三十七話 ある厨房の出来事(2)
明日からは主人公に戻ります。
ガリガリと無言でパンを齧る音がする。
硬い黒パンは水でふやかさねば硬い。
「水魔術を使えるやついるか…?」
そんな代物を前にモーブがそう言うのも無理なからぬことだった
黒パンを必死に身体強化をしながら齧っていた赤班の女が顔を上げて周囲を見渡す。
「緑班なら使えるよな…?」
緑班の仕事は治療と補給。
それを思い出して黒班の男が顔を上げる。
「…いいか?」
無属性魔術では硬いパン自体は食べられる。
ただそれに付随する口の渇きだけは身体強化では防げない。
「いやっ!来ないで…!!」
「……」
唯一使えそうな緑班の女は自分のパンだけふやかしながら食べている。
「はぁ…」
モーブが溜息をついて厨房の内装を見るが、水が出る設備はない。
ここは厨房ではあるが、水魔術があるせいで、厨房にその手の設備はない。
水自体も搬入されているが、厨房には置かれておらず、倉庫はまた別のところにある。
水を溜める部分と黒い蓋についた容器はあるが、開けてみても空だ。
「多分食糧庫の火災の時に使われちゃったかな…?」
空の容器を見て黒班の男が漏らして黒パンを齧る。
「そろそろ次の話をしようぜ。とりあえずこの場にいるのは人間だろ?なら、外へ出る方法を探そう」
強引に硬いパンを砕いて呑み込んでからモーブが口を開いた。
「そうだな…あの魔獣と戦ってみるか…」
「で、でも…勝てるんですか…?」
黄班の女の震えた声が響き、ある種当然の言葉に戦闘を提案した黄班の男も黙りこくった。
「待った。大人しくしよう。他の登塔家や、俺の仲間もいる。あの魔獣を変に刺激したくない。万全の状態で挑むべきだ…だろ?」
黒班の男の言葉で再び沈黙が戻る。
勝てるかどうかではなく、ただ待つ。
その選択の妥当性を命懸けで考慮しようとしている。
「私も賛成っ!」
「私もよ。下手に動きたくないし…せっかくここには液体魔獣がいる可能性が低いんだし…休みたいわ」
赤班と緑班の女が同意する。
黄班の女は超消極的ながらも頷いた。
「お前も賛成するとはな。1番出たがっているように見えたが?」
モーブが緑班の女を訝しむように睨む。
その視線を浴びて緑班の女の肩がビクッと飛び跳ねるが、睨み返して短剣を向ける。
「外の魔獣とやり合うよりマシでしょ!?私は弱いの!それに外の連中も液体魔獣かもしれないし…」
「それもそうだな。悪かった」
そう言って睨みつけていた視線を明後日の方向に向けて謝罪している。
「…少し休まない?見張りを立てれば安全だし。さっきの検査でつけた傷を緑班の子にも治してほしいし」
赤班の女が肩を揉みながら提案する。
精神的な疲れが、前面に出ており顔色も少し悪い。
「そうだね。見張りのために二人組を作ろうか…なら青班の君と俺が…先に見張るから、みんなは休みなよ」
黒班の男が近くにいたモーブを指定する。
黄班の男女はそのままに、流れで赤班の女と緑班の女の組み合わせになった。
緑班の女が、怯えながら水魔術で全員の手の傷を治す。
それを確認してから黄班の男女は隅で身を寄せ合って目を瞑った。
女の方が時折心配そうに視線を動かすが、男が肘で突くと眠る努力を始める。
「少し話そうぜ」
黒班の男がモーブを置かれていた椅子に誘うが、モーブは顔を顰めて立ったままで耳だけを向けている。
「…まぁいいけどさ」
格子が嵌められた厨房の窓からは外から正体不明の地響きが聞こえており、時折砦も揺れている。
「正直に…いうと俺も外に出るのには賛成だ」
「…ほう」
その言葉にモーブが感心したかのような声を上げる。
言外に続きを促すようにモーブは顔を向けた。
「救援は来ないかも知れない。液体魔獣がいる以上、みんな助けに来る、ってこともないと思う。2人来そうな人はいるけど、その人は液体魔獣を討伐に向かってると思うから」
「なるほどな…ならいつまで居座る気だ?」
「可能なら全員休んだ後かな」
モーブが黒班の男の言葉に考え込んでいる。
数拍目を瞑ってようやく口を開く。
「それは…」
「おい!!大丈夫か!?なぁ!?」
モーブと黒班の男が声の方向を見る。
そこには座り込んだ状態で腹から血を流している、黄班の女の姿があった。
黄班の男の手には血がついており、必死に女の方を揺すっている。
その様子に気がついた緑班の女が急いで黄班の女に駆け寄っている。
手を翳して水魔術を使っているが、傷口が塞がっていっているにも関わらず目を覚さない。
「警戒しろ!魔獣が近くに…いや」
モーブが言いかけて止める。
周囲を見渡しても魔獣の影も形もない。
「し、死んでる…」
緑班の女が尻餅をついて死体から離れる。
