第2話
ピロン。
♪『お帰りなさい!ココさん タップしてスタートする』
ロード画面に入る。今日はいつもより長く感じた。結局3限目の体育は途中で体調を崩し、4限目も保健室で休み、5、6限を死ぬ気で耐えてきた。普段は高校受験後も継続して入っていた塾に寄ってくるから帰る時間が遅かったけど、今日は塾に行く気力もなかった。時計を見る。午後6時。いつもより数時間も早い。
Lulinkの中は相変わらず綺麗な景色を映し描いていた。やっぱりここには現実世界にはない、どこか安心できる部分があるように感じた。Lulinkにあるという自分の部屋に行ってみる。
『ロードしてます…』
中に入ると現実世界のような空間だった。デフォルメで置いてあるであろう椅子、なんの特徴もないソファ、少しキャッチーなBGM、彩りとして置かれた植物、Lulinkのアイコンをイメージしたであろうウサギのぬいぐるみ、古ぼけたラジカセ。そして奥に誰かが居た。
…黒髪?
「えっ」なんでここに。
「あぁココちゃんこんにちは。ええっと…そう、今日は仕事が早く終わって、ココちゃんの部屋も覗いてみたいなって思って…つい。別に悪いことをしようとした訳ではなくてさ」
悪いことをするつもりではなかったという部分は少し引っかかったけど、私にとっては私のことをずっと待っていてくれたことの方が数倍嬉しかった。
「ううんいいの。待っていてくれて嬉しい!今日も話そうよ」
私は彼に歩み寄る。「苑弥」というネームプレートが影で少し隠れた。
私たちは時間を忘れるようにまた語り合った。話題が尽きないのが不思議なくらいずっと喋っていられた。彼は私が何を話しても笑顔で聞いて、相槌を打ってくれた。普段口を開かないのに、笑うと尖った八重歯がチラッと見えるところ…首を傾げた時に有刺鉄線のタトゥーが見えるところ。ふと振り返るときに見えるスッと整った横顔。長い睫毛。光に反射する、銀色の鍵のようなピアス。私はそんな彼の姿を見れることが嬉しくて、何度もドキドキした。
「ヘぇ、ココちゃんって都会から地方に引っ越したんだ。俺は逆に上京したんだよ。ほんっとすれ違い笑笑」
「ほんとだよね笑」
「言いたくなければいいんだけど、今は何処に住んでいるの?」
「…近畿の方かな」
「うわっ、遠い!遠距離だ」
遠距離…
「ほんとにそう笑」
どこか心の奥底で安心した自分がいた。
「明日も大学?」
「うん…そう。あっ、明日は早いから今日はもう寝ようかな」
「ほんとだ、いつの間にか22時だよ。夕ご飯もう食べた?」
「実は全然食べてない。笑 今日はずっと苑弥さんと話してたからね。」
今日も母には勉強、という体でやり過ごしてきた。勉強熱心な娘を自慢に思っている母に嘘をついたことに対する罪悪感が残った。
「それは早く食べた方が良いよ。あと、呼び方も苑弥で良いよ。」
「うん…ありがとう苑弥。じゃあ、またね」
「うん。おやすみ、ココちゃん」
彼は私の部屋から出て行った。楽しかったけれど、ずっと高まっていた緊張が一気に解ける感覚がした。数分ロウグアウトせずに自分の部屋に立ち尽くしたが、ハッとして携帯の電源を消した。その日はLulinkにログインする事なく寝た。今日の学校での出来事もあって疲れたからかもしれない。
ピピッ、ピピピッ
スマホを手に取る。5時15分。間違えて1時間早めにタイマーを設定してしまったみたいだ。一度起きてからだと寝れる気がしなくて、ベットに横たわりながらLulinkを開く。苑弥はいなかった。
「おーいチャイム鳴ってるぞ。早く走れー、ほら、平野!!」
「はーいすみません笑」チャイムが鳴り終わるのと同時に、軽快な足取りで平野くんが教室に入ってきた。走るたびに揺れる茶髪、無邪気な笑顔。
人が困っている時には助けてあげなきゃという真っすぐな正義感、なのに口論は苦手で、ちょっと抜けているところ。天然な割には、240人いるこの学年でもテストの順位は学年1桁をキープするほどの優秀さ。おまけで運動もできる。彼がこのクラスでみんなから好かれる理由が一目瞭然だった。
「はい、じゃあ今日は教科書40ページの音読から。前回は加藤まで回って来たから、その後ろの前田からな。」
みんなが全員席につき、授業が始まる。私はずっと窓から見える景色を眺めていた。
地元から離れてきただけあって、ここはかなり都会だ。200メートル先くらいには高架橋があって、電車が何本も通る。それを囲むようにビルが林立している。今まで見慣れていたからだけど、やっぱり圧巻だ。
ーーー苑弥は今頃何してるんだろ。今日何したか家帰ったら聞こう。楽しみだな。いつの間にか頭の中にはLulinkのことしかなかった。
授業が全部終わり、下校する。6限の授業のチャイムが鳴り終わった後は廊下や昇降口が生徒で溢れて居心地が悪い。少し教室に残っていくことにした。みんな部活や遊びに行ったことで教室内は誰もいなくなった。
暖かい夕陽がカーテン越しに差し込む。自分の席に座り、Lulinkを開く。苑弥がログインしていた。
行きたい…と思ったが、我慢した。昨日休んだ分塾に行かなければいけなかったからだ。Lulinkの自室で暇を潰す。部屋には誰1人いなかった。苑弥が来ないことだけを願った。
塾を終え、一直線に家に帰った。今日は先に夕飯を食べ、風呂に入った。リビングに滞在することはなく、直線距離で階段を駆け上がる。時間は21時半。苑弥はいなかった。苑弥を待つ間、彼のプロフィールを覗いてみる。
東京住まい。26歳。映画が好き。海外が好き。…バイクが好き。喫煙したことがある。フレンド数は…1人?どうやらフレンドは私しかいないみたいだった。時刻は22時を回る。アプリを開いたままにしていたが、いつの間にか寝てしまった。彼と話すことは今日一度もなかった。その日から何日か経った。
Episoed3 ⇢『苑弥』を中心に、歯車が狂いだす…




