第40話 分け身の王女の壁になる〜6
声の主が消えると、栄生は辺りを見回した。目の前には意地の悪そうな笑みを浮かべる雫石がいるだけで、ほかにはなんの変化もないようだった。
(あの声はいったい……いや、考えるのは後まわしだ。私にはやらなきゃいけないことがある)
「リク!」
雫石に構っている暇はなかった。戦ってどうにかできる相手ではない。
栄生はほとんど瞬間移動に近い速度で、リクの元に駆けつける。幸運にも雫石が追ってくる気配はない。そもそも彼女の目的は栄生ではないのだ。
雨はさらに激しくなり、地表のあらゆるものを叩く。雨粒に踊る血だまりが、栄生の下駄を赤く染めていく。切断されたリクの頭部は、胴体のすぐ近くにあって、光を失った瞳は虚空を見つめていた。
(冷静になれ、私)
栄生は目を瞑り、自分に言い聞かせる。
(大丈夫、まだ間に合う)
かまいたちによる傷は、かまいたちの薬で蘇生することができる。しかし身体を切断された場合に限り、数分で薬による蘇生ができなくなる。ゆえに、かまいたちは決して人間の四肢を切断することはない。三役で人を襲うのは、あくまで“壁役”の適性者を探すのが目的だからだ。
切り離された身体の蘇生は、別の手段が必要になる。“血締術”と呼ばれるそれは、妖力を含んだ“かまいたちの血”と対象者の血を混ぜることが前提になる儀式妖術だ。
それはふたつの効果を人にもたらす。
ひとつは切断された部位の完全な治癒、蘇生。そしてもうひとつは人間の強制隷属──“壁役”としての契約を強制的に成立させるという効果だ。
もちろん栄生には経験がない。“壁役”という習わしを嫌っていたし、必要とも思えなかった。契約儀式とは無縁だと思っていたし、壁役に至る契約手順もうろ覚えだ。そもそも“血締術”自体が苦手な妖術なのだ。
(展開式くらい勉強しておくべきだった。私に使えるのか……)
それでも、確かなことがある。残された時間はほとんどない。このままだとリクは確実に死ぬ。
「リク……絶対に助ける、から」
栄生がリクの頭部に手を伸ばしたそのとき、血だまりの中のリクが虹色の光に包まれた。リクの頭部と身体が少しだけ宙に浮くと、眩い光が首の辺りに収束して、それは一気に弾け飛んだ。
眩しすぎる光に、栄生は視界を奪われた。
「な、に……」
目の奥がチリチリと傷んだ。男の声が蘇る。
『僅かながら余が力を貸そう』
視界が戻ると、物部に斬首されたリクの身体は元通りになっていた。
「リク!」
しかし、リクの身体は冷たく、ぐったりとして動かなかった。微かに眉が動いて、口元から血がこぼれ落ちる。
「しっかりして! リク!」
栄生は反射的に左手で風刀を発生させて、右の手のひらを斬った。リクの身体と大きな血だまりに、滴り落ちる自分の血を注ぐ。
(初めて使う妖術……。術式設計も展開式もほとんど知らない。でも、お願い。発動して)
「血締術!」
栄生はありったけの妖力を込めて妖術名を叫んだ。
リクの身体が若草色に輝くと、血だまりが一瞬にして蒸発し、白い気体に変わる。それはまるで意思を持つように、リクの口の中へ一気に流れ込んだ。
若草色の光がさらに強さを増すと、光は大きな柱となって空に立ち上がった。光の柱は渦巻く風を呼び、雨を吹き飛ばし、灰色の雨雲に大きな穴を開ける。その向こうにはわずかに青空が見えた。
「発動……した?」
栄生が視線を落とすと、リクの顔に赤みが差して、生気が戻っていた。安堵したのも束の間、リクの首筋に派手な紋様の印が浮かび上がる。
「……壁役の契約紋」




