第三十六話 ある厨房の出来事(1)
Q.なんで急にぷちサスペンスが?
A.や り た か っ た
砦の廊下を、八人が走っていた。
誰も後ろを振り返らない。
広間には金色スライム魔獣がおり、肉の魔獣もいる。
「こっちだ! こっち!」
黒班の男が扉を開け、七人が続いて飛び込む。
最後に入ったモーブが、すぐさま扉を閉めた。
そこは厨房だった。
広さは十分にあり、扉も頑丈そうに見える。
八人は言葉を交わすより先に棚を動かし、土魔術で扉の周囲を固めた。
やがて、誰からともなく床へ座り込む。
「はぁ……はぁ……」
荒い呼吸だけが厨房に残った。
モーブが周囲を見渡す。
黒班の男、緑班の女、赤班の女、紫班の男と女、黄班の男と女。
それぞれ息を切らしながら休んでいる。
「大丈夫……?」
紫班の女が、壁際で俯いている黄班の男へ声をかけた。
男は返事をしなかった。
比較的余裕のあるモーブが裏口へ向かい、頑丈な扉を僅かに開けて外を覗く。
森の奥には、まだ肉の魔獣が見えた。
「チッ……すぐには無理か」
「ひぃ……!」
緑班の女が息を殺すように悲鳴を上げる。
誰も咎める余裕はない。
それぞれ黙ったまま、荒い呼吸を整えていた。
「外には出られない……か」
黒班の男が森を見ながら、腹の底から絞り出すように呟く。
モーブは鋭い目つきで、ゆっくりと周囲を見渡した。
一人ずつ、顔を確かめるように。
「なに見てるの?」
紫班の女が近づいて声をかけてくる。
だがモーブは答えず、女が近づいた分だけ距離を取った。
その態度だけで、何を警戒しているのかは十分伝わった。
モーブの警戒は、すぐに部屋全体へ広がる。
だが、それを咎める者はいない。
誰も彼も、同じような目で周囲を見始めていた。
「あー……まぁ、落ち着こう」
黒班の男が張り詰めた空気をどうにかしようと手を叩き、注目を集める。
視線を集めることには成功した。
だが、その一言で誰かが落ち着くはずもない。
「とりあえず方針だけでも決めよう。あの魔獣が去るまで、ここにいよう。食料は俺が君達の目の前で最初に配給する。問題は?」
そう言いながら、黒班の男は一人ずつ反応を窺う。
だが、誰も是とも否とも言わない。
「ないが……」
モーブが何かを言いかけ、口を閉じる。
その視線は、この場にいる全員へ向けられていた。
「し、信用できないわ……!」
緑班の女が代わりに口にする。
誰もが頭の中に、先程見た金色スライム魔獣を思い浮かべていた。
隣にいる人間は、本当に人間なのか。
化ける魔獣の性能すら分からない彼らには、確実な判別方法などない。
疑念の視線だけが、狭い厨房の中で交差する。
判別方法とされていた金属音も、もう当てにはならない。
一度判別した人間ですら、その後に入れ替わる可能性がある。
誰かを「人間だ」と保証する方法など、もうなかった。
赤班の女は露骨に身を引き、いつでも裏口から出られる位置に待機している。
何度か森へ視線を向けるものの、木々の奥に肉色が見えるたび、諦めたように溜め息を吐いていた。
「お前は青班なのか?」
そんな中、黄班の男がモーブへ視線を向ける。
周囲の反応は様々だった。
目を瞬かせる者もいれば、さらに疑念を深める者もいる。
「そんな言い方…やめよう…ね?」
黄班の女が、関わりたくないと言いたげに男の腕を引いた。
「仕事の分からない青班かよ……」
紫の腕章を付けた男が、抑えきれなかった感想を漏らす。
モーブは肩をすくめて応えた。
「俺も直前まで知らされてなかったが……聞いた話だと、ああいう奴を倒すためらしいな」
親指で裏口の方――肉の魔獣がいる森を指す。
紫班の男は眉を顰め、そのまま俯いた。
「ッ……そーかよ……あんなんに勝てるわけねぇだろ」
それだけ吐き捨てると、妥協とも諦めともつかない様子で顔を逸らす。
「まぁまぁ」
黒班の男が取りなそうとするが、紫班の男は視線も向けず、舌打ちしただけだった。
「そ、それよりも……早く食料分けてよ……お腹空いたの……」
緑班の女が恐怖を隠しきれないまま、黒班の男をちらちらと見る。
「それもそうだな……まず分けるか。アンタ、そっちの食料を探してくれるか?」
「はいはい……ったく。オマエうっざい」
「知り合いなのか?黒班……内街の連中と仲がいいなんてな」
黒班の男と赤班の女が、親しげな様子を見て、モーブが口を挟む。
モーブのその言葉で場の空気が僅かに張り詰めるが、黒班の男は大して気にした様子もない。
「……?あぁ。さっきの戦場で一緒に戦ったからな」
「戦場の割り当ては…」
