第二十話 二層の異変
「ここが二層。『地上の鳥、天空の魚』がいる層だ」
二層に上がった瞬間、森のジメジメとした空気が急に切り替わる。
辺りには草の匂いが満ちており、息を吸い込むと胸いっぱいに草の香りが広がった。
空気は少し暖かく、湿度もそれなりに高そうだ。
「……あれ太陽?」
上空を見ると、燦々と輝く太陽らしきものが浮かんでいる。
「これで驚いていたら先が思いやられるぞ」
呆気に取られている“俺”に、ヴィルが呆れたように言う。
「いや……でも……凄いな」
元の世界ではコンクリートジャングルに生息していた都会人だったため、こんな雄大な自然は写真や映画でしか見たことがない。
一層も大概だったが、霧の森で正直視界が悪すぎた。
「蛸?」
遠くに、電気を放ちながらひらひらと飛んでいる蛸のような魔獣が見える。
メンダコに近い形だ……空を飛んでいる以外は。
「……まぁ、そういう反応にもなるか」
何かを諦めたようにヴィルは離れていった。
「アルっち! お登りさんっぽいっす!」
フィリに言われて、確かにと思う。
それでも綺麗な景色だ。
「……そんなに驚くようなこと?」
こんな反応をしているのは“俺”だけだ。
気恥ずかしさよりも、“俺”のことがバレないかという焦りの方が少し大きくなる。
冷水をぶっかけられたような感覚を覚え、即座に言い訳を考える。
「……二層にこんな簡単に着けるとは思えなくって!」
即興の割には悪くないのではないか。
一定の理解を得られたのか、モーブが頷く。
「それはまぁ、確かにな」
その同調で上手く誤魔化せたはずだ。
内心でホッと息を吐く。
「それはそうと、今日はこの層でどうするの?」
探索がメインとは聞いているが、他に何かやることでもあるのだろうか。
「……特にアテもなく探索だ。地図は一応書くがな」
そこはまさかのノープランか。
まぁ、何か思いつくような手掛かりがあるわけでもないが。
「普通に魔獣、いますね」
エルがぽつりと呟いたのを聞いて、景色に追いやられて忘れかけていたことを思い出す。
一層の魔獣は文字通り霧のように消えてしまったが、目の前には元気に飛んだり地上を走ったりしている魔獣がいる。
「何かスイッチみたいなのがあって、押せば魔獣が消える……とか?」
軽い冗談のつもりで言ったが、一同はくすりとも笑わない。
むしろ考え込む様子を見せてしまった。
「……それも込みの調査だからな。仮にそんな物があったとしたら、確認すべきだ」
ヴィルはそう締め括った。
どうやら二層は、鳥のいる背の低い草原と、背の高い草が生い茂る場所に分かれているらしい。
ぱっと見では植生の違いなんて分からないが、多分鳥に踏み固められているのだろう。
鳥のいる場所は地面がしっかりしており、平らに踏み固められている。
一方、背の高い草が生えている場所は湿地帯になっていた。
トウモロコシ畑の足元を湿地帯にしたような感じだ。
「まずはどこに行くんだ?」
鳥のいる場所は見晴らしが良すぎて、遠目からでもこちらの存在を視認される。
湿地帯は背の高い草に視界を遮られている。
「湿地帯の方だ。見晴らしが良い場所だとアレに襲われるぞ」
ヴィルが指差した先を見る。
先程のメンダコ魔獣が、草原にいたガチョウのような魔獣を掴み、そのまま捻り潰して器用に口へ運んでいる。
ヴィルは特に迷うことなく、背の高い草の中へ入っていく。
一瞬面食らって立ち止まるが、アレを見た直後に逆らう気にはなれず、急いで後を追った。
「うっげぇ……ここ、服がベタつくんっすよね……」
紫色の外套に泥が付かないよう努力していたフィリだが、肩を落とすとすぐに諦めたようで、泥を気にしなくなった。
「……そういえば、目印とか置かないのか?」
こっそり先頭へ近づき、ヴィルに聞いてみる。
「あぁ。この層だと意味がないみたいだしな」
「確かに」
魔獣が本当に目印を壊すのであれば、二層ではほとんど意味がない。
だが、それは調査の難易度が跳ね上がることを意味している。
それでも置かないよりはマシな気もするが、また別の理由でもあるのだろうか。
「気をつけて! 敵!」
思考を中断するように、アイリーンが素早く警戒を促す。
反射的に周囲へ視線を走らせる。
……音はしない。
だが、アイリーンが言う以上は従う。
彼女は透明な蠅魔獣の子機を見破った実績がある。
気配もない。
音もない。
それでも信じて警戒していると、ふと足元が揺れた気がした。
咄嗟に飛び退く。
「……翼!?」
地面から飛び出してきたのは、一言で言えばペンギンに似た、四十センチほどの体躯をした魔獣だった。
翼がオケラの前脚のように硬化しており、それで土や泥を掻き分けて地面から飛び出してきたらしい。
即座に剣を抜き、魔力を通して素早く突き出す。
剣は柔らかい腹へ突き刺さる。
そこまで強力な魔獣ではないようだ。
周囲へ素早く視線を向けると、皆も地面から次々と飛び出してくるペンギン魔獣を倒している。
