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第38話 若旦那、人形の布団に職人の名を書く


 翌朝。


 青柳屋の店先には、四人の子どもが並んでいた。


 全員、人形を抱えている。


 赤い着物の人形。


 木彫りの人形。


 片方の目だけ妙に大きい人形。


 そして、布を丸めて顔らしきものを描いただけの、かなり前衛的な人形。


「若旦那」


 先頭の娘が言った。


「お布団、作ってください」


「うちの子にも」


「この子、寒いって」


「昨日、しるべが寝てたやつがいい!」


 来た。


 人形寝具部門。


 昨日、開店を阻止したはずなのに。


 需要は一晩寝かせても、しっかり起きてきた。


 しかも朝一番である。


 前世の私なら、まず受付票を作った。


 人形の氏名。


 大きさ。


 希望する布団の色。


 寝相。


 アレルギー。


 いや、最後の二つはいらない。


 人形である。


「一度にお話しされると、若旦那の頭が布団をかぶってしまいます」


 お鈴が子どもたちを整列させた。


 最近のお鈴は、子どもと猫の対応に慣れすぎている。


 青柳屋の女中というより、町内小動物及び児童案内係である。


「一人ずつ、お願いします」


 私が言うと、先頭の娘が赤い着物の人形を差し出した。


「この子は、おはな」


「おはなさん」


「夜、寒いから」


「昨夜も寒かったですか」


「うん。ずっと起きてた」


 それは、人形だからでは。


 口へ出しかけてやめた。


 子どもの世界に、不要な現実を持ち込んではいけない。


「掛け布団だけでよろしいですか」


「敷くのも」


「枕は?」


「いる!」


 聞くのではなかった。


 寝具一式になった。


 二人目の木彫り人形は、身体が固く、かなり細長い。


 三人目は頭が大きく、普通の布団では顔だけ外へ出る。


 四人目の布の塊は、どちらが頭なのかわからない。


「こちらは、どちら向きに寝ますか」


「その日の気分」


 自由だった。


 前後左右の概念がない。


 人形界のしるべである。


「若旦那」


 藤兵衛が帳場から言った。


「寸法を測らねばなりませんな」


「人形一体ずつ?」


「大きさが違いますので」


 正しい。


 正しいが、朝から人形四体の採寸会が始まるとは思わなかった。


 呉服屋だから、間違ってはいない。


 ただし、だいぶ小さい。


 小春が細い紐を持ってきた。


「人形なら、物差しよりこちらが測りやすいです」


 首から足先まで。


 肩幅。


 頭の大きさ。


 紐へ印をつけ、それを物差しへ当てる。


「なるほど」


 私は木彫り人形を寝かせ、紐を沿わせた。


 その横で、しるべが覗き込んでいる。


「しるべ、これはあなたの採寸ではありません」


 にゃ。


「あなた用は、もうあります」


 にゃ。


「人形のお客様が先です」


 しるべは、木彫り人形の隣へ寝転んだ。


 比較対象のつもりらしい。


 大きさが違いすぎる。


 人形用布団をしるべに合わせたら、もはや座布団である。


「若旦那、しるべも測りますか」


 子どもが言った。


「測りません」


「なんで?」


「すでに、しるべ布があります」


「お布団じゃないよ」


「本人は寝ています」


「枕がない」


 しまった。


 子どもの観察は細かい。


 しるべ布は、ただの敷き布。


 掛け布団も枕もない。


「猫は、自分で丸くなりますから」


 私が説明すると、子どもたちは納得していない顔をした。


 しるべだけ待遇が悪いと思われている。


 違う。


 猫は自分で好きな場所へ行く。


 掛けても出る。


 用意しても別の箱へ入る。


 前世の猫動画で何度も見た。


 高価な猫用寝床を買った横で、段ボールに入る猫。


 人間の善意を、価格ごと踏み越えていく生き物。


 それが猫である。


「人形のお布団を作るなら」


 小春が言った。


「端切れを使えます」


「また端切れですか」


「はい。ただ、布団なので、中へ詰めるものも必要です」


 お滝が台所から顔を出した。


「古い綿が少しあるよ。洗って干せば使える」


 材料はある。


 作り手もいる。


 あとは、誰が作るか。


 その時、黒瀬屋の千代さんが、雨の羽織の見本を届けに来た。


「おはようございます」


「千代さん、ちょうどよいところに」


 私が言うと、千代さんの顔に警戒が走った。


 最近、青柳屋で「ちょうどよいところに」と言われた人間は、だいたい仕事を頼まれる。


 学習している。


「何でしょう」


「人形のお布団を作れますか」


「人形の?」


 千代さんは帳場へ並んだ四体を見た。


 少し黙った。


「作れると思います」


「では、お願いできますか」


「私でよろしいのですか」


「千代さんがよいと思っています」


 千代さんの目が、少し揺れた。


「でも、これは小さな仕事です」


「小さいですね」


「小春さんなら、すぐに」


「小春さんにもできます」


「では」


「千代さんにもできます」


 千代さんは言葉を止めた。


 私は、昨日直した人形のおたまを思い出した。


 見えない裏側へ、当て布を入れた千代さんの手。


 古い縫い目を壊さず、新しい布を馴染ませた。


 あれは、誰にでもできる仕事ではない。


「小さな布を、ずれないように合わせる仕事です」


 私は言った。


「千代さんの手に合うと思います」


