07_あなたの死は別便です
減速に使える衛星は三基だった。残る五基は、外れた船体と保全殻の衝突を防いでいる。到着を遅らせるぶん、火葬に使える時間は減った。キリクは速度を落としすぎないよう、三基へ指示を送り直した。
マイアは照合卓から離れた。ルーノの父親の通信窓は、まだ開いていた。隣の家族船と牽引索を結び、小さな殻を二隻で支えている。
エダが医療橇に腰掛けていた。吸い口を持てるようになっていたが、立とうとはしなかった。胸の搬送票に〈乗船辞退〉とあった。
「迎えの船は?」
「行った」
マイアは搬送係へつないだ。同行の殻はないと聞いて席を用意し、エダが乗らないと言ったため、ほかの負傷者へ回したという。船はもう帰還航路に入っていた。
帰還先の港からは、後日届く殻も受け入れると返事があった。ただし、どの殻を誰の希望で預かるかを、出航前に知らせる必要があった。エダの席と殻を結ぶ記録は、マイアが保留した欄にしかなかった。
「呼び戻せませんか」
「重症者を運んでいます。戻せません」
通話を終えると、エダが言った。
「あの人たちと帰るつもりだった。みんな、知ってる人だから」
「先に行って、港で待てたのに。わたしが離れたら、また誰のことか分からなくなると思った」
マイアは、空いたままの搬送先を見た。温度しか確かめなかった殻の横で、エダは一人になっていた。
「こちらの船で、次の移送先まで送ります。費用も、私たちで」
「どこ?」
まだ答えられなかった。マイアは帰還船の行き先を転記した。冷却殻を積める接続便は、これから探さなければならない。
「さっきの袖のこと、もう一度聞かせてもらえますか」
エダはマイアを見ずに、隣の殻を指した。
「あれ、違う人なんでしょう」
「違うと決まったわけではありません」
「じゃあ、なんで消したの」
マイアは立ったまま、説明を探した。誤認を防ぐため。違う遺族へ送らないため。どれも正しかった。エダの手が毛布の下へ引っ込んでいく。
マイアは橇の縁へ腰を下ろした。
「名前を確かめることと、一緒に帰りたいことを、同じ保留にしました。私が。すみません」
エダは水を吸った。長く吸い、咳き込んだ。マイアが背へ手を出すと、片手で断った。
「まだ、あの人だって言える?」
自分の言い方がまた同じだと気づき、マイアは口を閉じた。
エダは袖を見ていた。
「分からなくなった」
遠くで金属が軋んだ。開いた保全殻が次の艇へ渡される。
「夜勤の途中で、袖が落ちるの。機械へ巻き込まれるから、わたしが折ってあげた。いつも同じ右から」
マイアは途中で質問しなかった。
「親指を入れると、ほどけにくい。わたしの母がしてた折り方。あの人は、左は自分でできた」
顔は思い出せないという。声も。話すと歯が一本足りなかった気がするが、隣で働いていた別の者かもしれない。
サフランは、言われたとおりに記録した。確かでない箇所を消さず、確かでないと添えた。
「ミナトはどこから?」
「作業場で、みんなそう呼んでた。帰りたい港があるって。それしか教えてくれなかった」
マイアは〈エダがミナトと呼んでいた人の可能性〉と表示した。今度は名前を身体の上へ置き、確認中の札を隣に残した。
留め具は外れなかった。証言を置くことと、身体の独立を認証することは、まだ別だった。
エダはそれを見て、毛布から指を出した。
「左の袖も、見ていい?」
*
ヨナがザイラの義肢から記録を取り出した。熱で潰れた層の下に、空調管の最後の二十分が残っていた。ケルの勤務口座にある時刻と照らして、順番を直す。
最初に映ったザイラは、ケルの作業を止めようとしていた。
――第三区画を切れ。残圧を指揮区画へ。
――そこにも殻がある。
――収容定数を超えている。全部へ送れば全部死ぬ。
彼女の義肢が配分盤へ伸びる。ケルはその手を工具で押し戻した。
――定数じゃない。詰めたんだよ。四人用に九人。空いてる部屋だと思ってるのか。
配分盤には〈残存率三割未満・閉鎖〉という赤い命令が点いていた。発令者はザイラ・オーンだった。
ケルが弁を開くたび、盤が閉じようとする。彼は工具を一本ずつ噛ませていた。手元にはもう二本しかなかった。
「この命令は」とマイアが言った。
「全艦で使った」とバルハが答えた。「被害が大きい区画を捨てて、動ける艦を帰す。その判断で救われた艦もある」
