case035:蓼瀬子再
涙が止まらなかった。
「俺……ちゃんとやってたのに……」
シサイは何も言わない。
「朝もご飯作って、洗濯して、ラクスとアリアンの準備して、学校行って、帰ったらまたご飯作って」
一つ一つ言葉がこぼれていく。
「母さんが撮影するって言えば笑ったし、父さんが配信するって言えば手伝った。」
「児相のおばさんが来ても、近所の人に何か言われても、全部俺が我慢すればいいって」
涙が膝へ落ちる。
「だって、俺が長男だから……俺しかいなかったから」
シサイは静かに聞いている。
「でもさ……俺まだ小学生だよ……?」
ゆっくりと上げたレギオの顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
「なのに、父さん……俺のこと……」
喉が詰まる。
「き、気持ち悪いって……」
もう涙は止まらなかった。
「母さんも……なんで産んだんだろうって……」
「父さんと母さんに褒めてもらいたかった」
嗚咽が混じる。
「料理美味しいねって、ありがとうって」
「一回でいいから……言ってほしかった」
「俺、ラクスとアリアンを守りたかった」
「それは本当」
「でも……」
レギオは何度も涙を拭う。
「一番は……俺……」
小さく息を吸う。
「愛されたかった」
その一言で。
部屋の空気が止まった。
「ちゃんと頑張れば、父さんも、母さんもいつか俺をちゃんと見てくれるって思ってた」
シサイは静かに目を閉じた。
思っていたとおりだった。
この子は愛する両親から拒絶されたその瞬間、心が壊れてしまっただけだった。
レギオは泣きながら俯く。
「ごめんなさい……」
「俺、本当は父さんも、母さんも大好きだった」
シサイはゆっくり頷いた。
「そうデスネ……だから。」
「君はサイコパスではありまセン」
レギオは涙で濡れた顔を上げる。
「君がサイコパスだったなら、児童相談所職員も、お父さんも、お母さんも、誰にも疑われない方法で殺していたでショウ」
シサイは静かに続ける。
「全てが中途半端ダッタ」
「君が本当にサイコパスだったナラ、完全犯罪になっていたデショウ」
「ごめんなさい……」
最初の聴取で何度も口にした“申し訳ありません”ではなかった。
ただ、12歳の小さな子どもの“ごめんなさい”。
その言葉だけが、面接室に静かに響いていた。
レギオの泣き声だけが、静かな面接室に響いていた。
端で控えていた児童相談所の職員は静かにティッシュの箱を机へ置いた。
レギオは震える手で一枚取り、ぐしゃぐしゃになった顔を拭う。
「……ごめんなさい」
もう一度小さく呟くと、シサイは頷いた。
「その方が、君らしいデス。」
レギオはまた涙を流した。
それは犯人としての涙ではなかった。
12年間、必死に大人になろうとしてきた、一人の幼い子どもの涙だった。
面接室を出ると、児童相談所の職員がレギオの手を取る。
「行こうか」
レギオは部屋を出る直前、一度だけ振り返る。
「……おじさん、ありがとう」
シサイは何も言わず、微笑んだ。
それが最後だった。
ドアが静かに閉まる。
部屋にはシサイだけが残った。
翌日。
特務隊執務室。
シサイは屋敷に報告書を提出し終えると、静かに席へ座った。
「よくやった」
短い言葉だったが、最大級の労いの言葉だった。
「子どもを、よく見ていたな」
シサイは少しだけ目を伏せる。
「事件解決は、お前じゃなければ無理だった」
屋敷はそれ以上何も言わず、缶コーヒーを机へ置いた。
「今日は帰れ。奥さんが待ってるだろう」
シサイは缶コーヒーを見つめ、小さく笑う。
「そうデスネ。今日は、一緒に夕飯を食べマス」
屋敷も小さく笑った。
「それがいい」
シサイは鞄を持ち、執務室を出る。
エレベーターの中。
彼は胸にかかった銀色のペンダントを開けた。
慈愛に満ちた眼差しの先には、小さい男の子の写真があった。
「……テスファ、これから帰るネ」
庁舎を出たシサイを夕日が赤く照らしていた。




