第六話 異質の少女
“俺”が丸太に腰をかけると、アイリーンも少し距離を空けて座る。
「…」
「……」
少し気まずい時間が流れる。
人との間にあまり沈黙を作りたくないが、こういう時にどう話せば良いのか……分からない。
視線を落とすと、“俺”が水魔術で出した水に“僕”の顔が反射していて、咄嗟に目を逸らす。
変に怪しまれないためにも、気の利いた話題を振るのが正解なのだろうが、生憎と“僕”の記憶を探っても話題の種など出てこない。
“俺”もある程度は初対面の人と世間話ができるつもりだったが、状況が状況で、相手が相手である。
どう話せば……というどころか、どう接すれば良いのかすら未だ不明だ。
「アル、怪我は治した?」
ご本人様は特に気にしていないようで、沈黙を破って切り出してくる。
これ幸いと、“俺”もその話題に乗っかってみる。
「大丈夫だよ……前から心配しすぎ」
冗談めかして少し笑って返すが、アイリーンの表情は晴れない。
むしろ、何か言いづらいことがあるように険しい表情をしている。
「……言い難いけど、雰囲気変わった?」
背筋にゾッとしたものが走る。
魔力枯渇による虚脱感とはまた違う、怖気。
「どういう所が変わった?」
少し声が上擦っているのを感じたが、内容によってはかなり不味い。
さりげなく聞き出さなければならない。
「いや、少しだけ……落ち着いた?」
漠然とした内容で、安心はし難い。
だが、少なくとも悪い意味ではなさそうか。
“俺”が難しい顔をしているのを見て勘違いしたのか、アイリーンは焦ったように付け加える。
「何ていうか……前は、焦ってた?」
焦ってた、と言われても、さっき絶賛焦っていたのだが、“僕”の記憶にも思い当たるものはない。
表に出るほど常に焦るような要素はないように感じる。
「前は、塔に登ることに取り憑かれてた……?」
本人も感覚的な部分で、上手く言語化できていないのだろう。
しかし、“僕”の記憶にそんな部分はなかったはずだ。
もう一度、“僕”の記憶を探る。
そして一部だけ、どうしても霞がかったように不自然に思い出せない場所があることに気がつく。
“俺”が“僕”を乗っ取った時、頭から血が出ていた。
木に頭をぶつけて記憶が一部飛んだのかもしれないが、考えても分からない。
“俺”の知らない、“僕”のことがあるようだ。
「塔を登るのって、もしかして……やっぱりあの子達のせい?」
おずおずと地雷原に飛び込むような悲壮感のある表情を浮かべ、再び“俺”の知らない記憶について聞いてくる。
しかし、相応に不味い。
アイリーンには多少なりとも、塔を登る理由に思い当たる節があるらしい。
でも“俺”にはない。
違うとも、覚えていないとも言えるわけがない。
「……うん」
確か、楽園があるとか、塔の最上階に辿り着いた者の願いを何でも叶える……とかだったはずだ。
行けるものなら行きたいが、不確定なそれに命までは賭けられない。
だが、“僕”にはそれだけの理由があったのか。
あの子達とは何なのか。
「……そう」
どことなく暗い表情を見せて、アイリーンは顔を伏せる。
その話を掘り下げるのは、間違いなく藪蛇だ。
触らぬ神に祟りなし。
そう思い知らされた“俺”は、出そうとした言葉を飲み込んだ。
沈黙が重く森を満たす。
蠅魔獣のせいで少しだけ風通しが良くなった場所で、風が木々を揺らす音だけが森に響いている。
その沈黙は、モーブが埋葬を終えたと告げるまで続いた。
「まだ少し身体は重いけど……歩くくらいなら。でも、魔術は無理かも」
魔力を回復する謎の薬など存在しない。
休むしかないのだ。
「……今日はもう帰ろう」
先ほどの気まずさを振り切ろうと、明るさを装う彼女の声がどこか不自然に響いた。
ただ、そこに込められた決意ははっきりと伝わってくる。
“俺”も同じ思いだった。
産卵する蠅魔獣。
一匹でも恐怖だったが、複数となれば……想像しただけで背筋が凍る。
ここに留まることの危険さを、三人とも理解している。
魔力切れの“俺”は間違いなく足手纏いだ。
それに、普通は感知できない透明な小蠅がいるかもしれない。
