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神猫の気ままな異世界旅  作者: 趣味の黒兎Z
1章 駆け出し冒険者と黒猫の師匠

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01-10 狂乱の森


「来るぞッ!」


 ガルドの怒号とともに、ホブゴブリンが地面を蹴った。


 その巨体からは想像もできないほどの速さで距離を詰め、太い腕を振り上げる。


「ギィィィィッ!」


 鋭い爪が、ガルドの頭を目掛けて振り下ろされた。


 だが、その一撃が届くことはなかった。


 ガァンッ!


 鈍い衝突音が森に響く。


 ガルドが構えた大盾が、ホブゴブリンの爪を真正面から受け止めていた。


「……ふんっ!」


 ガルドは踏み込んだ足に力を込め、そのまま盾を押し出した。


 ホブゴブリンの身体が大きく仰け反る。


「ヴァルク!」


「おう!」


 呼びかけと同時に、ヴァルクが動いた。


 ガルドの横を駆け抜け、無防備になったホブゴブリンの脇腹へ剣を振るう。


 ザシュッ!


「ギャアアッ!」


 刃が深々と食い込み、赤黒い血が飛び散った。


 普通なら、これで動きが鈍るはずだった。


 しかし。


「……っ!?」


 ホブゴブリンは倒れなかった。


 むしろ、傷口から血を流したまま、ヴァルクへ向かって腕を振り回した。


「ちっ!」


 ヴァルクは咄嗟に後ろへ跳び、爪をかわす。


 その顔には驚きが浮かんでいた。


「何だ、こいつ……! 痛みを感じてねえのか!?」


「油断するな!」


 ガルドが再び盾を構える。


 だが、そのときには既に、ホブゴブリンの背後から二体目の魔物が姿を現していた。


 こちらも同じホブゴブリン。


 目を血走らせ、口元から涎を垂らしている。


「二体目だ!」


 木の上からシオンの声が響く。


「いや、まだいる! 後ろから三体目!」


「くそっ、次から次へと!」


 ガルドは舌打ちすると、大盾を構え直した。


「ヴァルク、右を頼む! シオンは回り込む奴を止めろ!」


「了解!」


「オーケー!」


 三人がそれぞれの位置へ動く。


 その背後では、新人たちが土壁の内側で身を寄せ合っていた。


「な、何だよ、あれ……」


「ゴブリンって、あんなに大きかったっけ……?」


「違うよ……。あれ、普通のゴブリンじゃない……」


 震える声が重なる。


 レオンも剣の柄を握りしめていた。


 しかし、抜こうとはしなかった。


 目の前で戦っているガルドたちと、自分たちの実力には大きな差がある。


 今日の講習で、そのことを嫌というほど理解していた。


「……みんな、下がってろ」


 レオンは新人たちへ声をかけた。


「ガルドさんたちの邪魔にならないように、ここで待つんだ」


 その言葉に、何人かが頷く。


 ルシアも黙って前方を見つめていた。


 肩の上では、ナイトが金色の瞳を細めている。


(……やっぱりおかしいな)


 ナイトは暴れ回るホブゴブリンたちを観察していた。


 身体から漏れ出す魔力は不安定で、筋肉の動きもどこか不自然だ。


 傷を負っても怯まず、痛みを無視して襲いかかってくる。


 まるで、何かに無理やり身体を動かされているかのようだった。


(魔力の流れを無理やり変えられてる……? いや、それだけじゃないな)


 詳しく調べれば原因は分かるだろう。


 だが、今はそれよりも目の前の戦闘だ。


(さて、ガルドたちはどうするかね)


