第三十四話 もう一つの脅威
Side フィリ
「どうしたっすか?」
先程、灰色の男と出て行ったはずの男が、手を振りながらまた廊下を戻ってくる。
伝令か、事情の聞き忘れか……。
指先に魔力を込めて身構える。産毛が逆立つ感覚がある。
経験則で分かる。
こういう時は大体、ロクなことにならない。
「伝令。伝令。でん……」
途中で正体を隠すのをやめて、人間の肌が歪んでいき、元の金色の液体に戻っていく。
「またっすか! もうめんどうっす!」
「フィリ!」
エルの方を見ると、部屋に唯一開いている窓から金色の液体が侵入してくる。
恐怖や嫌悪よりも、面倒さと苛立ちが勝る。
「エルっち! そっちは頼むっす!」
「フィリも気をつけて!」
レイを挟んで、エルと背中合わせで敵を迎える。
エルと呼吸を揃えて身体に魔力を込める。血の流れが魔力を全身に通し、それに伴って少しずつ世界がゆっくりになっていく。
正面の金色の液体魔獣だけを見る。
私に魔術以外の武器はない。相手の攻撃は防げない。
「運がいいっすね」
近くの登塔家の死体からレイの槍を引き抜く。
槍術は全く使えないが、突き出すだけならできる。
金色の液体魔獣が右腕を棘の付いた球に変える。
変形した腕に当たらないように、槍を先に突き出す。
槍を介して、電撃で殺せるはず。
「やっぱ運が悪いっす!」
突き出した槍を、液体魔獣はぐにゃぐにゃと身体を変形させながら、寝台の段差を使って飛び越える。槍は掠ることもなく、壁に傷を作るだけで終わった。
槍術が浅いせいで、槍を引くのが間に合わない。
考えてなかった。狭い室内なら絶対当たると思ってた。
だけど、近づいてくるなら電撃の餌食にできる。
液体魔獣は飛びかかってきたが、先程私が槍を引き抜いた死体を掴んで、こちらに投げつけてくる。
死体は回転して血を撒き散らしながら、間違いなく進行方向に私達がいる。
「うそぉっす!」
咄嗟に槍を手放す。
確かに投擲物なら、電撃を放つ隙などない。液体魔獣なら誤射しても姿勢が崩れないので、影響が少ない。
「フィリ!」
エルの背中から力を感じて、逆らわずに従う。
足元のレイを踏みながら、瞬時にエルと立ち位置を入れ替える。
「うおっす!」
立ち位置が入れ替わると、すぐ近くには顔無しの液体魔獣がいる。
入れ替わりの勢いそのままに、頭の位置を殴り飛ばす。
金色の液体が、血塗られた壁に飛び散る。
電撃は流し込めたが、量が少なく致命傷ではない。殴れたのに、かなり勿体ない。
「フィリ! 上!」
「えっ……マジっすか! 本当にごめんっす!」
エルが盾で受け流した死体が天井に当たり、こちらに向かって落ちてくる。
液体魔獣は頭が吹き飛んでも関係ないというように、腕を剣に変えて突き出している。
電撃を溜める時間はない。
だからもう仕方がない。
落ちてきている死体の肩を掴んで、液体魔獣に叩きつける。
「フィリ!?!?」
「誤差っす!」
「何がですか!」
液体魔獣は形が完全に崩れる。
死体も少し崩れたけど。
後でちゃんと謝罪と感謝はする。
まだ液体魔獣は死んでいない。魔石までは潰せていない。
それでも、しっかりこっちに攻撃できる形に戻るまで時間はある。
本体も小さな変形はしていたが、液体のまま襲いかかってきたことはない。
そうすれば、もっと有効なタイミングはいくらでもあった。
極論を言うと、本体に分体を足し続けて一匹の超巨大な魔獣になれば、砦を押し潰すことも不可能ではない。
大きさの制限か、この魔獣の生態かは分からないが、人の形から離れられないらしい。
もし離れても、すぐ戻る。
窓に向かって走って魔力を掻き集める。
指先が熱くて、ビリビリする。
「エルっち避けるっす!」
そのまま窓側から入り口に向けて電撃を放つ。
離れたのは、近すぎるとエルに当たるかもしれないからだ。
「っ……!」
エルが液体魔獣の顔に水を投げつける。
濡れていると電気の威力は上がる……気がする。
液体魔獣は電撃を避けようと変形するが、エルが空中に盾を放り投げる。
視線が一瞬交差した。
盾が電撃に晒される前に壁を蹴る。
足が硬い石の床を捉え、魔力と血液が巡ってどんどん身体が加速する。
エルが盾を水魔術で濡らしながら、液体魔獣の足元を蹴り砕いて揺らし、姿勢を崩す。
盾に電撃が当たると、行き場を失った電気が盾に帯びる。
すぐ他の物質に浮気するが、空中から落ちる前に掴む。
電気が盾の中に入って暴れている。
術者の私には電気自体は通らないが、熱された金属の影響は受ける。
かなり熱い。
だが、エルが濡らしてくれたおかげでなんとか持てる。
「とりゃあああっす!」
かっこいい掛け声と共に、電気を帯びた盾を液体魔獣に叩きつける。
ただの打撃なら効果はないが、逃げ出していない大部分の電気が液体魔獣に流れ込む。
その液体の身体が流動し、少し焦げ臭い匂いが周囲に満ちる。
液体魔獣が床に広がり、末端から砂になって消えていく。
「ふぅ……あっちぃっす!」
慌てて盾から手を引き剥がす。
焼き付いた皮膚が少し剥げたが、つけたままだと火傷してしまう。