既に二十個ほどの魔石が地面へ落ち、泥の中へ沈み始めていた。
一番驚いたのはエルだ。
ペンギン魔獣の細い足を掴むと、そのまま地面へ叩きつけ、盾で地面に押し潰している。
後衛職かと思ったら、バリバリの脳筋だった。
「不味い! 全員離れろ!」
ヴィルが叫ぶ。
直後、“俺”も異変に気づいた。
……地面が沈んでいる。
「蟻地獄かよ!」
二十匹近いペンギン魔獣が一斉に地面から飛び出してきたのだ。
足元の泥がぼこぼこと泡立ち、あちこちに空洞ができている。
地中を掘り進んでいたのか。
湿地帯の地面では、それだけ穴を開けられれば沈んでしまう。
むしろ今まで地面が崩れなかったのは、恐らくペンギン魔獣の土魔術のおかげなのだろう。
底無し沼のように、徐々に地面が沈んでいく。
「ロア! どうにかできないか!?」
確か彼は土魔術を使えたはずだ。
どうにかできないかと思ったが、ロアは首を横に振る。
身体に魔力を通すと、質量が上がる。
マシロの言葉が思い出される。
ここで身体を強化すれば、重くなった分だけ余計に沈む。
身体強化を一度取りやめる。
どうにかする手段なら当然ある。
ヴィルの『転移』だ。
そもそも“俺”自身も、多分呼吸がいらない。
泥に完全に沈んでも、どうにかはなるはずだ。
だが、その手は使いたくない。
ヴィルも重々承知しているはずだ。
「縄!」
どうやら、いち早く地盤沈下に気づいたアイリーンだけは難を逃れたらしい。
即興で作った草を束ねた簡易的な縄を、こちらへ投げてくる。
だが、地面からペンギン魔獣が飛び出し、その縄を噛み千切った。
「モーブ! 凍らせられないか!?」
凍らせて足場を作れば出られるかもしれない。
そう思って叫ぶが、
「馬鹿か! お前らごと凍る!」
それはそうだ。
同じ理由でフィリも魔術を使えない。
全員まとめて感電したら、そのまま沈むだけだ。
アイリーン一人では全員を救えない。
「エル! 水! 水だ! とにかく出し続けろ!」
泥が腰まで迫ってきた頃。
“俺”は言うが早いか、できる限りの水を水魔術で生成する。
とはいえ、“僕”の身体は別に魔力量に優れているわけではない。
精々、風呂一杯分を出せるかどうかといったところだ。
「更に沈むっすよ!?」
ぬかるんだ地面へ、どんどん水気が足されていく。
泥が泥水へ変わる。
当然、“俺”達が沈む速度もそれに比例して上がっていく。
だが、それ以上に変化したのはペンギン魔獣の方だった。
ペンギン魔獣が這い出てきた穴へ泥水が流れ込み、地中にいた奴らが焦ったように飛び出してくる。
窒息する。いや、“俺”が身体が吹き飛んでも生きているなら、魔獣は呼吸が必要ないのかもしれない。
それでも最低限、地中ではまともに動けなくなるはずだ。
土魔術は土を操る魔術だ。
土が含まれていようが、泥水は水。
奴らの領分ではないはず。
泥水から飛び出してきたペンギン魔獣を、待ち構えていた皆があっさりと武器で仕留めていく。
「アイリーン! 縄!」
今度は縄を切られることなく、“俺”達まで届いた。
全員で掴む。
そのままアイリーン一人の力で、“俺”達は泥の中から引きずり出された。
……というか、アイリーンの腕力はどうなっているんだ。
魔力で強化しているのだろうが、六人分の体重が乗った縄を容易く引っ張っている。
「結構危なかったっす……」
とりあえず階段の位置まで戻ってきた“俺”達は、焚き火を囲んでいる。
泥は水魔術で落としたが、そのせいで服がずぶ濡れだ。
こういう時、火を扱える魔術というのは便利なものだ。
濡れた服に体温を奪われて寒いが、少しずつマシになってきた。
「アルさん、さっきは助かりました」
エルが礼を言ってくるが、彼女のおかげでもある。
魔力が欠乏しているせいか、少し顔色が悪い。
「……危なかったな」
ヴィルはいつでも逃げられたようだが、正体をバラさずに済んで一安心、といったところか。
「……アル、大丈夫? 顔色が悪い」
アイリーンが心配そうに覗き込んでくるが、多分魔力欠乏のせいだ。
「……大丈夫だよ。しかし、あんな魔獣の話なんて聞いてなかったんだけど……」
本の虫だった“僕”の記憶にもない。
一層や二層の魔獣なら、登塔家の間ではかなり周知されているはずだ。
少なくとも、地盤沈下を起こすような魔獣なんて知らない。
単純に今まで出てこなかっただけ、という可能性もある。
「……俺も聞いたことねぇな」
「僕も聞いたことがないです」
モーブもロアも思い当たる節はないらしい。
もしかして、アレが大魔獣……なんてことはないだろうな。
蠅魔獣も、誰も見たことのない新種だった。
ただ、蠅魔獣と比べれば全然強くない。
「とりあえず、今日は早いが戻るぞ。二人が魔力欠乏じゃ探索どころじゃない」
ヴィルがそう告げるが、反対する者はいなかった。
「はぁ……もっと進みたかったっす……」
少し残念そうにフィリが呟いただけだ。
“俺”達青班の初めての探索は、二層に入って早々の撤退という、なんとも締まらない結果に終わった。




