ク話 本番(美桜視点)
壁には松明。そして、湿っている。この陰鬱な空気が嫌になる。かれこれ三十分近く歩いているのに、先が見えない。瑞稀を見つけないといけないのに。それに、静かすぎる。私の足音と呼吸音だけが、狭い通路に反響していた。気配も敵意もない。不気味。
(こんなはず…)
その時、古言さんの言葉を思い出す。『どんな時でも気を抜くな』。そう、油断しちゃだめ。きっとこういう時が一番危ない。進むしかないと思った時。視界が歪む。
(え…何?)
捻じ曲がり、足場が消える感覚。そして、景色が塗り替わった。
(ありえない…)
目を開けると、そこは、見慣れた場所だった。リビング、ソファ、テーブル、カーテン越しの光。私の自宅だ。
「何でこんなところに…?」
理解が追いつかない。ここはディメンションの中のはず。なのに。
「お姉ちゃん!」
聞き慣れた声。振り返ると瑞稀がいた。
「瑞稀?」
息が止まった。傷一つない。いつも通りの素敵な笑顔。
「どうしたの?そんな顔して」
会いたかった。目から涙が溢れる。近づいて抱きしめる。抱き返される。温もりが心地いい。
「もう帰ろう、ここは危ないから」
「何言ってるの、今、私たちの家にいるじゃん」
そうかな?そうかも。このままでいい。もう戦わなくていい。怖い思いもしなくていい。ずっとここにいたい。手を離して、一緒にソファに座る。テレビをつけて他愛もない話をする。いいんだこれで。
「…捕縛完了」
瑞稀の近くで何か小さい音が聞こえた気がした。でも、それすら今はどうでもいい。ただ、瑞稀と一緒にいたい。
「お姉ちゃんは相変わらず優しいね」
「ううん。私は優しくないよ」
「そんなことないって、いつも私のこと守ってくれたじゃん」
私は普通の人間だった。ファイターになるまでは。
けど、昔から瑞稀は人より悪いものに関わりやすい体質だった。三歳の頃から感染症、不良、事故などいろんな悪いことが瑞稀を襲った。その全てから守ってきた。パパもママも一緒に瑞稀を守っていた。でも、結局私が一番守っていた。その生活に疲れ切っていたのかもしれない。何かあるたびに瑞稀を守らないといけないあの生活に。
あの日は些細なことで喧嘩してしまった。それが一週間も続き、いよいよ私たちの中が終わりそうな雰囲気だった。その時、ディメンションが来たんだ。
「ずっと守ってきたよね」
「うん」
「これからも守り続けるよ」
本当の私は優しくない。ディメンションが現れて、厄介ごとから解放されてよかったと、喜んでいた自分がいた。だからこの瑞稀の発言は不自然すぎる。本物の瑞稀なら、私の本当の性格に気づいていたはずだ。
ようやく意識が引き戻される。これは違う。
「どうしたの?」
声が少し歪んだように思った。
「あなたは瑞稀じゃない。誰なの?」
目の前の瑞稀が、ゆっくり首を傾げた。
「何で…?何でわかった!!」
笑顔が崩れ、皮膚が裂ける。その奥から黒い腕が溢れ出す。その腕はどす黒い粘液に覆われている。
「触るな。穢らわしい。お姉ちゃんは、いつもそうだ」
低く、濁った声。瑞稀のものとは到底似つかない。無数の腕が、地面に触れ、軋む。空間ごと崩壊している。そこで意識が途切れる。
目が覚めると、ベッドの上で寝ている瑞稀が見える。意識はない。後ろを振り返ると、目がなくて、口が裂けた、あの黒い腕。こいつが瑞稀を拐ったエンティティだ。即座に構える。
「お前は、守るって言って…結局、守れない」
話せるエンティティ!?いや、そんなことはどうでもいい。やめて、その言葉は、奥に、深く刺さる。思考が鈍る。その一瞬で黒い腕が伸びる。
「くっ…」
完全に遅れた。でも動きは遅い。
「加速!」
加速して、無数の腕を躱し、距離を詰める。後ろには瑞稀がいる。触れさせてはいけない。体が軋むけど、関係ない。
「はあー!」
腹に渾身の力を込めたパンチをお見舞いする。エンティティは後ろ側に吹き飛ぶ。
「やめ…て」