だが視線はすぐ死体から生存者の方へ向けられる。
口元が痙攣して叫び出すのを堪えて、瞳にはいっぱいの恐怖と疑念が込められていた。
「お前らの中にいるんだろ!?俺の彼女を殺した奴がっ!」
それに呼応するように黄班の男が剣を構える。
剣先はカタカタと揺れて震えているのが分かるが、込められた殺意は変わらない。
「落ち着けよ。誰も近付いてないだろ?」
「液体魔獣なら刺せるだろ!?この部屋にいればァ!」
黒班の男は黙り込む。確かに、と思ったのか。
その沈黙を見て黄班の男がヒートアップしていく。
「全員殺してやるっ!仇を取ってやる!」
「ちょっと…!?飛躍すぎ!」
黄班の男が赤班の女に飛び掛かる。
厨房は一瞬で戦場と化した。
赤班の女が短剣で迫り来る剣を受け流す。
逸らされた剣が、厨房の机を斬り裂いて止まる。
「止めるぞ!」
「あぁ」
「近寄るなァ!」
黄班の男はあっさりと剣を捨てて、取り押さえようと羽交締めにしたモーブを力づくで解いて掴む。
モーブは悲鳴すらあげる暇なく、無防備な状態でそのまま調理台の方へ投げつけられて土器を割りながら消えていく。
「強っマジか!悪いけど手加減できねぇ!」
「私もやるわ…!」
赤班の女が短剣に炎を絡み付かせながら、剣を振ると同時に発射する。
だが直前に足元の地面が隆起して、狙いは逸れて誰に当たることもなく、壁を焦がすだけで終わる。
それに驚きの表情を覚えつつ、隆起した地面を逆に蹴って黄班の男に肉薄する。
黄班の男も咄嗟に腕を伸ばして、距離を取ろうとするが、伸ばして腕に短剣が突き立てられた。
赤い血が噴き出して、黄班の男の表情が苦痛に歪むが、風の音が響くと、黒班の男が作り出した突風で壁に叩きつけられて気絶した。
「ふぅ…ナイスだぜ」
「えぇそっちも」
黒班の男と赤班の女が腕を交わして、勝利の余韻に浸っている。
「だ、大丈夫…?」
緑班の女も調理台の陰から姿を現す。
弱いという自己申告は間違いなく、隠れていたらしい。
「あぁ…そうだ。青班のやつ…」
黒班の男が緑班の女を連れてモーブが投げ飛ばされた方へ向かう。
「……死んだのか?」
土器が割れている。
投げられたのは間違いない。
しかし現場には服と、人間の腕だけが落ちている。
その服には金色の液体がついており、さらに落ちている腕の断面からは血が出ておらず、二人はある結論に辿り着いた。
「こいつが液体魔獣だったのかよ…本物の人間を持ってたから、あんな検査を言い出したってことか…そういえば血の量が少なかったような」
「そうみたいね。気楽で…いいわね?」
狡猾だったが、実際は巻き込まれで死んだ液体魔獣を黒班の男と赤班の女が笑い合った。
暴れないよう黄班の男を縛り上げ、そのまま厨房に残す。
「笑い事じゃないぞ。外を確認しろ」
赤班の女が頷いて、裏口から顔を覗かせる。
10秒ほど見てから、いない、とだけ呟いた。
「そうだな…慎重に…塔を出るか。俺が許可すればよかったはずだ。お前もいいな?」
黒班の男が緑班の女を見るが、黒い蓋のついた水の容器を持っている姿を見て困惑したような表情を見せる。
「これは?」
「わ、私も死んじゃうかもだから…出来る限りみ、水を…役に立ってなくてごめんなさい」
「…いいさ。行こうか」
赤班の女が先導し、安全な真ん中は緑班の女が歩く。
黒班の男が重い水の容器を背負って 1番後ろにいる。
霧の森を3人で歩く。
常に警戒をしており、3人以外に動くものがいれば斬りかかりそうな勢いだ。
「きゃっ!」
緑班の女の悲鳴を聞いて、赤班の女が振り返ると、黒班の男から金色の液体が噴き出して、緑班の女の腹に刺さって、血が出ている。
「貴方っ…!なんでっ…!?」
黒班の男は何かを口にすることもなく、ただ腕を突き出して金色の液体を射出する。
狙いは酷くお粗末で、赤班の女が避けると、木々に突き刺さった。
その様子を見て覚悟を決めたのか、赤班の女は短剣を抜いた。
表情に迷いの色が隠しきれていない。
「貴方は下がってなさい!自分で治せるわよね!?」
それでも赤班の女は負傷した緑班の女を庇うように、下がらせて短剣を構える。
そして背後から腹を刺された。
刺し貫かれた金色の突起が、血でコーティングされて赤色に染まった。
赤班の女の口から疑問の代わりに血が飛び出る。
足の力が奪われたように、湿った地面に膝をついて、倒れ込みながら緑班の女の顔を掴む。
「…ア」
薄れゆく視界の中、赤班の女は見た。
緑班の女の顎、そのすぐ下。
金色の膜の隙間から、青ざめて恐怖に歪んだもう一つの顔が覗いている。
――目の前にいる女と、まったく同じ顔が。
そして誰もいなくなった(言いたかっただけ)




