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神猫の気ままな異世界旅  作者: 趣味の黒兎Z
1章 駆け出し冒険者と黒猫の師匠

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15/16

01-11 初めての実戦

 

 夜の野営地に、魔物の甲高い声が響いた。


 焚き火の明かりが土壁の内側を照らしているが、入口の向こうには深い闇が広がっている。


「ギィィッ!」


 二体のゴブリンが、ほとんど同時に飛びかかってきた。


「ルシア、右を頼む!」


「はい!」


 レオンが左側のゴブリンへ向かい、ルシアは右側へ駆け出した。


 腰の鞘から、小ぶりなナイフを引き抜く。


 数日前、道具屋で購入したものだ。


 薬草の採取や小動物の解体に使うための、短く丈夫な刃。


 まさか、こんなに早く魔物へ向けることになるとは思っていなかった。


「ギャアッ!」


 ゴブリンが爪を振り上げる。


 ルシアは咄嗟に身体を横へずらした。


 爪が目の前を通り過ぎる。


「……っ!」


 そのままナイフを突き出そうとして、手が止まった。


 目の前にいるのは、確かに魔物だ。


 だが、相手は生きている。


 その身体へ刃物を突き立てるという行為に、ほんの一瞬、躊躇してしまった。


 その隙を、ゴブリンは見逃さなかった。


「ギィッ!」


 再び振り下ろされる爪。


《ルシア、下がれ!》


「っ!」


 ナイトの声に反応し、ルシアは後ろへ跳んだ。


 鋭い爪が、先ほどまで彼女のいた場所を切り裂く。


「はぁっ、はぁっ……!」


 ルシアはナイフを握り直した。


 心臓が激しく脈打っている。


《落ち着け。相手の動きをよく見ろ》


「……はい!」


《無理に刃を当てようとするな。まずは攻撃を避けることに集中しろ》


 ルシアは小さく頷いた。


 ゴブリンが地面を蹴る。


 今度は、真正面からの突進だった。


(……見える!)


 ルシアは相手の動きを見つめる。


 揺れる火明かりの中、ゴブリンの影が大きく伸び縮みしていた。


 ゴブリンが腕を振り上げた瞬間、足へ魔力を巡らせた。


 〈部分強化〉。


 【身体強化】を習得してからも、日々の訓練を欠かさなかったルシア。


 その積み重ねによって、いつの間にか【身体強化】と【魔力操作】は、どちらもレベル3に到達していた。


 そして、身体の一部分だけを強化する〈部分強化〉も、自然と扱えるようになっていた。


 ルシアは強化した脚で地面を蹴り、素早く横へ踏み出した。


「ギャッ!?」


 勢い余ったゴブリンが、ルシアの横を通り過ぎた。


 その背中が無防備になる。


《今だ》


「はいっ!」


 ルシアはナイフを握りしめ、ゴブリンの背中へ斬りつけた。


 ザシュッ!


「ギィィッ!」


 刃が皮膚を裂き、赤い血が飛び散る。


「……!」


 ルシアの手に、肉を切り裂いた感触が残った。


 思わず顔をしかめる。


 だが、ゴブリンはまだ倒れない。


 振り返り、怒りに満ちた声を上げた。


「ギャアアッ!」


《ルシア!》


「……っ!」


 ルシアは慌てて距離を取った。


 傷を負ったゴブリンが、再び迫ってくる。


(……怖い)


 初めての戦闘。


 初めて刃物で生き物を傷つけた感触。


 それらが頭の中を駆け巡る。


 しかし、ここで立ち止まれば、今度こそ自分が傷つけられる。


 ルシアは唇を噛んだ。


(……やらなきゃ)


 ゴブリンが跳びかかってきた。


 ルシアは身体を低くし、その下を潜り抜ける。


 そして、着地したばかりのゴブリンへ向かって踏み込んだ。


「はああっ!」


 ナイフを持つ腕へ魔力を巡らせる。


 鋭い一撃が、ゴブリンの首筋を捉えた。


「ギッ……!」


 短い悲鳴。


 ゴブリンは数歩よろめき、そのまま地面へ倒れ込んだ。


 しばらく身体を痙攣させていたが、やがて動かなくなる。


「……あ」


 ルシアは、その場に立ち尽くした。


 足元には、動かなくなった魔物。


 手には、血のついたナイフ。


「……倒した……?」


《ああ。よくやった》


 ナイトの声が聞こえる。


 しかし、ルシアはすぐには返事ができなかった。


 足元に倒れたゴブリンを、ただ呆然と見つめている。


 そんなルシアの様子を見ながら、ナイトは静かに【鑑定】を発動した。


 表示されたステータスには、これまでなかった項目が一つ増えていた。


 [レベル]1


(……やっぱり、魔物を倒すとレベルがつくのか)


