第十二話 救いはない。助けはある
「痛ってぇぇぇぇぇ! どこだよここ!?
あの野郎ぶち殺してやるっ!」
表情を怒り一色に変え、日本語で叫ぶ少女。
耳慣れた、だがこの世界には存在しないはずの響き――日本語が、店内の空気を震わせている。
「……は?」
同時に、周囲で話していた人間達も水を打ったように静まり返る。
その言葉の正確な意味を理解したのは“俺”だけだろうが、少女の強烈な憤怒の表情から、一切の誤解なく周囲にも大凡の意味は伝わったことだろう。
日頃からあの明るい少女に接していた人ほど、その衝撃は大きいらしい。
常連客なのか、数人の顔には驚愕が張り付いたまま動く気配がない。
“俺”も少ししか会ったことがないとはいえ、人とは思えないその尋常ならざる表情に硬直する。
そんな少女の叫び声が聞こえたのか、厨房から人が出てくる。
「娘の声だったが、どうした……!?」
エプロンを身につけた、赤髪の大柄な男が出てくる。
多分、元登塔家なのだろう。身体には古い傷跡が生々しく残っている。
心配そうに、娘だった者を見つめている。
「いや店長、その様子が……」
周囲にいた一人が顔見知りなのか、混沌とした状況を店長に伝えようとしている。
伝えようとしている側も、伝えられる側も、原因も因果も分からないまま困惑している。
具体的な理由など分かろうはずもない。
「おい……大丈夫か……?」
少女以外の止まっていた時間を動かすように、店長と呼ばれた男が駆け寄り、その肩に触れようとする。
「ふれんじゃねぇ!」
少女がその手を振り払う。
ただそれだけの動作だった。
それにもかかわらず、少女が触れた部分が文字通り消え、切り離された手がぼとりと床に落ちる。
「……!?」
店長と呼ばれた男は、失った自分の腕の断面を呆気に取られた顔で見つめる。
遅れて血が噴き出し、すぐに痛みも追いついてきたのか表情を苦痛に歪めるが、叫び声を上げるようなことはしない。
その間も、それを為した本人は自分のことで精一杯だった。
「頭がッ! いだい。しぬッ!!」
腕を失った男ではなく、何もされていない少女の方が顔を指で押さえ、その指を皮膚へめり込ませていく。
「離れろ! ソイツは! 転生者だ!!」
噴き出す血を見てようやく頭が状況に追いついた“俺”も、店内にいるであろう登塔家達へ叫ぶ。
すると店の中にいたほとんどの人間が素早く、未だ苦痛を叫ぶ少女から距離を取り、武器を構える。
「一般の人は早く外に! 都市防衛隊を呼んでくれ!」
そう叫ぶと、数人が店の外へ出ていく。
一人でも助けを呼んでくれれば上々だ。
都市防衛隊か、登塔家か……いや、マシロに伝わればきっとどうにかしてくれるはずだ。
この少女も元に戻せるかもしれない。
そんなことは無理だ、と心のどこかが囁いている。
現実逃避だと理解はしているが、何もしないよりはマシだ。
「違う! コイツは俺の娘だ!」
未だ距離を取ることなく残っていた赤髪の男が、少女を庇うように立つ。
「じゃあなんで、あんたの腕を!?」
往生際の悪い店長に問いただす。
腕が捥がれたというのに、逃げようともしない。
「反抗期なんだ!! そういうこともあるだろ!?」
泣きそうな顔で、支離滅裂なことを叫ぶ店長。
そんなわけない。
「なぁ……みんな……これは俺の娘だ……? そうだろ……?」
マズい。
周りにとって“俺”は知らない奴だ。
いくら少女が怪しいとはいえ、彼らは少女の知り合い。
この中の半分でもあちら側につけば、少女に手出しはできない。
しかし何故か、あの少女を殺さなければならないという焦燥が“俺”を突き動かす。
強烈な死の匂い、とでも表現するべきか。
少女の一挙手一投足が、“俺”にはどうしようもなく怖い。
とはいえ都市防衛隊――とりわけ転生者のまとめ役らしいマシロ辺りが来てくれれば、何の問題もない。
少女は日本語を話す、隠す気のない転生者だ。
すぐに殺されるだろう。
「異なる言語! さっき見せた攻撃! 疑うには十分だろ! 魔術じゃない!」
