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第五話 魔獣のくせに

意識が覚醒し、くらくらする頭を押さえる。

一体どれくらい気を失っていたのか分からない。


「痛ッ…」


身体に刺さった木片を掴んで抜くと、強引に肉が生えてくる感覚の後、少しずつ痛みが引いていく。


強烈な既視感を覚える。

“俺”が“僕”の世界で目覚めた時と同じく、木に叩きつけられた後の寝起き。


“俺”という人間は、とことん木に叩きつけられる宿命があるらしい。


周りを見渡すと酷いもので、蛆を中心に直径5mほどの範囲の木々が全て根元から消し飛んでいる。

おそらくは、蛆が爆発したのだ。


「アイリーンは…」


木の影から金髪の少女がチラリと見えた。

蝿魔獣を挟んだ向こう側だ。


「モーブは…」


黒いローブの男も視界に入る。

アイリーンとは別の方向に吹き飛ばされており、“俺”からも遠い。


遠目で見る限り血塗れだが胸は上下しており、息はありそうだ。


蝿魔獣は相変わらず空中で静止している。


蛆は空爆用の生き物のようだ。

相手の能力は、透明の小さい蝿と大爆発するウジがあるらしい。


自爆込みで近づけばどうにかなるかと思うが、相手は10mの高さまで飛んでいるのだ。


ジャンプして届くような距離ではないし、動体視力のせいで飛び道具も当たらないだろう。


しかし相手は蛆を落としてくる。

間違いなく“俺”の手に負える相手じゃない。


転生者には特有の能力があるらしいが、いかんせんその兆しは全くと言っていいほど感じない。


今のところ、高速再生するくらいか。


それも無かったらさっき死んでいそうなのでありがたい。

少なくとも刺殺された“俺”にとっては感慨モノである。


「逃げるか…」


一巡して、結論が最初に戻ってくる。

読み合いも交渉も無駄だろう…命乞いも一考の余地はない。


「……いや無理か」


内街まで逃げられないというのもあるが、単純に二人を置いて逃げるのは心苦しい。


さっき二人は、“俺”じゃない“僕”のつもりとはいえ仲間を置いていかなかった。


仮に置いていくとしたら、それは目の前の蝿魔獣以下の畜生だ。


この世界で“俺”は魔獣判定をされるとしても、そう生きてやる必要も、そのつもりもない。


「……いや方法はあるか」


ほぼ自殺と変わらない方法なら、あるいは…。


魔術も剣も届かないのであれば、命を懸ける他ない。

かなり覚悟を決める必要はある。


「こっちだ!蝿野郎!」


帰るために必要かもしれないと、自分に不必要な言い訳をして、二人に見られないよう離れて森の奥に逃げ出す。


少し離れると、蝿魔獣は木々をへし折りながら、こちらに向かって蛆を落としてくる。


汚い液体音と衝撃音が近くで聞こえたかと思うと、すぐに爆音へ変わる。


“俺”はそれを避けずに、胸にあるという魔石を守るように腕で防ぐ。


しかし虚しい抵抗だと言わんばかりに、“俺”は衝撃を受け、今度は木に当たることなく数メートル転げて地面に押しつけられる。


両腕が炭化し、頭も風通しが良くなってスースーする。

その上、左目でぼんやりとしか見えない。


耳の中では音が鳴り、鼻は奥から微かに焦げた匂いを伝えるだけ。


平衡感覚は致命的に消え失せ、無事な部分が重力を感じているので、ギリギリで下が分かる程度だ。


腹もウェルダンくらいにはなってるだろう。

内臓がぐちゃぐちゃなのを肌で感じる。


普通なら即死コース…そもそも思考などできるわけもない負傷。


しかし“俺”は生きていた。


だが不思議なことに、痛みもそこまでではない。

嫌悪感を覚えるほどの違和感はあるが、それだけだ。


左目だけになった視界を動かして、胸の辺りを見る。


心臓があったはずの場所には、黄金色に薄く光る握り拳ほどの石がある。


