05_空の棺の中身
大提督の外棺は、外から見れば黒曜石、内側から見れば国家予算だった。
壁一面に勲章が埋め込まれ、天井ではザイラ・オーンの生涯が立体映像で繰り返されている。誕生。士官学校首席。七つの星系解放。十六の星系制圧。最後の戦場で敵の冠を砕き、旗艦ごと光へ消える。
その足元で、救助者たちが勲章を枕に呻いていた。
兵士の一人が枕にしていた勲章を抜き、隣の者の頭の下へ自分の畳んだ上着を入れた。勲章は床へ転がった。
ヨナが救命殻を診て回る。マイアは棺の開閉盤を捜したが、内側に取っ手がない。国葬は故人の退出を想定していなかった。
キリクが壁の立体映像を見上げた。
「違う」
「何が?」
「最後の敬礼。大提督は右手を使わなかった。昔、肘を失って義肢だったからな。儀仗隊は左手敬礼に全部直させられた」
映像のザイラは右手を額へ当てている。
サフランが棺の記録を調べた。
「映像は死後生成。戦歴資料九億件から〈最も英雄らしい姿〉を合成」
キリクは映像を消し、その下の記念像へ近づいた。右肘の継ぎ目を探ってひねると、腕が取れた。
奥から非常開放輪が出てきた。
「手を貸せ。引っ掛かってる」
四人で輪を引く。外棺の側面が開いた。キリクは救命殻を一つずつ医療班へ渡し、ヨナは床へ保存泡を撒いて滑り止めにした。最後の殻が出るまで、内棺は台座に固定されたままだった。
そのとき、サフランの一枚が内棺の歯へ降りた。
「大提督の生体資料を照合。登録不一致」
「乳歯じゃなかったの?」
「乳歯です。ただし大提督のものではありません。九百年前の儀礼省初代次官、男性、享年百四十歳」
マイアは歯を見つめた。
「どうして次官の乳歯が」
「国家には、探し物を見つける省と、見つからなかった場合に格式ある代用品を選ぶ省があります」
大提督は身体の一片すら、この棺にいない。
では四億トンの何が、ザイラ・オーンなのか。
「辺境式の国葬船とは違い、この中央国葬では船そのものに代表権を継がせません」とサフラン。
「では、何が艦隊の待機命令を担保しているの」
マイアは棺の中枢記録へ葬儀師免許を差した。画面に〈故人構成目録〉が開く。通常なら遺体、遺髪、記憶媒体と並ぶ欄に、七戦域の全回収物が列記されていた。
末尾に、大提督本人の音声承認がある。
――待機命令の担保として、最後の戦場に残る全艦・全員を、暫定的に私の身体と見なす。
日付は休戦の十三分前。
「大提督自身が指定した」とサフラン。
キリクの触角が下がった。
「全艦を自分の身体にすれば、自分が死んでも遺体保全命令で艦隊を動かせない。旧帝国軍にも連盟軍にも撃たせないためか」
「暫定的に、よ。解除条件があるはず」
マイアは記録を送った。続きは損傷していた。ただ一語、繰り返されている。
名前。
「故人構成目録から独立登録された対象は、記念構造体との結合対象からも解除されます」とサフラン。
「偽名でも?」
「呼び名の正しさと、この身体が別人である根拠は分けます。名前が仮でも、以前の生体記録と結べれば分離できます」
マイアは目録の終結欄まで送った。〈構成物の更新を締め、残存身体を確認後、葬送終結を認証する〉。音声より古い、中央国葬の様式だった。
「途中で何人外しても、最初の待機期限までは変わらない?」
「はい。国葬が終われば指揮権は消えます。終わらないまま期限を過ぎれば、凍結されていた戦闘命令が戻ります」
「照会中は?」
「期限前の四十分間です。砲撃はまだ禁止されています。保留を解除するか、命令を破棄するか、各艦が返答を待ちます」