「なんで言語って分かるんだ!? 意味不明な言葉の羅列だろ!? こ、攻撃だって……身体強化だろ!? こ、言葉が分かるってことは、お前こそ転生者じゃないのか!?」
その場合は娘も転生者ってことになるが――という言葉を喉の奥で止める。
感情論の相手に正論をぶつけても火に油だ。
時間は“俺”の味方。
このまま問答を続けても問題ないはずだ。
一番困るのは、転生者ではないと信じたい人々が、この場から少女を逃がそうとすること。
周りの人間が動かないところを見るに、彼らも状況を測りかねているのだろう。
なら積極的に手を出すつもりもない。
マシロが対処してくれれば、あの少女も助かるかもしれない。
「分かった! なら都市防衛隊を待とう! その間は手を出さない!」
遠回しに、逃がそうとすれば都市防衛隊の敵になるぞ、と周囲へ伝える牽制程度にはなるはずだ。
そんなことを考えていると、少女が動いた。
「俺は……いや私? ……ははっ、そういうことかよクソが」
伏せていた顔を上げ、泣きそうな自分の親を見つめる。
その目には最早、正気など欠片も感じられない。
ただただ、嗤っている。
「お父さん、こっちに来て」
にこやかに笑い、抱擁を求めるように両手を広げる。
店長を止めないといけない。
そう思うのに足が動かない。
強烈な死のイメージが、どうしても拭えない。
「待て!!」
嫌な予感が、やかましいほど警笛を鳴らす。
物理的な耳鳴りすら伴う怖気に近づくことができず、遠くから声を飛ばすことしかできない。
周囲の人間も、攻撃とは取れない行動に反応が遅れた。
「あぁ……大丈夫だ。ほら」
応えるように男が娘を抱きしめる。
その瞬間。
少女に触れた部分から、男の身体が取り込まれていく。
座標がずれたかのように。
ホログラムと現実が重なり合うように。
男一人が、少女の身体へ沈み込むように吸収されていく。
「ひゃ、はっ……はははははっ! はははは!」
男の姿が完全に消えると、少女は恍惚とした表情を浮かべた。
「やっと! やっと手に入れた!! はははっは!!」
「お前ッ!」
その凶行を目にして、近くにいた人間が思わず手にしていた槍や火魔術で攻撃する。
だが、少女の身体の表面へ触れた瞬間、それらは吸い込まれるように消えた。
少女は笑いから一転、冷や水でも浴びせられたかのように顔を歪め、周囲の人間を睨みつける。
「あ? なんだよ? てめぇら?」
人が変わった。
……いや、実際に違う人物へ変わったソレが、攻撃してきた人間を見る。
「なんだぁ!? 殺すぞ!!!」
その声に応えるように、槍だったものを握っていた男がゆっくりとソレの方へ吸い寄せられていく。
床の石材の上を滑るように、男自身は間違いなく前へ進んでいないにもかかわらず、ソレとの距離だけが縮まっていく。
吸い寄せられていると気づいた男が、必死にその場で踏ん張る。
だが、どれだけ足を前へ突き出して抵抗しても、ソレとの距離は縮まり続けていた。
「なるほどなぁ? じゃあ、こういうこともできるのかなぁ?」
「……! みんな逃げろ!!」
そう叫ぶ。
ソレが、あの少女なら絶対に浮かべなかったであろう、邪悪と形容するほかない笑みを浮かべたのを確認した瞬間、何人逃げ出せたのか確かめる暇すらなく、“俺”も背後へ向かって駆け出した。
店の外へ飛び出る。
人が往来していたはずの街道には、騒ぎを嗅ぎつけたのか既に人影が少ない。
すぐに店の方へ振り返る。
その瞬間。
空間そのものが縮んだかのように、“俺”の身体がソレのいる方向へ引き寄せられた。
「……ッ!」
バランスを崩して前へ倒れ込むが、すぐに起き上がって前を見る。
……そこには何もない。
店も、人も。
まるで最初から何も存在しなかったかのように、ぽっかりと空間が削り取られている。
店だった場所はただのクレーターになり、隣接していた建物の一部まで抉れていた。
範囲から外れていたのか、二階部分の一部だけが瓦礫となって落ちている。
