第十七話 霧の砦
空気はじっとりと肌にまとわりつき、霧のせいで数メートル先も霞んでいた。
第一層……“俺”には、もう馴染んだ不快さだった。
そんな第一層で起きたと言われている異常な出来事を察するのは、それほど難しいことではなかった。
普段なら鬱陶しいほど飛び出してくるはずの魔獣が、一匹も現れないのだ。
ぬかるんだ地面も木の根に補強され、まともに歩けている。
森には静寂が満ちており……いや、満ちてない。
「ホントに魔獣が出ないっすね〜! ていうか、こっちで合ってるんっすか?」
静寂だったはずの空気の中に響く、元気が有り余りすぎている暫定仲間、フィリの声。
この会話も既に登塔から二度目を迎えている。
一度目は快く――疑問の余地あり――答えていたヴィルも、流石に憤死しそうだ。
「……こっちで合ってる」
「だと、いいがな」
モーブが皮肉げに呟く。
その言葉に“俺”は軽く抗議の視線を送ったが、彼は目を逸らすように横を向き、そのまま警戒を続けていた。
もっとも、モーブにもフィリにも慣れてきたのか、ヴィルも今回は爆発せずに済んでいる。
そんなヴィルへ、こっそり耳打ちする。
「塔の開始位置ってランダムじゃなかったっけ?」
ヴィルから冷たい視線を浴びるが、“俺”も慣れてはいる。
またか、と思いつつ視線を逸らさずにいると、ヴィルはハァと大きな溜息を吐いた。
「……俺の能力だ。各班が効率良く探索できるように、マシロがな」
どうやら開始位置は、ヴィルの『転移』で指定済みだったらしい。
抜かりないというか、他の人に説明のしようがなさそうだ。
「“俺”らの班の人数って、明らかに少ないよな」
現状、“俺”、アイリーン、モーブ、ヴィル、フィリ、エル、ロアの七人だけだ。
百人近くが七班に分かれたことを考えると、倍の人数がいてもおかしくはない。
「さぁな? ……俺とお前がいるってことは、口封じを考慮してだろ」
転生者の能力がバレたら不味い、という判断だろうか。
……にしても穏やかではない。
「ちょっと待て。お前の能力が必要なレベルの何かが起こるってことか?」
この大規模登塔を企てたのはマシロ。
ヴィルをこの班に割り当てたのも、恐らくそうだ。
「……どうやら、そうらしいな」
一瞬、互いの間に陰鬱な空気が流れる。
事前の警告の件もあり、ヴィルもこの問題については“俺”達と同じく、何も知らされていなさそうだ。
ヴィルを見ると、内心をありありと表現した顔をしている。
「ヴィルっち! アルっち! 暗い顔するべきじゃないっすよ〜! 魔獣が寄ってくるっすよ!」
しかし“俺”達には、爆弾のようにその雰囲気を消し飛ばす存在がいる。
暗くなりすぎないのは若干ありがたいが、ここまでの明るさはどう見ても過剰だ。
致死量に違いない。
「フィリ、少し声が大きいですよ。魔獣が見えないとはいえ、警戒はしっかりしなくては」
生真面目な気質があるのか、エルが苦言を呈する。
だが、フィリ側に特に気にした様子はない。
エルは眉を顰めるが、こちらの視線に気づくと申し訳なさそうに頭を下げた。
付き合いが長そうなエルが駄目なら、一体誰なら止められるというのか。
少なくともヴィルは役に立たなかった。
「いやいや違うっすよ! 他の登塔家にも分かりやすいようにっすよ! 他の班の人、どこにいるか分かんないっすから!! それに魔獣がいるなら寄ってくるかもっすよ!」
一瞬、理解に時間を要した。
つまりクマ避け的な大声だったらしい。
意外と考えられている……のか?
「フィリさん、多分そこは都市防衛隊の人でも考えてるんじゃないかな……」
ロアが苦笑しながらヴィルを見る。
これに関しては、ヴィルも力強く頷いた。
「方法は言えないが、こっちに仮拠点が設営されているはずだ。……方法があるから、大規模登塔なんて企画できたんだ」
転生者云々の本当のことは言えないが、内街の都市防衛隊の極秘研究です……とでも言えば通じるのかもしれない。
「仮拠点ってどういうもの?」
今まで沈黙を保っていたアイリーンが口を挟む。
かなり警戒しているのか、どこかピリピリしている。
前回の蠅魔獣を警戒しているのだろう。
「土魔術に秀でた者を先に送って、砦を作ってるそうだ。……そういや忘れてたな。色によって班には役割がある」
忘れるにしては結構重要な気がする。
だが、全員で探索するわけにはいかないし、それはそうかと納得する。
「まず赤班。これは『戦闘担当』だな。一層で魔獣が出た場合の対応と、二層での仮拠点防衛。
黄班は土魔術を使った『仮拠点作成と補修』。土魔術に秀でた奴らがいるところだな。
緑は『癒しと補給担当』。流石に百人分の食料は楽に輸送できないからな。何度も街と仮拠点を行き来することになる。
黒は『警備班』。赤に似てるが、こっちは人間同士の諍い専門だ。登塔家はいなくて、実質都市防衛隊だけで構成されてる。
白は『指令班』。便宜上班呼びだが、ライザさんしかいない。
で、紫は『探索班』。今回の主目的だからな。この班だけで五十人近くいる」
そう言って、ヴィルは説明を締めくくる。
まぁ、大体分かった。
……だが、“俺”達青班については何も言及されていない。
うんうんと頷いていたフィリも疑問に思ったのか、首を傾げる。
「ん? ヴィルっち、青班の役割はなんっすか?」
