case037:4件目
事件が起きたのは、葬儀から4日後だった。
都内の大型イベントホール。
眞壁景子の芸能事務所に所属するアイドルグループが、新曲発売を記念したイベントを開催していた。
警察からは、中止を勧告されていた。
それも当然だった。被害を受けたアイドルはすでに3人。
この2週間で、眞壁の事務所、あるいはその系列に所属する若いアイドルが、ファンの男に刃物で切りつけられていた。
狙われたのは、すべて顔。
それでも眞壁はイベントを中止しなかった。
警備員を増員。
入場時には手荷物検査。
金属探知機まで導入した。
関係者用通路にも警備員が配置され、以前とは比較にならないほど厳重な態勢が敷かれている。
莫大なコストをかけてでも中止にしなかったのには、彼女がアイドルの苦悩と努力を誰よりも理解していたから。
人生を賭けて練習に打ち込み、本番に挑む。
それはステージだろうと、ファンサービスの企画だろうと変わらない。
若き少女達は青春を捧げてアイドル活動をしている。
そんな彼女達のためにも、中止という選択肢は取れなかったのだろう。
「次の方、どうぞー!」
スタッフに促され、一人の男が列から前へ進んだ。
30代半ばほど。紺色のシャツに黒いパンツ。
特に目立ったところのない男だった。
両手には何も持っていない。
荷物も受付ですでに預け、ボディチェックも済んでいる。
「こんにちはー!」
テーブルの向こうにいる少女が、両手で手を振りながら満面の笑みを浮かべた。
「今日も来てくれたんですね!」
「ああ……」
男は小さく答えた。
少女は19歳。
デビューして1年ほどの新人だったが、最近メディア露出が増えていた勢いのあるアイドルグループのセンターだ。
「ライブどうでした?」
「よかったよ」
「ほんとですか? ありがとうございます!」
何度も来ているファンなのだろう。
少女にも男の顔に覚えがあるらしい。
「今日、最後の曲ちょっと間違えちゃって――」
「綺麗だね」
「え?」
突然の褒め言葉に少女が止まった。
「綺麗」
もう一度、男が言った。
「……ありがとうございます?」
褒め言葉のはずだった。
だが、少女は笑えなかった。
男の顔がおかしい。
笑っていないが、怒っているわけでもない。
ただ、焦点の合わない目で、彼女の顔だけを見ている。
「お客様、そろそろお時間です」
スタッフが男の肩へ手を伸ばした。
次の瞬間。
「なんで」
男が呟いた。
「はい?」
「なんで、お前は綺麗なの」
右手が自分のズボンの内側へ入った。
「――ッ!」
スタッフが反応した。
「手を出してください!」
男が右手を引き抜く。
白色の物体。
刃だった。
「は、刃物!」
スタッフの叫び声。
抜き出すときに自身の体を切ったのか、切先はすでに血が付着していた。
アイドルと男を隔てるテーブル。
男はそれを勢いよく乗り越えて、逃げる彼女を追う。
「きゃっ――!」
アイドルが後ろへ逃げようとした。
しかしコードに足を取られて転倒する。
彼女は咄嗟に仰向けになって攻撃から自身を守ろうとした。
男は、彼女の右腕を左手で押さえ、左腕を膝で踏むと刃を顔に近づけた。
そして刃先が少女の左目の下付近に沈み込むと、そのままゆっくりと刃先が下に動き、頬を切る。
「ああああああっ!」
悲鳴が会場に響く。
その瞬間、1人の警備員が男へ飛びかかりタックルをして引き剥がした。
床へ押し倒す。
それでも男は必死に腕を伸ばした。
「顔……」
「暴れるな!」
「顔……顔を……!」
「押さえろ!」
2、3人目の警備員が腕を捻り上げる。
床に白い刃物が落ちた。
金属ではなく、セラミック製だった。
警備員の1人が息を呑む。
金属探知機が反応しなかった理由は、それだった。
「救急車!」「救急箱早く!」
少女は両手で顔を押さえ、泣いている。
指の隙間から血が流れ落ちていた。
一方、床に押さえつけられていた男の身体から、突然力が抜けた。
そして、気の抜けた声を発した。
「……え?」
「え……?」
男は瞬きを繰り返すと、頭だけを動かして辺りを確認した。
そして床を見る。
刃物。血。自分を押さえ込んでいる警備員。
顔から血を流し、泣いている少女。
彼女は自分が全てを捧げて推しているアイドルだった。
「なに……? なにこれ……?」
「大人しくしろ!」
「ま、待ってください……!」
男の声が震え始めた。
「俺、何してるんですか?」
「ふざけるな!」
◇
~警視庁・取調室~
「だから、覚えてないんです!」
男は何度目か分からない言葉を繰り返した。
「イベントに行ったことは?」
「覚えてます」
「被害者と話した?」
「そこまでは……」
「刃物は?」
「知りません!」
机の向こうで刑事が深く息を吐いた。
「刃物はアンタのズボンの中から出てきたんだぞ?」
「だから知らないんです!」
「自分で隠したんだろ。金属探知機にも反応しないようにセラミックにして」
「違います!」
「じゃあ、そんな股間に誰が入れた?」
「それが分からないから言ってるんです!」
男は頭を抱えた。
「俺、あの子のファンなんですよ……」
「毎月イベント行ってるんですよ。グッズだって買ってるし……」
男が顔を上げると、涙が流れていた。
「そんな俺が……なんであの子の顔なんか切るんですか」
刑事は男をじっと見た。
普通なら単なる否認。罪を軽くするための演技。
そう判断するところだが……
「……またか」
取調室を出た刑事が呟いた。
廊下には、上席の刑事が待っていた。
「同じか?」
「です」
「記憶はなし?」
「イベント参加までは覚えてますが、そこから逮捕されるまで、すっぽりっすね」
「薬物は?」
「簡易検査は陰性。本鑑定はもう依頼してます」
上席の刑事はホログラムを表示させる。
そこには、過去3件の概要が記されていた。
犯人は全員違う。年齢も職業も。
アイドルとファンという関係性以外で、面識があった形跡もない。
だが共通点はあった。
被害者は若い女性アイドル。
狙うのは顔。
そして……
「4人全員、犯行時の記憶がない」
「言い訳だとしてもさすがに偶然じゃないっすよね」
刑事は壁にもたれた。
「精神疾患すかね?」
「今のところ4人とも、それらしい既往はない」
「薬も今のところはマイナスだしな」
二人の間に、数秒の沈黙が流れた。
先に口を開いたのは、上席の刑事だった。
「特対に投げるか」
「まだ早くないですか?」
「4人だぞ」
資料を指で叩く。
「別々の人間が、別々の場所で、別々の日に、同じように女の顔切って、全員『覚えてません』だ」
「……」
「能力使用だったら、こっちだけで抱えてる方がまずい」




