case027:炎上家族
朝の光は、いつも通りだった。
カーテンの隙間から差し込む白い光が、テーブルの上の食器を淡く照らしている。味噌汁の湯気がゆらゆらと揺れて、炊けたご飯の甘く、少し香ばしい匂いが立ち込める。
ただ、それだけの、どこにでもある朝。
「ハーイ、エブリワン! おはようございまーす! ラブファミチャンネルです!」
母さんの声が、やけに明るく響いた。カメラが回っている時の声だ、とすぐに分かる。
「今日はね、うちの“リアルなモーニングルーティン”をお見せしちゃいます!」
リビングの中央に置かれた三脚。スマホが母さんの方を向いている。
「どうも! パパです! はい、じゃあまずは朝ごはんからいきましょうかー」
父さんは軽い調子で言いながら、ソファに腰を下ろす。食卓には近づかない。
弟と妹はもう席についていて、スプーンを叩いて遊んでいる。
「おにいちゃんまだー?」
「はやくー!」
俺は明るく返す。
「ちょっと待って!」
味噌汁に乗せるネギをリズミカルに切っていく。左手は猫の手。料理も手慣れたものだ。
味噌汁の椀を三つ持って、テーブルへ運ぶ。こぼさないように慎重に。置く順番も、もう体が覚えている。
「はい、どうぞ」
妹が笑う。
「ありがとー!」
弟はもう食べ始めている。母さんがカメラに向かって笑う。
「うちはね、長男がすごくしっかりしててー」
その言葉に合わせて、こちらにカメラが向く。
「家事とかもね、自分から手伝ってくれるんですよ」
少しだけ口角を上げる。
「うん」
父さんが笑う。
「いやほんと助かってるよな」
「ねー」
母さんも笑う。
その笑いの間で、弟がスプーンを落とす。
「落としたー」
俺がしゃがんで拾う。
「はい」
「ありがとー」
そのやり取りも、全部カメラに映っている。
画面の向こうで、誰かが見ている。それをちゃんと分かっている。
動画の撮影が終わると、空気が変わる。
「はー……」
母さんがソファに沈む。
「疲れた」
父はスマホを見ながら言う。
「今日のやつ、再生数回りそうじゃね?」
「まぁ、炎上してるからね、今」
母さんはあっさり言う。
「むしろ今が一番数字取れる」
「まあな」
父さんは軽く笑っている
俺はテーブルの上の食器を片付ける。弟と妹はもう遊び始めている。
母さんは俺に何も言わない。言わなくても分かるから。
シンクに水を流しながら、ふとリビングを見る。テレビには、見覚えのあるサムネイルが映っている。母さんはいつもテレビに映して、ゲームのコントローラーを使ってコメントを見ている。
――自分たちの動画。
その下に、コメントが流れていた。
『これ虐待じゃない?』
『長男だけ働かされすぎ』
『笑ってないじゃん』
『児相案件』
視線を戻す。水の音だけが残る。
インターホンが鳴った。
母さんが顔をしかめる。
「また?」
父さんが舌打ちする。
「誰だよ」
「レギオちょっと見てよ」
母さんにそう言われたから、玄関に向かう。モニターを見なくてもわかる。スーツ姿の女の人だ。
「児童相談所です」
「母さん、いつもの」
俺は
「……はあ」
母さんが、小さく息を吐く。
「こんにちは」
ドアを開けると、女性は、柔らかく頭を下げた。
「少しお時間、よろしいでしょうか」
母さんは笑う。動画の時と同じ笑顔だ。
「何度も来ていただいて申し訳ないんですけど、うち問題ないんですよね」
スーツの女の人は言葉を選ぶように答える。
「確認だけですので」
そのやり取りを、後ろから見ている。
「すぐ終わりますから」
女性の目が、一瞬だけこちらを見る。
その目は、少しだけ優しかった。
――その人が、死ぬことを。
この時、まだ誰も知らない。
その日の午後。
その人は、路上で撃たれて死んだ。
銃声は、一発だった。
