第十五話 次への疑問
本当に、ただただ話を聞かれただけだったらしい。
ヴィルか、はたまたマシロの手引きか。
また話を聞くかもしれないとは言われたが、留置所などに入れられることもなく、あくまで善良な協力者として扱われた。
引き止められることもなく、その日のうちに帰宅することができた。
「疲れた……」
ベッドへ倒れ込むように飛び込む。
仰向けに体勢を直し、自分の手を見つめてみる。
水魔術で洗ったはずなのに、まだ血の匂いがする気がした。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、というが、今日の“俺”はおかしい。
いや、異世界に来てからずっと何かがおかしい。
何故、あんなにもソレが憎かったのか。
確かに許せないとは思った。だが、それほどだったか? と頭の冷静な部分が訴えてくる。
何故憎かったのか……それが上手く言語化できない。
そもそも、躊躇なく人の胴体へ腕を差し込めるのもおかしい。
物理的な意味ではなく、精神的な意味で。
そして何より衝撃的なのは、そんなことをもう大して気にしていない自分がいることだった。
迫り来る睡魔に勝てず、ベッドへ倒れ込んだまま目を瞑る。
身体から力が抜けていき、どんどん上へ昇っていくような錯覚すら覚える。
夢だ……と気がついたのは、既視感のある交差点に立っていたからだ。
前に来た時の記憶と同じように、辺りは一面無人。
本当なら人の往来を管理しているはずの信号ですら応答を停止している。
人だけが切り抜かれたように存在しない、冷たい空間。
それを太陽らしき光だけが、平等に温め続けている。
ふと、手元に違和感を覚えた。
本だ。
二冊もある。
片手に一冊ずつ持っていたらしい。
時間の経過を感じさせる、使い古された本革の表紙。
タイトルは……ない。
装丁と紙を糸で繋いだ綴じ方をしている。
導かれるように。
最初から決められていたかのように。
“俺”は本を開いて、そこで違和感に気づいた。
内容が真っ黒で見えない。
題名もよく見れば真っ黒に塗りつぶされている。
夢の中の自分は、確かに文字を追うように視線を動かしている。
それなのに、“俺”にはさっぱり読めない。
そのことに気がついた瞬間、謎の夢から弾き出されるように目を覚ました。
意識が覚醒する。
肌に纏わりつく気持ち悪さに身体を見下ろすと、汗でびっしょりと濡れていた。
よくよく考えてみれば、戦った後、身体も洗わず、その時の服のまま眠ってしまったらしい。
今の時刻は夜……だろう。
窓の向こうには、カーテン越しに夜を告げる闇だけが広がっている。
ベッドの近くに置いていたランプへ魔力を通して火を灯すと、部屋がほんの少しだけ明るく照らされた。
風呂に入り、部屋着へ着替える。
水魔術で先程まで着ていた服を簡単に洗い、太陽に期待して窓際へ干した。
そのまま、眼前にあるであろう――闇夜に隠された塔の方角を見つめる。
この街のどこからでも見ることのできる塔には、何かがある。
転生者に関する何か。
この世界に来た時、“俺”は塔から来たような気がする。
それを“俺”は知らなければならない。
正直、今の今までそんなことは命を懸けるほどのことではないと思っていた。
今だって、本当に命を懸けるべきなのか疑問は残っている。
ただ、気になる。
魚の骨が喉に引っかかっているような感覚がして、どうしようもなく気持ちが悪い。
塔へ意識を向けたことで、今更ながら少しだけ重要なことに気づいた。
「剣無いじゃん……」
明日の予定が決まってしまった瞬間だった。
そして、次の日。
「……それをなんで俺に言うんだ?」
冷たい表情と、それに合わせたような温度の視線を、眼前のヴィルは向けてくる。
場所は喫茶店の中。
ヴィルが店へ入るなり人払いをしたおかげで、店内には誰一人としておらず、店員すら姿を消している。
