第六回 パクリとオマージュ【オマージュ】
この回では鳥山明先生の「ドラゴンボール」のワンシーンに意図して似せられた文章があります。
パクリとオマージュ最終回はオマージュについてです。
【オマージュってなんぞ?】
オマージュと言う言葉を聞いたことない人もいるかもしれません。
うぃき先生やらのご意見をまとめますと「尊敬する作家や芸術家の創作物に影響を受けて似たような作品を作る」ことです。リスペクトと言い換えることもできるそうですね。
ぶっちゃけ、「なろう」上の作品で、「乙女ゲーの悪役ヒロインに転生」「異世界勇者召喚」「神様のミスで死亡したからお詫びに異世界トリップ」「転生して内政チート」などなどの設定を使っていたらオマージュと言われてもしょうがないかも。と思っています。
ですが、私の中ではそれらはオマージュに含まれていません。
だって、根幹の設定は似ていても展開や行動などが違う……違うよな。違うと思う。からです。
オマージュと言うよりも、言い方は悪いですが「コピー品」と言った方が近いと個人的には思います。
【じゃあ、お前の言うオマージュってどんなもんだよ】
私の考える「コピー品」でも「パクリ」でもない「オマージュ」は、〈意図的に同じシーンやそのシーンを連想させるシーンを多く描くこと〉です。
具体的に言うと、物語の最終話で「世界中の人から魔力を分けてもらって放つ必殺技で魔王をやっつける」ことなどですね。一言で言うとわかりにくいかもしれませんが、鳥山明先生のドラゴンボールの最後で元気玉を使うシーンを連想させるわけです。
さらに具体的に行きます。
《設定:神様に頼まれて魔王を倒すために異世界に来た主人公の豪が魔王と戦うラストシーン》
人物
神
豪(主人公)
ベジーン(中盤は敵、ライバル的だが途中から仲間として戦うようになる)
ルシファー(王国に選ばれた勇者だが、弱い)
☆
「さすがに……魔王は強いな」
豪は額から血を流しながらつぶやいた。
満身創痍、体中を見ても傷ついていない場所などどこにもない。
「豪、魔集玉を使え」
「ベジーン……だけど、あれを使うには時間がかかる。それにここからじゃ誰の魔力も集められない」
「時間は俺が稼ぐ。それに集める魔力は……おい! 神よ、お前も聞いてるんだろう」
『やれやれ、魔族のおぬしにまで気づかれておったか』
「か、神様!? あんた、見てたのかよ」
「今はそんなことどうでもいい。お前ならこの世界の人間全員に声を届かせることができるだろう?」
『ま、神じゃからな。いいじゃろう』
「よし。さぁ、豪。準備しろ」
「わかった」
豪は杖を構えて魔集玉を放つ準備を始めた。
『この声が聞こえるか? 人間どもよ。聞こえたなら魔力を空に向かって放て』
ベジーンの声は神の力で世界中の人々の耳に響いた。しかし、人々は魔王の策略であろうと誰一人としてその指示に従おうとはしない。
『お前らぁぁぁ! このルシファー様の願いでも聞けぬと言うのか!』
豪やベジーンたちの思いもよらぬところからその声は発せられた。
魔王と戦っている場にいながら隅で隠れていたルシファーがいつの間にやらすぐそばまで近づいてきていたのだ。
「る、ルシファー」
「おまえ……」
「はは、むなしい名声でもないよりはマシだろ?」
人々は勇者であるルシファーの声を聴き、これが世界を救うのに必要なことだと理解したのか我先にと魔力を放った。
「きた、きた、きたぞ!」
魔集玉は世界中の人々の魔力を集め恐るべき大きさになった。魔王を倒すのに十分な威力になるだろうことはその場にいる誰もがそこから発せられる圧倒的な魔力によって思い知らされていた。
「あばよ、魔王」
豪はそう口にして魔集玉を放った。
☆
とまぁ、こんな感じです。
何も言わずにこの話を読めば、誰もがドラゴンボールのパクリだと思うことでしょう。ですが、どこにもドラゴンボールと関係のある言葉は出ていませんし、人物も使う技も違います。
今回は説明するためにわかりやすく似せて書いていますが、少し手を加えればもうちょっと『元の作品がわかりにくいけど、似ている』レベルまで持っていくことは可能ですし、やってることは同じなのに元の作品がわからないようにすることも可能です。
