第3話『千本鳥居の無限回廊』
1. 真夜中の参拝者
深夜の伏見稲荷大社。
朱色の鳥居が連なる参道は、不気味なほど静まり返っていた。
観光客の喧騒が消えた境内には、無数の「お狐様」の石像が、闇の中からじっと侵入者を見下ろしている。
本殿の脇、千本鳥居の入り口付近で、一人の男が空中に展開したホログラム・キーボードを叩いていた。
仕立ての良いスーツに、銀縁のARグラス。
京都市役所・高度情報化推進局の特務技官、タカトである。
「……座標変動、なし。磁場ノイズ、規定値内」
彼は苛立ち紛れにエンターキーを弾いた。
「私の計算では、次の『神隠し(バグ)』発生地点はここだという予測が出ているんだが……」
彼は、連日の激務で刻まれた目の下の隈を指でこすった。
五条大橋、清水寺。立て続けに発生した大規模なシステム障害と、不可解な「完全修復」。
その発生源を突き止めるため、彼は独自のアルゴリズムで次なる現場を予測し、張り込んでいたのだ。
「……ん?」
ARグラスの端に、生体反応が映り込んだ。
タカトが顔を上げると、参道の向こうから一人の少女が歩いてくるのが見えた。
黒髪のボブカットに、サイバーパンク風にアレンジされた制服。
腰には、明らかに模造刀ではない輝きを放つ日本刀を差している。
(……この深夜に、コスプレ撮影か?)
タカトは眉をひそめ、少女の前に立ちはだかった。
「おい君、止まりなさい」
少女――イオは、タカトを一瞥もしない。
「ここは現在、磁場異常により立入禁止エリアに指定されている。撮影なら日を改めたまえ。……危険なんだぞ」
「……どいてくれる? 邪魔よ」
イオは冷たく言い放ち、タカトの横をすり抜けようとする。
「なっ……!?」
タカトは言葉を詰まらせ、すぐに怒りで顔を赤くした。
市民の安全を守るために徹夜で調査している自分に対して、この態度は何だ。
「待ちたまえ! 君を不法侵入で確保する!」
タカトは振り返り、イオの肩を掴もうと手を伸ばした。
2. 終わらない赤
その瞬間だった。
タカトの手がイオに触れる寸前、景色がグニャリと歪んだ。
「……ッ!?」
平衡感覚が狂い、タカトはその場によろめいた。
気がつけば、周囲の景色が一変している。
そこは、朱色のトンネルの中だった。
左右、上下、視界の全てを「鳥居」が埋め尽くしている。
戻ろうと振り返るが、来たはずの参道は消え失せ、背後にも同じ朱色のトンネルが無限に続いていた。
「GPSロスト……いや、空間座標がループしている? そんな馬鹿な、ここは現実空間だぞ!?」
タカトは慌ててキーボードを展開し、ログを確認する。
だが、画面に表示されるのは『ERROR』の文字と、再帰的に繰り返される無意味な数列だけ。
「どうなっている……! ハッキングによるVRジャックか!?」
「……やっぱり。部外者が入ったから、防衛本能が働いたわね」
パニックになるタカトとは対照的に、イオは冷静に呟いた。
「あーあ。あんたが騒ぐから、獲物が警戒して扉を閉じちゃったじゃない」
「獲物……? 何を言っているんだ君は!」
タカトが食ってかかろうとした時、鳥居の隙間から「カサカサ……」という乾いた音が響いた。
3. 不死身のガラクタ
それは、ゴキブリが這い回る音にも、ハードディスクが物理破損した時の異音にも似ていた。
闇の奥から、赤い光が灯る。
一つではない。二つ、四つ、八つ……。
鳥居の影から這い出してきたのは、異様な姿をした「狐」の群れだった。
不法投棄された炊飯器の釜、断線したLANケーブルの束、砕けたドローンのローター。
それらがまるで磁石に吸い寄せられるように集合し、四本足の獣の形を成している。
眼窩に埋め込まれた防犯カメラのレンズが、絞りをカシャカシャと動かしながら赤く発光した。
『ギギ……ギ……排除……排除……』
「電脳野狐……!」
イオが低く呟く。
「な、なんだあのガラクタは!? 自律駆動型ドローンか!?」
タカトは恐怖を振り払うように、腰のホルダーから護身用の「高電圧警棒」を引き抜いた。
狐の一体が、鋭いケーブルの爪を振り上げて飛びかかってくる。
「くっ!」
タカトは反射的にバトンを振り抜いた。
バチッ!と青いスパークが走り、正確な一撃が狐の頭部を捉える。
ガシャアン!