 ナイトは尻尾をゆっくりと揺らした。



 ◇ ◇ ◇



「おらぁっ!」


 ガルドが大盾を振り抜いた。


 盾の縁がホブゴブリンの顎を捉え、その身体が横へ弾き飛ばされる。


 すかさずヴァルクが踏み込んだ。


「はあっ!」


 鋭い一閃。


 今度は首を狙った一撃だった。


 ホブゴブリンの頭が宙を舞い、胴体が地面へ崩れ落ちる。


「一体!」


「まだ二体いるぞ!」


 ガルドが叫ぶ。


 その横を、別のホブゴブリンが駆け抜けようとした。


 だが、次の瞬間。


「遅いよ」


 頭上からシオンが降ってきた。


 両手に握られた短剣が、魔物の首筋へ突き刺さる。


「ギィッ!?」


 ホブゴブリンが悲鳴を上げる。


 しかし、その腕は止まらなかった。


 無理やり身体を捻り、シオンへ爪を振るう。


「……っ!」


 シオンは短剣を引き抜き、素早く後方へ跳んだ。


 爪が鼻先を掠める。


「危ない危ない……。本当に、痛みを気にしてないみたいだね」


「シオン、離れろ!」


 ガルドの声に従い、シオンが距離を取る。


 直後、エルフィナの杖が淡く輝いた。


「〈ストーンスパイク〉!」


 地面から鋭い岩の槍が突き出し、ホブゴブリンの身体を貫いた。


「ギャアアアッ!」


 それでも魔物は暴れ続けたが、身体を貫かれた状態では自由に動けない。


 ヴァルクが素早く近づき、その首を斬り落とした。


「二体目!」


「よし!」


 残る一体も、ガルドの盾で動きを封じられたところをシオンが仕留めた。


 地面には、三体のホブゴブリンが倒れている。


 ガルドは荒い息を吐きながら、森の奥へ目を向けた。


「……これで終わりならいいんだがな」


「残念だけど、そうはいかないみたい」


 シオンが木の上へ飛び移る。


 そして、すぐに声を上げた。


「また来る! 今度は二体!」


「くそっ!」


 ガルドが大盾を構え直す。


 森の奥から、さらに二体のホブゴブリンが飛び出してきた。


 どちらも先ほどの個体と同じように、目を血走らせている。


「ヴァルク、さっきと同じだ!」


「分かってる!」


 再び戦闘が始まった。



 ◇ ◇ ◇



 それから、どれほどの時間が経っただろうか。


 森の奥から現れる狂乱した魔物は、一向に途切れる気配がなかった。


 最初の三体に続き、二体、さらに三体。


 そのたびにガルドたちは連携して迎撃し、一体ずつ確実に仕留めていった。


 だが、異常な魔物を相手にする戦闘は、想像以上に神経を使う。


 腕を斬られても止まらない。


 脚を砕かれても這い寄ってくる。


 普通なら怯むような攻撃を受けても、何事もなかったかのように反撃してくるのだ。


「……厄介だな」


 ヴァルクが剣についた血を振り払った。


「こいつら、まともじゃねえ」


「ああ。だが、動き自体は単純だ」


 ガルドが答える。


「落ち着いて対処すりゃ、倒せねえ相手じゃねえ」


「問題は数だね」


 シオンが木の上から周囲を見渡す。


「まだ奥に気配があるよ」


「……そうか」


 ガルドは小さく息を吐いた。


 そのときだった。


「ガルド!」


 シオンの声が鋭くなる。


「今度のは、さっきまでと違う!」


 森の奥で、低い唸り声が響いた。


 続いて現れたのは、犬のような顔をした二足歩行の魔物だった。


 コボルト。


 しかし、通常のコボルトよりも身体が大きく、腕や脚の筋肉が異様に発達している。


「……ハイコボルトか」


 ガルドが眉をひそめる。


 さらに、その背後の茂みが揺れた。


「グルルルル……」


 黒い毛並みを持つ巨大な狼が、ゆっくりと姿を現した。


 ブラックウルフだった。


 どちらの魔物も目が血走り、身体から不自然な魔力が漏れ出している。


「二体か……」


 ヴァルクが剣を構えた。


「いや」


 ガルドは大盾を握り直す。


「さっきまでの奴らより、ずっと厄介そうだぞ」



 ◇ ◇ ◇



「グオオオッ!」


 先に動いたのはブラックウルフだった。


 地面を蹴り、一気にガルドへ迫る。


「ふんっ!」


 ガルドは大盾を構え、その突進を受け止めた。


 ズガァンッ!


