第十九話 二層
「さぁ……行くぞ。今日は二層だ」
起き抜け、開口一番にヴィルから言われたのがそれだった。
水魔術で顔を軽く洗う。
冷たい水が心地いい。
「あ、アル君。僕もお願いして良いかな?」
ロアは図体がデカくて圧はあるが、その仕草はどこか遠慮がちで、意外と繊細なところが垣間見える。
特に断る理由もないので、水魔術で顔を洗える程度の水を出す。
それでも人を水道扱いするのはいかがなものか。
「おいアル、俺にも出せ」
「……フード外せば?」
そういえばモーブはいつもフードを深く被っている。
とはいえ、厳つい顔は普通に見えているが。
「良いから出せ」
差し出された両手いっぱいに水を出す。
器用にフードを外さず顔を洗っている。
ヴィルはといえば、とっくに荷物をまとめ終えている。
起きてからどれくらい経っているのか知らないが、“俺”達を待っていたらしい。
ロアの寝台脇には大剣が立て掛けられている。
それだけでかなり場所を取っており、四人部屋が更に狭く見えた。
昨日までは何もなかった部屋なのに、一晩寝ただけで妙に自分達の部屋らしくなっている。
「おい、お前ら早く行くぞ。朝食を取ったらすぐ出る」
事前に呼んでいたのか、フィリ、エル、アイリーンは廊下で待っている。
部屋を出ると、昨日とは廊下の様子が少し変わっていた。
到着した時には床にまで溢れていた荷物の大半が片付けられ、代わりに部屋の前には濡れた外套や靴、手入れ途中らしい武器なんかが置かれている。
寝起きなのか髪を盛大に跳ねさせたまま歩いている登塔家もいれば、水の入った桶を両手で抱えて運んでいる人もいる。
「朝飯まだ残ってるか!?」
「緑班に聞け! あと器は自分で持って来い!」
廊下の向こうから怒鳴り声が響く。
百人近くが一斉に起きれば、当然静かなわけがない。
昨日まで牢屋にしか見えなかった砦の中が、今は妙に人臭く感じられた。
「へぇ! アルっちって水魔術なんっすね! エルと同じっすね!」
歩きながらフィリが声を上げる。
そういえば、外様三人の魔術を知らない。
「そういえば、フィリの魔術ってなんなの?」
「フッフッフ……風っす! ビリビリっと! 電撃が得意っすよ!」
静電気でアホ毛を突き立て、微笑ましいドヤ顔で言うフィリ。
だが、確かに風魔術でも電撃系統は難しい……らしい。
“僕”の記憶にもある。
まさかアホ毛を電気で立ててるのか?
難易度が高いとされている理由は、主に誤射のせいだ。
電気は性質上、他の物に影響されやすい。
例えば尖った剣などが近くにあれば、狙った対象へ電撃を当てるのが一気に難しくなる。
金属なんかが近くにあっても同様だ。
ただし高威力。
非殺傷にもできる、有能な攻撃だ。
悔しいが、普通に思っていたより高等技術らしい。
アホ毛立ててるだけなのに。
そんな話をしている間に、エントランスへ戻ってくる。
昨日は受付になっていた一角が、今は簡易的な食事場に変わっていた。
大きな鍋を囲んだ緑班の人達が、並んでいる登塔家の器へ順番にスープを注いでいる。
壁際や床に座って食べている人も多く、机なんて当然全員分あるはずもない。
“俺”達も列の最後尾に並ぶ。
「昨日より多くないっすか?」
「全員起きてるからだろ」
フィリの疑問に、モーブが面倒そうに答える。
しばらくして渡されたのは、少し具の入った温かいスープと硬いパンだった。
豪華ではない。
というか、かなり質素だ。
近くの壁際に座って食べ始める。
「毎朝こんなの出るなら楽だな」
近くに座っていた知らない登塔家が、パンをスープに浸しながら言った。
「温かい飯が決まった時間に出るだけマシだろ。外じゃ自分で用意しなきゃなんねぇんだから」
その隣の男も当然のように答える。
……そういうものなのか。
“俺”からすると、硬いパンと薄いスープにしか見えない。
登塔家だってジュネーの唐揚げみたいな料理を食べるのだから、味覚が違うわけでもないはずだ。
少なくとも、美味いから喜んでいるわけではなさそうだ。
だが周囲を見る限り、文句を言っている人間は思ったより少なかった。
むしろ黙々と食べている人や、おかわりがあるか緑班に聞いている人までいる。
こういうところでも、“俺”の感覚とこの世界の人間では違うのかもしれない。
「わたくしは水魔術で、治療を得意としています。自衛はこの盾でしますので、ご安心を」
スープを食べながら、エルが先程の話を続ける。
修道服っぽい服を着ているから、そういう系統かと密かに思っていたがビンゴだったらしい。
まぁ盾はアレだが。
人は見かけによるパターンだ。
「僕は……その大剣と……土魔術の重力が……得意かな」
ロアの視線の先には、壁際に立て掛けられた巨大な大剣がある。
まぁパワー系なのは、その図体と武器を見れば分かる。
だってデカいし。
しかし重力ってことは、大剣の重さを増やして殴りかかってくるのか。
それとも大剣を軽くして薙ぎ払う、とかだろうか。
脳内で軽くイメージしてみるが、どう見ても狂戦士の類いだ。
「アルっちは何ができるんっすか!」
パンを頬張りながら聞いてくる。
言われて悩む。
何ができる、といえばなんだろう。
「水魔術と……剣をちょっとかな?」
嘘をついても仕方がないので素直に答える。