きっとこいつは精神に干渉してくるタイプだ。私の一番弱いとこを突いてくる。迷った瞬間終わり。そのエンティティが形を変える。口を中心に無数の腕だけが蠢いている。凝視していると一斉に腕が伸びる。
「迎え打つ」
速い。視界を埋め尽くすほどの数。けど、見える。再び加速。一つ一つ腕を落とす。全て落として、二つ腕を掴む。
「これでも喰らえ!」
腕を口の中に入れて、蹴り込む。呼吸ができていないのか、その場で苦しみ出す。腕が歯に食い込んでなかなか外せない。これなら勝てる。そう思っていると、口からどす黒い粘液が出てきた。腕が吐き出され、腕と粘液が私に向かってくる。
「キモいんだよ!」
華麗に躱して、後ろ側に回り込む。咄嗟に振り返るエンティティに、アッパーをぶち込む。上に吹き飛ぶが、無数の腕による追撃がくる。けど、私にはこれがある。
「こんな土壇場で使えるかな?減速」
私は減速した。そして、加速する。一気にエンティティの体内を貫く。これは、古言さんと昨日一緒に考えた必殺技。それが見事に決まった。エンティティがバラバラになるが、まだ動く。こっちに突進してくる。ローキックで迎え打つ。
二つの衝撃がぶつかり、相殺される。少し痛かった。
エンティティはぐちょぐちょ、という気持ち悪い音を立てて、変形する。それは、一つの巨大な腕になった。その腕はハエを叩くように、私を潰そうとしてくる。
「キリがないわね」
右、左と回避するが、体力がもう持たない。さっきの技は消耗が激しい。早急に決めないと。どうすれば、あっ、根本を狙えばいいのでは?
構えをとり、加速する。根本に激突して、エンティティの大部分が削れる。腕が崩れ落ちる。何とか再生しようとするエンティティの肉を、拳の連撃で破壊する。気づくと周りには粉々になった腕と、粘液だけがあった。
根本の深いところからちっちゃくて丸っこい肉塊が出てくる。これが本体だと思う。追いかけ回した。すると、瑞稀のベッドの前に行った。潰そうとしたらエンティティがこう言ってきた。
「俺が死んだら、ベッドで寝ているやつも死ぬ」
「それは、嘘でしょ、わかっている」
「こんなことしたって無意味だ」
誰が、死にかけの相手の言うことを聞くか、
「これ以上近づいたらこいつを…ぎぁ」
言い終わる前に踏み潰す。光を放ちながら死んだ。これでやっと終わった。どんな悪いやつでも心だけは負けてはいけない。それだけは忘れてはいけない。
瑞稀を抱き抱えると元の世界に戻っていた。
「大丈夫ですか!」
その場に膝をついた。古言さんの言葉で、生きている実感が湧く。私が本当にあの怪物を倒せたの。その現実を受け入れるのに時間がかかった。
「よかった…」
涙が溢れる。
「お姉…ちゃん」
傷だらけだけど生きている。あそこで酷いことをされたんだろう。しっかり抱きしめる。さらに、涙が溢れる。止まらない。古言さんたちがいなかったら無理だった。
「ごめん…瑞稀、そして、ありがとう古言さん」
瑞稀をソファに寝かせる。立ち上がり、古言さんたちに向かって伝えたい言葉を伝える。
◆◆◆◆
美桜さんが無事に帰って来れて本当によかった。彼女は立ち上がり、こちら側を見て笑顔でこう言ってきた。
「私を仲間に入れてください。お願いします」
「勿論、これからは呼び捨てで構わない」
「ええ!これからよろしく、葵」
葵が承諾する。一応このパーティのリーダーは葵だからだ。この流れに続いて櫻井先輩がこう言ってくる。
「なあ、俺もお前たちのパーティに入っていいか?」
「いいですよ先輩!」
「え?あなた入ってなかったの?」
美桜は困惑していた。今日、このパーティに二人も仲間に入った。
「もう、一人で抱え込まなくていい」
「ありがとう」
感謝され、より一層仲が深まったような気がした。すると、美桜が質問をしてきたから、俺が答える。
「綾人、このパーティ名は?」
「それは、ハートリンク」
「…ちょっと変な名前だけど、いいね。私たちにピッタリな気がする」
俺たちなら、如何なる苦難も乗り越えられる気がした。