 この世界では、魔物を一度も倒したことのない者にはレベルが表示されない。


 ルシアも、つい先ほどまではそうだった。


 だが、初めて魔物を倒した今、彼女はレベル1になっていた。


(……まあ、今は教えなくていいか)


 ナイトはステータスを閉じ、ルシアへ視線を戻した。


 ルシアはまだ、足元のゴブリンを見つめていた。


 握りしめたナイフの刃には、赤い血が付着している。


 その手が、わずかに震えていた。


 魔物を倒した。


 それは冒険者として、いつか経験しなければならないことだった。


 分かっていた。


 分かっていたはずなのに。


 実際に自分の手で命を奪うというのは、想像していたよりもずっと重いものだった。


《ルシア》


「……はい」


《今は考え込むな。まだ戦闘は終わってないぞ》


「……っ!」


 ルシアは顔を上げた。


 入口の方では、今もガルドたちが暗がりから押し寄せる魔物と戦っている。


 そして、すぐ隣では――。


「うおおおっ!」


 レオンがゴブリンと剣を交えていた。



 ◇ ◇ ◇



「くそっ!」


 レオンは剣を振り下ろした。


 だが、ゴブリンは素早く横へ跳び、その一撃をかわす。


「ギャギャッ!」


 まるで嘲笑うかのような鳴き声。


「このっ!」


 レオンは再び剣を振るう。


 しかし、今度も当たらない。


(何でだよ……!)


 剣の振り方は知っている。


 父親から何度も教わった。


 足の運び方も、間合いの取り方も、繰り返し練習してきた。


 それなのに、目の前のゴブリンを相手にすると、思うように身体が動かなかった。


 相手は訓練用の木人ではない。


 当然、父親のように手加減もしてくれない。


 少しでも隙を見せれば、容赦なく爪を振り下ろしてくる。


「ギィッ!」


「うわっ!」


 ゴブリンが飛びかかってきた。


 レオンは剣を横に構え、どうにか攻撃を受け流す。


 だが、体勢が崩れた。


「しまっ――!」


 ゴブリンが爪を振り上げる。


 避けられない。


 そう思った瞬間。


「レオンさん!」


 横から飛び込んできたルシアが、ゴブリンの脇腹へ蹴りを叩き込んだ。


「ギャッ!」


 ゴブリンが地面を転がる。


「大丈夫ですか!?」


「あ、ああ……。助かった!」


 レオンは荒い息を吐きながら答えた。


「……情けねえな、俺」


「え?」


「親父に散々剣を教わったのに、ゴブリン一体まともに倒せねえ」


 レオンは悔しそうに剣を握りしめた。


 ルシアは少しだけ目を伏せる。


「……私も、怖かったです」


「ルシアも?」


「はい。ナイフを使うのも、魔物と戦うのも初めてですから」


 そう言って、手元のナイフへ視線を落とす。


 刃には、まだ血がついていた。


「でも……戦わないと、みんなが危ないです」


「……そうだな」


 レオンは顔を上げた。


 目の前では、先ほど蹴り飛ばされたゴブリンが立ち上がろうとしている。


「よし」


 レオンは剣を構え直した。


「もう一回だ」


 今度は、むやみに突っ込まない。


 父親に教わったことを思い出す。


 相手の動きを見る。


 間合いを測る。


 そして、攻撃の後に生まれる隙を狙う。


「ギィィッ!」


 ゴブリンが突進してきた。


 レオンは一歩だけ横へ動く。


 振り下ろされた爪をかわし、剣を構えた。


(今だ!)


