第九話 楽しい訓練
ねぇ後で曇らせるよ
特に説明もなく引き連れられて入った塔の一層。
霧に包まれた森の中で、“俺”は見た目だけなら年下の少女に、木へ叩きつけられていた。
「ぐぇ」
喉から変な音が出るが、恥じるにはもう叩きつけられすぎたし、声も出しすぎた気がする。
「はい、もう一回」
身体に魔力を通して、マシロに向けて拳を突き出す。
どうやってか肘で受け流され、そのまま顔面に肘を叩き込まれた。
視界が塞がれて真っ暗になったところへ前蹴りまで食らい、再び木に叩きつけられる。
心なしか、受け身は上手くなった気がする。
「ちょっとタンマ! なんでこんなことになったか、説明責任を果たしてください!!」
記者会見のヤジのようなことを言っていると、
「君はパーティーで行動するんでしょ? 正体を明かすわけにいかない以上は、明かさなくて良いように強くならないとね」
言いたいことは分かる。
言いたいことは分かるけど。
「もっと早く説明してくれよ……」
「……ごめんね?」
片目を瞑って、あざとく舌を出して謝ってくる。
正直、火に油である。
「本気で行っていいんだろ?」
一発くらいはぶん殴りたい。
絵面は確実に不味いが、やっぱりビンタくらいにする方がいいかもしれない。
……それも不味いか。
「気にしなくても大丈夫だよ。君じゃ無理だし。魔術はアリで……あ、もちろん再生頼りはダメだよ?」
悲しい評価に涙を堪えながら、まずは観察する。
距離は目測で五メートルちょっと。
相手は無手だが、先程その細腕に軽々と投げられたことを考えると、あまり近づきたくはない。
ならばと両手を合わせ、水流を押し出す。
水魔術でマシロ目掛けて、ウォーターカッターの要領で水を放つが、身体を軽く傾けるだけで避けられる。
だが、そこで終わらせない。
照準を上へ向け、マシロの頭上にある木の枝を両断する。
枝が落ちるのが先か、“俺”が接近するのが先か。
勢いよく駆け出そうとした瞬間、視界の中心に黒い何かが飛び込んできた。
マシロに視線を向けたまま、飛んできた黒い物体を避ける。
「ッ……!」
マシロがやったことはシンプルだった。
落ちてきた枝へ跳び上がり、空中で半回転。
そのまま枝を蹴り飛ばしてきただけだ。
そう理解するより早く、避けた先で無防備になった片腕を掴まれる。
咄嗟に振り払おうとするが、びくともしない。
踏ん張ろうと身構えた瞬間、ガクンと急に“俺”の膝が曲がり、体勢を崩した。
背後を見ると、土魔術で作られた小さな石柱が生えており、“俺”の両膝を強制的に曲げている。
しまった、と考えるより早く、マシロは移動の勢いを殺さないまま“俺”の腕を握り続け、そのまま力を込めた。
ちょうど武器でも振るうかのように、“俺”の身体を持ち上げて地面へ叩きつける。
驚愕を示す間もなく眼前へ地面が迫り、凄まじい衝撃と共に身体が跳ねた。
「手加減とか……なさらないんですか……?」
顔についた土と血を水魔術で洗いながら、不平を言ってみる。
「どうせ治るんだし、慣れておいた方がいいよ」
鼻から落ちたせいで、骨が折れた気がしないでもない。
すぐ治るとはいえ、気持ちの良いものではない。
「叩きつけられた地面、すごく硬かったんだけど……あれも魔術?」
この層の地面は少しぬかるんでいて、多少は柔らかかったはずだ。
「そうだよ。土魔術だね。ただ単に接地してる場所を硬くする。それだけだけど、投げ技と組み合わせるとあぁなるんだ」
一度言葉を区切り、
「無属性魔術でも、効率は悪いし時間も短いけど似たようなことはできるよ。まず君が覚えるべきは、魔術を使った戦い方だね……君の適性はなんだい?」
何回も投げる前に聞いて欲しかった。
「水だけだよ」
「水だけか……珍しいといえば珍しいね。水魔術は良いよ。傷も治せるし、多少再生してても不思議には思われないはずさ」
それはなんともありがたい限りだ。
何の説明もないせいで、釈然としない部分は多いが。
魔術の属性は五つ。
火、水、風、土、そして無属性。
