case028:甲斐家
警察署の空気は少しだけ荒れていた。
普段より声が多く、受付の前を複数の制服警察官、私服刑事が右往左往している。怒鳴り声ではない。押し殺したような焦りを含んだ声が、あちこちに滲んでいる。
受付で担当者と連絡を取ると、若い刑事が小走りで迎えに来た。背筋は伸びているが、やはり歩幅がわずかに速い。
「刑事課の矢山です、特対庁の方ですね。こちらへどうぞ」
案内中は一言も喋らず、早歩きで捜査本部を構える大会議室へと向かう。矢山は時折思い出したかのように振り返りついてきているかを確認していた。
「こちらになります」
そう言ってドアが開かれると、中にはすでに数十人の刑事がいた。机の上には資料が広がっており、ホワイトボードには写真や地図が貼り付けられていた。
視線が一瞬だけシサイ達に集まるが、すぐに外れる。歓迎も警戒もない。ただ、“忙しい”という空気だけがあった。
矢山がさらに奥の方へと案内すると、ホワイトボードの前で立った。
すると椅子を並べただけの簡易的な会議をしているお偉い方の一人がそれに気づき、立ち上がる。
「ああ…えっと、特対庁の方ですか?」
他の幹部に申し訳なさそうに軽く頭を下げると、会議を抜けてシサイ達の方へと小走りする。
「蓼瀬デス」
上位階級者のシサイのみが短く名乗る。
「刑事課長の嶋田です、ご足労ありがとうございます。能力犯罪のスペシャリストに来ていただけて助かります」
嶋田は軽く頭を下げる。その額には汗が滲んでいる。
「お忙しそうデスネ」
「ちょっとめんどうな別件もありましてね……」
彼は額の汗を手のひらで拭った。
「進展をお聞きできマスカ?」
「横山係長、特対庁の方、対応お願いできますか?」
嶋田は近くの机に座る刑事を呼ぶ。
すると、横山という年配の刑事が資料を手に取り寄ってくると、机の上に広げた。
「刑事課の横山です。被害の状況はご存じで?」
「映像は見まシタ。容疑者は上がっているのデスカ?」
横山は難しそうな表情を浮かべると、広げていた資料を指した。
「被害者はご存じのとおり児童相談所職員。担当していた家庭がいくつかあります」
机に三枚のファイルが並べられる。
「この三件が、直近で接触頻度が高かった」
蓼瀬は目を落とすと、横山の説明をもとに順に視線を滑らせる。
一つ目。共働き家庭。軽度のネグレクト疑い。
「川瀬という家庭です。子供はいわゆる“かぎっ子”で、夜に子供が出歩いていて、警察に保護されたことで認知した軽度のネグレクト家庭です」
父親は営業、母親は看護師。どちらも仕事で夜遅くまで帰らない。
近所からもネグレクトを疑う目が向けられた両親は、担当であった被害女性を強く叱責していたという情報が上がっていた。
二つ目。父子家庭。
「こっちは一木という父子家庭です。教育と称して殴っていたという情報のあったDV疑いのある家庭で、こちらも被害女性と教育方法について口論になっていたそうです」
元甲子園球児で、大学でも名門校で野球をしていた昔気質の父親。躾と体罰の境がないタイプで行きすぎることが多々あった。
三つ目。
そこで、手が止まる。
表紙に印刷されたサムネイル。笑顔の家族。
その中で長男と思われる男児の表情が少し硬い。
「……これ」
風祭の言葉に刑事が頷く。
「甲斐家。例の炎上してるやつです。うちらも一番疑わしいと思っている家庭です」
横山は捜査報告書を手に取った。甲斐家の情報をまとめたものだ。
「ネットでかなり騒がれてます。長男に家事押し付けてるとか。被害女性とも何度も揉めてます」
報告書がめくられる。
訪問履歴。
通報記録。
動画のスクリーンショット。
そしてコメントの抜粋。
『虐待では?』
『長男の顔が死んでる』
『助けてあげて』
それらのコメントに対して、動画投稿主である甲斐家はとある返信をしていた。警察はそれを報告書に添付していたのだ。