「これが魔石か」


本当に化け物になったらしい。


気持ちが悪くて吐き気がするが、口が吹き飛ばされたから吐けそうにない。

どう考えても普通の人なら死んでいる。


だから“俺”は死んだフリをかます。


先程、蝿魔獣は人の死体を喰っていた。

ならばこそ、死ねば喰われるのではないか。


殺すとしても、食べられる所を残すように殺すのではないか。


これが、この作戦とも呼べない思い付きの肝だった。


そして喰われるということは、近づいてくるということだ。


案の定、蝿魔獣はゆっくりと高度を下げてきている。


様子見をやめて、目的が捕食に変わったのだ。


剣はもうない。

爆発でどこかに飛んで行った。


魔石を素手で狙うのは無理だろうから、狙うなら翅周りの筋肉…翅自体は多分触れるとスライスされて終わりそうだ。


地に落とさなければ、まともに戦えない。


ゆっくりと蝿魔獣が近づくにつれ、身体が少しずつ治っているのを感じる。


炭化した腕は、上書きするように新しい腕へ変わっていっている。

身体の下を虫が這い回るような気持ち悪さだ。


蝿魔獣の眼が、“俺”のぐちゃぐちゃになった目と間違いなく合った。


未だ死んでいない“俺”から蝿魔獣も何かを感じ取ったのか、距離を取ろうとする。


だが“俺”は比較的無事だった足で地面を蹴り飛ばし、3mほどの大ジャンプをする。


そして蝿魔獣の右翅付近に、治りかけの腕で抱きつくように掴まる。


昆虫特有のキチン質の感触を気にしないようにして、腕にだけ魔力を込める。


生え変わった腕で右上部の翅を思い切り引っ張ると、ミチミチと嫌な音を立てて肉が裂け、翅を引き千切る。


蝿魔獣が金切り声をあげ、口吻を動かして“俺”の肩に噛み付く。


人の歯が“俺”の身体にめり込むように差し込まれ、視界が真っ赤に染まって脳が揺さぶられる。


肩周りの筋肉を無茶の代償に噛みちぎられ、そのまま思い切り投げ飛ばされる。


だが、その傷の甲斐あってか蝿魔獣は飛べなくなり、地に堕ちた。


投げ飛ばされ、三度目は地面を無造作に転がる。


肺の中の空気が強制的に押し出される感覚。

願わくばこれで最後にしたいものだ。


肩の肉は既に再生を始めており、白い骨を覆い尽くすように肉が広がっていく。


魔石を砕かれないと死なない…という話も眉唾ではないらしい。


だが蝿魔獣にも再生能力がないとは限らないし、蝿魔獣も同じくこの程度では死んでいない。


仕留めるなら今だ。

だが剣がないため、魔石を狙いづらい。


そんなことを考えていると、数mの落下はそれほどダメージになっていないらしく、蝿魔獣は6本の蝿の脚で立ち上がる。


人間の腕をファイティングポーズのように構え、こちらに近づいてくる。


リーチもパワーもスピードも相手が上。


正直、翅を千切ってからはノープランだった。


「アイリーン!モーブ!」


とりあえず二人の名を叫んでみるが、来るのは是非、肩が再生してからにしてほしい。


でも早く来てほしい。


男心の難しさを再確認したところで、蝿魔獣が人間の右腕で殴りかかってくる。


まだ完全には治っていない身体に魔力を通して、無理やり動かす。


相手の腕に合わせて、こちらも右拳を繰り出す。


拳同士が空中でぶつかると、“俺”の右腕が嫌な音を立て、変な方向に折れ曲がる。


腕の骨が飛び出て、ついでに血も噴き出る。


まるで相手にならない。


しかし相手の腕は、“俺”の血が地面に着く前に、勢いを落とすことなくこちらに向かって高速で迫ってくる。


それを“俺”はギリギリでかわそうとするが、避けきれずに身体を掠める。


当たった部位の肉が削れ、身体が紙のように少し吹き飛ばされるが、なんとか致命傷は避ける。


この調子だと、二撃目は避けられたとしても何度も避けられない。


さっき少しでも避けられたのはまぐれだ。