映像の中でザイラは、扉の向こうの殻を見に行った。戻ったとき、襟章が片方なくなっていた。配分盤へ義肢を差し込み、解除を試みる。盤は別区画から来る命令を優先し、彼女の指を挟んだ。
――おまえの船、壊れるぞ。
ケルは工具を歯で噛み直した。
――もう壊れてる。
ザイラは指揮区画への管を自分で潰した。
――英雄席へ空気はいらん。
――ここに英雄席なんてない。肺がある順だ。
ケルは彼女の潰した管を見て舌打ちし、細い迂回管をつないだ。
それからは二人とも、ほとんど話さなかった。ザイラが板を押さえ、ケルが弁を回す。上流から圧力が戻るたび、同じ弁を回し直した。
外で、旗艦の残りが落ちた。
ザイラが最後の命令を録音する。艦隊を止めるため、七戦域の全艦、全員を暫定的に自分の身体とする。遺体保全命令が効いている間は、その身体を戦争へ使えない。
損傷した中枢記録の先が、今度は少しだけ聞こえた。
――名前を……。
ケルが振り向く。ザイラの口が動いたが、噴き出した空気に声を消された。録音は続いている。何を言ったのかは、戻らなかった。
ケルが何かを落とした。焼けた名札だった。拾おうとすると足元の配管が裂け、ザイラがケルの胸元ごとつかんだ。
二人は一本の安全索を結んだ。
映像はそこで止まった。
バルハが椅子へ座った。背後の官吏が記録を閉じようとしたが、老人は手で止めた。
「生きていた者を捨てる命令も、あの方だったのか」
マイアは答えなかった。画面に発令者が出ていた。
「国葬の映像に、これは使えん」
「私たちはケルの家族へ見せます。望まれれば」
「空気を送った部分だけなら」
「途中からなら、そのことを伝えます」
バルハは顔を上げた。
「君には、この人を憎む者を同じ列へ入れる仕事はない。砲を向け合ったままの二百三十の星へ、一人の死で終わったと言わねばならんのだ」
「そのために、ケルがしたことを変えないでください」
「変えはしない。言わずにおく」
マイアの手が止まった。母の一斉通知に、何と返したかを思い出した。
資料不足。家族への転送、未実施。
バルハの方が大きなものを守ろうとしていた。だが、言われなかった側には、どちらも届かない。
「私も、言わずにいることがあります」
そこまで言って、マイアはやめた。母のことを、この人を説得するためには出したくなかった。
「いまは、これをケルの家族へ送ります」
バルハは止めなかった。承認もしなかった。
マイアはナラへつなぎ、映像があると伝えた。苦しい場面を含むこと、父親の最後が映っていることを話す。
ナラは工場の同僚を呼んだ。一人で見るのは嫌だと言った。
再生が終わるまで、混練機が回っていた。
「この弁、家でも直してた」
ナラはそこだけ巻き戻した。
「父、力で回すんです。だから壊す。いつも」
今度は笑った。笑った途中で顔を覆った。背後の同僚が混練機を止めた。
マイアは、ケルが何人を救ったかを言わずに待った。
「葬儀は、あとで考えていいですか」
「もちろんです」
「国葬と一緒にしなくていい?」
「別の方ですから」
ナラは何度か頷いた。
通信を終えると、バルハがまだ画面にいた。音声だけを切り、同じ弁の場面を見ていたらしかった。
「続きはないのか」
バルハが訊いた。ヨナは、取り出した義肢の記録片を裏返した。裏は焼けていた。
「ここまでです」
マイアは映像を閉じた。棺で開いた目録の、終結欄を出す。
「この様式を使います。更新を締めて、残っている身体を確認する。いまは何十万人も残っている。でも全員を外せば、確認するのはザイラ一人になる」
「あの方が、そう意図したかは分からんぞ」
「ええ」
マイアはザイラの欄と、ケルの欄を並べた。映像の二人は同じ索につながっていたが、医療員が付けた番号は違った。
「この方たちを別々に返すために、私たちがやります」
バルハは自分の机で終結様式を開いた。更新した目録を全艦へ送る。その受領が揃ってから火葬する。艦隊側の手続きまで指で辿り、最後の欄で止まった。
「期限までに終わらなければ、待機は切れる。目録が書けただけでは駄目だ」
マイアは頷いた。
「照合に使えるものを挙げろ」
声はマイアへ向いていなかった。バルハは自分の記録官を呼んでいた。




