第2話『夢喰いの蜘蛛と、清水の舞台』
1. 警告の赤信号
深夜の京都、洛北。
カエルの合唱と、湿った土の匂いが立ち込める森の中。
長い参道の先、鬱蒼とした木々に埋もれるようにして、朽ちかけた神社の社務所が建っている。
そこが、イオの隠れ家だ。
外観は廃屋同然だが、一歩中に入れば、そこはこの街で最も高度な情報解析室へと変わる。
八畳間の畳の上には、黒いサーバーラックが鎮座し、低い駆動音を唸らせていた。
天井から吊るされた注連縄には、紙垂の代わりに光ファイバーが絡みついている。
その中心で、イオは愛用の巨大なビーズクッションに深く身を沈めていた。
行儀悪く足を放り出し、空中に浮かべた複数のホログラム・ウィンドウを指先一つで操作する。
傍らには、深夜の糖分補給用のチョコレートの包み紙が散らばっていた。
メインモニター代わりの空間投影には、ニュース映像が流れている。
『――京都市内で急増している「突発性意識消失症候群」。昏睡状態に陥る患者は昨日で三千人を超え、各医療機関は対応に追われています……』
画面の中、キャスターが沈痛な面持ちで原稿を読み上げている。
原因不明。感染経路不明。
ある日突然、糸が切れたように意識を失い、二度と目覚めない奇病。
「『電脳神隠し(サイバー・スパイラル)』……か」
ニューロリンカー経由でSNSのタイムラインを流し見ると、そんな言葉が躍っていた。
本来は、ゲームやVRに没入しすぎて現実に戻れなくなる子供を戒めるネットスラング。
けれど、今起きている現実は、そんな生温かいものじゃない。
『ピピ……! ピボッ。(解析完了。笑えない結果が出たぞ、イオ)』
不意に、スピーカーから電子音が響いた。
相棒のAI、K.U.D.A(Key Unit of Digital Animism)だ。脳内のインプラントが、彼の電子言語を即座に翻訳して意味を伝えてくる。
「どうだった? あの龍の正体は」
イオはクッションから上体だけを起こし、ウィンドウをスワイプして詳細データを呼び出した。
昨夜、五条大橋で遭遇した異形の龍。その残骸から回収したデータの解析が終わったらしい。
『ジジ……(奴を動かしていた演算リソースの出処。……数百、いやそれ以上のCPUによる「分散処理」だ。だが、そのCPUというのが……)』
K.U.D.Aが一拍置き、不快なノイズを漏らした。
『プギョ(……病院や自宅で眠る、「昏睡患者たちの脳」だ)』
「……え?」
イオの思考が一瞬、停止する。
昏睡患者。つまり、ニュースで騒がれている「電脳神隠し」の被害者たちだ。
「待って。彼らは意識がないのよ? どうやって演算に使っているというの」
『キュイーン……(意識がないからこそ、だ。奴らにとって「空っぽ」になった脳は、セキュリティの甘い、自由勝手に使える高性能なハードディスクと同じなんだ)』
ウィンドウに、複雑なネットワーク図が表示される。
病院のベッド、自宅の介護用ベッド。
そこに眠る人々の頭には、バイタル監視用のデバイスや、医療用ニューロリンカーが装着されている。
『(命を繋ぐための医療ネットワーク。……連中はそれを逆流して、持ち主のいなくなった脳を勝手に「並列接続」しているんだ)』
イオは言葉を失った。
何も知らずに眠り続ける人々の脳が、見知らぬ誰かの道具として、24時間フル稼働させられている。
あの龍が吐き出した高圧縮の水流も、複雑な機動制御も、すべて彼らの脳のリソースを使って計算されたものだったのか。
「……人の命を、ただのパーツみたいに」
胸の奥で、冷たい怒りがふつふつと湧き上がってくる。
吐き気がするほど効率的で、冒涜的だ。
イオはクッションから立ち上がり、壁に掛けてあったコートを掴んだ。
「通信の発信源は特定できた?」
『ピピ!(東山エリア。……京都で一番有名な場所から、強力な信号が出ている)』
「行くよ」
2. 清水の赤い糸
イオは洛北の隠れ家を飛び出し、東山エリアへと急行した。
目指すは、京都を見下ろす高台に位置する古刹――清水寺。
深夜2時。
観光客のいない境内は、死に絶えたような静寂に包まれている。
朱色の仁王門が、闇夜に不気味に浮き上がっていた。
「……ここから?」
『ガガッ。(反応は奥だ。「本堂」の方から出ている)』
イオは石段を駆け上がり、国宝の本堂へと足を踏み入れた。
そして、あの有名な「清水の舞台」へと出る。
視界が開けた瞬間、強烈な光の奔流が飛び込んできた。
眼下には深い木々の闇が広がっているが、西の方角には、極彩色に輝く京都市街が一望できた。