そんな空間で安息などありはしない。
「そうだな」
「分かった」
二人も同じ不安を共有し、静かに頷く。
あの忌まわしい翅を千切った時の生々しい感覚が脳裏に蘇り、魔力切れの身体にさらなる重苦しさがのしかかる。
「誰かいる?」
アイリーンが指先で森を指しながら呟く。
無言の圧が辺りに漂う。
登塔家同士、あえて顔を合わせぬ暗黙の掟がある。
外街という、ほぼスラムで培われた残酷な倫理観は今も生きている。
殺される前に殺す。
信じられぬ者は殺す。
だから、まともな登塔家ほど他のパーティーと距離を置くのだ。
一層では物資を奪い合い、無意味な殺し合いが頻発する時期もあったらしい。
いや、今もないとは言えないかもしれない。
不用意な接近は命取りになる。
塔の内部で人を殺しても、知らぬ存ぜぬで通す――通せることも少なくない。
そういう意味では、蠅魔獣に会うまでの先程の“俺”達の動きは、あまりにも不用心だった。
……それでも、注意くらいはできるし、さっきの“俺”達の行動は人間としては正しかったはずだ。
階段へ向かい、“俺”の歩調に合わせてゆっくりと進む。
数十メートルの距離を詰めた先に、蠅魔獣の残虐な痕跡があった。
埋葬したと聞いていた通り、肉片は一切見当たらない。
だが、新たに掘られた土と乾ききった血痕が、その凄惨さを物語る。
三人の視線が一瞬交錯する。
ここで退くのは危険だ。
犯人が戻ってきたとでも思われれば、面倒な事態は必至だ。
登塔家達が死んだ現場から立ち去る三人の姿を見られ、警察……都市防衛隊にでも通報されると不味い。
せめて事情くらいは話してみるべきだろう。
他にも蠅魔獣がいるかもしれない…注意喚起くらいはできるはずだ。
「二人はここで隠れてて。“僕”が見てくるから」
魔力が尽きた“俺”は、もし戦いになってもあまり役には立たない。
二人の無言の制止を振り切って、歩みを進める。
「ちょっと、そこの人!」
血溜まりの中にしゃがみ込み、何かをしている人影に向かって、まず声をかける。
敵じゃありませんよ、とアピールするために両手を頭の横まで上げ、血溜まりの近くまで姿を見せる。
武器も捨ててくるべきだったかもしれない。
横目で周囲を窺うが、二人はしっかりと木陰に隠れているようだ。
何人かで来たのかと思ったが、そこにいたのは一人だけだった。
周囲の赤い雰囲気とは打って変わって、全身を白を基調とした服で包んだ少女。
アルビノ……と言うのか。
病的なまでに肌が白く、肩にかかるくらいまで伸ばした髪も、これまた白い。
見える全身が白一色。
その中で、左右で色の違う目だけが色を持っている。
右は青く澄んだ海に光が差し込んだような水色で、左は水面に反射した月の色のような、透き通った黄金色をしている。
幼い雰囲気の残る白い少女はおもむろに立ち上がると、水と金の色をした目をこちらに向け、片手を挙げた。
「やぁ、初めまして」
年相応の声色で、血溜まりの中には不相応な気さくな挨拶をしてくる。
蠅魔獣がやったと知らなければ、血溜まりを作った犯人ではないかと疑っただろう。
それくらい不自然で、それ故に不気味だった。
「あれ? 初めまして? 聞こえてる?」
その場違いさに思わず放心していると、少女は困ったような表情を浮かべている。
突然話しかけてきた相手に挨拶を返して、無視されたらそうなるか。
「はじ……めまして」
雰囲気に引きずられて、“俺”も普通に返してしまう。
完全に場の雰囲気と、目の前の少女に呑まれていた。
「うん。挨拶は良いことだね。ところで、君達はここら辺で新種の魔獣を見てないかい?」
世間話でもするように首を傾げ、気軽に話を切り出してくる。
新種の魔獣……蠅魔獣のことだろうか。
「……“僕”はみ、見ました」
この少女は君“達”と言ったのだ。
バレているのか、あるいは誘導尋問か。
“俺”は咄嗟に一人だ、と嘘を吐く。
少女はこちらのくだらない内心を見透かしたかのように少し目を細めて、
「こんな所だし、警戒するのも無理はないね。まずは自己紹介からかな」
こちらの四苦八苦を意図的にか無視して、自己紹介を始める。
「私は……そうだね。マシロとでも呼んでくれたまえ」
