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第57話 若旦那、揃いの色を一色にしない

 御用布三百反。


 大祭前、二百四十反。


 残り六十反は、十日後。


 職人の手間賃は落とさない。


 急ぎ分には、急ぎ賃。


 御用の予定額は、五分増。


 代官所、了承。


 そこまで決まった翌朝。


 青柳屋の帳場には。


 三軒分の見本布が並んでいた。


 青柳屋。


 黒瀬屋。


 大浜屋。


「……違いますね」


 小春が言った。


「違いますね」


 私も言った。


 伊織は黙っている。


 宗兵衛は腕を組んでいる。


 三枚。


 全部。


 藍色。


 なのに。


 微妙に違う。


 青柳屋は、少し柔らかい藍。


 黒瀬屋は、深い。


 大浜屋は、ほんの少し青みが強い。


「御用布は」


 宗兵衛が言う。


「揃いだ」


「はい」


「役人も、警護も、奉仕人も」


「はい」


「同じ色でなければならん」


 そう。


 揃い布。


 揃い。


 同じ。


 だから。


 三店共同分納が決まった時点で。


 本当は。


 一番最初に確認しておくべきだった。


 同じ“藍”とは、どこまで同じなのか。


 脳内の私は。


 昨日まで値段と納期に夢中で。


 色の問題を完全に棚へ上げていた。


 行政実務で言えば。


 予算。


 契約。


 納期。


 そこまで詰めて。


 最後に、


 ところで納品形式なんですけど。


 と、仕様書の別紙二を見落としていた感じである。


 非常に嫌な汗が出る。


「若旦那」


 伊織が言った。


「顔が失敗した役人みたいになってるぞ」


「気のせいです」


「そういう顔を知ってるのか」


「なんとなく」


 危ない。


「同じ染め場へ出せば?」


 お鈴が言った。


 一瞬。


 全員が彼女を見る。


「だって」


 お鈴は少しひるんだ。


「同じ人が染めれば、同じ色になるのでは」


 単純。


 でも。


 かなり筋がいい。


「量が問題です」


 染め場の親方が答えた。


 今日は、三店の打ち合わせに呼ばれている。


「一か所で三百は?」


 私が聞く。


「無理だ」


 即答。


 よし。


 今度は。


 その数字を疑わない。


「二百四十でも?」


「無理」


「何反なら」


「四十五」


 前と同じ。


 いい。


 数字がぶれていない。


「じゃあ、染め場を三つ使うしかない」


 宗兵衛が言う。


「はい」


「なら色がずれる」


「はい」


「どうする」


 また。


 問題。


 条件を一つ動かしたら。


 別の条件が顔を出す。


 仕事とは。


 もぐら叩きなのだろうか。


 一つ叩く。


 次。


 また出る。


 全部叩き終わる日は来るのか。


 たぶん。


 来ない。


「一つ聞いていいですか」


 私は言った。


「何だ」


 宗兵衛。


「御用の書付には」


 藤兵衛から写しを受け取る。


「色について、どこまで書いてあります?」


 三人で読む。


 藍地。


 以上。


 全員。


 黙った。


「……藍地」


「はい」


「濃さは?」


「ないですね」


「見本は?」


「ない」


「指定色?」


「ない」


 あれ。


「では」


 小春が言った。


「全部同じでなくてもよいのでは」


 宗兵衛がすぐに首を振る。


「御用の揃い布だぞ」


「でも」


 小春は三枚を並べる。


「どれも藍です」


 確かに。


「遠目なら」


 お鈴が少し離れる。


 三歩。


「私、わかりません」


 私も。


 三歩。


 見る。