「はあっ!」


 鋭い斬撃が、ゴブリンの胴体を捉えた。


「ギャアッ!」


 ゴブリンがよろめく。


 レオンはその隙を逃さなかった。


 もう一歩踏み込み、剣を振り下ろす。


 今度の一撃は、魔物の首筋を深く切り裂いた。


「ギッ……!」


 ゴブリンが倒れる。


 そして、動かなくなった。


「……はぁっ!」


 レオンは大きく息を吐いた。


 手が震えている。


 剣を握る指先には、普段の訓練では感じたことのない重さが残っていた。


「……倒せた」


「レオンさん!」


 ルシアが駆け寄ってくる。


「やりましたね!」


「ああ……!」


 レオンは笑おうとした。


 だが、うまく笑えなかった。


 初めて魔物を倒した達成感。


 それと同じくらい、恐怖と緊張が身体に残っていたからだ。


「……冒険者って、大変なんだな」


 思わず漏れた言葉に、ルシアも小さく頷いた。


「……そうですね」



 ◇ ◇ ◇



「入口を突破させるな!」


 ガルドの声が響いた。


 正面では、グレイウルフが大盾へ飛びかかっている。


「おらぁっ!」


 ガルドが盾を押し出し、魔物を弾き飛ばした。


 そこへヴァルクが踏み込む。


「はあっ!」


 剣が閃き、グレイウルフが地面へ倒れた。


 だが、その背後の暗闇からさらに二体のゴブリンが現れる。


「くそっ、まだ来やがる!」


 ヴァルクが顔をしかめた。


「ガルド、さすがに数が多いぞ!」


「分かってる!」


 ガルドは周囲へ目を走らせた。


 土壁の内側には、既に何体かのゴブリンが入り込んでいる。


 そのうちの二体は、ルシアとレオンが倒していた。


「……あいつら」


 ガルドは一瞬、目を見開いた。


 新人たちが魔物と戦っている。


 本来なら、絶対に避けたかった状況だった。


 だが、今は四人だけで全ての魔物を抑えることができない。


「……くそっ!」


 ガルドは歯を食いしばった。


「レオン! ルシア!」


「「はい!」」


「無理に倒そうとするな! 危なくなったらすぐに下がれ! 絶対に一人で突出するんじゃねえぞ!」


「「分かりました!」」


 ガルドは頷くと、再び前方へ向き直った。


 だが、土壁の内側で戦っているのは、ルシアとレオンだけではなかった。


「く、来るぞ!」


 少し離れた場所で、剣を握った少年が声を張り上げた。


 その正面には、一体のゴブリン。


 少年の両脇には、槍を構えた新人が二人いた。三人とも、焚き火に照らされた顔を強張らせていたが、誰も逃げようとはしなかった。


「俺が前で引きつける! 二人は横から頼む!」


「わ、分かった!」


 剣の少年が一歩踏み出すと、ゴブリンは甲高い声を上げて飛びかかってきた。


「うわっ!」


 振り下ろされた棍棒を、少年は剣でどうにか受け止めた。


 ガンッ!