 激しい衝撃が腕へ伝わる。


「ぐっ……!」


 想像以上の力だった。


 だが、ガルドは踏みとどまる。


「ヴァルク!」


「おう!」


 ヴァルクが側面へ回り込む。


 その瞬間。


「ギャアアッ!」


 ハイコボルトが飛びかかってきた。


「なっ!?」


 ヴァルクは咄嗟に剣を引き戻した。


 金属音が響く。


 ハイコボルトの爪が刃にぶつかり、火花が散った。


「くそっ、邪魔しやがって!」


 ヴァルクが後退する。


 すると、今度はブラックウルフがガルドから離れ、ヴァルクへ向かって跳びかかった。


「……っ!」


 ヴァルクは剣を構え直す。


 だが、ハイコボルトがすぐ横から迫っていた。


 二方向からの攻撃。


「ヴァルク、下がれ!」


 ガルドが叫ぶ。


 その声に反応してヴァルクが身を引いた瞬間、ブラックウルフの爪が肩を掠めた。


「ぐあっ!」


 鋭い痛みが走る。


 肩口から血が飛び散った。


「ヴァルク!」


「大丈夫だ! まだ動ける!」


 ヴァルクは歯を食いしばり、剣を握り直した。


 しかし、その表情には焦りが浮かんでいた。


「……こいつら、連携してやがるのか?」


「いや、違う!」


 シオンが木の上から叫ぶ。


「互いに合図を出してる様子はない! でも、動きが噛み合ってる!」


 ブラックウルフが相手を引きつけ、ハイコボルトが隙を狙う。


 まるで獲物を追い詰めるような動きだった。


 だが、そこに理性的な判断は感じられない。


 ただ目の前の獲物を仕留めようとする本能が、偶然にも互いの動きを補っている。


「……面倒な組み合わせだな!」


 ガルドが吐き捨てた。


 その直後、ハイコボルトが大きく跳躍した。


 狙いはガルドの頭上。


「甘い!」


 ガルドは盾を持ち上げ、その攻撃を受け止める。


 だが、その瞬間を待っていたかのように、ブラックウルフが低い姿勢で突っ込んできた。


「しまっ――!」


 鋭い牙が、盾の下からガルドの脇腹へ食い込んだ。


「ぐああっ!」


 激痛が走る。


 ガルドは咄嗟に盾を振り下ろし、ブラックウルフを弾き飛ばした。


 しかし、脇腹からは大量の血が流れていた。


「ガルド!」


 ヴァルクが叫ぶ。


「大丈夫だ! まだ――」


 言いかけたガルドの足が、わずかによろめいた。


 傷は浅くない。


 このまま戦い続ければ、確実に動きが鈍る。


「……ちっ!」


 ガルドは歯を食いしばった。


 そのとき、頭上からシオンが飛び降りた。


「二人とも、一度下がって!」


 短剣を構え、ハイコボルトの背後へ回り込む。


 だが、魔物は異常な反応速度で振り返った。


「ギャアッ!」


「……っ!?」


 シオンは咄嗟に身体を捻る。


 しかし、完全には避けきれなかった。


 爪が太腿を切り裂く。


「くっ……!」


 着地したシオンの足元へ、赤い血が滴った。


 それを見たエルフィナが、即座に杖を掲げた。


「三人とも、下がって!」


「エルフィナ!?」


「ここは私が抑えるわ!」


 エルフィナの足元に魔法陣が浮かび上がる。


 地面が震え、土が盛り上がった。


「〈アースウォール〉!」


 轟音とともに、二体の魔物とガルドたちの間へ分厚い土壁が出現した。


「グルルルッ!」


 ブラックウルフが壁へ飛びかかる。


 だが、エルフィナは杖を振り下ろした。


「〈ストーンスパイク〉!」


 壁の手前から岩の槍が突き出し、魔物の進路を塞ぐ。


 ブラックウルフが横へ跳ぶ。


 そこへ、ハイコボルトが回り込もうとした。


「させないわ!」


 今度は足元の土が隆起し、ハイコボルトの進路を遮った。


 エルフィナは二体の動きを見極めながら、次々と魔法を発動させていく。


 倒すための魔法ではない。


 進路を塞ぎ、足を止め、距離を取らせる。


 それだけに集中していた。


 約二百年という長い年月を生きてきたエルフィナ。


 冒険者としてのランクこそCランクにとどまっているが、その魔法技術は決して低いものではなかった。


 もっとも、魔力が無限にあるわけではない。


 複数の魔法を連続して使えば、当然消耗する。


(……長くはもたないわね)