 うん。


 わからない。


 五歩。


 もっとわからない。


 宗兵衛が嫌そうな顔をする。


「だからといって」


「大浜屋さん」


 私は聞いた。


「昔の御用布って、本当に全部同じ色でした?」


 宗兵衛が止まった。


「何?」


「代々納めてきたんですよね」


「ああ」


「昔も、全部一か所で染めていた?」


「……いや」


「染め場は?」


「二つ、三つ使った年もある」


「では」


 宗兵衛の顔。


 少し。


 微妙。


「多少は、違った」


 出た。


「ですよね」


「だが」


「誰か怒りました?」


 宗兵衛。


 考える。


「覚えていない」


「つまり」


「お前、その言い方は危ないぞ」


 伊織が止めた。


 確かに。


 前例踏襲の悪口を言いながら。


 都合のいい時だけ、


 今まで大丈夫だったので。


 を使うところだった。


 危ない。


「確認しましょう」


 私が言い直す。


「代官所に?」


 宗兵衛。


 三人。


 同時にため息。


 また。


 行く。


「もう顔覚えられてますよね」


「とっくにだ」


 伊織。


「面倒な三店としてな」


「宗兵衛さんまで言わないでください」


 しかし。


 今回は。


 代官所へ行く前に。


 もう一つ。


 確かめたい。


「親方」


「何だ」


「同じ藍を目指すことはできますか」


「できる」


「完全に?」


「無理だ」


 いい。


 この言い切り。


 最近、かなり好きになってきた。


「どこまでなら」


 親方は三枚を見る。


「見本を一枚決める」


「はい」


「各染め場が、それへ寄せる」


「はい」


「だが、水が違う」


「水?」


「井戸も川も違う」


「はい」


「灰汁も違う。釜も違う。染める日の気温でも変わる」


 同じ材料。


 同じ手順。


 それでも。


 完全には揃わない。


「人の手だから?」


「それもある」


 親方が笑う。


「だから、面白いんだがな」


 宗兵衛は。


 面白くなさそうだった。


 御用商人。


 揃えるのが仕事。


 ばらつきは敵。


「では」


 伊織が言った。


「許容幅を決める」


 来た。


 黒瀬屋。


 こういう時、本当に強い。


「許容幅?」


 お鈴。


「このくらいまでなら、同じ藍として納める」


 伊織が布を並べる。


「見本を中央に一枚」


「はい」


「これより濃い側」


 一枚。


「薄い側」


 一枚。


「この間なら通す」


 なるほど。


 色そのものを。


 一点にしない。


 幅にする。


「色に幅」


 私がつぶやく。


「何か言いたそうだな」


 伊織がすぐ刺してくる。


「まだ布の話です」


「ならいい」


 怖い。


 人生へ行く前に検閲が入る。


「でも」


 小春が言った。


「同じ役目の人で、色が大きく違うと目立ちます」


「なら」


 私は思いついた。


「配り方も合わせたら?」


「配り方?」


「染め場ごとに」


 警護役。


 奉仕人。


 裏方。


 それぞれ。


 一つの組へは、なるべく同じ染め場の布をまとめて渡す。


「例えば」


 帳面に書く。


 北門警護。


 染め場一。


 南門。


 染め場二。


 奉仕人。


 染め場三。


「隣同士で色が違うのを減らせます」


 伊織が紙を見る。


「悪くない」


 宗兵衛も。


「管理が増える」


「はい」


「荷札が必要だ」


「はい」


「間違えたら」


「大事故ですね」


 自分で言って。


 ちょっと怖い。


 前世の脳内で。


 発送先誤り。


 個人情報ではないが。