人はいない。
瓦礫の中から平然と立ち上がった存在――少女の皮を被ったソレ以外は。
オレンジ色の少女と、そこまで仲が良かったわけじゃない。
名前だって知らない。性格だって詳しくは知らない。
でも、この気持ち悪い生き物には心底吐き気がする。
少女が大切にしていた物も、人も。
同じ見た目をしたソレに、全部壊された。
「でも……“俺”も同じだ」
掻きむしるような罪悪感が、冷えた刃となって心へ突き刺さる。
「あぁ……さいっこうだなッ! この能力! これで俺はヒトを殺せ……アレ、なんで殺したいんだっけ? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで……私は? 俺は? どうして?」
ソレは頭を押さえて座り込む。
先程から、明らかに情緒がおかしい。
転生の影響なのか。
死に方がよほど悲惨だったのか。
……それより、ソレの能力は危険極まりない。
身体の表面に触れた物を削るような能力と、対象だけを引き寄せる能力。
それに加えて、さっき見せた空間を縮めるような爆発的な勢いでの……吸収。
あるいは収納。
近づいた時に使われれば、問答無用で削られるのか。
それとも取り込まれるのか。
削られた物はどうなる。
いや、吸収されたものはどうなる?
ソレを殺せば元に戻るのか。
それとも魔力か何かとして還元されるのか。
……いや。
そんな、戦うために考える普通のことはどうでもいい。
「“俺”は……」
別に、“俺”はここで逃げても法律的には何の問題もない。
むしろ戦うことで、転生者だとバレる可能性がある。
「違う違うッ! 私は! 俺は? はははははあ!」
少女が浮かべていた笑顔を、内側の邪悪で穢すようにソレが笑う。
それを見た瞬間、バケツいっぱいの汚水でも浴びせられたような嫌悪感が込み上げる。
“俺”の記憶にある限り、“僕”の記憶まで含めても、ここまで強い嫌悪を感じたことはない。
蠅魔獣ですら、もっとマシだった。
嫌悪感に従うように身体へ魔力を通すと、全身へ魔力が行き渡っていく。
そして、努めて冷静に考える。
全身から吸収しているなら、足元はどうなる……?
地面に触れているのに、落下しないのか。
その疑問に従い、水魔術でソレの周囲へ水をばら撒く。
ソレへ触れた部分は当然のように吸い込まれて消えるが、触れなかった水はそのまま地面へ落ち、水飛沫を上げた。
なら――
威力はないが、足元。
靴の辺りから小さな水槍を作り、突き刺す。
「ちっ……」
そう簡単な話ではないらしい。
手応えはまるでない。
そもそも、水槍の威力などたかが知れている。
だが、すぐにソレが顔を上げた。
「喰われるくらいなら殺してやる」
相変わらず支離滅裂な発言だが、込められた意味だけは凶悪だった。
ゆっくりと、“俺”の身体がソレへ吸い寄せられていく。
「後ろがダメなら……」
“俺”は横へ駆け出す。
横には移動できる。
移動できるが、例えるなら円を描くように軌道が曲がり、ソレとの距離だけは確実に縮まっていく。
焦って水魔術で攻撃を繰り出すが、全て吸われて消える。
そしてついには、手を伸ばせば互いに届く距離まで引き寄せられた。
怒りに染まっていた表情をころりと変え、ソレがにこりと笑う。
そして先程と同じように、抱擁を求めるかのように両手を広げた。
咄嗟に素手で殴りかかる。
接触した瞬間、拳の感覚が消えた。
痛みがない。
それどころか、何の違和感すらない。
視線を向ければ、腕の一部が欠けている。
数秒遅れて、ようやく欠けた腕が痛みを訴え始める。
だが、全身ごと削り殺される恐怖の前では黙殺できた。
「何やってんだ、お前」
あからさまに呆れた声が聞こえた。
次の瞬間、景色そのものを切り替えられるような感覚に襲われる。
気がつけば、ソレから離れた場所に立っていた。
声のした方へ振り向く。
少し長い藍色の髪と、右目の泣きぼくろが特徴的な男。
ヴィルが立っていた。




