7.
夕食の後、浴室に強制連行され監禁、もとい入浴中である。
「テレサ」
「はい、何でしょうか? 奥様」
「逃げてもいい?」
「無理です」
うん! 知っているわ。テレサの答えは分かっていたが、聞いてみたかっただけだ。
「旦那様から”完璧な状態で送り出してほしい”と仰せつかっております」
「どこに!?」
「もちろん、旦那様のもとにです」
ですよね!
浴室には湯気が満ちている。
大理石造りの広い浴槽。香りのいいバラの花びら。高級な石鹸にオイル。
貴族用のスパかと勘違いしてしまいそうだ。
「失礼いたします」
テレサは慣れた手つきでわたくしの髪にオイルをなじませ、梳かし始めた。
髪がさらさらと背中に流れ落ちるのが感覚で分かる。
「ねえ、テレサ」
「はい」
「どうしてあなたはそんなに落ち着いていられるの?」
「何がでしょう?」
「初夜よ初夜!」
テレサはきょとんとしている。
「旦那様と奥様の?」
「それ以外に何があるのよ!?」
「お似合いだと思います」
「聞いてないわよ!」
わたくしは頭を抱える。
なぜ使用人全員、兄の味方なのか。いや、夫か。慣れないなあ。
「そんなに心配なさらなくても、旦那様は奥様を大切になさいますよ」
「そこは疑っていないのよ」
兄妹として過ごしてきた日々もリュシオンはわたくしを大切にしてくれていた。夫婦となっても、おそらくそれは変わらないだろう。
むしろ問題なのは……。
「……大切にしすぎるのよ。あの人」
過保護だし、やたらと執着するし、独占欲が強い。
テレサがくすりと笑う。
「旦那様は今日ずっとご機嫌が良いのですよ」
「それは……ある意味怖いわね」
「結婚式の最中ずっと笑みを絶やさずにおられましたでしょう?」
「国が滅びかけていたけれどね」
今も着々と滅びかけているかもしれない。
「旦那様にとっては些事です」
「些事なの!?」
国家問題よりわたくし優先なの、あの男!?
いや、知ってたけど!?
テレサが香油を肌に塗ってくれる。
「ひゃっ! 冷たい!」
「すぐに温まりますよ」
テレサのいうとおり、香油はじわりと肌になじみ次第に温まっていく。甘い花の香りがふわりと広がる。
落ち着かない。
何だか本当にそういう雰囲気になってきてしまう。
「奥様、どうされました?」
「……今からでも寝たふりって通用するかしら?」
「旦那様には無理かと……」
「でしょうね」
たぶん秒で見抜かれて、『寝たふりしているの? 可愛いね、セシル』とか言いながら、抱きあげて……という未来しか見えない。
「……愛が重すぎるのよね」
「旦那様は完璧に見えて不器用なところもありますから」
「それは分かるわ」
完璧超人のくせに、わたくし関連のみおかしい。普段は冷静なのに感情が爆発して暴走するのだ。
「さあ、仕上がりましたよ」
鏡に映る自分を見る。
磨きあげられた白い肌に艶やかな髪。
「奥様はもともと美人ですが、さらに磨きがかかりましたね」
「……この夜着、肌が露出しすぎじゃない?」
上質の絹だが、胸元や肩が開いていて落ち着かない。
「これで旦那様も骨抜きですね」
満足そうにテレサは頷いて、親指をぐっと立てる。
「骨抜きにしたくないわ!」
その時、コンコンと扉がノックされる。
「テレサ、まだかな?」
低く甘い声。リュシオンだ。
「旦那様はもう限界のようですね」
「何が!?」
「理性です」
「止めて!!」
テレサは扉へ向かいながら、しみじみと呟く。
「旦那様は本日ずっと我慢しておられましたから」
「十分暴走していたと思うけれど!?」
「あれでもかなり抑えておられたのですよ」
あれで!? あれで抑えていた? 嘘でしょう?
顔が引きつった瞬間。
無情にも扉が開いて、リュシオンが入ってくる。
黒い夜着にさらさらの銀髪。
湯上りだと分かる上気した肌からは微かに白檀の香りがする。リュシオンが好んでつけている香水だ。
悔しいことに色気が漂っている。そして、顔がいい!
