33.
悪夢の花火鑑賞の翌日。
夜は賓客を招待して晩餐会が開かれるが、午前は特に予定がない。
せっかくなので皇宮内にある植物園を散策してみることにした。
植物園には色鮮やかな花が咲き誇り、小鳥のさえずりが聞こえる。
「素敵な植物園ね」
「亡き皇后陛下が生前にお好きだった場所だと伺っております」
手入れの行き届いた植物たちを眺めながら感嘆していると、テレサがそう説明してくれた。
「そうなの」
皇后陛下はアレクシスお兄様を生んだ後、産後の肥立ちが悪くまもなく亡くなったと聞いていた。
肖像画で見たことしかないが、聡明で美しい方だったらしい。
「奥様。そろそろ休憩なさいますか? あちらの席にお茶をご用意いたします」
「そうね。お願いするわ」
「かしこまりました」
テレサは頷くと、シュバッ! と瞬く間に姿を消す。
「素早い!」
だんだんとテレサが人間離れしてきたように思う。
がーデンテーブルに移動しようとすると、ふいに向こうから騎士を従えた青年が現れる。
「……レオニード王太子殿下?」
わたくしが立ち止まると、レオニード王太子殿下も驚いたように足を止めた。
しばらく沈黙が流れていたが、静かに彼は歩み寄ってくる。
「……セシリア? なぜここに? いや、そうか。建国祭の間は皇宮にいるのだったな」
「左様でございます。ごきげんよう、レオニード王太子殿下」
「あ、ああ。久しぶりだ。セシリア……皇女殿下」
呼び捨てにするなと父とリュシオンに脅され……注意されてから、わたくしに敬称をつけている。
昔は名前すらもあまり呼ばれなかった。
「おい!」とか「貴様」とか……。名前で呼べよと思っていたが、随分と変わったものだ。
「今回の建国祭では王太子殿下が代表としていらっしゃったのですね?」
「外交の勉強をしたいと父上に頼みこんだのだ。少々渋い顔をされたがな」
苦笑しながら王太子殿下は穏やかに答えてくれた。
「だが、エミリーは連れて行かないという条件付きだったので、彼女は今回は国で留守番だ」
これまでさんざん失敗をしてきたので、国王陛下は国外へエミリー嬢を出すことが不安だったのだろう。
「そうですか。エミリー嬢に久しぶりに会えるかと思っていましたので、少し残念ですわ」
これは本当だ。手紙のやり取りをするうちにエミリー嬢は成長をしていると感じた。少し空気の読めないところはあるが、元々は純粋な子だ。成長した彼女を見てみたかった。
本当に残念だ。少しだけ……。
「エミリーも君に会いたがっていた。今度は一緒にこの国に来れたら、いいと思っている」
「その時をお待ちしていますとお伝えください」
その後は国王陛下や王妃殿下の近況や国の現在の状況など、とりとめのない会話をした。
「セシリア皇女殿下」
レオニード王太子殿下は真っ直ぐにわたくしを見つめる。
「改めて謝罪をさせてほしい」
「え?」
「私は君の話を聞こうともせず、一方的に婚約を破棄してしまった」
「……」
「君を信じようとはせず、多くの人々に迷惑をかけた」
随分前に王太子殿下は何かを言いかけたことがあった。あの時は邪魔されて聞くことができなかったが、もしかして改めて謝罪をしたかったのだろうか?
一つ一つ言葉を選ぶように謝罪をする姿は、かつて尊大な態度だった王太子殿下とは別人のようだ。
「本当に申し訳なかった」
彼は静かに頭を下げる。心からの謝罪ということが分かった。
少し前であれば、例え謝罪をしてもらったとしても決して許さなかったかもしれない。
けれど今は違う。わたくしはもうあの頃の王太子殿下の婚約者ではない。
リュシオンの妻であり、マイエルフェルト帝国の皇女なのだから。
わたくしはしばらく黙っていたが、ふっと自然に笑みが零れる。
「お顔を上げてください」
王太子殿下はゆっくりと顔を上げる。
「わたくしは殿下を許すとか許さないとか、そのような立場ではありません」
彼の形の良い眉が困ったように下がる。
「ですが……。過去は変えられませんもの」
王太子殿下の婚約者でなくなったおかげで再び父たちと会えたし、何よりリュシオンと結婚をした。かなり強引にだが……。
「わたくしは今、とても幸せです」
その一言を聞いた王太子殿下は、安心したように目を細めた。
「その笑顔を見られて良かった」
「え?」
「婚約破棄をした日。君は最後まで笑顔だった。だが、あれは笑顔という名の仮面だろう?」
わたくしは何も答えられなかった。あの日、本当は悔しかったし少しだけ悲しかったのだ。
でも泣くわけにはいかなかった。
そのことに気づいてくれたというわけだ。この人は本当に変わった。空っぽ王太子ではなくなったのだ。
「今の君は心からの笑顔だ」
「ええ」
「それでいいんだ。……でもちょっと残念だ」
「はい?」
最後はぼそっと呟いたから、聞き取れなかった。
「セシル」
振り向くと、リュシオンがテレサを伴ってこちらへ歩いてくる。
うわっ! すごい殺気!
二人ともレオニード王太子殿下を射殺しそうな目で見ている。
「探したよ」
そしてレオニード王太子殿下に視線を移すと、一礼する。
「レオニード王太子殿下、お久しぶりです」
「あ、ああ。シルヴァード公爵家。久しぶりだな」
挨拶をした後、二人は握手を交わしているが、王太子殿下の顔が引きつっている。手元を見れば、リュシオンの手に青筋が浮いていた。あれは力をこめて握手しているんだなと確信する。
「立ち話も何です。茶でもいかがですか?」
「……いただこう」
テレサがお茶の用意をしてくれたのだが、今にもポットの湯をかけるんじゃないかという視線で王太子殿下を睨んでいた。
「ところでセシルと何の話をしていたのですか?」
カップを持ち上げながら、リュシオンが王太子殿下に尋ねる。
完全に威嚇している。
「公爵」
「何ですか?」
「セシリア皇女殿下を幸せにしてくださってありがとうございます」
一瞬、リュシオンが目を丸くしてわたくしを見つめるので、頷いた。
リュシオンも頷くと、穏やかな笑みを浮かべる。
「ええ。彼女は僕の生涯をかけて幸せにすると決めています。これまでもこれからもずっと……」
王太子殿下はその言葉を聞いて、小さく笑った。
「ならば安心だ」
そこには愚かだった王太子の姿はもうない。あるのはただ、自らの過ちを認め、前へ進もうとする覚悟を決めた立派な王太子の姿だった。
「ですが、人の妻と二人きりで話をするのは感心しませんね」
せっかくいい話でまとまろうとしていたのに、リュシオンがぽつりと呟く。
一言余計だ!