 腕に鈍い衝撃が走る。


 思わず膝が折れかけたが、少年は歯を食いしばって踏みとどまった。


「今だ!」


 右側の槍使いが穂先を突き出す。


 だが、狙いが甘い。槍はゴブリンの脇腹をかすめただけだった。


「くそっ!」


 ゴブリンが槍使いへ顔を向ける。


 その隙に、反対側の新人が踏み込んだ。


「こっちだ!」


 突き出された槍が、ゴブリンの太腿を貫く。


「ギャアッ!」


 魔物がよろめいた。


「今なら……!」


 剣の少年が両手で柄を握り直す。


 怖くないわけではない。目の前の魔物は、痛みに怒り狂いながらこちらを睨みつけている。


 それでも、仲間が作ってくれた隙を無駄にはできなかった。


「うあああっ!」


 振り下ろした剣が、ゴブリンの首元を捉えた。


「ギッ……!」


 ゴブリンが地面へ崩れ落ちる。


 動かなくなった魔物を前に、三人は荒い息をついた。


「……た、倒した?」


「ああ……三人で、倒したんだ……!」


 喜びの声は、すぐに次の悲鳴にかき消された。


「こっちにも来た! 誰か、盾を!」


 別の場所では、盾を持った新人がゴブリンの突進を受け止めていた。


「一人で抱えるな! こっちへ誘導しろ!」


 仲間が槍を突き出し、ゴブリンを牽制する。


 剣を持つ者が横へ回り込み、隙をうかがう。


 連携はぎこちなく、攻撃を外すことも多い。それでも新人たちは、二人、三人と固まって魔物に立ち向かっていた。


 戦える者ばかりではない。


 ミナとトーマは負傷者のそばに控え、回復魔法を使えるよう備えていた。武器を持たない新人たちは、倒れた荷物をどかし、退路を確保している。


 誰もが、自分にできることを探して動いていた。



 ◇ ◇ ◇



「シオン! 中に入った魔物の数は!?」


「今のところ五体! うち三体は新人たちが倒したよ!」


「残り二体か!」


「うん。でも、まだ増えるかもしれない!」


「分かった! 中は頼む!」


「任せて!」


 シオンが軽やかに地面を蹴った。


 土壁の内側へ入り込んだゴブリンへ向かい、短剣を構える。


「さて、悪いけど、これ以上は通せないよ」


 柔らかな声とは裏腹に、その動きは鋭かった。


 一瞬でゴブリンとの距離を詰め、短剣を振るう。


「ギィッ!?」


 魔物が反応するより早く、首筋へ刃が走った。


 ゴブリンが倒れる。


 シオンはそのまま次の魔物へ向かって駆け出した。



 ◇ ◇ ◇



「……ふぅ」


 エルフィナは杖を握り直した。


 先ほどの狂乱した魔物との戦闘で、かなりの魔力を消耗している。


 それでも、まだ余力はあった。


 問題は、この戦闘がいつまで続くか分からないことだ。


「……仕方ないわね」


 エルフィナは腰の袋から、小さな瓶を取り出した。


 青く澄んだ液体。


 ルシアから預かった上級魔力回復薬だった。


「本当は、もう少し取っておきたかったけど……」


 小さく呟き、栓を抜く。


 そして、一口飲み込んだ。


「……っ!?」


 その瞬間、エルフィナの目が大きく見開かれた。


 身体の内側へ、澄んだ魔力が一気に流れ込んでくる。


 消耗していた魔力が、驚くほどの速さで満たされていった。


「……何、これ」


 エルフィナは思わず瓶を見つめた。


 上級魔力回復薬。


 自分でそう判断したものの、実際に飲んでみると、その効果は想像以上だった。


 枯渇しかけていた魔力が、驚くほどの速さで回復していく。


(……これ、本当に普通の上級魔力回復薬なの?)