 エルフィナは額に浮かんだ汗を拭うこともせず、杖を握りしめた。


「早く、傷を治して!」



 ◇ ◇ ◇



「ガルドさん!」


 土壁の内側へ戻ってきた三人を見て、ルシアが声を上げた。


 ガルドの脇腹からは、今も血が流れている。


 ヴァルクの肩も、シオンの太腿も、傷口が赤く染まっていた。


「ミナ! トーマ!」


 レオンが振り返る。


「回復魔法、使えるんだろ!?」


「う、うん!」


「は、はい!」


 二人が慌てて駆け寄った。


「ヴァルクさん、こっちへ!」


 ミナが両手をかざす。


「〈ヒール〉!」


 淡い光がヴァルクの肩を包み込んだ。


 裂けていた皮膚が少しずつ塞がり、血が止まっていく。


「……助かる」


 ヴァルクが小さく息を吐いた。


 一方、トーマはシオンの太腿へ手をかざしていた。


「〈ヒ、ヒール〉!」


 震える声で唱えられた魔法が、傷口を包む。


 シオンは自分の脚を確かめ、小さく笑った。


「ありがとう。これなら動けそうだ」


「よ、よかった……!」


 トーマがほっとしたように肩を落とす。


 しかし、ガルドの傷は違った。


「……っ!」


 ガルドが片膝をつく。


 脇腹の傷は深く、出血も多い。


 初歩的なヒールで簡単に治せるようなものではなかった。


「ガルドさん!」


 ルシアが駆け寄る。


「大丈夫だ……。このくらい……」


「大丈夫じゃありません!」


 ルシアは珍しく強い口調で言った。


 そして、ガルドの腰元へ視線を向ける。


「さっきの回復薬、使ってください!」


「……ああ、そうだったな」


 ガルドは苦笑すると、預かっていた赤い液体の瓶を取り出した。


「まさか、こんなに早く世話になるとはな……」


 栓を抜き、一気に飲み干す。


 その瞬間。


「……なっ!?」


 ガルドの目が見開かれた。


 身体の内側から温かな力が広がり、脇腹の傷がみるみる塞がっていく。


 流れていた血が止まり、裂けた皮膚が元どおりにつながった。


 痛みも、ほとんど残っていない。


「……おいおい」


 ガルドは思わず脇腹へ手を当てた。


 先ほどまで深く裂けていた場所には、傷跡すら見当たらない。


「何だ、この回復薬……」


 上級回復薬が優れた品であることは知っていた。


 しかし、ここまでの効果を持つものは、そう簡単に手に入る品ではない。


「ガルドさん?」


 ルシアが心配そうに顔を覗き込む。


 ガルドははっとしたように顔を上げた。


「……いや、何でもねえ!」


 そして、勢いよく立ち上がる。


「ヴァルク! シオン! 動けるか!?」


「おう!」


「問題ないよ!」


「よし! エルフィナを一人にするわけにはいかねえ! 戻るぞ!」


 三人は再び武器を構え、前線へ駆け出した。


 ルシアはその背中を見送り、小さく息を吐いた。


「……よかった」


《だから言っただろ。あいつらは十分に強いって》


 ナイトの声が聞こえる。


 ルシアは肩の上へ目を向けた。


「でも、師匠の回復薬がなかったら大変でしたよね」


《まあな。備えが役に立ったなら何よりだ》


 ナイトは何でもないことのように答えた。


 その視線は、既に前線へ戻っていた。



 ◇ ◇ ◇



「エルフィナ!」


 ガルドの声が響いた。


「もう大丈夫だ! 下がれ!」


「……遅いわよ!」


 エルフィナが声を返す。


 その額には汗が浮かび、呼吸も少し荒くなっていた。


 彼女の前には、幾重にも重なった土壁と岩の槍。


 ブラックウルフとハイコボルトは、その隙間を縫うように動き回っている。


 だが、どちらもまだエルフィナへ近づけずにいた。


「十分だ! あとは任せろ!」


 ガルドが大盾を構え、土壁の隙間から飛び出した。


「グルルルッ!」


 ブラックウルフが即座に反応する。


 だが、今度のガルドは動きを読んでいた。


「同じ手が何度も通じると思うなよ!」


 ブラックウルフの突進を盾で受け流し、身体を横へずらす。


 勢い余った魔物が地面を滑った。


「ヴァルク!」


「任せろ!」


 ヴァルクが踏み込む。


 狙うのは、ブラックウルフの後ろ脚。


 鋭い斬撃が脚を捉え、魔物の体勢が大きく崩れた。


