9.
王太子殿下とエミリー嬢の婚約披露パーティー当日。
朝から念入りに支度を整えながら、現実逃避をしていた。
「体調が悪いことにできないかしら?」
「無理です」
今日もテレサの返事は即答だった。
「熱があるかも?」
「ありません」
「何か頭痛がしてきたわ」
「気のせいです」
「心労が重なっているのよ」
「それはありますね」
ようやく同意を得られた。
「そうでしょう!」
しかし、テレサはにっこりと微笑む。
「ですが、欠席理由にはなりません」
「鬼! 悪魔!」
「旦那様ほどではありません」
「それはそうね」
リュシオンに比べれば、テレサはまだ可愛いほうだ。
ため息を吐きながら、鏡に映る自分を眺める。
淡い水色のドレス。胸元を飾るのはアクアマリンと真珠のネックレス。髪飾りにもネックレスと同じ真珠が使われている。
全体的に上品な仕上がりだ。
「きれいに仕上がったわね」
さすがはテレサだ。
「うん。とても美しいね」
「ひゃっ!」
反射的に振り返ると、リュシオンが立っていた。しかも鏡の死角になる位置で……。
黒を基調とした正装に、胸元にはわたくしのドレスと同じ色のポケットチーフが挿してある。
そして、腹立たしいほどに似合っていて格好いい。
「そのドレスとても似合っている」
「ありがとうございます」
「このまま攫ってしまいたいくらいだ」
「感想がおかしいのよ!」
慣れた様子でテレサが頷いている。慣れないでほしい。
「本当はこんなにきれいなセシルを誰にも見せたくない」
「それなら連れて行かないでくださいませ」
「それは無理」
「でしょうね」
わたくしは深々とため息を吐いた。
◇◇◇
王宮へ向かう馬車の中、ぐったりと背もたれに寄りかかっていた。行く前にもう気疲れしてしまったのだ。
「死んだ魚のような目をしているね、セシル」
「帰りたいわ」
「もうすぐ到着するよ」
「聞いていません」
リュシオンはものすごく上機嫌だ。それはもう怖いくらいに上機嫌だ。
絶対に何か企んでいるに違いない。
「今日は義父殿も来るらしいよ」
「えっ! 父上が? 何しに?」
「娘が心配だからじゃないかな」
「帰っていただきたいわ……」
まだこの国でふらふらしていたのか、あの父は。
王太子の婚約披露パーティーなのよ。外国からの賓客を招いての建国祭とかではあるまいし、一国の皇帝が何をしているのか?
馬車がゆっくりと止まった。
「おや? 到着したようだよ」
がっくりと項垂れるわたくしの背中をリュシオンが宥めるように撫でた。
◇◇◇
会場へ足を踏み入れた瞬間、貴族たちの視線がわたくしへ集中した。
ああ痛い。視線が痛い。
早くも居心地の悪さに踵を返そうとした途端、リュシオンに腰を抱かれた。
「さあ、行こうか?」
妙に楽しそうにリュシオンが微笑みかける。
「帰りたいわ」
「無理だよ、ほら」
周囲からざわざわと声がする。
『あれがセシリア様? 何てお美しい』
『マイエルフェルト帝国の皇女というのは本当だったのか』
『まあ、何てお似合いなのかしら』
すでに貴族たちの話題になってしまっている。これは引き返せない!
その時、高らかにファンファーレが鳴り、扉が開く。
「レオニード王太子殿下ならびにエミリー・バークス子爵令嬢のご入場です」
花道の周りに貴族たちが並び礼をとっているので、わたくしも一応ならうことにする。
「君は頭を下げる必要はないんじゃない? マイエルフェルト帝国の皇女なのだから」
リュシオンも一応礼はとりながら、ぼそりと呟く。
確かにグリンデル王国よりマイエルフェルト帝国のほうが立場は上だけれど。
「……王太子と顔を合わせたくないのよ」
「なるほど。今は僕の妻なのだから、堂々としていればいいのに」
「そういう問題じゃないのよ」
今日何度目か分からないため息を吐く。
「あっ!」
花道を歩いていたエミリー嬢が声を上げ、わたくしたちの前で急に止まる。
「セシリア様!」
は? 入場の最中に何止まっているの!? この娘!