 どこで手に入れたものなのか、少し気にはなった。


 しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。


 エルフィナは空になった瓶をしまい、再び魔力を練り上げた。


 そのとき、前方から声が飛んできた。


「エルフィナ! 頼めるか!?」


「……ええ!」


 エルフィナは慌てて瓶をしまい、杖を掲げた。


「〈ストーンスパイク〉!」


 地面から複数の岩の槍が突き出す。


 入口へ殺到していたゴブリンたちが、次々と足を止めた。


「今よ!」


「おう!」


 ヴァルクが剣を振るう。


 ガルドも大盾を構え直し、前へ踏み込んだ。


 先ほどまでとは違う。


 エルフィナの援護が戻ったことで、二人の動きにも余裕が生まれていた。


「よし! このまま押し返すぞ!」



 ◇ ◇ ◇



 一方、土壁の内側では、ルシアとレオンが再び魔物と向き合っていた。


 今度の相手は、二体のゴブリン。


 どちらも先ほどの個体と大きさは変わらない。


「レオンさん、さっきと同じようにいきましょう!」


「ああ!」


 二人は並んで構えた。


 ルシアの手には、小さなナイフ。


 レオンの手には、使い慣れた剣。


 武器の長さも、戦い方も違う。


 だが、互いの動きを見ながら戦うことで、少しずつ呼吸が合ってきていた。


「ギャアッ!」


 一体目のゴブリンがレオンへ飛びかかる。


「ふっ!」


 レオンは剣を横へ振るい、魔物の腕を弾いた。


 その隙に、ルシアが横から踏み込む。


「はあっ!」


 身体強化を施した脚で、ゴブリンの膝を蹴りつけた。


「ギィッ!?」


 魔物が体勢を崩す。


「レオンさん!」


「おう!」


 レオンが剣を振り下ろした。


 刃がゴブリンの首を捉え、その身体が地面へ崩れ落ちる。


「一体!」


「はい!」


 しかし、もう一体のゴブリンがルシアへ迫っていた。


「ギャアアッ!」


「……っ!」


 ルシアはナイフを構える。


 相手の動きを見極め、横へ避ける。


 そのまま反撃しようとした。


 だが。


《待て、ルシア!》


「えっ!?」


 ナイトの声に、ルシアは咄嗟に足を止めた。


 次の瞬間。


 ゴブリンが突然、地面の砂を蹴り上げた。


「きゃっ!」


 砂が顔へ飛んでくる。


 ルシアは慌てて目を閉じた。


「ギィィッ!」


 ゴブリンが飛びかかる。


 だが、その爪がルシアへ届く直前。


「ルシア!」


 レオンが横から剣を振るった。


「ギャッ!?」


 ゴブリンの腕が切り裂かれ、攻撃が逸れる。


 その隙に、ルシアは後方へ跳んだ。


「……ありがとうございます!」


「お互い様だろ!」


 レオンが笑う。


 ルシアも小さく笑みを返した。


 だが、すぐに表情を引き締める。


「……今度こそ!」


 ナイフを握り直し、魔力を巡らせる。


 ゴブリンは腕から血を流しながらも、まだ戦う気でいるようだった。


 ルシアは相手の足元を見つめた。


(……今度は、ちゃんと見て……)


 ゴブリンが動く。


 ルシアも同時に踏み込んだ。


 相手の攻撃を紙一重でかわし、ナイフを振るう。


 刃がゴブリンの喉元を捉えた。


「ギッ……!」


 魔物が倒れる。


 今度は、すぐに動かなくなった。


「……ふぅ」


 ルシアは息を吐いた。


 先ほどよりも、落ち着いて動けた気がする。


 もちろん、怖くないわけではない。


 だが、少しずつ身体が慣れてきていた。


《悪くないな》


 ナイトの声が聞こえる。


《ただし、今みたいに相手が何をしてくるか分からないこともある。油断するなよ》


「はい!」


 ルシアは小さく頷いた。


《それと、ナイフの間合いは短い。相手に近づく必要がある分、危険も大きい。無理に斬りかからなくていいからな》


「分かりました!」


 ルシアは手元のナイフへ目を落とした。


 小さな刃。


 薬草を採るために購入したものだ。


 今はそれを武器として使っている。


(……いつか、ちゃんとした武器も必要になるのかな)