「グギャアアッ!」


 痛みを無視して暴れようとするブラックウルフ。


 しかし、その動きをガルドの盾が押さえ込む。


「シオン!」


「はいよ!」


 木の上から飛び降りたシオンが、短剣を逆手に構えた。


 狙いは首筋。


 一瞬の隙を突き、二本の刃を深く突き立てる。


 ブラックウルフの身体が大きく跳ねた。


 そして、ゆっくりと地面へ崩れ落ちる。


「一体!」


 だが、まだ終わりではない。


「ギャアアアッ!」


 ハイコボルトが飛びかかってきた。


 その爪が、シオンの背中を狙う。


「させるか!」


 ガルドが割って入り、大盾で攻撃を受け止めた。


 直後、ヴァルクが横から剣を振るう。


 ハイコボルトは身体を捻って避けようとした。


 だが、その足元が突然隆起した。


「〈アースバインド〉!」


 エルフィナの魔法だった。


 土がハイコボルトの両脚へ絡みつき、その動きを一瞬だけ止める。


「今よ!」


「おう!」


 ヴァルクの剣が閃いた。


 鋭い刃が首を捉え、ハイコボルトの頭が宙を舞う。


 残された胴体が、ゆっくりと倒れた。


「……終わったか」


 ガルドが大きく息を吐いた。


 シオンは周囲の気配を探り、やがて頷いた。


「近くに、さっきみたいな奴の気配はないね」


「そうか……」


 ヴァルクが剣を下ろす。


 エルフィナも杖を握る手から力を抜いた。


 長い戦闘だった。


 地面には何体もの魔物が倒れ、周囲の草木は踏み荒らされている。


 土壁の一部には、魔物がぶつかった跡が残っていた。


 それでも、野営地は守り切った。


「……よし」


 ガルドは新人たちへ振り返った。


「もう大丈夫だ! ひとまず――」


 その言葉が終わる前に。


「ガルド!」


 シオンが鋭く叫んだ。


「待って! また何か来る!」


「……何だと?」


 ガルドが振り返る。


 森の奥から、再び足音が聞こえ始めていた。


 だが、今度の音は先ほどまでとは違う。


 一体や二体ではない。


 幾つもの足音が重なり、森のあちこちから近づいてくる。


「……おいおい、冗談だろ」


 ヴァルクが顔をしかめた。


 そのとき、茂みの向こうから一体のグレイウルフが姿を現した。


 続いて、ゴブリン。


 さらに別の獣型の魔物。


 どれも、先ほどまでの狂乱した魔物とは様子が違っていた。


 目は血走っておらず、身体から漏れ出す魔力も正常だ。


「……あいつら」


 シオンが呟く。


「さっき逃げていった連中だ」



 ◇ ◇ ◇



 森の奥で暴れていた異常な魔物たち。


 それらを恐れて逃げ出した魔物たちは、危険が去ったことを本能的に察知していた。


 そして今、自分たちの縄張りへ戻ろうとしている。


 だが、その帰り道には人間たちの野営地があった。


「グルルル……」


 先頭のグレイウルフが、野営地の手前で足を止めた。


 鼻をひくつかせ、周囲の匂いを確かめる。


 魔除けのお香の香りだ。


 普通なら、その匂いを嫌って近づこうとはしない。


 しかし、目の前には人間がいる。


 空腹を満たせる獲物。


 そして、その先には自分たちが暮らしていた森が広がっていた。


「……まずいな」


 ガルドが低く呟く。


 グレイウルフはしばらく迷うように足を止めていたが、やがて低く唸った。


「グルルルル……!」


 その視線が、土壁の内側に集まる新人たちへ向けられる。


 そして、ゆっくりと前へ踏み出した。


「おい、まさか……」


 ヴァルクが剣を構える。


 グレイウルフが走り出した。


「来るぞ!」


 ガルドが叫ぶ。


 同時に、後ろにいたゴブリンたちも動き始めた。


 魔物たちは野営地の正面へ殺到する。


 左右と後方は、エルフィナの土壁で囲われていた。


 壁は高さ三メートルほどあり、低級魔物が簡単に乗り越えられるものではない。


 だが、正面には出入口が残されている。


 そこへ、次々と魔物が押し寄せてきた。


「くそっ! 数が多すぎる!」


 ヴァルクが叫ぶ。


「ガルド、どうする!?」


「入口を塞ぐ! シオンは横から回り込む奴を止めろ! エルフィナ、魔法は使えるか!?」


「……使えるけど、さっきのでかなり消耗したわ」