登塔家としては、決して珍しくはない。
「俺は火魔術の氷だな」
モーブが簡潔に答える。
まだ現代の感覚があるので、火魔術の氷とか言われても一瞬脳が理解できない。
「私は……身体強化なら誰にも負けない」
アイリーンが答えるが、そういえば一度も水や火なんかの魔術を使っているところを見たことがない。
“僕”の記憶を探ってみるが、“僕”も見たことがないらしい。
「綺麗に別れたっすねぇ……」
「俺は言う気はないぞ」
ヴィルが不機嫌そうに言う。
流石に命懸けだし、それはどうなんだ。
「ヴィルは確か、風と火だったよな?」
言う気のなさそうな本人の代わりに代弁してやる。
流石に何も言わないのはどうかと思う。
「チッ……」
何言ってんだ殺すぞ、と言わんばかりの視線を浴びせてくるが、変に勘繰られるよりはこっちの方が良いだろう。
「なんでアルが知ってるの?」
アイリーンが口を挟む。
視線が絡み合い、内心の疑問をお互い視線に乗せるが、“俺”には何が何だか。
「なんでって、そりゃ……」
模擬戦で戦わされたし、転生者と一緒に戦っ――
「あっ」
……言ってない。
アイリーンとモーブには、ヴィルとの付き合いを一言も話していない。
悪意を持って隠していたというより、単純に言う機会がなかった。
二人からは訝しんだ目を向けられ、ヴィルからはマジかコイツ、と言わんばかりの目を向けられている。
「言う機会がなくて……実は転生者と戦ったんだ。その時に……」
「……へぇ」
モーブの、なんで黙ってたんだ、と言わんばかりの無言の圧が、“俺”の冷や汗を誘う。
これも水魔術かな。
「……そういえば三日くらい前に、街が騒がしかった」
アイリーンの訝しんだ様子がジト目に変わり、責めるような視線を向けてくる。
「……前に行った店、覚えてる? ジュネーの唐揚げの」
二人とも覚えていたのか、首を縦に振る。
説明が早くて済みそうだ。
「あそこの店のオレンジ髪……の給仕さんが転生者になって……」
思い出しただけで、不快な感情が蘇る。
身体の内側から這い出てくるような嫌悪感が戻ってくる。
「……そっか」
「……そうか」
ほんの少し納得した様子だ。
そこには、ほんのりと転生者への嫌悪が滲んでいる。
それはそうだろう。
生きている人間に寄生する魔獣。
それが、この世界での転生者だ。
今この場にも二人いるのだが。
「……次から何かあったら……言うよ」
そこはしっかり反省すべき点だと自戒する。
“僕”の仲間なのだ。
“俺”の仲間ではなくても、“僕”のふりをする以上は筋を通すべきだ。
大魔獣について言うべきか迷ったが、マシロが“俺”にしか言わなかったと言うことは、黙っていた方がいいかもしれない。
“僕”として筋を通すか…“俺”として筋を通すか。
口を開こうとして結局閉じる。
「……チッ、かなり遅れたな。少し急ぐぞ」
意外と空気が読めるタイプなのか、ヴィルは静かに待っていた。
「大丈夫です。人は死ねば天国に行くんですから。お知り合いの御冥福をお祈りします」
さっきの話を聞いていたのか、エルがそっと近寄って言ってくる。
「だと……良いんだけど」
天国があるなら、“俺”はこんなところに来ていない。
そう思うと、なんだか天国という言葉が空虚に感じてくる。
「エルっち! アルっち! 急ぐっす! ヴィルっち置いていく気っすよ!」
少し離れた場所からフィリが顔を出して呼んでくる。
その姿を小走りで追いかけた。
ヴィルは迷いなく霧の森を進んでいく。
二層までの階段の場所を、まるで把握しているようだ。
「……こっちで合ってる?」
「あぁ。アレを見ろ」
木に紫色の糸が巻き付けられている。
既に先遣隊が二層までの階段を発見し、目印として残していたらしい。
「……今までなんでそうしなかったんだ? ほら、他の登塔家とかがさ」
シンプルな疑問を口に出す。
「魔獣のせいらしいな。魔獣はああいうのを見ると壊したくなるんだろうな。翌日には残ってない」
その魔獣が今はご不在なため、目印を残せているということらしい。
そして相変わらず魔獣が現れないまま、“俺”達はあっさりと二層まで辿り着いた。
「こんな簡単に着くのか……」
思っていたより、あまりにもあっさりと辿り着いた。
まぁ、紫班――探索班の目印があってのことだが。
「まぁ、早く辿り着く分には良いっすよ! 二層! 久しぶりっす!」
“僕”の記憶にも、二層へ行った記憶はない。
ただ、本には記録が残っている。
二層。
そこには雄大な自然が広がっている。
……そして、鳥型の魔獣や魚型の魔獣がいる。
地を走る鳥と、空を泳ぐ魚がいるらしい。
「マジか……」
どうやら事実だったらしい。
一層の階段を登る。
視界が切り替わるような気持ち悪い感覚と共に、一気に景色が開けた。
視界の悪かった一層の霧がかった森とは違い、二層には遠くまで草原が広がっている。
丈の高い草の隙間から遠くを見ると、大きな翼を生やした啄長魚――ダツっぽい外見の魚魔獣が空を飛んでいた。
飛魚なのか啄長魚なのか、自分でも分かってなさそうな群れが飛んでいる。
冗談みたいな見た目だ。
だが、あの速度で圧倒的な数の尖った頭部が刺さりに来る、と考えると冗談では済まない。
「ここが二層。『地上の鳥、天空の魚』がいる層だ」




