第3話
高校生活も6月に入って、月末に行われる文化祭に向けた準備が始まった。
ーーーー苑弥とは、どちらかがログインしていたりしていなかったりというすれ違いで、しかも私が前期中間テストで勉強を優先していたのもあってあまり会えなかった。けど今日からは学校の授業の大半が文化祭の準備期間に充てられ、近いうちにテストもないから無理に勉強する必要もない。久しぶりにLulinkを開いた。
苑弥がいた。今までと雰囲気がガラッと変わっている。伸び切った黒髪の毛先が濃い紫色で染められていて、ピアスの数も増えている。黒いタンクトップに緩いズボンを履いた長身が立ち尽くしていた。
相手は気づいていなさそうだった。私から声をかける。
「苑弥、久しぶり」
「ココちゃん」はっと目を見開いた彼はこっちに駆け寄った。急に視界が覆われる。全身に長い腕が巻きつけられた感覚がした。
彼に抱き締められていた。
「ココちゃん、ずっと探していたんだよ。どこにいたの…寂しかったんだよ。」
私は状況を理解できなかった。理解した時には体が硬直して動けなかった。彼は私を抱き締めたまま話す。
「俺もずっとログインできていなくてごめんね。仕事がうまく行かなくて、メンタルが持たなくってさ。ずっと行き先の分からない道のりを彷徨っているみたいだった。」抱き締める力が一層強くなる。
数秒間の沈黙の末、はっとして腕をほどく。
「ごめん、つい感情が昂っちゃって…。苦しくさせちゃよね。ごめん」
「ううん。私もログインできないこと多くてごめんね。…その、現実が忙しくって」
「いいんだよ全然、ココちゃんが謝ることじゃないから。俺が、俺が…」
彼は必死に言葉を紡ぎ出す。何かにうなされているような話し方だった。
「とにかく今日は一緒に居よう。話せなかった事たくさんあるんだ」
私は頷いた。
それからは夜が明けるまで話した。満足のいくように、不足がないように。今まで欠けていた何かが取りもどされていった気がした。2人で手を取って現実逃避している気分だった。夜明けに近づくと、2人で現実を批判した。もう今日が来ちゃうんだと。こんな世の中無くなっちゃえばいいんだと。
時間は朝の6時になり、苑弥に少しの間の別れを告げた。彼は数分渋ったが、納得してくれた。スマホの電源を切ったことでやっとここが現実なんだと自覚する。きらきら輝く朝日に目がやられる。ベットを降りた時の重力に思わず転けそうになった。人生で初めてオールなんてした。つまづきそうになりながら階段を降り、学校へ向かう。今日だけ電車は空いていて、席に座れたかと思ったら記憶が飛んでしまった…。ついた頃には終点の3駅前だった。最寄駅はとっくに過ぎていた。
午前中は文化祭準備だったこともあり、遅刻はバレなかった。私のクラスではお化け屋敷をやることになったから、教室の中は誰が遅刻しているかなんて気にできない程の忙しさで溢れかえっていた。
「ちょっと、そこのビニールテープ取って」
「ねぇ誰かダンボール余ってないー?」
「ごめん、ちょっと通るね。」その声が私宛だと分かるには時間がかかった。私は思わず一歩後ずさる。目の前を段ボールを持った数人が通り過ぎていった。加藤さんと高橋さんもいた。こっちを睨んできているように見えた。
ーーーーその瞬間、また孤独に突き落とされる。この忙しさが溢れかえった教室で、動いたら厄介者、動かなかったら邪魔者なんだ。私はどうすればいいんだ、咄嗟に目の前を通ったクラスメイトに声をかける「あのっ、何か手伝えること」、届かない。言い切る前に居なくなってしまった。
「おーい、そこ通るから邪魔」声がした。私宛だった。咄嗟に足を退ける。クラス展示に時間がかかるものを選んだせいか、教室内は完成に向けての焦りもあって険悪な雰囲気になっていた。
どうしよう、私何をすればいいの、邪魔者なんだ。わたしがいる価値なんてないんだ、現実はだれも必要としてくれないせかいなんだ。ああ、リリンクのなかはたのしかったのに…はやくかえりたい。いっそきえてしまいたい。あれ、めの前がだんだんくらくなる…
かすかに残っていた判断力でふらつきながらも教室を飛び出した。走った。走った。走って…
その後からは記憶がない。
「はっ…」目を覚ますと白い天井が見えた。最初ここがどこか分からなかった。周りが全面見覚えのあるピンク色のカーテンで囲まれていて、そこで初めてここが保健室だと気づいた。私、倒れたのかな。
起きあがろうとすると、突然全身に激痛が走ってまたベットに倒れ込む。大きな物音がした。
「あっ!!高松さん、目を覚ましたのね。よかった…!あなた、廊下の曲がり角で倒れていたのよ。ちょうどアタシも職員室に用があってそこを通ってよかった。すぐ保健室に運んだわ。どう?記憶はある?頭は打ってない?」
保健室の先生が駆け寄ってきた。質問が多過ぎて処理できない。