 とにかく担当者が走るやつ。


「色ごとに紐を変えましょうか」


 小春が言った。


「荷札だけじゃなく?」


「はい」


 染め場一。


 赤い紐。


 二。


 白。


 三。


 黄色。


「荷を見ただけでわかります」


「いいですね」


 視覚管理。


 小春、強い。


「ただし」


 藤兵衛。


「赤、白、黄の紐代が追加になります」


 現実。


 本日も強い。


「いくらですか」


「この程度なら、管理費の範囲内かと」


「よかった」


 宗兵衛が。


 小さく笑った。


「青柳屋は、本当に細かいな」


「最近、帳面が育ってまして」


「誰のせいだ」


 藤兵衛が言う。


「若旦那です」


 即答。


「ありがとうございます」


「褒めておりません」


 昼過ぎ。


 三店。


 染め場の親方三人。


 小春。


 藤兵衛。


 全員で。


 基準色を選んだ。


 候補。


 五枚。


 全部。


 藍。


 心のアンミカが。


 襖の向こうで。


 ものすごく騒いでいる。


 わかっている。


 今日は藍である。


 白ではない。


 あなたの担当外です。


「若旦那」


 小春が言った。


「さっきから、どこを見ているんですか」


「心の襖を」


「はい?」


「何でもありません」


 五枚。


 一枚目。


 深い。


 二枚目。


 少し明るい。


 三枚目。


 落ち着いている。


 四枚目。


 青み。


 五枚目。


 やや灰色。


「全部藍ですよね」


 私は慎重に言った。


「はい」


 小春。


「正解です」


 よかった。


 色の店の若旦那として。


 最低ラインを通過。


「どれを基準に?」


 宗兵衛が聞く。


 三人の染め場の親方が。


 意見を出す。


 濃すぎると。


 回数が増える。


 薄すぎると。


 警護役の揃いとして軽く見える。


 原料。


 時間。


 色持ち。


 全部。


 見る。


 最終的に。


 真ん中。


 三枚目。


「これだ」


 染め場の親方。


「これなら各所で寄せられる」


「決まりですね」


 私は言った。


「待て」


 宗兵衛。


「何です?」


「代官所の確認」


 そうだった。


 勝手に仕様を作るな。


 学習している。


 偉い。


 午後。


 三人。


 また。


 代官所。


 受付の役人。


 私たちを見る。


 何も言わない。


 でも。


 顔が。


 今日は何だ。


 と言っている。


「色について確認が」


 役人は。


 天井を一度見た。


 わかる。


 面倒ですよね。


 本当にすみません。


「書付には藍地とのみあります」


「そうだ」


「三店、三染め場で作るため、完全に同じ色にはなりません」


「揃い布だぞ」


「はい」


「揃えろ」


 来た。


 簡単な指示。


 その「揃えろ」を。


 現場へ投げると。


 人が苦労する。


「この幅なら」


 伊織が見本を出す。


「同じ藍として扱えます」


 役人。


 三枚を見る。


「違うな」


「はい」


「でも」


 私が十歩ほど下がる。


「ここからだと」


 役人を見る。


「若旦那」


「はい」


「代官所で勝手に遠ざかるな」


「すみません」


 戻る。


 やり方が雑だった。


 宗兵衛が額を押さえている。


「言いたいことは」


 役人がため息。


「わかった」


 お。


「組ごとに同じ染め場の布を渡す?」


「はい」


「全体では多少の差が出る」


「はい」


「祭の場で、明らかに違って見えなければよい」


 決まった?