狐は派手に吹き飛び、バラバラのパーツに戻って地面に散らばった。
「はぁ、はぁ……。驚かせやがって。所詮はゴミの塊だ!」
タカトは荒い息を吐き、勝利を確信した。
バッテリーユニットらしき部品も粉砕した。メイン基板も割れた。
物理法則に従うなら、これでもう動くはずがない。
だが――。
ズズズ……。
地面に散らばったパーツが、まるでビデオテープを強引に巻き戻すように、不自然な挙動で動き出した。
ケーブルがのたうち回り、割れた基盤がピタリと吸着し、再結合する。
わずか数秒。
狐は何事もなかったかのように元の姿に戻り、再び赤い眼光をタカトに向けた。
「なっ……自己修復機能だと!?」
タカトは目を見開いた。
あり得ない。ナノマシンを使った修復でも、これほどの速度は出ない。そもそも動力源は断ったはずだ。
なのに、なぜ動く? 物理法則を無視している。
「嘘だろ……なんで動くんだよ!!」
恐怖で足がすくむ。
その隙を突き、別の狐が横合いから襲いかかった。
鋭い爪がタカトの高級スーツを切り裂き、その衝撃で彼は吹き飛ばされた。
「ぐあっ!」
タカトは無様に濡れた石畳へ転がった。
見上げれば、十数体のガラクタの群れが、彼を包囲していた。
論理も科学も通じない、理不尽な暴力の群れ。
(死ぬ……ここで、訳もわからず……)
「下がってて」
絶望するタカトの前に、凛とした声が響いた。
イオが静かに割って入る。
「……君、逃げろ! こいつらは普通じゃない! 物理攻撃が効かないんだ!」
タカトは叫んだ。自分の最新装備ですら通じなかったのだ。刀一本でどうにかなる相手ではない。
だが、イオは刀の柄に手をかけたまま、動じない。
「物理的に壊しても無駄よ。『本体』はそこじゃないもの」
「本体だと……? どこだ、サーモグラフィーにも熱源反応なんてどこにも……」
「あんたのその眼鏡(科学)じゃ、見えないわよ」
イオが左目を細める。
その瞬間、タカトは息を呑んだ。
無限に続く朱色の闇の中で、彼女の左目だけが、青白く、神秘的に発光していた。
瞳の中に浮かび上がる五芒星の回路。
それは、科学が生み出したデバイスでありながら、どこか神聖で、侵しがたい光を放っていた。
「――急急如律令」
イオが抜刀した。
『七星』の刀身が、暗闇に青い軌跡を描く。
その一閃は、あまりにも美しく、そして不可解だった。
タカトの目には、彼女が「ガラクタの狐の、少し上の何もない空間」を斬ったように見えた。
物理的には完全な空振りだ。
しかし、その斬撃の跡には、夜空を走る彗星のような光の粒子がいつまでも残っていた。
『ギャァァァァッ……(403 Forbidden)……!』
切断された「何か」の断末魔が響き渡る。
その瞬間、襲いかかろうとしていた狐たちが、糸の切れた操り人形のように一斉に崩れ落ちた。
ガシャ、ガシャ、ガシャン。
ただのゴミに戻ったパーツの山は、今度こそ二度と再生しようとはしなかった。
「……」
タカトは言葉を失い、呆然と口を開けた。
バッテリーを壊しても動いていた妖怪が、空を切っただけで沈黙した。
周囲を埋め尽くす朱色の鳥居。
その中で唯一、彼女の周囲だけが、冷たく澄んだ青い静寂に包まれている。
(あれは、ハッキングなんて次元じゃない……物理的な干渉なしに、対象の『存在定義』を書き換えたのか?)