考え込んだ末、尊大な態度で明らかに偽名らしき名前を平然と口にする。
「“僕”はアルです」
変に突っ込んでも仕方ないと、“俺”もある意味偽名を口に出す。
「それで、えっと……マシロさんはここで何を?」
いつの間にか掴まれていた会話の主導権をこちらに引き戻そうと、質問を返す。
「新種の魔獣が出たって聞いてね。たまたま非番だった都市防衛隊の私が駆り出されたのだよ。ブラック企業だと思わないかい?」
隠す気もなく、少し面倒そうに自身の役職と目的を明かす。
この惨状と関係があるのかないのかは不明だが、どうやら蠅魔獣から逃げ切れた人間がいたらしい。
そのまま都市防衛隊に通報したということか。
しかし、そんなことより言葉として引っかかる。
『ブラック企業』と言ったのだ。
こっちの言葉にしては、何とも違和感のある響き。
“僕”の脳が、“俺”にとって一番分かりやすい知っている言葉に変換しているのか。
「ぶらっくきぎょう?」
真偽が不明な言葉に賛成することはない。
“俺”を転生者だと疑われているわけではないにしろ、都市防衛隊ともなれば、日常会話で炙り出そうとするようなこともあるのかもしれない。
あるいは、この少女も転生者か……。
だが、流石にここで自己紹介はできない。
彼女の言う都市防衛隊が事実なら、指名手配犯が警察も犯罪者であることを期待して警察署に行くようなものだ。
「ん? あぁ……そうだね。過重労働・違法労働を強いてくる仕事? 場? かな?」
本人にその気があったのか判別できない、惚けた態度で言葉の説明をしてくる。
「そういう意味でしたら、そうみたいですね……都市防衛隊の方もご苦労様です」
いや、早く本題に戻れとは少し思いながら、話を強引に戻す。
「で、恐らくですけど、新種の魔獣は“僕”が討伐しました」
それを聞くと、ほう、と感心した様子で少女は頷く。
一々仕草が劇っぽいというか、芝居がかっている。
「それはそれは……私の仕事を先に終わらせてくれてありがとう……なのかな?」
やけに表情がコロコロと変わる。
面倒くさそうな顔から、感謝するような顔に。
血溜まりの中で百面相を繰り広げている。
「うん。とはいえ、一応見回らないわけにはいかないのだけれどね。それでは皆様方、ご機嫌よう」
やれやれと、血で固まった地面から服に血がつかないよう気をつけながら立ち去っていった。
マシロと名乗った少女が立ち去ってから少しすると、アイリーンとモーブが木陰から出てくる。
「……あの人、なんだったの?」
不気味な雰囲気だったが、総評すると不審者だろうか。
都市防衛隊かどうかも微妙な範疇だ。
「都市防衛隊の人だってさ」
説明が難しいので、自称していた職業を二人に伝える。
二人はとりあえず納得したような様子を見せた。
「まぁ、もう会うこともないよ」
都市防衛隊などは、内街のエリート集団である。
外街出身の登塔家に対抗するため、対魔獣だけでなく対人もこなすらしいとは専らの噂。
登塔家がフリーランスの使い捨ての傭兵だとしたら、都市防衛隊は厳格な軍隊か警察といったところか。
“僕”達のようなしがない登塔家にとっては、雲の上の住人……と言わないまでも、明確な差がある。
“僕”のスピードに合わせてノロノロではあるが、三人で階段を降りていった。
そんな考えがフラグだったのだろうか。
「やぁ、こんにちは」
太陽光の全てを反射しそうな、目が痛くなるほど明るい白い長袖のワンピースを着た少女。
右の水色と左の黄金色の目だけが色を主張している、呼んでもいない客人を目の前に迎える。
塔から帰った、次の日の昼頃のこと。
たった一日という短い登塔ではあったが、安静を取って休みになったため、“僕”の部屋にある本を読み漁っていた。
そんな時のことだった。
「……何の用ですか?」
何故住所を知っているのか、とか。
何か問答を失敗したのか、とか。
疑問はあるが、転生者だとバレていれば気さくに挨拶などしてこないはずだ。
「ん? だって君、転生者でしょ? 挨拶が必要かなと思って」
と、蠅魔獣よりデカい爆弾をぶち込んでくるのだった。