葬儀師が書くはずの欄は、二年分空白だった。
マイアは照合待ち欄の〈ミナト〉を見た。呼称の証言しかない。やはり記録が必要だった。軍籍簿でなくても、何か残っているはずだった。
そのとき、深層へ行っていたサフランの札が信号を上げた。
「ケル・ヴィンを発見。距離四百メートル」
四人は送葬路を外れ、砕けた巡洋艦の機関部へ降りた。空調管の中を這い、熱交換器を抜ける。配管の奥で、二つの身体が凍っていた。
一人は作業着姿の小柄な男。胸の仮名札がケル・ヴィンを示している。
もう一人は、黒い軍服の大柄な女だった。右肘から先が古い義肢。二人は一本の安全索で結ばれ、女の左手が男の胸元の名札を握っていた。
ヨナが先にケルを診た。何度も計測し、医療記録へ時刻を刻む。
「ケル・ヴィン。医学的死亡確認。推定二年前。低温真空で身体は保全可能」
次に女へ計器を当てた。義肢の軍籍符号が光る。
「ザイラ・オーン。医学的死亡確認」
空の棺の持ち主は、国家が見つけられなかった場所で、空調係と同じ配管にいた。
マイアは膝をついた。ケルの名札は焼け、半分が読めない。大提督の指の下だけに、文字が残っていた。
ヨナが二人の身体へ別々の保全膜をかけた。安全索を切る前に、マイアがケルの肩を支えた。布の下で、肩がわずかに浮いた。
「そっち、持ってて」
ヨナは索を切った。長く結ばれていた二人が離れた。ケルの足元に空いた隙間へ、マイアは畳んだ布を差し込んだ。
キリクはザイラの胸へ伸ばした上腕を、一度下ろした。敬礼にはしなかった。下腕で後頭部を受け、ヨナが膜を閉じるのを待った。
サフランが名前を表示する。
〈ケル・ヴィン。仮登録。死亡確認済。関係者通知未完了〉
〈ザイラ・オーン。身元確認済。死亡確認済。葬送未完了〉
マイアはナラへ正式通知を送った。通信がどの航路を通り、いつ届くかは分からない。送信済みと受領済みは違う。
バルハ総監が通信へ現れ、初めて襟の高さを忘れた顔をした。
「大提督を……見つけたのか」
「ええ。国葬の棺へ移します。ただしケルと、他の身体から分離して」
「本人を内棺へ移すだけでは終わらん。目録の方には、まだ他の者がいる。残っているものは、全て一緒に火葬される」
「全員の名前を戻せばいい」
「六十四万人だぞ。軍籍簿は戦場で焼失した」
サフランが給与明細を開いた。
「七戦域の支払原簿は、軍籍とは別に持ち出されています。どれだけ照合できるかは、開いてからです」
マイアは指に残る索の切れ端を、保全袋へしまった。
「《月末》を受け取ります。医療班に、ここを引き継いで」
「俺たちが外へ出るあいだも、検査は続けろ」とキリク。
サフランが受取航跡を表示した。外壁に沿って、青い点が近づいていた。国葬の牽引塔が点の前へ伸びる。
「管制、そこは空けておくと送ったはずです」
返ってきたのは、隊形変更は受理していないという声だった。マイアの申請は、接近予定として記録されただけだった。
キリクは船へ走りながら、青い航跡を横へずらした。給与船の操縦系は変更を受けたが、傷んだ片舷の推進器が応じない。
「接触を避けて待てば、柩の後ろへ取り残される。次は追いつけん」
マイアは保全中の二つの身体を振り返った。医療員がケルの横へ膝をつき、受領欄に署名していた。
「横付けを続けて。こちらから渡ります」
「外壁へ擦るぞ」
「総監、受取点の内側を空けてください。記録を取ったら船は外へ逃がします」
バルハが区画図を開き、そこにいた作業員を隣へ移した。
給料日を呼び寄せたのは、自分たちだった。




