03_故人一名、象徴四億トン
《大提督の柩》の内部には、朝がなかった。
天井のない格納空間に、戦艦の残骸が層をなして浮かんでいる。装甲板、砲身、食堂の椅子、個人用ロッカー。冠戦争最後の七戦域から回収した物すべてを、儀礼省は「大提督と共に戦った象徴的遺品」として詰め込んでいた。
中央を貫く金色の道だけが照らされている。幅三百メートルの〈送葬路〉だ。道の上を、広間ほどある大提督の外棺が、送葬車に載って進んでいた。開いた側面から、中央に据えられた小さな内棺が見えた。人一人を納める部分だけは、普通の棺と変わらない。
「遺体がないの?」ヨナが言った。
「大提督は旗艦と共に消滅したと認定されています」とサフラン。「棺には軍籍簿の複製、勲章千八百二個、幼少期の歯一本が納められています」
「歯は身体?」
「医学的には身体の一部。国法上は、国家の希望に応じて全身です」
四人は磁気靴で残骸の表面を歩いた。サフランの黄色い札が散開し、古い識別信号を嗅ぎ分けていく。
ケル・ヴィンの仮登録信号は、三十キロ下から出ていた。
キリクが残骸の隙間へ体を滑り込ませる。六脚を壁に突っ張り、四本腕でマイアとヨナを順に渡した。進むたび重力の方向が変わった。儀仗衛星が柩を「担ぎ直す」たび、内部の人工重力も礼法どおり九十度回転するのだ。
「次の担ぎ直しまで七秒」サフランが告げた。
「止まって」
マイアは半壊した食堂へ身を固定した。七秒後、床が壁になった。千脚の椅子が一斉に落ち、四人を襲う。
キリクが四本腕で椅子を払い、二本をつかみ、一本に腰掛けたまま滑っていく。
「儀仗隊では、これを優雅にやる」
「椅子の雪崩を?」
「担ぎ直しを。椅子は通常、参列者が座っている」
ヨナが保存泡を床へ吹いた。椅子の群れが泡へ沈み、巨大な白い塊となって通路を塞いだ。
その奥で、かすかな叩音がした。
三回。間を置き、三回。
マイアは走った。泡を切り、潰れた壁材をキリクに持ち上げさせる。救命殻があった。表示は消えているが、中に影が動く。
ヨナが医療計を当てた。
「生体反応。四人。低温休眠してる」
「死亡確認は?」
「されてない。救助記録もない」
殻を開くと、痩せた兵士たちが冷気の中で折り重なっていた。一人が目を開ける。
ヨナは蓋の裏に押された検査票を剥がした。〈危険物走査済〉の下に、薄い文字があった。
〈軍用遮蔽殻。内部未検査。開殻医療班へ引渡し〉。
引渡し先の署名がない。
「ここは……捕虜船か」
「国葬です」
兵士はしばらく考えた。片方だけ履いている靴を、裸の踵で引き寄せた。
「水を」
ヨナが吸い口を差し出すと、兵士は隣の女へ顎を向けた。女は目を開けたまま、ヨナの手を追っていた。
「先に、あの子」
女は自分で吸い口を持とうとして落とした。もう一度落とし、三度目にはヨナの手ごと握った。
救命殻の外には、別の殻があった。さらにその向こうにも。
近くへ光を投げると、暗闇に救難灯の蓄光板が浮かんだ。赤、青、緑。電波を出さない小さな標識が、残骸の奥まで続いていた。
マイアは儀礼省へ通信をつないだ。
「内部に生存者。最低四人、推定は千人以上。火葬を止めてください」
先ほどとは別の官吏が出た。胸に〈国葬進行代理補佐心得〉と長い肩書が光る。
「生存者は予定されていません」
「現にいます」
「式次第上、その時刻は〈英霊起立〉です。起き上がる演出では?」
「二年間、漂流した人間です」
「演出規模が大きい」
マイアの横で、ヨナが無言で医療計を通信窓へ突きつけた。四人分の心拍が波打っている。
官吏の顔色が変わった。しかし背後から別の声がした。
「医学的確認を開始すればよい。国葬は継続する」
儀礼総監バルハ・ソーンが画面へ入ってきた。痩せた老人で、喪服の襟が耳の高さまである。
「首都で大提督の指揮権を終結させねば、休戦艦隊六万隻が待機期限を迎える。再起動するぞ」
「生存者ごと焼く理由にはなりません」
「焼かん。救助は認める。国葬の進行を妨げない範囲で」
「何人いるかも分からない」
「ならば急ぎたまえ。大提督も戦場ではそうした」
通信が切れた。
「回収記録を出して」とヨナは言った。
サフランが検査票の番号を辿った。無人回収艇は、遮蔽された殻を開けずに残骸ごと運んでいた。低温休眠中の反応は外から読めない。だから開殻医療班へ渡す予定だった。
回収地では〈引渡し待ち〉。輸送港では〈回収済み〉。六日前、ここへ届いたときには〈国葬収容済み〉になっている。医療班への引渡し欄は、港の様式から先に写されていなかった。
ヨナは受入担当へ検査票を送った。
「この空欄、見えますか」
相手は回収済みですと答え、票を拡大して黙った。
「いま開ける人を寄越して。開いてない殻へ、検査済みの印を重ねないで」
マイアは柩の断面図を開いた。港から来た封印ブロックが、ほかにも何層も積まれていた。二年間眠り続けた殻は、その中にある。
サフランの札が一枚、金色の送葬路へ飛び、床を読んだ。
「火葬点まで十五時間二分。画像から数えた救命殻、一万九千三百。内部は未確認です。ケル・ヴィン信号はさらに下層です」
キリクが六本の脚を広げた。
「一人の契約だ」
マイアが口を開く前に、ヨナが言った。
「だから六十人分空けた」
暗闇で、救難標識がまた一つ見つかった。
マイアは救命殻へ白い名前札を貼った。水を飲んだ女が、エダ、と名乗った。サフランは〈本人申告・エダ、生存〉と記した。
「本名?」マイアは訊いた。
女の指が吸い口を握りしめた。
「あとにして」とヨナ。
マイアは頷き、残る三人に〈氏名確認中、生存〉の札を貼った。
「セトだ」
水を譲った兵士が言った。名を札へ入れるあいだも、残った靴を離さなかった。
「《永遠便》へ運ぶ。満員になったら、保全布を居住膜にする。サフラン、全信号へ仮名表示。キリク、担げる?」
四本の腕が救命殻を抱えた。
「俺は元儀仗兵だ。棺なら一国分担いだ」
「これは生きてる人」
「もっと重いな」