 そんなことを考えたところで、レオンの声が聞こえた。


「ルシア! まだ来るぞ!」


「はい!」


 ルシアは顔を上げ、再び構えた。



 ◇ ◇ ◇



 それから、さらに戦闘が続いた。


 森から戻ってくる魔物は、最初こそ次々と野営地へ押し寄せていたが、次第にその数を減らしていった。


 魔除けのお香を嫌い、遠回りして森へ戻る個体。


 仲間が倒される様子を見て、逃げ出す個体。


 そして、ガルドたちに討伐される個体。


 その結果、野営地へ襲いかかってくる魔物は、少しずつ減っていった。


「……よし!」


 ガルドが大盾を振り抜く。


 最後のグレイウルフが地面へ倒れた。


「シオン! 周囲はどうだ!?」


 シオンは木の上で耳を澄ませ、暗い森の気配を探った。


「……うん。まだ森へ戻ってる魔物の気配はあるけど、こっちへ向かってくる奴はほとんどいないね」


「そうか……!」


 ガルドは大きく息を吐いた。


 ヴァルクも剣を下ろす。


「……やっと終わったか」


「まだ油断はできないわよ」


 エルフィナが杖を握ったまま言った。


「そうだな」


 ガルドは頷く。


「シオンは引き続き周囲を警戒。ヴァルクは入口を頼む。エルフィナは少し休んでくれ」


「了解だ」


「分かったよ」


「……そうさせてもらうわ」


 それぞれが動き始める。


 ガルドは、土壁の内側へ目を向けた。


 そこでは、焚き火の明かりの下、新人たちが疲れ切った様子で座り込んでいた。


 戦闘に参加した者たちも、そうでない者たちも、表情には疲労と安堵が浮かんでいる。


 先ほど三人でゴブリンを倒した少年たちも、互いの無事を確かめ合っている。


 その中で、ルシアとレオンは並んで立っていた。


「……お前ら」


 ガルドが近づく。


 二人は慌てて振り返った。


「ガルドさん!」


「……怪我はねえか?」


「はい!」


「俺も大丈夫です!」


 ガルドは二人の身体を確認すると、ほっと息を吐いた。


「……そうか」


 そして、少しだけ表情を険しくした。


「本当なら、お前らを戦わせるつもりはなかった」


「……はい」


 レオンが俯く。


「ですが、あのままだと……」


 ルシアが口を開きかける。


 ガルドは片手を上げて、それを制した。


「分かってる。お前らが戦ってくれなきゃ、もっと被害が出てたかもしれねえ」


 その言葉に、二人が顔を上げる。


「だがな、覚えておけ」


 ガルドは真剣な表情で続けた。


「今日、お前らが無事だったのは、実力だけじゃねえ。運もあった」


「……運、ですか?」


「ああ。相手が弱い魔物だったこと。周りに仲間がいたこと。それに、俺たちが近くで戦っていたこともな」


 レオンは黙って聞いていた。


「冒険者になりゃ、いつか自分より強い魔物と出くわすこともある。そのとき、今日みたいに戦えば何とかなると思ったら、命を落とすぞ」


「……はい」


 ルシアも小さく頷いた。


「分かりました」


 ガルドは二人の返事を聞くと、ようやく表情を緩めた。


「……まあ、それでも」


 そして、二人の頭へ大きな手を置いた。


「よく頑張ったな」


「……!」


 レオンが目を見開く。


 ルシアも驚いたように顔を上げた。


「お前らのおかげで助かった。ありがとな」


「……はい!」


「ありがとうございます!」


 二人は嬉しそうに答えた。


 ガルドは小さく笑うと、手を離した。


「よし。今のうちに休んどけ。まだ街へ帰れるわけじゃねえからな」


「はい!」


 ガルドは入口へ戻っていった。


 その背中を見送りながら、レオンがぽつりと呟く。


「……すげえな、ガルドさんたち」


「そうですね」


「俺たち、ゴブリンを何体か倒すだけで精一杯だったのに、あの人たちはずっと戦ってたんだもんな」


 ルシアは頷いた。


「私も、もっと強くなりたいです」


「ああ。俺もだ」


 二人は顔を見合わせ、小さく笑った。



 ◇ ◇ ◇



(……さて、と)


 ナイトはルシアの肩の上で、ゆっくりと尻尾を揺らしていた。


 野営地の戦闘は、ひとまず落ち着いた。


 負傷者はいるものの、命に関わるような傷を負った者はいない。


 ガルドたちも、十分に戦える状態を保っている。


(まあ、上出来だろ)


 ナイトは満足そうに目を細めた。


 今回の戦闘で、ルシアは初めて魔物を倒した。


 恐怖に足を止める場面もあったが、最後まで逃げ出さずに戦い抜いた。


 もちろん、まだまだ未熟だ。


 ナイフの扱いも、間合いの取り方も、覚えることは山ほどある。


(帰ったら、少し戦闘訓練もしてやるか)


 そんなことを考えながら、ナイトは森の奥へ意識を向けた。


 野営地の周囲。


 逃げていく魔物たち。


 森へ戻ろうとする獣たち。


 そして、さらに遠くにある二つの人間の反応。


(……ん?)


 ナイトの耳が、ぴくりと動いた。


 二人の人間。


 その存在には、森の反対側から二人が近づき、感知できる範囲に入った時点で気づいていた。


 片方は、もう片方を守るように移動している。


 その動きから、何者かに追われていることも察していた。


 だが、今までは一定の距離を保ちながら逃げ続けていた。


 それが、今。


(……止まった?)


 二人の移動が止まっていた。


 いや、完全に止まったわけではない。


 狭い範囲で、激しく動き回っている。


 そして、その周囲には五つの魔力反応。


 どれも、先ほどガルドたちが戦っていた狂乱した魔物とよく似た、不安定な魔力を放っていた。


(……なるほどな)


 ナイトは金色の瞳を細めた。


(とうとう追いつかれたか)


 意識を集中させる。


 二人のうち、一人は武器を振るっている。


 もう一人は、その背後で身を守るようにしていた。


 戦っている方の人間は、なかなか腕が立つらしい。


 しかし、相手は五体。


 しかも、普通の魔物ではない。


 次第に押され始めていることが、魔力の動きからも分かった。


(……このままだと、長くはもたないな)


