21.
建国祭が終わった翌日――
グリンデル王宮前では朝から妙な空気に包まれていた。
理由は――
ついにわたくしたちがマイエルフェルト帝国へ移住するからだ。
「本当に行ってしまうのだな……」
グリンデル国王は今にも泣きそうな顔をしていた。
わたくしは少しだけ申し訳ない気持ちになる。
国王陛下はここ何ヶ月かで一気に白髪が増えて、老けた気がする。
主な原因は王太子殿下とその婚約者だろう。あと頻繁に勝手に訪問してくる父も関係している。
気の毒なことだ。
「陛下。グリンデル王国とマイエルフェルト帝国は友好国です。行き来がなくなるわけではありませんわ」
「それはそうなのだが……」
国王陛下はチラリと後ろを見る。
視線の先にはエミリー嬢がいた。
なぜか期待に満ちた目でわたくしを見ている。
「セシリア皇女!」
国王陛下が縋るような眼差しをしながら叫ぶ。
「頼む!」
また頼み事なの!? 嫌な予感がするのだけれど……。
「エミリー嬢の教育係になってはくれまいか?」
「お断りいたします」
わたくしが即答すると、リュシオンが吹き出した。
「なぜだ!?」
「なぜも何もございません」
努めて冷静にわたくしは答える。
「わたくしはマイエルフェルト帝国へ移住いたします」
「一年……いや! 半年でも構わぬ。もう少しこの国に留まってくれ!」
「無理です」
「では三ヶ月ではどうだ?」
「日は問題ではありません。わたくしの意思は変わりません」
国王陛下は本気で泣きそうだった。だが、無理なものは無理だ。
「セシリア様!」
エミリー嬢が国王陛下の後ろから前に出てくる。
「はい。何でしょう?」
「毎日お手紙を書きます!」
「毎日……ですか?」
「毎日です! だからお返事をください!」
元気いっぱいの声だが、必死さは伝わってくる。だが、毎日は多すぎるだろう。
「毎日は無理ですわね」
「では三日に一度!」
「一週間に一度でしたら」
一週間に一度近況を書くぐらいならできるだろう。……と思う。
「やったー!」
エミリー嬢が満面の笑顔を浮かべる。
「絶対ですよ!」
「ええ」
思わず苦笑する。
不思議な縁だ。婚約破棄の原因となった少女と文通することになるとは。
人生どうなるのか分からない。
レオニード王太子殿下はどう思っているのだろう?
チラリと彼を見れば、蛇に睨まれたカエルのようになっている。どうせリュシオンがけん制しているのだろう。
やれやれと肩を竦める。
その後、わたくしたちは王宮関係者に見送られながら、マイエルフェルト帝国へと向けて出発した。
◇◇◇
数日後、再びマイエルフェルト帝国へ到着する。
ちなみに父と兄は建国祭が終わった日に帰国している。
父はわたくしと一緒に帰ると言って聞かなかったそうだが、アレクシスお兄様が首に縄をかけて引っ張って行ったそうだ。物理的に……。
皇宮へ辿り着くと以前来た時同様、武装した騎士や使用人たちの出迎えを受けた。
「セシリア皇女殿下! おかえりなさいませ!」
馬車から降りると、赤い絨毯の先に見覚えのある人物が立っていた。
「セシリア様、無事の帰還何よりです」
優雅に礼をする女性は艶やかな黒髪に青い瞳をした美しい方だ。
完璧な所作。貴族令嬢の鑑のような方。
「カザリーン様!」
わたくしは思わず声を上げた。
兄皇太子アレクシスの妃。そして、わたくしが幼い頃憧れていた女性だった。
◇◇◇
十年前、わたくしは母と後宮の片隅でひっそりと暮らしていた。
すでに皇后は亡くなっており、後宮は他の皇妃たちのやりたい放題だったのだ。
帝国の伯爵令嬢だった母の立場は弱く、皇妃たちに虐められていたらしい。腹違いの兄弟姉妹はわたくしに時々ちょっかいをかけていたらしいが、母や裏で暗躍していた父が守ってくれた。
唯一アレクシスお兄様だけがわたくしを可愛がってくれて、その幼なじみであるカザリーン様もまたわたくしとよく遊んでくれた。
カザリーン様は貴族令嬢の理想そのものだった。
優雅な立ち居振る舞い。上品で完璧な所作。美しい容姿に賢さ。誰に対しても親切で優しい。
まさに貴族令嬢の鑑。
幼い頃のわたくしはカザリーン様のようになりたいと本気で思っていた。
「お久しぶりですね、セシリア様」
カザリーン様が微笑む。
変わらない優しい微笑みが懐かしい。
「お会いしたかったです、カザリーン様」
「ええ。わたくしもです。貴女が義妹になって嬉しいわ」
「お義姉様とお呼びしてもよろしくて?」
「ええ。もちろんよ」
嬉しい! 憧れだったカザリーン様をお義姉様と呼べる日が来るなんて!
「ところでセシリア様」
「はい」
「今度、虎狩りに行きませんか?」
「はい?」
聞き間違えだろうか? 虎狩りと言った気がするが……。
「外遊の帰りに大型の虎が出ましたの。しかも白い虎です! 珍しくて狩ってきたのですよ」
カザリーン様は楽しそうに語る。
「お義姉様が狩ったわけではないですよね?」
「いいえ。わたくしが自ら狩りました」
「皇太子妃が自ら?」
「ええ。狩りは趣味なのです」
貴族令嬢の鑑のようなお義姉様の趣味が狩り? 虎を単独で狩った? え? え?
意味が分からない!?
「ちなみに」
なおもカザリーン様は話を続ける。
「今年の武術大会で三連覇しました」
「武術大会?」
「近衛騎士団主催の武術大会です」
はい? 皇太子妃が近衛騎士相手に三連覇?
わたくしは頭が混乱した。
「ええと……わたくしの知っているカザリーン様はもっとこう……」
「淑女らしい?」
「はい」
カザリーン様は腕を組んで考える。
しばらくすると、真顔で答えた。
「淑女ですよ」
優雅ににっこりと微笑む。いや! 淑女らしいけれども!!
「カザリーン」
遅れて出迎えに現れたアレクシスお兄様が苦笑する。
「セシリアに会えて嬉しいのは分かるが、いきなり虎狩りに誘わないでくれ」
「ダメでしょうか?」
「普通はダメだろう」
さすがは常識人のお兄様だわ。ありがとう。
だが、次の瞬間。
「まずはうさぎ狩りからだろう」
違う! そういうことじゃない!!
唯一まともだと思っていたアレクシスお兄様がまともでなかった?
「大丈夫だよ、セシル」
リュシオンがわたくしの肩をそっと抱く。
「リュシオン」
「狩りに行く時は僕が全力で守るから」
狩りに行く前提かい!
確かにリュシオンは全力で守ってくれるかもしれない。腐っても公爵家の当主なので武術は嗜んでいる。ああ見えて武術の腕は相当なものだ。
しかし、そういうことではない!
どうしてわたくしの周りには人の話を聞かない人しかいないのだろう?
そっとわたくしはため息を吐いた。