二人きりの店内には、嗜好品の香ばしい匂いだけが漂っていた。
「他に頼れる人いないし……」
そう言って、よく分からない飲み物を口へ含む。
珈琲に近い気もするが、それよりずっと酸っぱい。
数時間放置した珈琲、といった感じだ。
“俺”の知り合いで頼れそうなのは、ヴィルかマシロくらいである。
アイリーンやモーブもいる。
だが、“俺”の知り合いとは言えない。
あまり積極的に関わりたいとは……思えないし。
どうしたものかと右往左往していたところへ訪ねてきたのが、話があるらしいヴィルだった。
ヴィルは大変わざとらしい溜息を吐くと、指を二本ビシッと立てる。
「分かった。ただし条件が二つある……ついでだ」
条件、と聞いて少し身構える。
だが、ついでと言うからには、そこまで深刻なものでもないのかもしれない。
“俺”に言うことを聞かせたいだけなら、「殺すぞ」の一言でも問題ないのだから。
「お金なら、ない。もう差し出せるのは身体しか……」
およよ、とこれまたわざとらしく茶化してみる。
返ってきたのは、一層温度を下げた視線だった。
流石にキツかったか。
襟を正して、真面目な態度へ戻る。
「条件って?」
「明後日、二層に向かって欲しい。剣は前払いで渡す」
「…………なんで?」
問い返しても、ヴィルは何とも微妙そうな表情を浮かべる。
明後日とは急だ。
二層というのも急だ。
冗談を好むタイプではなさそうなので、理由はあるのだろうが。
「原理は分からんが、一層に魔獣が出てこなくなった」
「……あぁ、確か聞いたな」
昨日、マシロからも聞いた気がする。
あの後があの後だっただけに、ほとんど頭から飛んでいた。
「それを調査するために、緊急で大規模な作戦を組んで登塔家を送り込むことになった。一層の調査ついでに、二層にも突入する」
どうやら都市のバックアップありで塔へ登ることができるらしい。
登ろうと改めて決意した次の日に、バックアップ付きで登れる。
願ったり叶ったり……と言えないこともない。
だが、タイミングが良すぎて、控えめに言って不気味すぎる。
「拒否権は?」
「一応ある。けど、おすすめはしない」
心は一応、受ける方へ傾いている。
というより、断る理由が「気味が悪い」以外に思いつかない。
人員が多いらしいし、その分安全もそれなりに確保されるだろう。
食料などの問題も、ある程度は担保してくれるかもしれない。
時期があまりにも直近すぎる点くらいか。
次点で、他の登塔家がどんな連中なのか分からないこと。
それでも、メンバーの選定くらい内街の人間もするだろう。
今のところ、思いつくデメリットがメリットを上回ることはない。
「……そういえば、条件が二つあるって言ってたよな。もう一つは?」
疑問が大きすぎる故に、一旦棚へ上げて話題を逸らす。
「お前の能力が判明したら、いち早く俺に教えろ」
身構えていたほどの無茶振りではなかった。
ヴィルの能力もある程度は知っているし、こちらだけ知らされているのも不公平というものか。
十分納得できる。
……できるが。
「一応聞くけど、なんで?」
「……言う気はない」
どうにも歯切れが悪い。
しかし、その深刻そうな表情からは、本人にとってかなり大事なことなのだと何となく伝わってくる。
内容自体は、そこまで大したことではない。
言わない理由もないし、どうせ能力について伝える相手なんてマシロかヴィルくらいのものだ。
交友関係――もとい、転生者仲間は少ない。
「分かった。一番早くに伝えれば良いんだろ?」
「悪い」
何かありそうな態度を察されたことに気づいたのか、ヴィルは僅かに頷く。
「その代わりって言ったら変だけど、他の転生者について聞いて良いか?」
前から少し気になっていた。
『共有』に『転移』。
おそらく『吸収』もそうだろう。
色々ある。
何か傾向が分かれば、“俺”の能力も予想できるかもしれない。