「無理はするな! 必要なときだけ頼む!」


「分かった!」


 ガルドは大盾を構え、入口の中央へ立った。


 その左右をヴァルクとシオンが固める。


 しかし、相手の数が多い。


 一体を倒しても、すぐに次の魔物が飛び込んでくる。


 グレイウルフが跳びかかり、ゴブリンがその足元をすり抜けようとする。


 別の魔物は、土壁の端を回り込もうとしていた。


「シオン! そっちだ!」


「分かってる!」


 シオンが駆ける。


 だが、その間に入口の反対側からゴブリンが一体、野営地へ入り込んだ。


「ギィィッ!」


「うわああっ!」


 新人たちの間から悲鳴が上がった。


「くそっ!」


 ガルドが振り返る。


 しかし、目の前にはグレイウルフが迫っていた。


 ここで背中を向ければ、入口を突破される。


「ヴァルク!」


「こっちも手が離せねえ!」


 ガルドは歯を食いしばった。


 そのとき。


「……俺がやる!」


 レオンが剣を抜いた。


「レオンさん!?」


 ルシアが驚いて振り返る。


 レオンの手は震えていた。


 実際の魔物を相手にするのは、これが初めてだった。


 目の前のゴブリンは、朝に観察したものと同じ種類だ。


 だが、茂みの陰から眺めるのと、こちらへ牙を剥いて迫ってくるのとでは、まるで違う。


「……っ!」


 足がすくむ。


 心臓が激しく脈打つ。


 それでも、レオンは剣を構えた。


「みんな、下がれ!」


 その声に、新人たちが後退する。


 ゴブリンがレオンへ飛びかかった。


「ギャアッ!」


「うおおおっ!」


 レオンが剣を振るう。


 刃はゴブリンの肩を捉えた。


「ギィッ!」


 魔物が悲鳴を上げ、よろめく。


 だが、倒れない。


 レオンは思わず一歩下がった。


(……倒れない!?)


 ゴブリンが再び腕を振り上げる。


 その瞬間。


「レオンさん、右です!」


 ルシアの声が響いた。


「っ!」


 レオンは反射的に身体を捻った。


 爪が頬のすぐ横を通り過ぎる。


 そして。


「はあっ!」


 ルシアが前へ飛び出した。


 身体強化によって高められた脚力で一気に距離を詰め、ゴブリンの横腹へ蹴りを叩き込む。


「ギャッ!?」


 小柄な魔物の身体が横へ吹き飛んだ。


 地面を転がり、土壁へぶつかる。


「レオンさん、大丈夫ですか!?」


「あ、ああ……!」


 レオンは荒い息を吐きながら頷いた。


「助かった、ルシア!」


「いえ! でも、まだ来ます!」


 ルシアが入口へ目を向ける。


 そこでは、ガルドたちが必死に魔物を食い止めていた。


 しかし、全てを防ぎ切ることはできていない。


 既に数体のゴブリンが、土壁の内側へ入り込もうとしていた。


「……俺たちも、戦わなきゃ」


 レオンが剣を握り直した。


 ルシアも小さく頷く。


「はい!」


 肩の上で、ナイトが静かに二人を見つめていた。


(……さて)


 新人たちにとっては、初めての実戦。


 相手は先ほどまでの狂乱した魔物ほど強くない。


 だが、数が多い以上、油断すれば命に関わる。


(ルシアには、ちょうどいい経験になるかもしれないな)


 もちろん、危険なことをさせるつもりはない。


 いざとなれば、いつでも助けられる。


 ナイトはそう判断すると、周囲の魔力反応を改めて確認した。


 野営地へ押し寄せる魔物。


 その迎撃に追われるガルドたち。


 そして、森のさらに奥にいる二人の人間。


 その位置も、先ほどから変わらず把握していた。


(……あっちの二人は、まだ逃げてるみたいだな)


 今のところ、二人は移動を続けている。


 魔物との距離も、まだある。


(まあ、こっちが落ち着いてから考えるか)


 ナイトは視線を戻した。


 目の前では、レオンが剣を構え、ルシアが身体強化の魔力を巡らせている。


 その先から、二体のゴブリンが新たに飛び込んできた。


「来ます!」


「おう!」


 二人が同時に踏み出す。


 こうして、新人冒険者たちにとって初めての実戦が始まった。

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