それだけで、十分だった。
住宅街の午後は、その一音で崩れるには、あまりにも静かすぎた。
「きゃああああっ!」
最初に声を上げたのは、犬を連れていた女の人だった。
その声に反応するように、周囲の人間が一斉に振り返る。
スーツ姿の女の人が、歩道の上に血を流して寝ている。
動かない。
血が、ゆっくりと広がっていく。
血は初めて見た。
「だ、誰か……! 救急車!」
「今、銃声……」
「撃ったやつ、どこだ?」
「でも、銃声すぐさっきですよね!?」
誰も、答えられなかった。
見ていない。俺以外誰も。
撃った瞬間を。
特対庁のフロアは、普段よりも騒がしかった。
必要な言葉だけが、短く飛び交う。
「被害者は児童相談所職員、女性、42歳。現場死亡」
「至近距離で銃撃の可能性あり」
「目撃者なし。防犯カメラでも確認できず」
大型モニターには、現場の俯瞰映像が映し出されている。
人がいたにも関わらず、誰も犯行を見ていないため、能力犯罪の可能性があった。そこで、警察無線と特対庁無線がリンクされ、情報共有が図られていた。
防犯カメラ映像を確認する特務隊。
「能力犯かね?」
一宮が呟く。
「そうとしか考えられんだろう」
屋敷は、ノートに状況をメモしながら答える。
防犯カメラの映像はこうだ。
児相職員女性が道を歩いている。どこにでもある歩道と車道が一緒になっている一方通行の道路。
1分に数人通るくらいの人通り。彼女に近づく者どころか、前後に怪しい者すらいない。女性は突然止まって、少しフリーズしてから、何かを拾うように上半身を折った。
次の瞬間、女性は右側に倒れ込む。反時計回りに回転しながら倒れると、赤いものが彼女を中心に広がっていく。そして通行人が集まってきて腰を抜かす。
これが防犯カメラに映った被害状況だった。
女性は死亡した。死因は左側頭部に受けた銃弾によるものだ。女性の進行方向右側の壁からは弾丸も見つかっている。
これだけならば、誰かが画面外から撃った一般人による犯行の可能性もあった。しかし、女性の左こめかみあたりには、若干の火傷と鉛の粉塵が付着していた。つまり、誰かが至近距離から撃った可能性が極めて高いということだ。これが能力者犯罪と疑われている理由だ。
「一応警察で、この職員が担当していた家庭から聴取をしてるらしい」
情報を整理しながら、緒方が説明を引き継ぐ。
「被害者は小牧和香子さん。42歳。恨みを買うことは多かったみたいです。子供を助けようとかなり熱く取り組んでみたいで。よく担当の親と揉めていたって」
雨宮は呆れたように言った。
「それって、ややこしい親の逆恨みの線が強いってことですよね?」
「そうね。DVとか、ネグレクトとかがひどい家庭を担当していたって」
「自分の子供を殴ったりするって、どういう考えなのかね? 私には理解できんよ」
そう言って一宮はティーカップに口をつける。
「まあ、十中八九能力犯罪だ。うちも捜査に入る。まずは警察署に行って、詳しい話を聞いてきてくれ」
「マモル、行くヨ」
蓼瀬子再は立ち上ると、カバンを持って動く。
「シサイ、頼めるか?」
屋敷は静かに問いかけた。
「モチロンデス」
力強い声で大きく頷くシサイ。早歩きで出入口をでていった。
声をかけられた風祭は慌てて後を追う。
その様子を見ていた一宮は屋敷に問う。
「シサイのやつ、大丈夫かい?」
「大丈夫だ。お前も分かってるだろ。必ず犯人を捕まえてくるさ」
「ま……そうだね。私らの出番はないだろうから、優雅にお菓子タイムにでもしようかね」
「つまらんこと言ってないで働け」
「つまらんなら、このショコラティエのチョコは1人で食べようかね」
屋敷は舌打ちして一宮に手を出し、険しい顔のままチョコを受け取った。