「……そうだな。俺もそこまで詳しいわけじゃない。俺が知っていて、今も生きてる転生者は『再生』だけだな」
転生者同士の横の繋がりは、意外とないらしい。
まぁ、捕まって拷問でもされれば芋蔓式に見つかる。
そういう理由なのだろうか。
よく分からない。
「あー、その人はどういう人なんだ?」
「お前が昨日会った、ライザさんの夫だよ」
世間は狭いというが……いや、実際狭かった。
都市一個分だった。
「あぁ……」
生返事を返す。
タイムリーどころの騒ぎじゃない。
ライザさんの口ぶりからするに、
「ってことは、都市防衛隊?」
「そうらしいな。隊長だったらしいが、バレて捕縛。今は収容されてる」
何でもないことのように言うが、なかなかの内容だ。
飲み込むのに少し時間がかかる。
「……なんでバレたんだ?」
「捕まったのが竜の襲撃の時でな。焼け爛れた建物とか……まだ辛うじて生きてた人間を再生させ続けてたところを発見されたんだよ。……ライザさんにな」
それはまた因果な。
他人事として鼻で笑える話ではないが……なるほど。
慈善活動をするタイプなのか。
「功績が讃えられて、生かされてる……的な?」
「そんなわけないだろ。この都市は評議会で統治されてる。そこに、どんな傷でも病気でも即死以外なら治せる能力。無機物なら無制限に『再生』できる。みんな考えることは一つだ」
つまり、内街の連中の治療装置として使われているらしい。
その扱いを受けて生きていると、胸を張って言えるのかどうかは微妙だ。
そこはヴィルもある程度同感なのだろう。
ヴィルの『転移』だって、知られれば同じような扱いを受けかねない。
それを嫌っているということは、少なくともまともな扱いではないのだろう。
表情からでも、それくらいは察せる。
「そういえば、ヴィルはこっちに来て長いのか?」
「五、六年ってところだな。元の世界も、もう故郷って感じがしない。あんまり良い思い出もないしな」
苦々しい。
それ以上の詮索を拒んでいるようにも見える。
無神経に踏み込んで関係を悪化させる気もないので、話を逸らす。
「そうか。話はかなり戻るけど、登塔家を集めるって言ってたよな。何人くらいいるんだ?」
「百人くらいって話だ。何班かに分けて調査。期間は一ヶ月程度。成果がなくても最低限の報酬自体は出る」
かなり大規模だ。
ヴィルはそこで一度言葉を区切った。
「一層の調査より、二層の調査が本番って話だが……お前のことを、最低でも協力者と言えなくもないから一応伝えておく」
僅かに嫌そうな顔をする。
「この作戦、発案者はマシロだ」
「…………」
それだけで不穏さが数段増した気がする。
「……アイツとはこっちに来て以来の付き合いだが、発案した作戦でまともなのは一つもない」
心底嫌そうに続ける。
「デメリットとメリットを比べて、メリットが上だから発案そのものは重宝されてる。だが、傍から見ればロクなもんじゃない。そのアイツが重い腰を上げて出した案だ。覚悟だけはしておけよ」
どことなく同情的で、うんざりした様子。
その妙な実感が、そこはかとない不安を煽ってくる。
「……今から断るのはまずいか……?」
冗談めかして、後ろ向き具合を仄めかす。
半分冗談で、半分本気だ。
「……最悪、お前を二層に飛ばすぞ」
冗談ともつかない返事が返ってきた。
塔を登るのは目的と合致している。
だが、毎回拒否権がないのは少し抵抗がある。
「拒否権ないじゃん……」
「まぁ悪いが、ないな。仲間に関しては引きずってでも連れてこい、だそうだ」
取り付く島もない。
ヴィルは悪くないが、マシロに対しては文句の一つくらい言いたくなる。
そう言い残すと、ヴィルは席を立ち、そのまま店を出ていった。
「分かった……どうにかするよ……」
了承を返す以外の選択肢はなさそうだった。
誰もいない喫茶店に、悲しい“俺”の声だけが響いた。




