、時代遅れの銅線通信。
ハッキング不能な「最後のライフライン」が吠えるたび、タカトはいつも古傷を突かれたような不快な気分になる。
「……はい、こちらネオキョウト北署、生活安全課」
『おい役所! どうなってんだ!』
受話器の向こうから、現場作業員の怒声が響く。
『錦市場だ! 管理システムじゃ「在庫アリ」になってるのに、店の商品が空っぽなんだよ! 荷物が勝手に動いて、消えちまった!』
「……監視カメラには?」
『何も映ってねえ! ノイズだらけだ! でも現場には、なんか気味の悪い黒い粘液がへばりついてて……』
タカトの眼鏡が、都市OSのログを照会する。
表示は「稼働率100%・オールグリーン」。
システムは正常。だが、現場では物理的な異常が起きている。
昨夜と同じ、「数値化できないバグ」だ。
「……分かった。すぐに向かう」
タカトは受話器を置き、ロッカーから実働部隊用のジャケットを掴み取った。
報告書には嘘を書いた。
だが、市民からの悲鳴は誤魔化せない。
「今度こそ、その尻尾を掴んでやる」
2. 錦の迷宮
深夜の錦市場。
「京の台所」と呼ばれる狭いアーケード街は、シャッターが降り、頭上を覆うステンドグラスを極彩色のネオン広告だけが毒々しく照らしている。
タカトは濡れた石畳を踏みしめながら、現場の惨状に息を呑んだ。
老舗の漬物屋のショーケースが粉砕され、乾物屋の在庫が散乱している。
だが、タカトの眼鏡が表示する都市OSのログは、これだけの破壊を前にしても「異常なし」としか答えない。
「……クソッ、役立たずのシステムめ」
ズズズ……。
アーケードの奥から、不快な駆動音が響いた。
タカトがスキャナーを向けると、暗闇の中で巨大な影が蠢いていた。
廃棄された業務用冷蔵庫のコンプレッサー、自動調理器のアーム、そして無数の錆びた包丁やフックが融合した、巨大な「ムカデ」のような姿。
それが、店舗のサーバーラックに食らいつき、データを物理的に貪っている。
関節部分からは、あの黒い液体――磁性流体が滴り落ちていた。
「……出たな、バグ野郎」
タカトは腰のポーチから、筒状のデバイスを取り出した。
「緊急停止用EMPエミッター」。
暴走した工事用ロボットなどを、周囲に被害を出さずに停止させるための、役所の防災備品だ。
「――こちら特別対策室。第4種装備の使用許可を申請。……ええい、事後承諾だ!」
タカトはデバイスの安全ピンを引き抜き、妖怪の足元へ転がした。
数秒後、作動音がして、青白い電磁パルスの波紋が広がる。
カッ……シュゥン。
しかし。
閃光は一瞬で収束し、頼りない火花を散らして消えてしまった。
妖怪はピンピンしている。
「なっ……不発か!?」
タカトは愕然として自分の眼鏡を見た。そこに表示されたエラーログが、彼を絶望させる。
『警告:対象エリアに「市民ID」を検知。安全プロトコル作動。出力を最小値に制限しました』
「は……? 馬鹿な!」
このデバイスは優秀すぎた。
周囲に人間がいる場合、ペースメーカーやインプラントへの影響を避けるため、自動的に威力を抑制する機能がついているのだ。
都市を守るための安全装置が、目の前の妖怪を「守るべき人間」だと誤認してしまった。
「ふざけるな! そいつは鉄屑だぞ!」
妖怪がタカトに気づく。
鋭利な包丁の脚が振り上げられる。逃げ場のない一直線の通路。
自らが信じたシステムの「完璧さ」に裏切られ、タカトは死を覚悟した。
その時。
頭上のアーケード、ステンドグラスの屋根が派手に砕け散った。
「――どいて」
ガラスの雨と共に、白い影が舞い降りる。
3. ゴースト・シグナル
イオは着地と同時に、タカトの襟首を掴んで強引に後ろへ放り投げた。
「うわっ!?」
「下がってて。……あんたの『行儀の良い道具』じゃ、こいつは止められない」
イオは刀を抜く。
妖怪はターゲットを変え、不快なノイズを撒き散らしながらイオへ襲いかかる。
『ハラ……ヘッタ……。クレ……モット……データ……』
スピーカーから漏れるのは、合成音声ではない。
どこか人間じみた、飢餓感に満ちた呻き声。
イオは狭い通路を壁伝いに駆け上がり、振るわれる刃を紙一重で回避する。
タカトの目には「機械の暴走」にしか見えていないが、イオの『呪眼』には、まったく別の光景が見えていた。
機械の表面を覆う、赤いノイズで形成された「餓鬼」のようなホログラム。
そして、その中心にある受信機から、天に向かって伸びる細い「糸」のような信号。
「本体はここじゃない……受信してるだけね」
イオは空中で身を翻し、妖怪の背後へ回り込む。
「急急如律令・断」
一閃。
彼女が斬ったのは、妖怪のボディではない。
その頭上の空間に漂う、「見えない通信波」だった。
ブツンッ。
空気が弾ける音がして、妖怪の動きがピタリと止まる。
あたかも、操り人形の糸が切れたかのように。
『ア……? ワタシ……ハ……』
妖怪は困惑したように明滅し――次の瞬間、イオの二太刀目が、物理的なコア(動力炉)を両断した。
ドオォォン!!