「そんなの良いから早く食料分けてよっ!!!」
緑班の女が追い詰められたように叫ぶ。
空気がシンとするが、黒班の男が咳払いで誤魔化す。
「あ、あー。すぐ分ける。待っててくれ」
「ほら、こっちはこれだけ」
「ありがとう」
かき集めても硬いパンが6個、干し肉が8個程度しかない。
「厨房のくせに少ないな…」
「他の人が取って行ったんでしょ?」
今更ながらに他の人が通った可能性を考慮したのか、紫班の男が赤班の女の言葉に閉口する。
「じゃあまずはパンを分けよう。8人いるから…一つを四等分して、3つずつだな」
「包丁は…あった」
赤班の女がプラプラと包丁を振る。
近くにいた黄班の男が迷惑そうな顔をするが、赤班の女は気にしていないのか、一瞥しただけだった。
黙々と四等分して、8人で分けていく。
「干し肉は後で決めよう…それまでは机に置いとくから」
「おい、俺のこれどう見てもこいつのより小さいじゃねぇか」
紫班の男がモーブのを見て、椅子を蹴って立ち上がる。
周りの反応は冷ややかだが、視線に警戒が濃くなっている。
「文句があるなら、来いよ」
1番警戒を引き上げていたのはモーブで、好戦的に笑って身構えている。
紫班の男が動けば、起爆剤になって爆発する勢いだった。
「なぁ…アンタ。あぁ、違う。紫班のアンタだよ。こんな状況で揉め事を起こすなんて普通じゃない。おかしいよ」
赤班の女が言外に液体魔獣じゃないか、と伝えている。
その言葉の意味は紫班の男には通じなかったらしく、溜飲が飲み込めていない。
「ふざけんなっ…!どう見てもっ」
「そうだな…液体魔獣なら、腕かどこかを切れば…正体が分かるんじゃないか?」
モーブが天啓を閃いたように口にする。
紫班の男は呆気に取られて、内容を反芻して理解しようとしている。
「…可能性はあるかもね」
「さ、賛成しますっ…!」
赤班の女と黄班の女が同調する。
そしてそれに釣られて黄班の男も賛成する。
「いいじゃないか。試そう…じゃあ俺から」
黒班の男が腰に差していた剣で手のひらを軽く切る…赤い血が垂れただけだった。
「言い出しっぺの俺もだな」
モーブも短剣を取り出して同じように手のひらを切る。赤みが見えてきて、血が滲んでいる。
「私もね」
赤班の女も切るが、それも血が垂れてくるだけだった。
「…わ、私も…いや…うぅ…」
「怖いなら僕が切るよ」
黄班の男が自分のを剣先で切って、黄班の女の腕も軽く切る…こちらも赤い血が出てきた。
「いったぁ…ひ、酷い…」
「しょうがない」
黄班の女が、黄班の男を睨んでいる。
そんな様子を軽く流しながら、証明済みの人間が未だ切っていない緑班の女と、紫班の男女を見ている。
「切れば良いんでしょ!?」
緑班の女が短剣で指を切る。
人間で間違いない。
「これで満足?」
「俺も切れば良いんだろうが…」
紫班の男が剣を取り出して指を切ろうとするが、紫班の女がその背中に抱きつく。
「な…ごっ」
紫班の男の胸から氷柱のように金色の棘が生えている。
紫班の男は口から血を噴き出して、力なく床に倒れていく。
「ひぃ…!」
「やっぱりいたわね」
紫班の女が変形して頭部が歪んでいく。
頭蓋が、顔が――溶けたように歪んでいく。
乱雑に貼ったテクスチャが剥がれるように、人ならざる人型へ戻っていく。
金色の腕が伸びるより早く、赤班の女が身を翻した。
横から風刃が腕を断ち、その直後、火球が胴体へ叩き込まれる。
金色の身体が大きく崩れる。
さらに何発もの魔術が集中し、人型を保てなくなった液体が床へ撒き散らされた。
「もういないかしら?」
赤班の女が周囲を見渡すが、誰も彼も保証できない。
モーブが紫班の男の服を破いて心臓に耳を近づけ、容態を確認するが、身体を起こして首を横に振る。
「近づいた奴っ…殺すからっ…!」
緑班の女が震えながら検査のために持っていた短剣を向ける。
「待ってくれ。ここには人間しかいない…だろ?」
黒班の男が声をかけるが、緑班の女は首を激しく振って否定する。
「そ、それ…でも!近づかないでっ!」
「分かった分かった」
理屈では説得できないと感じたのか、やや面倒そうに緑班の女から全員で距離を取る。
下手に突いても悪化するだけだと思っているだろう。
「外はどう?」
「…ダメだな」
モーブが外をチラリと確認するが、肉兎魔獣がいたのか諦めた様子で肩を落とす。
「ねぇ出れるよね…?生きて帰れますよね…?」
「…あぁ勿論だ」
黄班の男女が慰め合っているが、それに反して空気は重く、のしかかっていた。