碁盤の目に沿って走るネオンサイン。上空を飛び交う広告ホログラムの群れ。
そしてその中心には、街のランドマークである「KYOTOタワー」が、巨大な白い槍のように夜空を突き刺している。
古都の静寂と、未来都市の喧騒。
その境界線に立ち尽くすイオの網膜に、違和感が走った。
「……妙ね。空気が歪んでる」
イオは左目を細め、コンタクト型デバイス『呪眼(JUGAN)』への接続を開始した。
『J.U.G.A.N(Joint Unified Grid Analysis Network)、起動。ARレイヤー、同調』
瞬きと共に、彼女の左眼球で五芒星の紋章が青白く発光する。
それを中心に、幾何学模様の電子回路が魔法陣のように展開し、瞳の中で回転を始めた。
闇の中で、イオの左目だけが青い光を放っている。
視界が裏返った。
木造の古びた舞台が、情報のグリッドラインで覆われる。
そして――彼女は息を飲んだ。
「これは……」
西に広がる煌びやかな夜景。その至る所から、無数の「赤い光の糸」が伸びてきていた。
それは物理的なケーブルではない。各家庭や病院で眠る被害者たちから吸い上げられた、通信パケットの奔流だ。
数百本の赤い糸は、この清水の舞台へと集まり、床下の木組みの中へと吸い込まれている。
本来は釘を使わずに組まれた美しい懸造の構造が、今は禍々しい「蜘蛛の巣」、あるいは巨大な「サーバーラック」のように見えた。
『ピーッ! (ターゲット確認。舞台の下だ!)』
「随分と趣味の悪い巣作りね」
イオが欄干に足をかけ、眼下に広がる赤い糸の巣を見下ろした、その時だった。
ミシッ、ミシシシ……。
足元の檜の床板が、悲鳴のような軋み声を上げた。
ドガァッ!!
床板を突き破り、巨大な影が飛び出してきた。
飛び散る木片。舞い上がる土煙。
月光に照らされたその異形は、あまりにも冒涜的だった。
胴体は、神社の太い柱とサーバーラックが融合した塊。そこから伸びる八本の脚は、無数のLANケーブルが筋肉繊維のように束ねられ、先端には鋭利な「杭」が装着されている。
頭部と思しき場所には、絶縁碍子が複眼のように並び、赤く明滅していた。
『ギギギ……侵入者……排除……』
妖怪・土蜘蛛。
数百人の昏睡患者から吸い上げたデータを守る、悪意の番人だ。
3. 直感の並列演算
「排除されるのは貴方よ!」
イオは舞台の上を滑るように疾走し、一気に間合いを詰めた。
抜刀。
愛刀『七星』が鞘走る音と共に、青い雷光を帯びる。
鋼鉄すらバターのように断ち切る必殺の間合い。狙うは蜘蛛の胴体、その中枢プロセッサだ。
「そこね!」
確信と共に放った鋭い斬撃が、土蜘蛛の眉間を捉え――
『……予測……済ミ……』
ブンッ!
空を切る音。手応えがない。
土蜘蛛は、刃が届くコンマ数秒前、まるで重力がないかのように巨体を捻り、舞台の柱へと張り付いていた。
完璧な回避。こちらの攻撃軌道を、完全に読み切っている動きだ。
「――ッ!?」
張り付いた土蜘蛛から、光ファイバーの脚が槍のように突き出される。
速い。
イオが首を捻ってかわすと、その回避先へ、すでに次の脚が置かれていた。
まるで、彼女が次にどこへ逃げるのか、あらかじめ知っていたかのように。
「くっ……!」
イオは舞台の床を無様に転がり、欄干スレスレでその連撃を躱した。
追撃のケーブルが頬を掠め、黒髪を数本削ぎ落とす。ツー、と頬に赤い線が走った。
「K.U.D.A! 動きがおかしい! なんで私の剣筋が見えてるの!?」
叫ぶと同時に、K.U.D.Aの警告音が脳内に響く。
『ピピピ! ガガッ!(あいつは「未来」を見ている! 直撃コースだ、右へ!)』
再び土蜘蛛が跳躍する。
イオはK.U.D.Aの指示通りに右へ大きく飛んだ。一瞬前まで彼女がいた場所を、蜘蛛の質量攻撃が粉砕し、国宝である檜の床板を吹き飛ばす。
イオはその衝撃を利用してバックステップを踏み、一気に十メートルほどの距離を取った。
荒くなった呼吸を整えながら、油断なく土蜘蛛を見据える。
極彩色の夜景を背にした巨大な蜘蛛は、こちらの出方を伺うように、無数の複眼をチロチロと明滅させていた。
「未来……? 演算予測ってこと?」
『キュイーン……(ただの演算じゃない! あいつは今、接続されている数百人分の「人間の脳」を並列処理させている!)』
K.U.D.Aの解析ログが、視界の隅を高速で流れていく。
『(人間特有の「直感」……「なんとなくこっちに来そう」という曖昧な予測。それを数百人分束ねることで、AIには不可能な驚異的精度の「未来予知」を実現しているんだ!)』