前の四つには人によって適性があり、自然に存在するものを操ることもできれば、魔力から直接生み出すこともできる。
……火で氷、水で治癒、風で電気、土で重力まで扱えるらしいので、名前だけ見ても何ができるのかは正直よく分からない。
モーブが使っていた氷塊も火魔術だ。
火というより『温度』を操る魔術、と考えた方が近いらしい。
そして無属性だけは、適性に関係なく誰でも使える。
「ところで、なんで対人訓練やってるの……?」
人と戦う予定などないのだが。
それに、戦いたくない。
「野盗とかさ。それに対人戦は魔獣より考慮するところが多いからね。模擬戦もし放題だし。例えば、相手の次の攻撃を考える癖がついたりね」
人間を放り投げる方法が役に立つ瞬間など、一生来てほしくはない。
だが、あらゆる面での経験者に必要と言われれば、閉口するしかない。
「剣よりかはいい……のか……?」
投げる方が斬るよりはマシな気がしてくる。
非殺傷技だし、流石に人を斬る勇気など存在しない。
選べるならやりたくない。
とはいえ、そうも言っていられない世界だが。
「まぁ、よろしくお願いします。マシロ先生」
できることが多い方が、生き残る確率は上がるかもしれない。
対魔獣にも通じるところがあるかもしれないし。
「では、気を取り直して」
マシロはわざとらしく咳払いをして、指で三を示す。
「さっきの模擬戦での問題点が三つほどあります。なんでしょうか?」
メガネをクイッと上げる擬音でも鳴りそうな仕草で若干腹立たしいが、放置する。
「……木を蹴り飛ばされることを考えてなかったこと?」
あそこから綺麗に崩された気がする。
「それが一つ。もう一つは?」
「避けた先のことを考えてなかった?」
露骨に嬉しそうな拍手喝采が起こる。
表情は変わっていないが。
「今回の生徒は優秀なようですね……ッ!」
オヨヨヨ、と口で言いながら涙を拭う仕草をしてくる。
「……もう一つは?」
「これは初期の転生者全般に言えることだけどね。もうちょっと立体的に戦った方がいい」
「立体的とな……?」
立体的と言われても、いまいちピンとこない。
「今の君は、蜘蛛男がスイングせずに戦ってるみたいなものだよ」
蜘蛛男というと、赤と青の全身タイツを着た、親しい人を失いがちなヒーローだろうか。
「元の世界のイメージのせいで掴みにくいかもしれないけどね。例えば――」
そう言うと、マシロはその場で軽くジャンプした。
たったそれだけで、三メートルほどの高さにある木の枝へ飛び乗る。
「これくらいはできるわけだよ」
「凄い違和感あるな」
物理法則どうなってんだ、とかは言っても仕方ない。
しかし、華奢な少女が少し跳ねただけで、身長以上の高さにある木の枝へ乗る光景は奇妙だ。
「とりあえず上がっておいで」
言われた通り身体に魔力を通してジャンプしてみるが、思うように動かない。
「イメージするんだ……常に最強の自分を……」
上からぶつぶつ聞こえてくるマシロの戯言を無視し、数回跳ねていると、大体の感覚を掴めてくる。
“僕”の記憶のおかげだろう。
視点が急激に動く気持ち悪さと浮遊感を少し楽しみながら、マシロの隣へ着地しようとする。
――ボキッ。
嫌な音と共に枝が折れ、地面へ落下した。
「痛ッ……」
痛い、で済んでいるだけマシな気はするが、今は足を見たくない。
変な方向に曲がっている気がする。
「なんで折れたんだ……」
体重が重すぎた可能性は……多分ない。
「足に魔力込めすぎだよ」
あと、落下した時は魔力込めなさすぎ。
そうボソリと言いながら、マシロは手を伸ばしてくる。
「そっちは平気そうだな……」
差し出された手を握り返す。
無様な格好ではないとはいえ、マシロも足から着地したはずなのに、何事もなかったように振る舞っている。
練度か。
これが練度の差なのか。
「魔力込めると、なんで枝が折れるんだ?」
「魔力を込めると物は重くなるからね……鉄の塊が枝に落ちた感じだよ。こっちの身体の記憶があるでしょ?」
思い出すために“僕”の記憶を探る。
無属性は誰でも使える代わりに、使いこなすのは難しい。