タカトは震える視線を、刀を納める少女に向けた。
蒼く輝く瞳。常識という檻を、たった一振りで断ち切る力。
その姿が、ネットの掃き溜めで囁かれていた都市伝説と重なる。
ただの噂だと思っていた。
だが、目の前の光景はあまりにも鮮烈で、否定することなどできなかった。
「……まさか、君が噂の。『現代の陰陽師』なのか?」
4. 契約
狐の消滅と共に、周囲の空間がガラスのように砕け散った。
無限ループが解け、いつもの伏見稲荷の風景が戻ってくる。
イオは崩れ落ちたガラクタの山に手を突っ込み、一枚の光るチップを抜き取った。
『ピピッ!(データ回収。……解析完了だ、イオ)』
K.U.D.Aの電子音声が響く。
「おい、そのノイズはなんだ。デバイスの故障か?」
「K.U.D.Aよ。私の相棒。……今のは、あんたの顔が暑苦しいって言ってるわ」
「あ? ふざけるな。機械にまで小言を言われる筋合いはないぞ」
イオは無視してチップを見つめ、眉をひそめた。
「K.U.D.A、中身は?」
『ヒューン(通信ログだ。こいつら、集めたデータをどこかのサーバーへ送信していたらしい)』
「送信先は?」
『ジジッ(……IPアドレス追跡。「九条」の廃棄区画だ)』
イオは懐から端末を取り出し、データを保存する。
敵は単に暴れているわけではない。何者かがデータを集め、九条のスラムへ送っている。
黒幕の手がかりはそこにあるはずだ。
彼女が立ち去ろうとすると、背後から声がかかった。
「……待ちたまえ」
タカトが、破れたスーツを押さえながら立ち上がっていた。
先ほどまでの高圧的な態度は消え、その表情には困惑と、ある種の畏怖が浮かんでいた。
「無礼を詫びよう。……私の名はタカト。市のシステム管理官だ」
「ふーん。エリート様がこんな夜中にご苦労ね」
イオは素っ気なく返す。
タカトは眼鏡の位置を直しながら、イオの腰にある刀と、蒼く光る瞳を交互に見た。
「物理法則を無視した斬撃……。私の科学では説明がつかない。だが、この目で見た以上、信じるしかないな」
彼は一つ息を吐き、認めるように呟いた。
「君が、噂の……『現代の陰陽師』か」
「好きに呼べば」
イオは興味なさげに背を向ける。
タカトは去りゆく彼女の背中を見つめ、少し逡巡した後、意を決したように声を張り上げた。
「おい、これを持っていけ!」
彼が端末を操作し、空中に暗号化されたデータキーを弾く。
イオは振り返らず、片手でそれをキャッチ(ダウンロード)した。
「……何これ」
「市の管理区域への『特別通行証』だ」
タカトは、あくまで事務的な口調で言った。
「君が九条へ行くなら、必ず市のセキュリティゲートを通ることになる。そのたびにハッキングで警報を鳴らされては、管理者の私が迷惑なんだ。……通るときはそれを使え。正規の手続きで通してやる」
それは協力というよりは、「管理できないイレギュラー(イオ)を、せめて自分の監視下でコントロールしたい」という、彼なりの妥協と合理性の産物だった。
イオは少し驚いたように眉を上げ、それから小さく鼻を鳴らした。
「……気が向いたらね」
イオは背中越しに手を振り、闇へと消えていく。
その姿は、誰にも縛られず、誰の助けも求めない孤高の獣のようだった。
タカトは一人、静まり返った境内に残された。
彼は手元の端末を開き、今しがた登録した『IO(未確認)』のステータスを、「排除対象」から「監視対象(要警戒)」へと書き換えた。
(九条か……。あそこは不法投棄とノイズの掃き溜めだ。一体、あんな場所で何をするつもりだ)
夜風が吹き抜け、参道に並ぶ行灯のホログラムが、電子的なノイズを帯びてゆらりと揺れていた。
(第3話 完)