爆発四散。ガラクタの巨体は崩れ落ち、ただの鉄屑の山へと戻った。
4. 遠隔の生贄
静寂が戻った錦市場に、非常ベルの音だけが遠く響いている。
「……おい」
タカトはフラつく足でイオに近づいた。
「君は、何をした? 今の対象は、システム上では『市民』として認識されていた。だから私のEMPも効かなかったんだ!」
「ええ、そうね」
イオは刀を納め、鉄屑の中から焦げた「黒いチップ」を拾い上げた。
「よく見なさい。こいつが信号を発信してたの」
タカトがスキャナーを向ける。
すると、ありえないデータが表示された。
『生体ID受信中:京都市民コード No.xxxxxxxx(生存反応あり)』
「これは……生存反応? このチップが生きているのか?」
「いいえ。これはただの受信機」
イオは冷たく言い放つ。
「このIDの持ち主である人間は、別の場所にいる。……おそらく、意識のない『空っぽ』の状態で生かされながら、脳波だけを抽出されて、こいつらにリアルタイムで送信させられている」
「な……っ」
タカトは言葉を失った。
つまり、この妖怪は「人間のフリ」をしていたわけではない。
遠隔地にいる被害者の脳を「生体認証キー」として使い、セキュリティの安全装置を逆手に取っていたのだ。
「あんたのシステムは正常よ。IDは本物だもの」
イオはチップを指先で握りつぶした。
「でも、その『本物』が、ネットワークの向こう側でどう扱われているかまでは、あんたの眼鏡じゃ見えない」
「……被害者が、部品にされていると言うのか」
「そう。だから私が掃除してる」
遠くからパトカーのサイレンが近づいてくる。
イオはタカトに背を向けた。
「報告書には適当に書いておきなさい。『配線のショート』とでもね」
「待て! ……君の名前は」
イオは一瞬だけ足を止め、肩越しに振り返った。
極彩色のネオンが、彼女の白い横顔を照らす。
「……イオ」
それだけ告げると、彼女は再び闇の中へと消えていった。
5. 報告書の行方
深夜の市役所。
タカトはデスクに戻り、モニターの光を見つめていた。
【案件番号:617-B 錦市場エリアにおける機材破損】
真実を書くことはできない。
『市民が拉致され、その脳波が遠隔操作の鍵として悪用され、市の安全装置が無力化された』
そんなことを書けば、パニックどころか、都市のセキュリティシステムそのものの崩壊を意味する。
タカトは震える指で、嘘を打ち込んだ。
『原因:老朽化した調理設備のガス漏れによる引火爆発』
『処置:鎮火確認。および周辺機器の回収』
ターンッ!
決定キーを押し、彼は公務員としての誇りを飲み込んだ。
だが、その目は死んでいなかった。
彼は個人の暗号化フォルダを開き、新しいファイルを作成する。
タイトルは『Project_IO』。
そこへ、現場で採取したイオの音声データと、砕かれた受信チップの解析データを放り込む。
「……システムの中だけで戦っても、奴らには勝てない」
タカトは眼鏡の位置を直し、決意を込めて呟いた。
敵は、ネットワークの外側に、自らの体を作る「工場」を持っている。
そこを見つけ出すには、あの「非公式の掃除屋」を利用するしかない。
「次は必ず、尻尾を掴む。……そして、その先にある本体を引きずり出してやる」
窓の外、京都の夜景は今日も何事もなかったかのように美しく輝いている。
だがタカトにはもう、その光が、真実を隠すための巨大な欺瞞にしか見えなかった。
(第5話 完)