ですが、あえてそうしないことが「盗作」ではなく「オマージュ」であると私は考えます。
個人的には上記の例はオマージュでも似すぎだと思いますが、オマージュであるならば似すぎという評価は悪いものではなく、まったく似ていないという方が問題かもしれません。
とどのつまり、読者が「これって、あの作品のあのシーンじゃないのか?」とわかるぐらいに似せる、もしくは連想できるように書くことが私の考える「オマージュ」です。
ただし、既存の作品のオマージュだからとその作品がオマージュした作品をただ書き直しただけの作品であっては何の面白味もありません。
【面白いオマージュってどうするの?】
既存の作品をそのままコピーするのはオマージュと言えるものではないと思います。それは、ただの開き直った盗作です。
あくまでも展開やシーンの”一部”で真似るわけです。
具体的に言うと、前述したドラゴンボールをオマージュした具体例のようにラストシーンは真似る。ベジーンやルシファーと初めて出会うシーンも真似る。でも、そこに至るまでの経緯やそれ以外の話は全くの別物として描くわけです。
具体的に言うと
☆
神様と出会い異世界にトリップ
冒険
盗賊退治
迷宮探索
四天王その1と戦う
ベジーンと出会い戦う(オマージュ)
冒険
四天王その2と戦う際にルシファーとトラブルになる(オマージュ)
とある王国の王位継承問題に巻き込まれる
ベジーンと再会、敵意を持たれたままだけど一緒に冒険
四天王その3と戦う
迷宮探索
とある国の王女誘拐事件に巻き込まれる
四天王その4と戦う
ベジーンと和解
魔王と戦う
ラストシーン(オマージュ)
☆
と、こんな具合にオマージュとオリジナルを混ぜるわけです。
重ねて言いますが、全部オマージュやオマージュが大半で時々オリジナルが気持ち混ざっている程度では、盗作と同じです。
当然、大きくオマージュする回で元ネタとの整合性を取るために登場するだろう道具や会話の複線などはこの限りではありません。
【オマージュとネタってどう違うのよ?】
別作品のアイディアを使うという部分では同じですが、オマージュとネタは違います。
《第五回 パクリとオマージュ【ネタ】》とここまでの文章を読んでいただければお分かりいただけるかと思いますが、笑いの種にするのが「ネタ」であり、話の展開を似せるのが「オマージュ」だと私は考えています。
【読んだ小説の展開使おう。盗作って言われたらオマージュって言えばいいし】
こんな考えで小説書いてる人がいたら、個人的には殺意を覚えますが、そう考える人もいるという前提で話します。
ネタやオマージュはあくまでも既存の作品を書いている人の善意を当てに(もしくは実際に許諾を得て)書かれるものです。
身勝手な考えで書いてそう言った善意などを踏みにじる行為は絶対に許されるものではありません。
ネタは悪意を持って用いるとしても一言二言ぐらいの文章でしか使われないので、そこまで大きく影響しませんし、わかり辛いですが、オマージュは盗作と混同されることも多く、あまり積極的に用いたくないと考える人も多いです。
ならばオマージュ作品は最初に開き直ればいいと思います。
具体的に言えば、「この作品は○○という作品のオマージュ作品です(もしくはオマージュしたシーンが多いです)」と前書きなどに但し書きを入れるわけです。
そうすれば、似たシーンがあっても読者もわかってくれます。
ただし、前述したとおり、1から10まで元の作品と同じではオマージュではなく、盗作と違いがないのでくれぐれも注意してください。
オマージュがリスペクトとしばしば同義と言われるのは、自分が見た作品を尊敬して真似るからであり、悪意を持って盗作した作品をそれらの作品と同じだと言ってはいけません。
オマージュは意図的に既存の作品を真似る作品ではありますが、同時にオリジナルの作品でなければならないと思っています。
個人的には、似せ方や話の展開によって違いはありますが、一般的なレベルでオマージュと言えば、1割から多くても4割ぐらいのシーンを似せるのが理想かと。
読者側も既存の作品と似ているシーンなどを見てすぐに盗作だと判断する前に、その作品全体を見てから判断してくれるよう願います。