だから意識を身体に集中させ、水魔術を使う。


動かす対象は自身の血。


蝿魔獣の複眼に反応されないように背中で隠しながら、出血した箇所から血を自身の背後へ集める。


狙うなら目。

生物の普遍的弱点。


蝿魔獣の二撃目。


左腕の攻撃に合わせて目の位置までジャンプし、無事な左腕を突き出す。


圧縮した血を蝿魔獣の左目へ勢いよく噴き出し、複眼を覆い隠すように広げる。


噴き出した威力は想定以上だった。


発泡スチロールを擦ったような不愉快な音と共に、蝿魔獣が涎を撒き散らす。


その腕の攻撃は、“俺”の身体すれすれに逸れた。


血で覆った以上、すぐに見えるようにはならないはずだ。


「もう一つも…」


右目も潰そうとするが、蝿魔獣が腕を無茶苦茶に振り回し出す。


蝿魔獣の腕が木々に当たるたびに砕け散り、散弾のように木片が身体を掠める。


その蝿魔獣に向かって、森の影から氷塊が飛んでくる。


氷塊は胴体に当たって粉砕したが、蝿魔獣は怯むように引き下がる。


「おいアル!無事か!」


狙い澄ましたようなタイミングで、モーブ達が駆けつける。


急いで自分の身体を確認する。


服は破け、外套はボロボロの布切れになってはいるが、傷はない。


右腕は感覚がないし動かせないが、表面上は問題なさそうだ。


無事な部分の服を寄せて、服から伝わる負傷の印象を誤魔化す。


「大丈夫?」


アイリーンが端的に心配しながら、“僕”の剣をこちらに投げつけてくる。


「大丈夫だよ。ありがとう」


二人の様子を見るに、動ける程度に傷を治してきたらしい。


蝿魔獣は少し怯んだ様子だったが、翅も目も治る様子は今のところない。


アイリーンが迷う様子を見せずにモーブの方をチラリと見た瞬間、蝿魔獣へ駆け出した。


アイコンタクトで何かを理解したのか。


それに合わせてモーブが地面から氷の槍を生やし、蝿魔獣の腹に突き刺す。


その部位から少しずつ凍り始め、暴れている蝿魔獣のバランスが一瞬崩れる。


その隙を見逃さずに、アイリーンが斜めに蝿魔獣の胴体を薄く斬り込む。


だが魔石に届いていないのか、動きが止まる様子はない。


“俺”もアイリーンがつけた傷口から、胸の辺りに剣を差し込むが手応えがない。


「…!?」


“俺”と同じように、胸の位置に勝手に魔石があると思っていたが、相手は蝿っぽい生き物である。


場所が違っていてもおかしくない。


その間抜けの代償を払わせようと、蝿魔獣の腕が迫ってくる。


だが空中で剣を振った勢いを活かし、アイリーンが思い切りその腕を蹴って逸らす。


蝿魔獣の腕は込められた殺意を証明するように、“俺”に当たることなく地面へ突き刺さり、土と木の根を砕く。


「ありがとう!」


心からの言葉ではあるが、しかし一体どういう筋力をしているのか。


「後に!」


お喋りするほどの余裕はないと、遠回しに叱咤されてしまう。


思考を一旦、自分に戻す。


蝿の心臓の位置なんて、生憎知らない。

“俺”にできることを冷静に考える。


水魔術は治癒と液体の操作。

身体能力は蝿魔獣とは比べるまでもなく貧弱。


一応攻撃は通る…が、防御方面では期待できない。


転生者由来の再生能力はあるが、二人の前で見せられない。

倒したとしても、その後が不味い。


二人が見ている範囲では、極力“僕”としての能力で倒さなければならない。


アイリーンは蛆虫と小蝿爆弾を警戒してか、前に踏み込めていない。


モーブは爆発の射程外から氷塊で攻撃しているが、体勢を崩す程度で有効打に繋がらない。


「蛆虫をどうにかしないとな」


あんなものを近距離で食らえば、即死しないにしろ本体の攻撃を避けられない。


であれば“俺”の役割は、魔石がどこにあるにしろ蛆虫と小蝿爆弾をどうにかすることだろう。


目標は決まった。

後はどうするか、だ。


運に任せて剣を振って斬る?

