06_未払賃金が降ってくる
超光速給与船《月末》は、金庫に推進器を付けたような船だった。
二年の遅延航路で外殻を半分失いながら、金庫には穴一つない。傷んだ船は、指定した受取点へ懸命に船首を向けていた。片側の噴射が弱く、少しずつ柩へ寄っていく。
《永遠便》は外壁から離れた。儀仗衛星が進路を塞ぐ黒い扇を開いた。
「装飾品は所定位置へ戻れ」
直径二十メートルの金属花輪が飛んできた。キリクは船を傾けて輪の内側を抜けたが、花輪は向きを変えて追ってくる。
「献花がしつこい!」
ヨナが叫びながら、外の保全布を繰り出した。名前札を拾った一枚だった。花輪は布を巻き込み、巨大な糸巻きになった。キリクはそのまま儀仗衛星の扇をかすめた。
輪が扇へ掛かる。船だけが抜けた。白布の端が裂け、複製済みの名前札が星空へ散った。
サフランは追わなかった。全機が金庫へ向いていた。
マイアとヨナは索を結び、給与船へ飛び移った。金庫の鍵が委任状を要求する。ヨナは表示を一度だけ見て、蝶番へ保存泡を注入した。
「壊すな!」とキリク。
「保存してる!」
膨らむ泡が装甲を押し上げた。隙間から、青い粒がこぼれた。
一粒ずつが給与口座だった。旧帝国の帳簿の隣に、連盟の原簿が積まれていた。請負会社の控えには、軍籍欄そのものがない。共通しているのは受取人を確かめる照合欄と、支払うはずだった額だった。
名前、勤務艦、勤務時間。記載が途中で切れた口座もある。徴用先を何度変えられても、同じ受取人の番号でつながる口座もあった。サフランは原本の照合欄を、柩内の医療計測へ結んだ。
マイアが受け布を開く。青い光が布へ降り、名前に変わる。ケル・ヴィン。ルーノ・サディ。サージャ・エコ。
「賃金は身体じゃない」とマイアは言った。「でも身体を名前へ戻せる」
ヨナは返事をしなかった。片手で布を押さえ、マイアの靴の索を締め直していた。
給与船の金庫が柩の外壁を削った。
金庫の装甲は耐えた。外壁のほうが割れた。マイアたちは白布に包まれて割れ目へ投げ込まれた。キリクが給与船へ索を掛け、使える側の推進器と一緒に引いた。船がようやく柩から離れる。
布に回収した口座の光が、マイアの手元で名前へ変わっていた。医療班から照合結果が来る。彼女は最初の独立登録へ署名した。
割れ目の奥で、保全殻が一つ開いた。
大提督の身体から、別の人の身体が離れた。
*
マイアは裂けた手袋を替え、照合卓へ座った。指の腹に細かな金属片が刺さっていた。ヨナが抜くと言ったが、あとでと断った。
そこから十一時間近く、救助と検査が続いた。休眠の深い殻は、一本ずつ点検線を通し直した。空いた医療席へ、次の人が運ばれてくる。マイアは交代のたび、送り出した殻の番号と受入票を突き合わせた。冷めた飲み物を、二度別の卓へ置き忘れた。
救助艇の発着に合わせて速度を落とした葬列は、式次第から遅れていた。弔辞を短くして得た時間が、なくなっていく。
周囲では、医療艇の乗員が身体へ計器を当て、国葬の記録官が口座を開いていた。サフランは彼らの間を飛び、記録を運んだ。柩の外では、《月末》が牽引索につながれていた。
開殻医療班から、最後の検査結果が届いた。医学的死亡確認、六十四万八千二百三十七。生存確認、二万四千六百十一。重複を除いた柩内総人数は六十七万二千八百四十八だった。
マイアは医療班の署名を開いた。検査前と同じ数でも、もう〈反応が読めない〉という意味ではなかった。生存者へ移せた人がいないことを、何度も確かめた。
給与船の全口座から、生存者と、柩内にいない者の分を除く。死亡身体と照合できたのは五十七万六千四十三件だった。うち身元本登録が二十六万。生体記録は一致しても本名の確認が残る仮登録が、三十一万六千四十三。
給与記録に該当しない死者は、七万二千百九十四人残った。
同じ七戦域から、身体は国葬へ、帳簿は清算所へ運ばれていた。いま二つが重なった。ただ、無給の労働を記帳さえされなかった者には、未払いの一行もなかった。
マイアは、その一覧をいったん閉じた。まず、戻ってきた名前を間違いなく置く。
「ルーノ・サディ。ご家族をつないで」
葬列の最後尾から、作業帽を被った老人が出た。二年前に息子へ買った帽子を、そのまま自分で使っているのだと言った。
身体像を見せる許可を取る。老人は画面へ顔を寄せ、右の耳を見せてくれと言った。マイアが回すと、しばらく黙った。
「間違いない。ここの切れたのは、家の樋に頭をぶつけたんだ」
給与記録には、ルーノが死ぬ前の一月だけ医療艇へ移ったとあった。本登録された名前を、父親も確かめた。マイアは、拾った札の〈補給艦勤務〉を消そうとした。
「そのままにして」
老人が言った。
「違うっていうのは分かった。新しいのは新しく書いて。でも、それで捜してきたから」
マイアは指を止めた。
「古い札も、ご一緒にお返しできます」
「うん。そうして」
老人は画面から離れなかった。何か聞こうとしているようなので待った。
「あの子、そこでも場所を間違えたんだな」
笑おうとして、笑えなかった。作業帽のつばを下げた。
マイアは訂正前の札を別に保存した。端末の照合待ち欄には、まだ〈ミナト〉がある。彼女が移したまま、誰の画面にも出ていなかった。
「この証言は、どこまで信用できる?」
サフランへ訊いたつもりだった。黄色い札はすぐには答えなかった。
「袖の折り方が一致することは確かめられます。エダさんが誰を思い出しているかは、私には分かりません」
「ほかの証言と比べたら」
「比べます。ただ、証言者を採点して本人確認の代わりにはできません」
マイアは承認欄を開き、閉じた。
最後の検査結果が届いてから、二時間近くが過ぎたころ、柩が傾いた。
独立登録された身体を収める殻が、残骸から次々に開いていた。結合具が外れ、白い保全殻が宇宙へ広がっていく。医療艇と家族船が受け止めようと向きを変えた。
その向こうで、戦闘艦の灯が点いた。
「分離を止めろ」
バルハの声が入った。怒鳴ってはいなかった。
「待機期限まで四十分だ。最終照会が始まった。火葬までに、目録の更新を締めなければならん」
六万隻の砲塔が動く。照準先の一覧に、二百三十の居住星が並んでいた。船の時計に写した時刻は変わっていない。砲撃禁止の表示だけが、残り時間を伴って点滅していた。
キリクが推進器の出力を読んだ。儀仗衛星は、まだ四億トンを担ぐ力で押している。軽くなった柩の速度が上がっていた。
「火葬点まで三十分。減速を頼む」
「外へ出す船も足りん。下の列を見ろ」
家族船が列を乱していた。一隻の機首へ二つの殻が寄り、医療艇が間へ入ろうとしていた。目録を離れた人を、受け取る場所は増えていなかった。
マイアは、開きかけたルーノの殻を見た。老人の小船が外側で待っている。
マイアは次の承認へ伸ばした指を戻した。
「次の承認は待ちます。いま開いたものは、外へ出してください」
バルハは彼女を見たまま、儀仗衛星へ減速を命じた。