そっか…私途中で倒れたんだ。だから全身が痛いんだ。幸い頭痛はしない。頭は打ってなさそうだった。
「大丈夫です。きっと頭は打っていません。途中までなら記憶があります」
「うーん…ならよかった。急に記憶が飛んだとかなら、迷走神経反射とかなのかなって思ったんだけど…まあとりあえず今日はここでゆっくり寝てな。また回復したらでいいから早退する準備しよう」
そういって保健室の先生はいなくなった。私はベットに深く潜り、スマホを開く。Lilink。
こんな時間にはだれもいなかった。それでもよかった。現実を見たくなかった。今頃クラスはどうなっているんだろうとか、私が倒れたこと広まっていないかなとか、そんなこと気にしたくなかった。
ロードを急かすように画面を連打し、入れたかと思いきやとにかくいろんなところへ飛んだ。現実を忘れるために。現実を上書きするために。空虚な宇宙。巨大な植物園。虹の架かる交差点。雨の籠る庭園…
そんな時、雨に打たれたまま立ち尽くしていた女の子を見かけた。
彼女はビクッと一震し、こっちを向いた。顔が濡れていた。あれは雨のせいではなかった。彼女は泣いていた。
何かの繋がりを感じたのか、無意識に私は迷いもなく彼女のところへ走った。雨を踏んで、水飛沫が上がる。
衝動のまま彼女の肩を掴む。顔を覗いた。目に光がない。植物状態のようだった。口元が微かに動く。
「ちょっと、居ても立ってもいられなくなっちゃって、こっちに逃げてきちゃった。また人に迷惑をかけちゃった。今家に帰れないんだよね」
自虐しながら笑みを浮かべる名前も知らない彼女はどこか中学時代の私の姿に重なるところがあった。
「わかったよ。わかったから、もう無理に話さなくていいよ。」何があったか聞くのはやめておいた方がいいと思った。私にはただ慰めることしかできなかった。
雨は変わらず容赦なく打ち続ける。
「そう、それより…」彼女は口を開いた。
「君、苑弥に関わってるよね?」
!なんで名前を知ってるの。なんで苑弥を知っているの。私の頭の中は疑問と困惑の渦が巻いた。
「あなたが苑弥と話してるところを偶然通りかかってしまったの。わたしと苑弥がどんな関係だったかは詳しく言えないけど…」彼女に耳元が光る。髑髏の形をしたピアスをつけていた。ピアスの周りは赤く腫れ上がって、無理やり取ろうとした痕跡があった。
彼女は私の手を取る。
「苑弥とは関わらない方がいい」
頭が真っ白になった。今までの苑弥との思い出がフラッシュバックする。出会ったあの日のこと。私のことを待っていてくれた日のこと。夜が明けるまで語り合った昨日のこと…。
歴は長いとは言えない。けど、彼は私にいろんなものを見せてくれた。今更何もなかった関係になんて戻れない。
彼女は青ざめた血管が浮き出るほど私の手を強く握った。彼女の細い指が手に食い込むほどだった。
「うん…わかったよ。」
「ありがとう」
そういった瞬間、固く握りしめられていた手はふっと力が抜けてほどかれた。エイスちゃんは膝から崩れ落ちて、消えた。きっと充電が切れて、シャットダウンしたんだろう。
私はスマホの電源を切って顔まで毛布を被る。保健室の独特な匂いが鼻いっぱいに広がる。頭の中で思考がぐるぐる回る。関わらない方がいい…?あんなに優しくて。かっこよくて。今までに感じた違和感も今では愛おしくすら思えるのに。納得できる理由がどうしても見当たらなかった。いつの間にか今までの寝てなかった分が爆発して、深い眠りについてしまった。
いつの間にか寝過ぎてしまっていた。目が覚める。気づけば外も暗くなり始めていた。先生に一言、帰りますと言って家に帰った。
今日は曇りだったからか、やけに暗くなるのが早かった気がした。風が冷たい。いつもよりゆっくり歩いた。ビルの窓が明るく光って、電波塔の赤色の光がゆっくり点滅する。遠くから車のクラクションが聞こえる。周りには誰もいない。誰の声もしない。目の前を電車が通り過ぎて行く。終始、どこか腑に落ちないままぼーっとしていた。塾に寄るのも忘れて途方に暮れながら帰る。
「ちょっと、ただいまくらい言いなさいよ!」という母の声すら耳に届かなくて、自分の部屋に直行する。踏み外しそうになりながら階段を駆け上がり、ドアを強く閉める。鍵をかけたかったくらいだ。バッグを投げ捨て、制服のまま何も片付けずにベットに横たわって、Lulinkを開く。
…苑弥がいた。
彼は私を見つけると大きな骨ばった手で自らの顔を隠した。指の隙間からは抑えきれないほどの笑顔が見える。
苑弥の目は焦点があってなくて、気味が悪いほどの恍惚感を浮かべてこう言った。
「仕事…やめてきちゃった。これでいつまでも一緒だね、ココちゃん♡」
Episode4 ⇢遂に本性を見せた苑弥。崩れかけた現実世界か、重い仮想世界か。