『あんたらのせいで児相職員来てウザすぎ。担当の児相女はマジでヒス。56したくなるわ』
口調からおそらく母親だろう。
現在その動画は視聴不可となっている。事件後、消したか、非公開設定にしたのだろう。
“殺したくなる”。この言葉が動機として警察の目に留まったのは言うまでもない。
シサイと風祭が報告書に目を通していると、横山が続けた。
「甲斐夫婦は児相への反発がかなり強かったようで、被害職員の訪問メモにも“頑固”とか“自分だけが正しいと思ってる”なんて書いてありました……“海外では普通”って主張で押し切るタイプらしいです」
さらに別の資料が差し出される。
「これが、被害職員と揉めていた記録です」
すると簡易会議が終わったのか、刑事課長の嶋田とは別の幹部が割って入る。
「揉めてたのは、児相だけじゃないんですよ」
幹部の男は腕を組んだまま立っている。年齢は五十代後半。スーツの着方が少しラフだが、目だけが鋭い。
「遅れましたが、生活安全課長の猪口です」
シサイと風祭は、頭を下げる。
「揉めてたのは、うちの少年係です」
「少年係……児童虐待関係ですか」
風祭の言葉に、猪口は頷く。
「木野部長! ちょっといいか?」
猪口は部屋の端でパソコンを叩く30代後半の男性捜査員を呼んだ。その捜査員はすぐさま立ち上がると小走りで向かってきた。猪口は手で示して紹介する。
「少年係の木野巡査部長です。この両親と何回か行ってる」
木野は軽く会釈をすると、説明を始めた。
「この家庭は……歪です。両親は承認欲求にまみれてて、子供はその道具って感じです。身体的なDVとかはないんですけど、興味がない、というか……」
「動画のコメントでもありますけど、特に長男への態度が冷たいというか、無関心というか」
空気が少し変わる。
「どういう意味デスカ?」
シサイが問うと、木野は険しい顔をして続けた。
「言葉を選ばずに言うなら、家政婦みたいな扱いですね。長男のレギオ君は小学校6年生ですが、動画を見る限り、異常なほど大人びています」
シサイは小さく息を吐く。
「親の前で、全部先回りして動く。言われる前にやる。弟妹の世話も全部一人でやってる。親はそれを“自発的”って言い張る。そんな感じです」
木野は続ける。
「もともと、動画を見た視聴者から児相に多く通報が入ったそうです。そこで僕も警察として児相と一緒に甲斐家に行きました」
彼は当時のことを思い出す。大揉めの末に本部に苦情を入れられた苦い記憶だ。
「甲斐家は、こっちが質問したり、矛盾を指摘するとキレるんです。それで動画撮影も始めて……」
木野は肩をすくめる。彼も甲斐家が投稿した動画にモザイク無しで映っていたからだ。タイトルは“冤罪をふっかけるクソ児相とクソポリ来た”だった。
「“うちはちゃんとしてる、子供は自発的にやってる教育の賜物だ”の一点張りです」
そこで猪口課長が口を挟む。
「ただ問題は、それで殺すか?って話ですな」
「感触としてはどうなんデスカ?」
「現時点では、甲斐家の父親の線が濃いです。6年前に殺人未遂の前歴がありました。不起訴にはなってますが。詳細は今調べさせているところです」
シサイは資料をめくる。
視線は、ずっと同じ写真に向いている。
家族写真。笑っている母。軽く笑う父。無邪気な弟妹。そして、その中で一人、少しだけ歪な笑顔を作っている長男。
「警察は……この子に会ってマスカ?」
シサイが問う。
「はい?」
「この子に」
シサイが中心の長男を指さすと、木野は頷いた。
「ええ。何回か」
「どうでシタ?」
少しだけ間が空く。木野は、思い出すように言う。
「……普通でしたよ」
その言葉に、違和感が混ざる。
「普通に受け答えして、普通に笑って。普通すぎました。はたから見れば、いい子です。自発的に家事を持ついい子。正直そんな風に見えました」
蓼瀬はファイルを閉じた。
「この両親に会ってみたいデス」