 ナイトは小さく息を吐いた。


 正直なところ、見ず知らずの人間がどうなろうと、普段ならわざわざ首を突っ込むつもりはない。


 だが、今回は少し事情が違う。


 あの二人を追ってきた魔物たちが、森の異変と関係している可能性は高い。


 それに、ルシアの修行という意味でも、悪くない機会かもしれない。


(……さて、どうするかね)


 ナイトはルシアへ視線を向けた。


 彼女はレオンと話しながら、ナイフについた血を布で拭っている。


 初めての戦闘を終えたばかりだ。


 疲労もあるだろう。


 だが、その表情には、先ほどまでの恐怖だけでなく、少しばかりの自信も浮かんでいた。


(……聞いてみるか)


 ナイトはルシアへ念話を送った。


《ルシア》


「……はい?」


 ルシアが小さく返事をする。


 レオンに聞かれないよう、声を落とした。


《ちょっと話がある。少し離れられるか?》


「……分かりました」


「ん? どうした、ルシア?」


 レオンが首を傾げる。


「少し、ナイトのお世話をしてきます」


「ああ、分かった。あんまり遠くに行くなよ」


「はい!」


 ルシアはナイトを抱き上げると、焚き火の明かりが届きにくい土壁の端へ歩いていった。


 周囲に人がいないことを確かめ、小さな声で尋ねる。


「師匠、どうしたんですか?」


《実はな。森の奥に、二人ほど人間がいる》


「……人間、ですか?」


《ああ。どうやら、さっきの妙な魔物に追われてるらしい》


「えっ!?」


 ルシアが驚いて声を上げる。


 慌てて口元を押さえ、周囲を見回した。


 幸い、こちらを気にしている者はいなかった。


「……それって、大丈夫なんですか?」


《今のところはな。ただ、五体に囲まれてる。あのままじゃ、いずれやられるだろうな》


「……!」


 ルシアの表情が変わった。


「助けに行かないと……!」


《……ほう》


 ナイトは少しだけ目を細めた。


《相手が誰かも分からないんだぞ?》


「でも、困ってるんですよね?」


《まあな》


「だったら、助けたいです」


 迷いのない返事だった。


 ナイトは小さく笑った。


(……相変わらずだな)


 自分よりも他人を優先する。


 それが良いことばかりとは限らない。


 だが、そんなルシアの性格を、ナイトは嫌いではなかった。


《分かった。なら、ちょっと行ってみるか》


「はい!」


 ルシアは嬉しそうに頷いた。


 しかし、すぐに何かを思い出したように顔を上げる。


「……あっ。でも、ガルドさんたちには……」


《ああ。勝手にいなくなるわけにもいかないな》


 ナイトは尻尾を揺らした。


 野営地は、ようやく落ち着いたばかり。


 新人であるルシアが、こんな状況で森の奥へ行くと言えば、ガルドは間違いなく止めるだろう。


 それは当然の判断だ。


 むしろ、引率者としては正しい。


(……さて、どうしたものか)


 ナイトは少し考えた。


 もちろん、誰にも気づかれずに移動することなど簡単だ。


 ルシアを連れて転移すれば、それで済む。


 だが、突然姿を消せば、後で騒ぎになる可能性がある。


 何より、ルシア自身が勝手な行動をしたと責められるのは、あまり面白くない。


(……まあ、事情を説明するのは帰ってからでいいか)


 ナイトは小さく尻尾を揺らした。


 今ここでガルドに相談しても、森の奥へ向かう許可など下りないだろう。


 それに、助けを待っている二人には時間がない。


(ルシアが責められるようなら、俺が何とかすればいい)


 そう結論づけ、ナイトは再び森の奥へ意識を向けた。


 五体の魔物に囲まれた二人。


 そのうち、戦っている方の魔力が大きく乱れた。


(……おっと)


 どうやら、悠長に考えている時間はなさそうだ。


《ルシア》


「はい!」


《少し急ぐぞ》


 ナイトの声が、先ほどよりも真剣なものへ変わる。


《あの二人、そろそろ限界みたいだ》


「……っ!」


《今から転移する。ガルドたちへの説明は、帰ってきてから考えよう》


 ルシアはナイトを抱きしめ、力強く頷いた。


「分かりました!」


 森の奥では、今も二人の人間が必死に逃げ道を探している。


 そして、その周囲を囲む五体の狂乱した魔物。


 彼らはまだ知らない。


 自分たちの運命を大きく変える、一匹の黒猫が近づこうとしていることを。

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