「うえぇ……エルっち、治してほしいっす」
火傷部分は酷いことになっている。
服でも間に挟む……服が燃えると意味ない。
必要経費と割り切るしかない。
「はいはい」
エルが水魔術で癒してくれる。
暖かい光が包むと、悴んだ手が暖められるような心地良さがある。
ある程度塞いでもらってから、とりあえず動くことを確認する。
完治させている時間と魔力はない。
「広間に向かうっす!」
「そうですね……またあの魔獣が来るかもしれませんから」
戦いの最中、色々踏んでしまったレイを寝台に乗せ、寝台ごと運ぼうとして手を止める。
「なんでレイっちは殺されてないんっすかね?」
「……というと?」
「私がレイっちと分断された時、レイっちの偽物が応答してきたんっすよ」
思えば奇妙な挙動だ。
こういうことを言うと酷だが、早々に殺せば一人分の戦力を削れる。
「分かりません。ですが……何かしら狙いはあるかもしれません。レイさんに何か仕込んでいるとか……」
「探るっすか」
エルと一緒にレイの服を弄る。
短剣、粘土板。腰袋の中や服の下にも何もない。
念入りに口の中も見るが、侵入したような痕跡はない。
「連れ去ろうとしたのかもしれません」
「どういうことっすか?」
連れ去っても面倒な上に、意識が戻れば斬りかかってくるだけだ。
「では……フィリの偽物がいるとして……フィリに出くわしたりしないために、フィリをどこかへ隠すとか……いえ、連れ去った後に殺そうとしたのかもしれません。血が残りますから……」
うーむ。
自分で言い出したことだが、どうにも違う。
血でもあの液体の身体で受け止めるくらいはできるだろうし、さっきの登塔家のように締め殺してもいい。
「ま、分かんないっすね。広間で考えるっす」
「……それもそうですね」
エルが釈然としない表情で、こちらをじとっと見つめてくる。
自分から聞いておいて、挙げ句自己完結すると、いつもエルはこんな顔をする。
「ごめんっすよ。マシっちか、ライっち辺りにさっさと報告しようっす」
「はぁ……そうですね。広間に着いたら傷を治しますから」
誰も見えない廊下を歩く。
肩に乗せた寝台は重く、戦闘で疲れた身体に更に重さを与えてくる。
「? どうかしたんっすかね」
広間の近くまで来ると騒がしい。
かなり揉めているような声が聞こえる。
「内街の連中はっ……!」
「それよりも魔石だろうが!」
「……どうかしたっすか?」
近くにいた緑班の登塔家に声をかけてみる。
不機嫌そうに振り返ったが、私達が背負っている寝台と、続いて青班の腕章を見て少し落ち着いた。
「お前、さっきの……お前もグルか!?」
こちらに掴みかかってこようとした腕を、エルが蹴り上げて阻止する。
「いてぇ!」
私と同じく肩に寝台を乗せている間抜けな光景だが、流石によくやる。
「事情を説明してください」
「わ、分かったよ。すまん、カッとなった」
蹴り上げられて少し落ち着いたのか、蹴られた場所に水魔術を使いながら口を開く。
「さっき魔石の回収があって……代金が配られたんだが……それが偽物だって話があったんだ」
「それはまた、どこからですか?」
エルも同じ感想を抱いたのか、登塔家の男に聞くが、反応はどうも微妙だ。
「……さぁ? 誰かが根拠があるから言ったんだろ? 内街の奴らだし……」
具体性がなさすぎ……いや。
間違いなく偽物の仕込みに違いない。
それよりも、聞き逃せないことが言われた。
「魔石の回収っすか?」
「あぁ……というか、さっきお前が……いや、まさか」
緑班の男は、私の方を見て困惑している。
私は知らない。
ということは、私の偽物に違いない。
偽物が集めた魔石を回収したなら、とんでもなくやばい。
無数の液体魔獣が攻めてくる。
いや、それだけか?
それなら拠点に罠として魔石を仕込むだけでも……。
「あー! ごちゃごちゃ考えるのは苦手っす! エルっち! 急ぐっす! ライっちに早く伝えるっす! この人は任せるっす!」
緑班の男にレイを託し、急いで司令部へ向かう。
危険だ。
それ以上に、やばい。
……砦が揺れた。
比喩ではなく、文字通りに。
少し離れた場所から、何かが粉砕される音が聞こえる。
入り口近くの壁が壊される音だと、その場の全員が気づいた。
「ああああああああああああああああああぎゃああああああああ!」
次いで、背筋が凍るような悲鳴も聞こえてきた。
広間にいた全員が武器を構える。
「負傷兵は下げてください! 剣士は前線!」
ライザの号令が遠くから響く。
誰も動けないまま、砦の頑丈だったはずの壁が音を立てて壊される。
崩れた壁から土煙が立ち、砂埃に映る影しか見えなかったが、数秒もするとそれも晴れていく。
そして、ぬるりとその魔獣が立ち上がる。
空にぴんと高く伸びた耳。
赤く怪しく輝く丸い目。
口の先からは白い出っ歯が覗いている。
男性の二倍はあろう背丈。
だが、その身体は皮膚が剥げ、異常に隆起した真っ赤な筋肉が剥き出しになっている。
そんな魔獣が、崩れた壁の向こうから姿を現したのだった。