エメラルドグリーンの瞳がふっと細められる。
「きれいだ、セシル」
低く甘く落ちる声に心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。
「テレサ」
「はい。旦那様」
「ありがとう。臨時ボーナスを出そう」
「お気遣いありがとうございます」
深々と頭を下げるテレサの右手がガッツポーズをとるのを見てしまった。
「買収されている!?」
「それでは、旦那様、奥様。おやすみなさいませ」
テレサは優雅に一礼すると、さっさと部屋を出て行ってしまった。
裏切り者!? テレサはわたくしの専属侍女でしょうが!!
リュシオンがゆっくりこちらに近づいてくるので、思わず後ろへ後ずさる。
「そんなに警戒しなくてもいいのに」
小さくリュシオンは笑う。
「しますわよ!」
「食べたりしない」
「怖いわ!」
とうとう目の前まで来ると、リュシオンはそっと頬へ触れた。
ひんやりとした指先なのに、触れられると熱くなる。
「……セシル、可愛い」
「今日はそればっかりですのね」
「だって本当に可愛いからね」
視線を逸らすと、リュシオンは髪をひと房掬う。
「いい香りだ」
「テレサがいろいろと塗ったのよ」
「そう。褒めておこう」
「また買収する気?」
くすくすと心底おかしそうに笑う。機嫌が良すぎて怖い。
「ねえ、セシル」
「何?」
「今、僕はすごく幸せだ」
その声音はあまりにも穏やかで、わたくしは少しだけ目を瞬かせた。
「君と結婚することができて……君の父上と共謀してこの国を……おっと! 失礼」
「後半の言葉が怖いわ!」
父と共謀して何をしようとしているのよ!
「でも、君が今僕の隣にいることが嬉しいんだ」
「…………」
ずるい。そんな言葉はずるい。何も言えなくなってしまう。
リュシオンはわたくしの額にそっと口づけを落とす。
触れるだけの優しいキス……。
「今日は無理しなくていいよ」
「え?」
「かなり疲れているだろう?」
そのとおりだった。
特に精神がもう限界に近い。
「本当はもっと触れたいけどね」
少し困ったようにリュシオンは微笑む。
「なっ!」
「君に泣かれたら困るからね」
「泣きません!」
「じゃあ、怒る?」
「怒ります」
「それも嫌だなあ」
リュシオンはわたくしを抱き寄せ、そのままふわりと抱きあげた。
「きゃっ!」
「今日は一緒に寝るだけにする」
「……本当に?」
「うん」
ベッドへ降ろされる。
そのまま隣へ横になったリュシオンは、わたくしを抱き枕のように抱き込んだ。
「近い!」
「落ち着く」
「わたくしは落ち着きません!」
「そのうち慣れるよ」
「慣れたくないのだけれど!?」
楽しそうに笑いながらリュシオンは、わたくしの髪へ顔を埋める。
大きな犬みたい。いや、猛獣かしら。
「……セシル」
「なんですの」
「好きだよ」
ぽつりと静かな声で囁く。
ふざけた調子ではなく、本当に大切なものへ触れるみたいな声音だった。
「愛している」
「……」
「ずっと……欲しかった」
胸の奥が少しだけ苦しくなる。
重い。本当に重い。
でも、嫌じゃないと思ってしまった。
それが悔しい。
「……おやすみなさい、リュシオン」
小さくそう言うと、リュシオンがぴたりと固まった。
「今、名前で呼んだ」
「え? あっ!」
「すごく嬉しいよ」
本当にリュシオンはものすごく嬉しそうだった。
怖いくらいに……。
「……もう一回呼んで」
「嫌です」
「ケチ」
「何とでも言いなさい」
リュシオンは満足そうに笑うと、わたくしを抱き締めたまま目を閉じる。
規則正しい鼓動が伝わってくる。
不思議と安心する温もりだった。
……たぶんだけれど。
本当に少しずつだけれど。
わたくしはこの人に絆され始めているのだろう。




