第39話 分け身の王女の壁になる〜5
雨足が強くなった。栄生は濡れた髪を掻き上げながら、去っていく物部たちの背中を目で追った。
(結局、私は……)
栄生は無力感に打ちひしがれた。現れた教導群に抗うこともできず、目の前のかまいたちを力で抑えることもできない。なにより蒔絵を一刻も早く助けなくてはいけないのに、いったい私は何をしているのだろう。
本当に私は何をしているのだろう。
剣の群れに囲まれた“かまいたち”は、蛇に睨まれた蛙のように、身動きひとつしなかった。
「妖術・身剣……」
身剣は武具を物質化する高等妖術だ。しかもこれほどの数を同時に顕現させるには、桁外れの妖力が要求される。
(私には無理だ)
つくづく自分が嫌になる。もし妖術さえまともに使えれば、物部たちに遅れをとることなく、蒔絵たちの救出に向かえたはずだった。
妖術なんて使えなくても構わない──王国にいた頃は、もっといえば、昨日まではそう考えていた。でも、今は違う。好む好まざるに関わらず、争いは向こうからやってくる。力がなくては大切な仲間の窮地を救うこともできないのだ。
妖術教導群第1教導隊──第1は“教導隊”とは名ばかりの王直轄の親衛隊だ。物部の口ぶりからすると、父の勅命は“芝崎蒔絵の捕縛”に違いない。
栄生は首を振る。
(考えろ。私は何をすればいい? 私には何ができる? 逆変化した巨体のかまいたち、蒔絵を探している第1教導隊、私をここまで連れてきてくれた人間、リク……)
「リク? そうだ、リクはどこ?」
栄生の呟きを雫石が遮った。
「ったく、私だけ置いてくなんて……隊長なんて雷に打たれて死んでしまえばいいんだわ!」
雫石はそう苛立たしげに言うと、濡れた砂利を蹴り上げた。物部に締め上げられたせいで、雫石の声は見事なハスキーボイスに変わっていた。
「あなたのせいで、ほんっと、ほんっと、最悪です。私の、美声が出なくなったら、どうするというのです!」
雫石は咳き込みながら腕を伸ばすと栄生を指差した。
昔からこの種のタイプが苦手だった。おそらく貴族出身だろう。気位だけが高く、基本的に他人を見下している。自らには寛容で、人の誤ちを決して許さない。王宮でもさんざん彼らの罵詈雑言にさらされてきたのだ。
「手入れしたばかりの髪の毛も濡れてしまうし……ああ、もうほんとイライラするっ! 全部あなたのせいよ! この出来損ないの劣等遺伝子が!」
雫石は苛立ちに任せて、栄生の浴衣を掴み、首を締め上げる。
(この身剣はおそらくこの女の妖術。戦って勝てる相手でもない……。ただ私が目的じゃないのなら……)
下手に刺激すると面倒なので、栄生はとりあえず無視を決め込むことにする。
劣等遺伝子。
(そういえば良く言われたな)
ふと、モカを抱えて歩くリクが見えた。
(あの子……わざわざ助けたんだ。お人好しというか甘いというか、まったく人間というのは皆ああいうものなのだろうか)
リクが歩みを止め、物部たちが近づいていく。その光景を見たとたん、栄生の全身に悪寒が走った。
(しまった……)
頭の中で警告の鐘が鳴り響く。息が詰まり、心臓が凍りつく。これから起こるであろう事が、確信をもって栄生の頭をよぎる。
(お願い、お願いだから、やめて……)
リクから目を離すべきじゃなかった。
ここは東の森の煉界。
森と人界を繋ぐ中間世界。
そう、リクはここにいてはいけない人間なんだ。
雨煙にかすむ距離からでも、それはよく見えた。どこか遠い世界で起きた別の出来事みたいに、現実味のない色褪せた光景が、栄生の視界に広がっていく。
物部の手刀が真一文字にリクを引き裂いた。
リクの頭部が音もなく放物線を描き飛び、ごろりと地面に転がった。
「リ……リ、ク……」
少し遅れてリクの胴体が崩れ落ちる。四街と呼ばれた男がモカを抱えると、4人は何事もなかったように歩き出した。
「あらあら、お気の毒に。あの方はお知り合いでしたの?」
雫石の言葉も栄生の耳には届かない。
中途半端。
何もかもが中途半端。
分け身の第3王女。
人にも変化できない王家の出来損ない。
大切な仲間も守れない“かまいたち”。
私は何をすればいいの?
私は何をしているの?
私は何をしたいの?
そのときだ。
身体の中に何かが入り込んだような、不思議な感覚があった。栄生は自分ではない“誰かの声”を聞く。それは頭の中に直接響くような、優しい男の声だった。
『君は何を見ている?』
穏やかなその声は、全身を駆け巡り、静かに溶け込んでいく。
「私は何を見ている……」
『そうだ“純粋”の王女。君は何を見ている? 君はどこに行きたい? 君の目指す頂はどこにある?』
「純粋? 私が目指す頂? あなたは、誰?」
栄生の問いにしばらくの間が空いた。
「あまり干渉はしない主義なんだ。昔、自分で決めたことだから。でも今回は特別だ。さっき久しぶりの来訪者があってね。あの砂漠を越えるのは、想像以上にキツいことなんだ。だから彼女の覚悟と勇気に免じて、僅かながら余の力を貸そう。君の幼き友達のために。そして君を導く“壁”のために」
声はそう一気に告げると、栄生の身体から抜け出して行った。