身体や武器に魔力を通して強化するのも、その基本的な使い方の一つだ。
木の棒でも鉄の剣を弾ける。
子供でも大男を吹き飛ばせる。
……ついでに、自分では重く感じなくても、ぶつかった相手や足場にはその重さがちゃんと乗る、とも。
……確かにある。
子供でも知っている、この世界の常識だった。
「あります……ね?」
マシロはにっこりと笑うと、あっさり手を離した。
起き上がるため、繋いだ手に体重をかけていた“俺”は、もう一度地面へ倒れ込む。
「マシロ、そろそろ時間だ」
抗議しようと顔を向けた、その視界の端。
木の陰から人影が出てきた。
倒れ込んでいる“俺”を冷たい視線で一瞥してから、マシロの方をじっと見つめる。
肩ほどまで伸ばした藍色の髪。
右目の泣きぼくろが特徴的な男性。
マゾヒストなら、穴が開くような凝視に大喜びで咽び泣くのだろうが、生憎そういう趣味はない。
「あぁ、もう時間かな。ヴィル、そこに転がってるのが例のアル君だよ」
「なるほど。あそこに無様に転がっているのが、か」
悪意ある意訳と共に、探るような視線を隠す気もなくジロジロと向けてくる。
現在進行形で無様なのは認めるが、言われっぱなしは性に合わない。
ニヤリと含みのある笑みを精一杯浮かべ、ゆっくりと立ち上がる。
「フッ……君があのヴィルか。よろしくな」
握手しようと手を伸ばすが、マシロに触れた時のことを思い出し、やっぱり引っ込める。
あと、泥だらけだし。
傍から見れば、手を出したり引っ込めたりしている奴になっている。
つまり、ヤバい奴だ。
心なしか、二人の冷ややかな視線のレベルが一段階上がった気がする。
だが、キメ顔+上から目線のダブルコンボ。
先程まで地面を舐めていた人物とは思えない発言に、若干ヴィル……と呼ばれた男も気圧されている。
……いや、引いているだけかもしれない。
不安げというより怪訝な顔で、ヴィルはマシロの方を見る。
マシロも若干ぎこちなく頷くのを見ると、ヴィルは溜息を吐いた。
「名前はさっき聞いた通り。こっちのマシロの従者兼、転生者のヴィルだ。よろしくはしないが、一回で覚えろ」
「……アルです」
転生者って挨拶で言うものなんだ、と思ったが、“俺”の名前を教えるとアイリーン達の前でも言われてしまうかもしれない。
“僕”の名前で統一するしかない。
「先に言っておくが、お前と仲良くするつもりはない」
にべもない返事と態度で拒絶してくる。
こういう手合いとの対人経験があまりないので、悲しいなどと思う前に反応に困る。
「まぁ、程々に仲良くしてね」
マシロが口を挟むと、ヴィルは困ったような、怒ったような表情を浮かべ、手をこちらへ差し出してくる。
友好の握手のつもりなのだろうか。
……触れたくなかった。
変に能力を使われるかもしれない。
いつまでも握らない“俺”に催促するように、ヴィルがギロリと“俺”の手を見る。
「……ごめん。普通に握手はしないけど?」
差し出されていた手が拳へ変わり、頬へ迫る。
咄嗟に左手で庇った。
それでも勢いを殺しきれず、後ろへ仰け反る。
「暴力反対!」
鋭く抗議の声を上げるが、二人の表情は冷たい。
マシロは笑っているが、ヴィルは怒っているというより呆れている。
「今のは君の方が悪い気がするけどね。どうせ君達、殴り合えば仲良くなるでしょ」
雑なフィーリングから繰り出される適当な発言に文句を言おうとする。
だが、主人の許しは出たと言わんばかりに放たれたヴィルのローキックに阻止された。
それを避けながら叫ぶ。
「絶対! あいつ! 楽しんでるぞ!」
邪魔にならないよう、少し離れたところから見ているマシロへ視線を向ける。
「でも君、魔力の使い方上手くなってるよ。意識が身体に追いついてきたって感じだね」
確かに、言われてみれば身体を流れる魔力をよく意識できている気がする。
自分でも驚くほどの反応だった。
でなければ、さっきのパンチは受けられなかったはずだ。
「でも! 他に方法あるだろぉぉぉ!」
抗議の声は静かな森に響いたが、二人の心には響かなかった。




