09_氏名不明も一人です
マイア、ヨナ、キリクが棺を持ち上げた。キリクの四腕が二つの角を受け持つ。サフランは担ぎ手にはならず、現認回線に残った。
金色の道の先に、三つの門があった。
第一門で国葬の録音が〈冠軍最高指揮官〉と呼んだ。バルハが録音を止めた。
「ザイラ・オーン」
門は棺内の個人名を照合して開いた。第二門でも、第三門でも、同じ名を呼んだ。
そのあいだに白い保全殻が道の両側を通った。ミナトの殻には、エダがついていた。ルーノの父親は牽引を係員へ任せ、作業帽を胸へ当てていた。
中央国葬の中に、別々の小さな列ができていた。
道が揺れた。キリクが六脚を広げ、棺を止める。ヨナが固定帯を締め直すまで、誰も歩かなかった。
艦隊の照準光が窓を赤くした。マイアは時計を見た。見てから、棺を握り直した。
最後の門の外で、道が細くなった。
恒星の光へ伸びる〈無音橋〉には、二人並ぶ幅しかない。動力も磁気靴も使えない。キリクは靴の電源を落とし、脚先を一つずつ曲げた。
マイアはザイラの左手から、ケルの名札を外した。凍った指はヨナがゆっくり解きほぐしてあった。ケルの返還箱へ名札を納める。
キリクが棺の中央へ入り、四腕で四隅を持った。
「重い?」
「一人分だ」
彼が踏み出す。マイアは手を離した。
*
最後の区画に、医療員の手が足りなかった。
マイアは送葬路を戻り、保全布を伝ってそこへ入った。ヨナは《永遠便》へ戻る。橋の下へ風よけを張るためだった。別々の方向へ行く前に、ヨナはマイアの手袋をつかんだ。
「まだ刺さってる」
「戻ってから」
「抜けたら洗って。手袋の中で擦らないで」
それだけ言って、走った。
マイアの区画には、開かない殻が並んでいた。一つずつ計測済みの像と見比べ、膜を掛けた医療員の署名を確かめる。新しい番号を、隣の身体へ重ねない。
「病院船第二甲板。成人一名。氏名不明。身体保全中」
彼女が署名すると、殻が壁から離れた。
次の人の腰には工具袋が残っていた。マイアは留め金が身体へ当たらないよう、布を一枚差し込んだ。記録官がその手元を照らしていた。
遠くでキリクが息を詰めた。
マイアは顔を上げた。橋の監視像で、棺が斜めになっていた。キリクの前脚が滑り、関節が逆へ折れた。左の二腕が橋を突き、右の二腕が棺を支える。
彼は起き上がろうとして、一度失敗した。
マイアの足が入口へ向いた。
「そのまま続けて」
ヨナの声だった。
《永遠便》が橋の下へ入る。使い残した白布を左右へ展開し、恒星風を受け止めた。規定外の随伴を咎める音声が流れ、バルハが覆いとして許可を出した。
それで風が弱まった。折れた脚は治らなかった。
キリクは五脚で立った。次の一歩を出すまで、長くかかった。
「動ける」とだけ言った。
マイアは次の殻へ戻った。
担当区画を終えた医療員が、マイアのところへ来た。サフランは二人の照明を揃えた。
最後の身体は、医療員が掛け直した白い膜の下にあった。
どの艦から回収されたのかも、分からない。古い保全殻は壊れ、近くで見つかった持ち物にも結びつかなかった。
顔を見ても、誰も思い当たらなかった。
マイアは膜の端を支えた。計測像は一致する。別の身体との重複はない。冷却の表示が、掌の下で弱く光っていた。
知っていることは、それだけだった。
ここへ母の顔を重ねようとして、やめた。似ていない。誰かの母なのかどうかも、知らない。
サフランの札が、彼女の署名を待っていた。
「ここにいる。ひとり」
マイアは自分の名を入れた。
〈氏名不明。ここにいる一名。身体保全中〉
殻の留め具が外れた。官吏と二人で受け止める。思っていたより手前へ滑り、彼女は膝をついた。落とさずに済んだ。
運ぶ先の布には、もう一体分の場所が空いていた。
「ザイラ以外の全身体、分離を確認」
サフランが告げた。
更新を締めた目録が艦隊へ送られた。残存身体、ザイラ・オーン一名。各艦からの受領が揃い、火葬壇に認証灯が点いた。待機期限の時計は、同じ速さで進んでいた。
キリクは火葬壇の縁まで来ていた。
棺を置くとき、折れた脚が床を擦った。棺から手を離していいという灯りが点いても、すぐには離さなかった。
「置けたよ」
ヨナが通信で言った。
四本の手が順に開いた。キリクは棺から離れ、橋の端へ腰を下ろした。ヨナの投げた安全索を腰へ掛けると、そのまま船の入口へ引かれていった。
バルハは八百ページの弔辞を開かなかった。
「ザイラ・オーン。あなた一人を、ここで送ります」
恒星から白い炎が伸びた。
誰かを捨てる命令を出した身体も、弁を押さえた身体も、同じ棺にあった。
棺が光へ入った。
「国葬終結を認証。指揮権失効。全艦、武装停止」
六万隻の照準光が消えた。
マイアはまだ膝をついていた。白い保全殻を、迎えに来た医療員へ渡す。受け取ったという返事を聞いてから、手を離した。
*
消えた一人と、残った六十四万八千二百三十六人がいた。二万四千六百十一人の生存者には治療が続いている。
セトの腕には新しい包帯が巻かれていた。医療員が食事を持ってくると、彼はまず袖を見て、それから盆を受け取った。靴は片方しかない。毛布から出た裸足を、食べているあいだだけ中へしまった。
国葬の放送官が、成功率の欄を持ってきた。
「一人中、一人」
マイアが言うと、バルハはそのまま書いた。六十四万人を分母に足さなかった。
「この殻は、いつ移動する」
無人の保全殻を示して総監が訊いた。マイアは返還先未定の表示を見せた。
「まだ動かせません。冷やせる場所を、貸してください」
総監は貴賓観覧台の使用予定を開いた。翌朝には撤去となっていた。
「無償開放式にする。式なら予算が出る」
呼ばれた官吏が書類を抱えて走った。
キリクは《永遠便》の船外口に座り、ヨナに脚を固定されていた。閉じなくなった四本の手を、彼女が一本ずつ曲げていた。
「優雅だった?」マイアは訊いた。
「あとで訊け」
彼女は隣へ座った。
しばらくして、キリクの下腕が伸びてきた。マイアの手袋を脱がせ、爪の下に残った金属片をつまんで抜いた。




