5.
結婚式後、わたくしは疲労困憊だった。
肉体的にも精神的にも限界である。
なにしろ、拒否権なく義兄と結婚させられ、国王一家に土下座され、隣国の皇帝である父が乱入し、危うく国が転覆しかけたのだ。
あまりにも濃い一日だった。それは疲れて当たり前だ。
「セシリアお嬢様、いえ、奥様。お部屋はこちらでございます」
「今までどおりセシリアでいいわよ。奥様なんて呼び方慣れないもの」
「ですが、セシリア様は本日よりシルヴァード公爵夫人となられるのですから、慣れていただきませんと」
不本意ながらリュシオンの妻となった以上、シルヴァード公爵家の女主人はわたくしだ。
「……そうね」
侍女のテレサに案内され、王都にあるシルヴァード公爵邸の一室へ向かっていた。
王都にも屋敷があるのは知っていたが、わたくしは来たことがない。学園には寮があったのでこの屋敷に住む必要がなかったからだ。
しかし広い。広すぎる。案内なしでは迷子になるかもしれない。
「……ねえ、テレサ」
「はい。何でございましょう?」
「わたくし、逃げてもいいかしら?」
「無理です」
即答だった。少しは悩んで答えてくれてもいいのに。
「きっと旦那様は地の果てまでも追いかけていかれますよ」
「……確かに」
目に浮かぶようだ。どこへ逃げてもリュシオンは追いかけてくるだろう。もしかすると、先回りして何食わぬ顔で「やあ、セシル。待っていたよ」とか言いそうだ。
「本日のために旦那様は三ヶ月前から準備されていました。それはもう周到に」
「怖いことを聞いた気がするのだけれど?」
「気のせいです」
絶対違う。気のせいではない。
三ヶ月前ってまだ婚約破棄される前じゃないの!?
あの兄貴、いや、もう夫か。どこまで計画的なのよ!
ある部屋の前で止まるとテレサが扉を開けてくれる。
「こちらが奥様のお部屋でございます」
部屋に入った途端、固まる。
「……何、これ?」
天蓋付きのベッドは大人が三人大の字で眠れそうに大きい。
壁一面の本棚には本がぎっしりと並んでいる。わたくしが本を読むのが好きなので、あちこちから取り寄せたのだろう。豪華な暖炉に大きな窓。
そして、部屋中にわたくしの好きな花が飾られていた。
「全て旦那様が選ばれてご用意されました」
なるほど。リュシオンはセンスがいい。実にわたくし好みだ。じゃなくて!
広い! とにかく広い! これでは逆に落ち着かない!
「ちなみに隣室は旦那様のお部屋でそちらの扉で繋がっております」
「塞いでちょうだい」
「無理です」
ですよね!
どっと疲れが出たので、ソファに沈み込むように座る。実際このソファはふかふかだ。物理的にも沈み込む。
テレサはにっこりと微笑む。
「奥様は本当に旦那様に愛されておりますね」
「愛が重すぎるのよ」
愛されるのは嬉しいが、重すぎる愛は勘弁してほしい。
「旦那様は昔から奥様を大切にされていましたもの」
「曲がった愛情でね」
コンコンとノックの後、「セシル、入ってもいいかな?」とリュシオンの声がする。
「後にしてくださる。わたくし疲れてま……」
言い終わないうちにテレサがさっと部屋の扉を開ける。
テレサの裏切り者!
「やあ」
礼服から着替えたリュシオンはラフな黒シャツ姿だった。白も似合うが黒だとさらに色気が増す。
そして、非常に腹立たしいことに顔がいい。
リュシオンはわたくしの前に跪くと、ふっと眉尻を下げる。
「疲れただろう?」
「誰のせいだと思っているのかしら?」
「う~ん。王太子かな」
「貴方もよ!」
リュシオンは楽しそうに笑う。この男、無自覚か? いや、分かっているわね。分かっていても絶対反省はしないだろう。
「それで、何かご用ですの?」
「夫が妻に会うのに理由がいるのかい?」
「いります。用がないのでしたら、ご自分の部屋に帰ってください」
「何とつれない妻だな」
傷ついている風を装っているが、本気ではないのは分かる。
当然のように隣へ腰を下ろすと、わたくしの瞳を見つめながら微笑む。
近い。心臓に悪いから近寄らないでほしい。
「セシル」
「何ですか?」
「君はずっと頑張っていたね」
ふいに優しい声でリュシオンがそんなことを言うものだから、少しだけ胸が詰まる。
「王太子に婚約破棄されても泣かなかった。突然僕と結婚させられても取り乱さなかった。十年ぶりに実の父上が現れても気丈に振る舞っていた」
そっとわたくしの髪を撫でる。子供の頃のように。優しく温かい手で……。
「偉かったね」
「……子ども扱いしないでくれる」
わざと頬をぷうと膨らませると、リュシオンはふふと笑う。
「僕にとってセシルは昔から大事なお姫様だからね」
「甘い!」
「照れているの? 可愛いね」
「違うわよ! 甘すぎて気持ち悪いっていう意味よ!」
ぷいとそっぽを向くと、またもやリュシオンはおかしそうに笑う。
「ひどいなあ」
なぜか嬉しそうだ。全くどういう神経をしているのか?
その時、ぐうぅぅぅぅという音が響く。自分のお腹が鳴る音だと気づくまでにしばらく時間がかかった。
「ぷっ!」
リュシオンが吹き出したので、恥ずかしくなって顔が熱くなる。
「笑わないでくださる!?」
「ごめんね。くくっ! 可愛くて、つい」
今朝は軽食のみだったし、結婚式の間は食事が摂れなかった。それはお腹も鳴るだろう。
「仕方がないでしょう! 今日はほとんど食事していないもの!」
「そうだね。じゃあまずは食事にしようか?」
そう言いながら、リュシオンはまだ笑っていた。腹が立ったので、リュシオンの足を踏んづけてやったが、それすらも「可愛い」と抜かす。
本当にどういう神経をしているのだろう? この男は……。