「それを書いていただけます?」


 私が言った。


 役人。


 完全に嫌な顔。


 伊織が小声で。


「またか」


「後で揉めるので」


「わかるが」


 役人が。


 先に言った。


「書く」


 え。


 学習されている。


「ありがとうございます」


「その代わり」


「はい」


「もう一度にまとめて持ってこい」


 すみません。


 本当にすみません。


 次から。


 質問票。


 一括で出します。


 前世すぎる。


 夕方。


 青柳屋へ戻る。


 正式に決まった。


 一。


 御用布は藍地。


 二。


 基準見本を設定。


 三。


 許容色幅あり。


 四。


 同一組には、同一染め場の布を優先配布。


 五。


 荷札と色紐で管理。


「揃い」


 お鈴が三枚の藍を見ながら言った。


「全部同じじゃなくても、揃いなんですね」


 私は頷く。


「そうみたいです」


「不思議」


「私もです」


 同じ。


 揃う。


 似ている。


 その境目。


 考え始めると。


 かなり深い。


 でも今日は。


 布の話で止めたい。


 伊織がいるから。


「若旦那」


 伊織。


「今、人生の話へ行きかけただろ」


「行ってません」


「顔が行ってた」


 もう。


 脳内まで監査されている。


「一個だけ」


「何だ」


「揃えるって」


「うん」


「全部を同じにすることじゃないんですね」


 伊織。


 少し黙る。


「一個だけと言ったな」


「はい」


「そこまでなら許す」


 許可制になった。


 宗兵衛が笑った。


「お前ら、いつもこんななのか」


「最近は」


「青柳屋に来ると、余計な話が増えるな」


「飯も出ます」


 お滝が台所から言った。


「今日は芋煮だよ」


 宗兵衛。


 動きが止まる。


「……少しなら」


 また。


 大浜屋。


 青柳屋の飯に弱い。


「伊織さんも?」


「俺は帰る」


「そうですか」


「……何の芋だ」


 来た。


 黒瀬屋も。


 五分後。


 三店の主人が。


 芋煮を食べていた。


 仕事の打ち合わせ。


 終了後。


 全員。


 ぼてぼて。


 しるべまで隣で座っている。


「若旦那」


 宗兵衛が芋を食べながら言った。


「一つ聞く」


「何です?」


「この店」


 一度。


 周りを見る。


「本当に呉服屋か」


 伊織が。


 ものすごく静かに。


 頷いた。


「俺も何度か聞いた」


「呉服屋です」


「猫」


「います」


「飯」


「出ます」


「人形の布団」


「作ります」


「空き箱」


「直します」


「白無垢」


「直しました」


「御用布」


「今やってます」


 宗兵衛。


 考える。


「……何屋だ」


「呉服屋です」


 譲れない。


 そこは。


 夜。


 帳面を書く。


 御用布色合わせ。


 三店見本に差あり。


 染め場ごとに水・灰汁・釜・気候が異なるため、完全同色は困難。


 基準藍を一枚設定。


 濃淡許容幅を設定。


 同一役務・同一組には、同一染め場の布を優先配布。


 染め場識別用。


 荷札。


 色紐。


 代官所確認済み。


 揃い布とは。


 完全同一色ではなく。


 祭の場で一つのまとまりとして見える範囲とする。


 最後。


 一行。


 揃えることと、全部を同じにすることは違う。


 人は。


 揃い。


 という言葉を聞くと。


 全部。


 同じにしたくなる。


 同じ色。


 同じ速さ。


 同じ働き方。


 同じ考え。


 同じ返事。


 でも。


 水が違う。


 釜が違う。


 手が違う。


 場所が違う。


 同じものを作ろうとしても。


 少しずつ違う。


 その違いを。


 不良と呼ぶのか。


 幅と呼ぶのか。


 それで。


 ずいぶん世界が変わる気がした。


 前世の私は。


 皆と同じにできない自分を。


 ずいぶん不良品扱いした。


 同じ時間に。


 同じ速さで。


 同じ顔をして。


 同じように働く。


 それが揃うことだと思っていた。


 でも。


 祭の場で。


 一つの景色になればいい。


 少し青みが強い藍。


 少し深い藍。


 やわらかい藍。


 それぞれ。


 藍だ。


 どうせ一度死んだ身だ。


 今度は。


 誰かと揃うために、自分の色を全部塗り直さなくてもいいと思っていたい。


 許容幅の中で。


 ちゃんと一緒に立てれば。


 それでいい。


 そう思ったところで。


 店先から。


 お鈴。


「若旦那!」


「はい」


「しるべが!」


「今日は何色です?」


 自分でも意味不明な返事が出た。


「え?」


「すみません。何をしました?」


「染め場の色紐を」


 見る。


 赤。


 白。


 黄。


 三本。


 しるべが。


 全部。


 前足の下へ集めている。


「しるべ」


 にゃ。


「それ、分けるための紐です」


 にゃ。


「全部一緒にしたら意味がありません」


 しるべは。


 三色の紐の上で。


 丸くなる。


 宗兵衛が言う。


「猫は揃えたらしいぞ」


「何を?」


「全部、自分のものに」


 違う。


 それは揃えるではない。


 占有である。


「しるべ」


 私は猫を抱き上げる。


 赤。


 白。


 黄。


 また分ける。


「違いは残します」


 にゃ。


「あなたも白黒のままでいいです」


 しるべが。


 不満そうに鳴く。


「二色あるじゃないですか」


 にゃ。


 小春が笑った。


「しるべが一番、揃ってないですね」


「左右非対称ですからね」


 でも。


 それで。


 しるべだ。


 私は三本の紐を、それぞれ別の箱へ戻した。


 逃げたのではない。


 三百反を一色へ押し込む代わりに。


 違う釜から出た藍が、ひとつの祭を作れる幅を決めて。


 最後には。


 白黒二色の猫まで、そのままでよいことにしたのである。


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