論外だろう。


そもそも運が良ければ、若くして死んでいないはずだ。


水魔術で湿気らせる…それも期待できない。


そもそも爆発するだけで、生物ではあるのだ。

火薬なんて使われていないだろう。


「いや行けるな」


身体に魔力を通して水魔術を発動させ、発生させた水をそのまま上空へ打ち上げる。


イメージはシャワー。


空中で勢いよくばら撒かれた水は、重力に従って細かい水滴になって落ちてくる。


即ち雨として。


30cmもある小蝿ではあるが、雨は天敵なはずだ。


質量的に叩き落とされないにしろ、透明になれるという強みは多少潰したはずだ。


「っ…」


身体から何かが抜ける感覚と共に、頭がクラクラする。


咄嗟に膝をついて息を吐く。


魔力が限界に近い。


しかしそれとは関係なく、空気が冷えてきた気がする。


咄嗟にモーブを見ると、“俺”の雨に合わせて、さっきと同じく魔術で空気を徐々に冷やしていっているようだ。


雨が雪に変わるほどではないが、確実に少しずつ低下している。


それに比例して、少しずつ蝿魔獣の動きが悪くなる。


アイリーンはその隙を見逃すことなく、蝿魔獣の潰れた左眼の死角を使って、人間のような屈強な左腕を切り飛ばす。


蝿魔獣は小蝿を出そうと腹を蠢かせる。


だが腹から出てきても、翅が濡れているせいか、寒気故に飛べないのか、小蝿は地面に落ちて小さな爆発を起こし、無意味に終わる。


無意味だと悟ったのか、切り刻まれながら一際大きく腹をうねらせたかと思うと、蛆虫が腹から顔を突き出してくる。


「自爆!?」


この距離だと自分ごと巻き込むはずだ。


ましてや翅が片側しかなく、飛べるはずもない。


咄嗟に雨としてばら撒いた水を蝿魔獣の腹へ集め、包む。


先程よりも強い虚脱感に襲われるが、恐怖と焦りで塗り潰す。


全身から血液を抜かれるような寒気を感じる。


これ以上はやばい。


一歩遅れて爆発した蛆虫の爆風が、“俺”の作った水球を消し飛ばすが、剥き出しの爆風よりかは多少マシだ。


アイリーンはその一瞬で、即座に爆発の範囲外へ逃げている。


水である程度防いだこちらはほぼ無事だが、蝿魔獣の腹は悲惨だ。


中身をそのままひっくり返したかと思うほどに損傷しており、自爆の甲斐なく、自傷以外の意味は持っていなかった。


傷口からは、細長い緑色に発光する石が見えている。


将棋であるなら詰み。


腹の損傷故に、直ぐ蛆虫は出せないだろう。


左眼は潰れ、所々脚も欠けている。


人間らしき腕も右腕しか残っておらず、最初の異様な雰囲気は見る影もない。


気温の低下によって上手く動けず、弱点の魔石も“俺”達に場所がバレた。


だがしかし蝿魔獣は、憎しみすら感じる視線と殺意をこちらに向けてきている。


“俺”とアイリーンは同時に蝿魔獣へ向かって駆け出す。


唯一残った右腕を振り上げ、こちらに振ろうとする…が、バランスが取れていないのか、少し前とは打って変わって遅い上に狙いも粗い。


あっさりとアイリーンが攻撃を逸らす。


その隙に“俺”は、魔石が見えた腹へ剣を突き立てる。


身体に剣先が沈み込み、何かを砕く感覚があった。


即座に蝿魔獣の動きが止まり、同時に魔石から何かが“俺”の身体へ流れ込んでくる。


しかし何も起こることはない。

ただナニカが流れ込んだ感覚だけが残っている。


「なんだ今の…?」


身体の調子は先程と変わらないし、力が強くなった気もしない。


蝿魔獣の方を見ると、捻れた角先からゆっくりと、まるで居なかったもののように塵になって消えていき、粉々になった魔石だけが残った。


「よくやったな」


いつの間にか近寄ってきたモーブが肩を叩いて賞賛してくる。


「生きた心地がしないな…」


これからも、こんな戦いを毎回続けなければならないのかと考えると陰鬱になる。


やはり真剣に逃げることを検討するべきかもしれない。


「そうだ…蝿魔獣に殺された人達を埋葬しないと…」


流石にあの状態で放置はあまりに可哀想だ。


元来た道を戻ろうと一歩踏み出すと、身体から力が抜けて膝をつきそうになる。


咄嗟にアイリーンが支えてくれたおかげで、倒れ込まずに済んだが、今にも倒れそうだ。


「アルは良いから休んでて…魔力使いすぎ」


魔力切れの他にも、安堵して腰が抜けたのもあるのだろう。


お言葉に甘えることにする。


「アルがこんな様子だしな。埋葬とかは俺が行ってくる。アイリーンは優しく介抱でもしてな」


手をヒラヒラとバタつかせ、いたずらっぽく笑ったモーブが、先程の血溜まりへ向かって元来た道を引き返す。


「介抱…?」


ピンと来ないという表情を浮かべて、アイリーンは蝿魔獣の爆発によって折れた丸太を横に転がしてきて、座ってろというように指差すのだった。

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