第4話『九条・廃棄区画と、金継ぎの女』
1. 捨てられた街
雨は、鉄と油の味がした。
京都市南区、九条・廃棄区画。
泥濘を踏みしめ、イオは歩く。
白装束に、四肢を覆う重厚な銀色のアーマー。
一見すれば最新鋭のサイボーグだが、その歩みは重い。
『キュイン(警告。生体維持率、低下。……イオ、限界だ)』
イオは眉をひそめ、胸元の装甲を強く握りしめた。
皮膚の奥が熱い。体の中に封印された「何か」が、内側から肉体を食い破ろうとしている感覚。
「……分かってる。ちょっと、蓋が緩んでるだけ」
2. 金継ぎ屋「夢幻」
廃棄コンテナの店。その奥で、お登勢が待っていた。
彼女はイオの姿を見るなり、無言でメンテナンス用の椅子を指差した。
プシュウ……。
圧縮空気が抜け、イオの左腕を覆うアーマーが取り外される。
その下には、陶器のようにひび割れ、黄金の流体金属で繋ぎ止められた皮膚が露わになっていた。
「……ひどいもんだ」
お登勢が筆で、亀裂に熱した金を流し込む。
ジュッ、という皮膚が焼ける音。
その鋭い痛みがトリガーとなり、イオの意識は唐突に「あの日」へと引き戻された。
3. 【回想】沈黙する脳
(――警告音。視界を埋め尽くす赤いアラート)
『父様! 母様!』
幼いイオの叫び声がかき消される。
一族が管理していた深層領域のサーバーが、「何か」に侵食されていた。
それはウイルスでもハッカーでもない。
既存のセキュリティが一切反応しないまま、ただ黒いインクを垂らすように、システムを塗り潰していく。
『……解析できない! 思考ルーチンが……乗っ取られる……ッ!』
一族の術者たちが、次々と床に倒れ伏す。
ニューロリンカーがスパークし、白煙が上がる。
見えない何かが、回線を通じて彼らの脳を直接食い荒らし、思考を停止させていく。
『イオ!』
這いずってきた父が、イオの足首を掴んだ。
『受け取れ……!』
父が自らのニューロリンカーを操作し、イオへの「強制同期」を開始する。
セキュリティも保護も無視した、強引なデータ転送。
『決して、奴らに渡すな……ッ!』
ドクンッ!!
言葉よりも速く、膨大な「熱」が脳へ流れ込んだ。
一族が守ってきたデータ。術式。そして怨念。
小さなイオの脳では処理しきれない情報の濁流が、神経を焼き、血管を沸騰させる。
『あ、ガッ……!?』
視界がホワイトアウトする。
直後、父の体がガクリと力を失った。
まるで糸の切れた人形のように、唐突な「死」が訪れる。
脳を完全に破壊された肉体だけが、物言わぬ物体としてそこにあった。
4. 拘束具
「……ッ、はぁ!」
イオは現実に引き戻され、荒い息を吐いた。
全身が冷や汗で濡れている。
「……終わったよ」
お登勢が、再び重たいアーマーをイオの腕に嵌め、ボルトをギリギリと締め上げた。
「……っ、きつい」
「我慢しな。この『拘束具』で物理的に締め付けておかないと、お前の体は中身の圧力で弾け飛んじまう」
お登勢は悲しげに目を細めた。
イオの肉体は、あの日から「一族の遺産」を隠した金庫になった。
「大事にしなよ」
「ええ。分かってる」
「……あんた自身のことをさ」
ボソリと呟かれた言葉に、イオは一瞬だけ動きを止めた。
イオはチップを見つめる。
「私の『視界』には見えたの。こいつだけが、ドス黒い瘴気を放って、まるで助けを求めるみたいに点滅してた」
「……なるほど。いわくつきってわけか」
お登勢はチップを受け取ると、片眼鏡を装着した。
「回路がズタズタだね。こいつは骨が折れるよ」
お登勢は作業台に向かい、極細の半田ごてを握った。
静かな工房に、ジジジ……という焼ける音と、青白い煙が立ち昇る。
「……あたしの曾爺さんが言ってたよ。『陰陽師様は目に見えない理を視るのが仕事。俺たちは、その理を入れるための頑丈な器を作るのが仕事だ』ってね」
お登勢の手が、神業のような速度で回路を繋いでいく。
「やってることは昔から変わらないねえ。木と紙が、シリコンと金に変わっただけだ」
「……そうね。お登勢の家がいてくれなかったら、ウチの一族は何もできなかった」
「ふん。お互い様さ」
お登勢は照れ隠しのように鼻を鳴らし、最後の配線を繋ぎ終えた。
「……よし、物理的には繋がった。だが中身はぐちゃぐちゃだぞ? バグだらけで読み込めやしない」
「……K.U.D.A、私の『視界』と同期して」
イオがチップに指先を触れる。
冷たいシリコンの感触。だが、その奥底にある「泥のような不快感」を、イオの直感が捉え、K.U.D.Aに翻訳させる。
『ヒュイン……(同期完了。解析します)』
モニターに走っていた乱雑なノイズが、波形として表示される。
しかし、それは整然としたプログラムコードとは程遠い、醜い螺旋を描いていた。
『ビポパ……(解析不能。何だ、これは?)』
「どうしたの?」
『ブボパピポピ(コードの記述が、非合理的すぎる。機械的な命令と、人間の脳波(生体ノイズ)が、無理やりツギハギにされている)』
「……やっぱり」
イオは唇を噛んだ。
「清水寺で戦った時、敵の反応速度が異常だった。AIの演算にしては『迷い』があるのに、直感だけが鋭かった」
「その時の疑いが、当たってたってことかい?」
お登勢が眉をひそめてモニターを覗き込む。
「ええ。……これで、ここ最近の不可解な事件のピースが全部揃ったわ」
イオは指を折りながら、確認するようにキーワードを並べる。
「まず、街で頻発している『神隠し』。そして、発見された被害者の『無くなった意識』」
「ああ。体は無事なのに、中身だけが空っぽになって戻ってくる事件だね」
「そう。そして今、目の前にあるチップには、『空っぽの脳』を補うような波形が刻まれてる」
イオはモニターを睨みつけた。
「それに、ここ最近の『セキュリティが感知しない現象』……。都市のAIが完璧なら、こんな『動くガラクタ』たちが街を歩けるはずがない」
「……まさか、全部繋がってるって言うのかい?」
「分からない。……理屈はまだ見えない」
イオは首を振った。
点と点は揃った。だが、どういう線で繋がっているのか、肝心な「手口」までは見えない。
ただ一つ確かなのは、このチップから漂う、焼け付くような人間の痛みだけ。
お登勢は短く息を吐いた。
工房に重苦しい沈黙が落ちる。
決定的な証拠はない。けれど、「決して越えてはならない一線」を超えた気配だけが、濃厚に漂っていた。
「放っておけば、もっと多くの人が犠牲になる。……だから、私が掃除する」
イオは立ち上がり、鉄扉に手をかけた。
外はまだ、冷たい雨が降り続いている。
「行くのかい?」
「ええ。続きがあるから」
背中越しに手を振り、イオは再び灰色の雨の中へと消えていった。
その背中は、鋼鉄の鎧で守られているはずなのに、ひどく小さく、脆く見えた。
(第4話 完)