頭を上げるとエミリー嬢が顔をぱあと輝かせている。エスコートをしていたレオニード王太子殿下は間抜けな顔でぽかんとしていた。
「その節はありがとうございました!」
「はい?」
周囲がざわつく。それはそうだろう。わたくしも意味が分からない。
王族は入場をしたら玉座に着くまでは、貴族に声をかけることはない。婚約者といえども例外はないのだ。
ありがとうございましたって何だ? 何に対してのお礼なのかしら?
「おい! エミリー」とレオニード王太子殿下が止めるのも聞かず、エミリー嬢は満面の笑顔でこう言ったのだ。
「セシリア様が婚約破棄をしてくださったおかげで、私レオと婚約できました!」
しんと会場中が静まりかえった。
あ。この娘。空気が読めない子だ。
「エミリー、その言い方は……」
レオニード王太子殿下が青ざめながら、なおも止めようとする。
「事実ですよね?」
純粋な瞳できょとんとしている。悪気がないだけにタチが悪い。
貴族たちは皆顔を引きつらせている。リュシオンだけが面白そうな顔をしていた。
「まあ、そうなのでしょうね」
「ですよね!」
エミリー嬢が嬉しそうに頷く。
「私、最初から思っていたんです!」
その先はきっとろくでもないことを言うに違いない。
「セシリア様って王太子妃向きじゃないなって!」
ぴきんと会場が凍る。
国王陛下がむせて、王妃殿下は額を押さえた。
レオニード王太子殿下は魂が抜けそうな顔になっている。実際半分抜けかけているかもしれない。
そして、隣のリュシオンはというと、心底おかしそうに笑っていた。
「だって怖いんですもの!」
エミリー嬢はなおも続ける。
「いつも成績一位ですし!」
「褒めているのかしら?」
「マナーも完璧ですし!」
「たぶん褒めていますわね」
「歩く姿もきれいですし!」
「やっぱり褒めていますわ」
そして、最後にエミリー嬢は爆弾発言をした。
「だから絶対お友達になれないと思ってました!」
なるほど。この娘の思考回路はそうなっていたのね。吹き出しそうになるのを必死でこらえる。
するとエミリー嬢は、さらに無邪気に言った。
「でも、今ならお友達になれますよね!」
「なれませんわよ」
思わず即答してしまった。
会場中から一斉にどっと笑いが漏れる。
エミリー嬢は本気で驚いていた。
「どうしてですか?」
「どうしても何もありませんわ!」
「お茶会に来てくださいな」
「話を聞いてくださいませ!」
「セシル」と低い声が響く。
隣を見ると、リュシオンが微笑んでいた。
美しい笑顔だが、長年一緒にいたわたくしには分かる。
機嫌が悪い。かなり悪い。これはあかんやつだ。
「君」
リュシオンはエミリー嬢へ微笑みかけた。
「妻を友人にするのは構わないけれど」
「はい!」
嬉しそうにエミリー嬢は返事をする。本当に友人になりたいのだろうか? わたくしはごめんだ。
「週に何回会うつもり?」
「え?」
「月に何回?」
「え?」
「年間では?」
「え? え?」
エミリー嬢が混乱している。わたくしも混乱している。なぜ回数を聞くの。そういう問題か?
すると、リュシオンはにこやかに言った。
「妻との時間が減るので参考までに」
「重いですわ!!」
会場中から吹き出す声が上がった。
エミリー嬢はぽかんとしている。
「シルヴァード公爵様って、セシリア様のことを本当に愛しているのですね」
「あら? ご兄妹の頃から公爵様はセシリア様をそれは大切になさっていましたもの」
「羨ましいですわ!」
わたくしはまたもや深々とため息を吐く。
「そこまで有名になっているのね……」
そして思った。
この婚約披露パーティー。
王太子よりもエミリー嬢の方が厄介かもしれない、と。




