case020:事件死
使い込まれた、角の少し擦れた手帳。
「これは、夫がいなくなる日に置いていったものだ」
両手で、大事そうに持っている。警察にも提出していないところを見るに、何か警察側に不都合なことでも書いてあるのだろう。
「中に、警察でも把握していない情報がある」
風祭たちの視線が集まる。
美波はページをめくる。迷いなく付箋の貼られた箇所を開いた。
「ここを見てくれ」
指し示された箇所を嵐司が最初に覗き込む。
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〈半グレ〉
須原翔斗 ×
猪口魁 ×
森恭史郎 ×
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「……これ」
風祭が息を呑む。
「最近殺されてる連中だ。全部、今回の連続殺人の被害者と一致してる」
嵐司が即答すると、雨宮が顔を上げた。
「じゃあこれ……」
「そうだ」
美波が言う。
「旦那は、この連中を追っていた」
さらにページをめくる。
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猪口魁
→ 野中ネット銀行489581から入金
↓
入金口座 都帝銀104-345171
→ 定金合同会社
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「定金合同会社……」
マリリンが小さく呟く。
「なんの会社でしょうか?」
風祭が問うと、嵐司が答えた。
「表に出る会社じゃないんだろ」
視線はノートのまま、次の情報を追っていた。美波は、半グレと書かれた箇所と、定金合同会社を指でつなぐようになぞる。
「資金の流れが繋がってる」
雨宮が顔をしかめる。
「完全に黒じゃないですか」
美波は首を振った。
「……まだ足りない」これだけじゃ、警察は動かない」
悔しさが滲む。
「だが、もう一つある」
ページがめくられる。
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定金合同会社
代表 ワダ ソウタ 49歳
犯歴:詐欺、窃盗、傷害、特対法違反、他4件
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「特対法違反」
マリリンの目が変わる。
「……きた」
小さく呟く。風祭も頷く。
「これなら、特対庁が動ける可能性がある……!」
美波はその反応を見て、ほんの少しだけ肩に力が入る。
「だからお前たちに話した。私は特対庁と言えど、今は総務部門だ。個人での捜査にも限界がある。警察は、もう深くは追えない」
静かに、そして諦めたような弱々しい声色で言った。
「だが、お前たちなら私を……こんな使い方をして、本当に申し訳ない……」
一瞬だけ、言葉が止まる。
「……頼む」
深く頭を下げる。教官としてではなく。妻として、母として。
嵐司はその姿を見ていた。
そして何も言わずノートの文字をもう一度見た。
“×”のついた名前。消えていった人間たち。そしてまだ残っている“線”。
そのすべてが、静かに繋がっていく。
これは、終わっていない。
そんな感覚だけが、残っていた。
葬儀場の外れ。
人の気配が途切れる場所まで移動すると、マリリンは立ち止まった。
「ちょっと離れるね」
軽く手を振って、離れていく。理由は言わないが全員分かっていた。
“いつものやつ”だ。
マリリンはホログラムを展開すると短縮ダイアルを押した。
長いコールの末、通信はつながった。
『……なんだ』
不機嫌な男の声。
「ゴキゲンヨー、平岡警部補殿♡」
『切るぞ』
即答だった。いつものことで、マリリンは気にしない。
「なんですぐ出ないんですか〜? ってか、ちょっと教えてほしいことがあってさ〜」
『知らん。今忙しい』
「忙しいって、半グレの連続殺人の件?」
一瞬、間が空く。
「それとも……日比谷さんの件?」
数秒の沈黙の後、呆れたように平岡が答えた。
『……お前、どこまで知ってる』
「何も知らないから係長に聞いてるんですよ?」
軽い口調だが目は笑っていない。
『屋敷には通してあるんだろうな』
「通してるわけないじゃないですか」
あっさりと言う。
「だって、あの堅物隊長ですよ? 平岡係長もよく知ってるでしょ?」
マリリンは少しだけ声のトーンを落とす。
「それに警察が“事故死”にした事件を、まだこっそり追ってる刑事さんがいたら、一緒に捜査できないかなぁ~、なんて思って」
マリリンは笑みを浮かべている。
「上命下服の警察で、まさかいないとは思いますけど、こっそり捜査してる刑事さんとかいたら、紹介してもらえません?」
『……チッ』
小さく舌打ち。平岡は大きなため息をつくと、続けた。
『お前、本当に性格悪いな』
「褒め言葉として受け取っときます♡」
軽く笑う。
『……何が聞きたい』
平岡が折れた。マリリンは内心で“もっと早く折れろよ”と愚痴をこぼす。
「簡単ですよ〜。どこまでやったんですか? あの事件」
平岡は数秒黙るが、やがて、観念したように低い声で話し始める。
『俺だって公務員だ。家のローンだってある。情報漏洩なんてできるか。もう切るからな』
「えぇ~?? そんなぁ~」
マリリンはわざとらしく棒読みでそう言った。
いつものことだ。平岡はよく電話を切り忘れる。
『……遺体は見つかってない』
マリリンの目が細くなる。
『本来なら“行方不明”扱いだ』
『だが、上が“事故死”にしろって言ってきた』
「へぇ〜……イカついですねぇ」
『イカついなんてもんじゃねぇ』
苛立ちが滲む。
「係長、これ独り言の設定ですよね……?」
マリリンの指摘に、平岡は大きく咳払いして仕切り直した。
『現場の防犯カメラ、全部“たまたま”死んでた。目撃者もいねぇ。子供についてた電子タグの位置は明らかにおかしい』
顔は見えないが、声色だけで、かなりイラついているのが分かる。
『なのに事故だ』
吐き捨てるように言う。
マリリンは無言で聞いている。これは、想像以上に深く、黒い。
「タグの動き、教えてもらっていいです?」
『……通学路から逸れてる。そのまま車道移動』
『山に入って――』
一瞬、言葉が詰まる。
『最後は、海だ』
完全に黒だった。
『だから最初は俺たちも殺しで動いてた。でも途中で止められた』
「誰に?」
少しだけ踏み込む。
平岡はすぐには答えない。
だが――
『上だ。だれかはまだ分からん。俺の他にも探ってるやつがいる』
「探ってるやつ? それも上ですか?」
『……それ以上は言えねぇ』
否定も肯定もしない。だが十分だった。
「じゃあ最後に一つだけ」
マリリンは少しだけ真面目な声になった。
「平岡係長的に、この事件、終わってます?」
『終わってねぇよ』
即答だった。低く、確信のある声。
『何も終わってねぇ』
マリリンは、ゆっくりと笑った。
「ですよね」
『おい、余計なことすんなよ』
「しませんよ〜」
『絶対するつもりだろ』
「しませんってば〜。ってか、独り言独り言♡」
『おい待――』
通話を切ると、ホログラムが消える。
マリリンは大きく息を吐いた。
「……重いし、黒すぎ……かな〜」