戦慄が走る。
論理ではない。
「虫の知らせ」や「嫌な予感」といった、生物特有の危機回避能力。それを数百人分ブーストして、システムに組み込んでいるのか。
数百人の悪意なき「直感」が、イオを殺そうとしている。
怒りで視界が赤く染まりそうになるのを、深く息を吐いて抑え込む。
相手が「集合知」で来るなら、個の力で挑んでもジリ貧だ。反射神経の勝負では、数百人の脳には勝てない。
なら、こちらの対抗策は一つ。
「K.U.D.A、ジャミングの準備を」
『プゥ? (強化じゃなくて?)』
「ええ。どれだけ優れた直感も、前提条件が狂えばただの妄想よ。……特に、通信対戦ならね」
イオは懐から数枚の霊符を取り出した。
現実には、マットブラックのシンプルなプラスチックカード。だが、『呪眼』を通した彼女の視界でのみ、表面に複雑な金色の回路パターンと梵字が浮かび上がり、臨戦態勢を知らせる光を放っている。
「条件を変えてあげる」
イオは再び舞台を蹴り、土蜘蛛へと真正面から突っ込んだ。
自殺行為にも見える突撃。土蜘蛛の複眼が「勝利」を確信して赤く輝く。
迎撃のために鋭利な脚が振り上げられた、その瞬間。
彼女は手にしたカードを本体ではなく、その足元――物理的に接続されている「舞台の柱」へ向かって投げつけた。
「急急如律令・遅!!」
カードが柱に吸着し、回路が青烈にスパークする。
強烈な電磁ノイズが、蜘蛛の巣のように張り巡らされた配線を通じてシステムへ流し込まれた。
ガガッ……!
土蜘蛛の動きが、空中でピタリと止まった。
『ガ……ギ……? 通信……同期……ズレ……』
数百人の脳との通信に、コンマ数秒の致命的な「遅延」が発生する。
滑らかだった土蜘蛛の挙動が、カクカクと不自然にバグり始めた。
振り下ろされるはずの脚が、一瞬前の位置に引き戻され、また進む。処理落ちしたゲームキャラクターのような無様な姿。
繊細な直感の統合を行っていた処理系にとって、時間のズレは猛毒となる。未来予測の映像がブレて、イオの「現在地」を見失ったのだ。
「見えた」
イオは踏み込んだ。
先ほどまでは読まれていたその一歩が、今の蜘蛛には反応できない。
バグって硬直した巨大な機械の塊。そこにあるのは、隙だらけのコアだけだ。
彼女は低く呟き、柄をきしむほど強く握りしめた。
「清水の舞台から……落ちなさい!」
青い雷光を纏った刀が一閃。
横薙ぎに放たれた斬撃は、土蜘蛛の胴体を、それを支える舞台の柱ごとまとめて両断した。
『エ……ラァァァァァァ……!』
切断面から火花と赤いデータを撒き散らし、巨大な蜘蛛のバランスが崩れる。
支えを失った巨体は、スローモーションのように傾き、夜の闇が広がる崖下へと転落していった。
遠く下の方で、ズドンッという重い地響きと、爆発音が木霊する。
「……ふぅ」
イオは残心を取り、静かに刀を納めた。
静寂が戻った舞台の上で、夜風が彼女の汗ばんだ髪を撫でていく。
西には変わらず、美しい京都の夜景が広がっていた。
4. 戻らない意識
土蜘蛛が消滅すると同時に、京都市街から伸びていた赤い糸もフッと消失した。
静寂だけが、清水の舞台に戻ってくる。
『ピロッ♪ (リンク切断。患者たちの脳波、安定した)』
K.U.D.Aの報告に、イオは刀を納めた。
これで、ひとまずの供給は断ったはずだ。
「……でも、『中身』は戻ってこない」
イオは西に広がる、煌びやかな夜景を見つめた。
サーバーとしての利用は阻止した。けれど、彼らの意識データが戻ってきたわけではない。
彼らは依然として、深い深い昏睡の底にいる。
『ピピピ!(イオ、見てみろ。空を)』
K.U.D.Aに促され、彼女は視界のズーム倍率を上げた。
東山の高台から見る、京都盆地の夜空。
そこには、さっきの蜘蛛と同じような「赤い結節点」が、星空を覆い尽くすほど無数に張り巡らされていた。
『ジジ……(推定接続数……予備軍を含めれば数万人。……京都中が、食われている)』
「……」
想像以上の規模だった。
この街の裏側で、巨大な何かが、人間をパーツにしてシステムを構築しようとしている。
龍も、蜘蛛も、その末端に過ぎない。
イオは拳を強く握りしめる。
気の遠くなるような戦い。けれど、ここで私が止まれば、彼らは永遠にただの「部品」にされてしまう。
「……片っ端から潰すわよ」
夜風が、彼女の熱くなった頬を冷やしていく。
今夜は、長い夜になりそうだ。
(第2話 完)