「……分からん。基本は紫と同じ探索班ってことは聞いてるが、紫と違う点は一切不明だ。何も役割を聞いてないから忘れてたんだ」
「……仲間の貴方にも?」
疑惑を隠す気のないアイリーンの声が、不穏な空気の中で静寂を取り戻した森に響く。
「へぇ、そりゃ良いな。もしかして宴会芸要員か? 実は得意なのがあるんだよな。氷塊を相手にぶつけるんだが……相手は誰にすりゃいいんだ? 班割りを決めた奴か?」
皮肉げ、を通り越し、不信を露骨に言葉へ乗せたモーブの声が響く。
だが、誰も返事をしない。
無言の中、木々の隙間を風が抜けていく。
濃い霧が辺りを覆い、森そのものが不安感を煽ってくる。
まるで、自分達だけが置き去りにされているかのような居心地の悪さ。
自分達の班だけ仕事内容が不明だと言われれば、不安になるのも無理はない。
一度しか会ったことはないが、いかにも真面目そうなライザさんが決めたこととは思えない。
おそらく、マシロが決めたのだろう。
だったら……“俺”が言うべきことは、
「ここで詰問してもまともな答えは出ないだろうし、基本は探索……なんだよね?」
確認するようにヴィルを見ると、躊躇なく首を縦に振った。
「だったら一度、疑問は棚上げしよう。着いたら教えてくれる、とかかもしれないし」
多分マシロは教えてくれないだろうけど、ライザさん辺りに聞けば教えてくれるかもしれない。
知っていれば……だけれども。
“俺”の言葉に一定の理解を示したのか、あるいは都市防衛隊と揉めるのを懸念したのか、全員疑心は胸の内に秘めることにしたようだ。
その様子に、ホッと息を吐く。
マシロには、問いただす必要があるかもしれない。
「しっかし、魔獣は本当にどこ行ったんっすかね〜」
フィリが空気を入れ替えるように、能天気な声を出した。
それにこれ幸いと便乗する。
「確かに……産まれなくなる、とかならまぁ分からなくもないけど、魔石もなく、元からいたはずの魔獣まで消えてるんだよね……」
神隠しにでも遭ったような感覚だ。
まぁ仮に神隠しだとしても、消えたのが危険な魔獣なら手放しで喜べる。
あるいは、他の場所へ移動したとかだろうか。
「……そろそろだ」
ヴィルの声で、意識がサッと現実へ引き戻される。
森の中に、他の登塔家の姿が見えた。
腕には赤い腕章を付けている。
赤ということは戦闘班。
周囲の警戒をしているのだろう。
こちらに気づくと手を振ってくる。
確か、マシロに質問していたスキンヘッドの登塔家だ。
目測百八十センチくらい。
身の丈より少し短い程度の槍を二本、背負っている。
「ロア! フィリ! エル! お前らも来てたのか!!」
三人の知り合いらしい。
どういう関係なのだろう、と近くにいたフィリへ視線を送り、説明を求める。
「同じ孤児院の兄貴分っす! 久しぶりっす! レイっち!」
スキンヘッドの男性はレイというらしい。
赤班ということは、もしかすると腕に自信があるタイプなのだろうか。
「久しぶりだな!」
フィリの頭をわしゃわしゃと撫で、そのままエルにも同じことをしようとして避けられ、傷ついたような顔をしている。
酷く微笑ましい光景。
……なのに、胸の内を出所不明の感情が支配する。
“悲しい”。
理由もないのに、ただ胸が痛む。
この異世界に来てから、こんなことばかりだ。
アルの記憶に何か、悲しくなる原因でもあったのだろうか。
感情の正体は理解できる。
だが、理由が分からない。
だから“俺”自身はその感情に共感できず、ただ宙ぶらりんのまま残される。
「アル、その……大丈夫?」
そんな様子を見かねたのか、アイリーンが話しかけてくる。
「大丈夫だよ?」
自信を持って言ったつもりだった。
だが、アイリーンは悲痛そうな顔を浮かべるだけだった。
なんとなく、ズレを感じる。
だが掘り下げれば藪蛇になりそうな話だ。
「……早く行くぞ」
ヴィルが言うが早いか、森の奥へ歩き出す。
“俺”も含め、話し込んでいた面々も慌てて追いかける。
足を進めていくと、木々の隙間から、木が切り払われた広場のような場所が見えてくる。
そして、そこに佇む存在感の大きな建物。
「うわぁ……スッゴイっすね!」
仮拠点というから、テントが大量に並んだキャンプ地を想像していた。
どうやらファンタジーを舐めていたらしい。
目の前に広がっているのは、砦だ。
見張り台。
高い壁。
百人規模だからか、そこまで巨大なものではない。
だが、頑丈さだけは見ただけでも伝わってくる。
「これ、土魔術で作ったのか……」
一夜城って、もしかして魔術で作られたものなのかもしれない。
レンガのようにも見えるが、表面には繋ぎ目がない。
一つの巨大な石を、砦の形に切り出したようにも見える。
「……思ってたよりデカいな」
モーブが感嘆した声を上げる。
その気持ちは分かる。
ここで一ヶ月も過ごす予定なのだ。
「そうですね。内街の本気具合が窺えますね」
「……この高い壁が必要なくらい、何かあるかもってことなんだけどね」
エルとロアが不安になるようなことを言う。
まぁ、気にしていても仕方がない。
霧の中に佇む石造りの砦。
調査のために集められた、百人余りの都市防衛隊と登塔家。
確かに、その情報だけを切り取れば――不穏な予感しかしない。