「でも、私はまだ、黒瀬屋でも表の仕事は少なくて」


「だからです」


「だから?」


「最初から大きな羽織を一人で受ける必要はありません」


 人形の布団。


 小さい。


 使う布も少ない。


 失敗しても、やり直せる。


 だが、子どもにとっては本物の注文だ。


 お金を払い、自分の人形のために選ぶ。


 練習だからと雑にはできない。


 でも、最初の仕事としては、ちょうどよい。


「千代さんの名で、受けてみませんか」


「私の名で?」


「はい」


 藤兵衛が帳面を開いた。


「担当職人、千代殿、と記します」


 千代さんは、帳面と人形を交互に見た。


 自分の名が、客の前へ出る。


 これまでは、帯の裏。


 袖の内側。


 誰が縫ったかわからない場所を支えてきた。


 その仕事も大事だ。


 だが今日は、子どもが完成を待っている。


「……やります」


 声は小さかった。


 でも、逃げなかった。


「お願いします」


 子どもたちへ、布を選んでもらうことになった。


 端切れ籠を出す。


 赤。


 青。


 黄色。


 花柄。


 縞。


 雨の羽織に使った薄藍の小さな残り。


 子どもたちは一斉に手を伸ばした。


「待ってください」


 私は慌てて止めた。


「一人ずつ」


「おはなは赤!」


「この子は黒がいい!」


「蛙のやつない?」


「金色がいい!」


 金色。


 急に豪華である。


 人形用布団に金襴を求めるとは。


「金色の布は、少し値が上がります」


 私が言うと、子どもは真剣に巾着の中を確認した。


 小さな銭が三枚。


 金襴には足りない。


「こちらの黄色なら、今のお代で作れます」


「金じゃない」


「黄色も、明るいです」


「金がいい」


 譲らない。


 子どもの要望は、時々、黒瀬伊織の正論より手強い。


 すると千代さんが、端切れ籠の奥から黄色い布を出した。


 縁に、ほんの少し金糸が入っている。


「こちらはどうでしょう」


 子どもの目が輝いた。


「金!」


「少しだけです」


「これがいい!」


 値の範囲。


 客の希望。


 材料の使い道。


 千代さんは、きちんと落とし所を見つけた。


「いいですね」


 私が言うと、千代さんは少し照れた。


「たまたま、見つけただけです」


「見つけるのも仕事です」


 布が決まり、採寸が終わった。


 掛け布団。


 敷き布団。


 小さな枕。


 四組。


 納期は五日後。


「明日じゃないの?」


 おはなの持ち主が聞いた。


「明日では、急ぎすぎます」


「おはな、今夜寒い」


「今夜は、こちらをお貸しします」


 私は端切れを一枚、小さく畳んで渡した。


「仮のお布団です」


「返すの?」


「完成したらお願いします」


 少女は少し考え、頷いた。


 無料で渡すのではない。


 貸す。


 戻す約束をする。


 子どもも客として扱う。


 その方が、きっと大事にしてくれる。


 午後から、千代さんの仕事が始まった。


 小さな布を切る。


 縫う。


 綿を詰める。


 角を整える。


 簡単そうに見えるが、布が小さい分、ごまかしが利かない。


 一針ずれると、布団全体が斜めになる。


「難しい」


 千代さんが言った。


「小さいのに」


 小春が隣で笑った。


「小さいからです」


「もっと簡単だと思っていました」


「私もです」


 私も糸切りを手伝っていた。


 人形の布団。


 端切れ。


 子どもの注文。


 気楽な仕事に見えた。


 だが、誰かが使うものは、大きさに関係なく難しい。


「一つ目、少し曲がりました」


 千代さんが敷き布団を見せた。


 右の角が、ほんの少し上がっている。


「ほどきますか」


「はい」


 迷わず糸をほどく。


 練習だから、このくらいでよいとは言わない。


 ただし、完璧になるまで何度もやり直すのも違う。


 人形が寝れば見えない程度の差。


 どこまで整えるか。


 小春と相談しながら進める。


 その途中、黒瀬伊織がやって来た。


 千代さんが人形の布団を縫っているのを見て、眉を寄せる。


「何をしている」


「人形用の寝具です」


「見ればわかる」


「千代さんの初めての担当仕事です」


 伊織は千代さんを見る。


「誰が決めた」


「私です」


「勝手に黒瀬屋の縫い手を使うな」


「注文は青柳屋で受けました。千代さんの手間賃は、きちんと黒瀬屋へお支払いします」


「そういう話では」


「私が、やりたいと言いました」


 千代さんが言った。


 伊織が黙る。


 千代さんは手を止めていた。


 だが、目は逸らさなかった。


「小さい仕事ですが」


「小さいな」


「はい。でも、私の名で受けました」


 伊織は、縫いかけの布団を見る。


 採寸紐。


 子どもが選んだ端切れ。


 注文を書いた小さな紙。


「納期は」


「五日後です」


「四組なら、三日でできる」


「伊織さん」


 私が言う。


「急がせないでください」


「計算を言っただけだ」


「千代さん」


 伊織は続けた。


「五日で決めたなら、五日で仕上げろ」


「はい」


「ただし、五日目の夕方まで引っ張るな」


「はい」


「四日目に終わらせて、最後の一日で確認しろ」


 厳しい。


 だが、拒まなかった。


 伊織なりの許可だった。


「ありがとうございます」


 千代さんが頭を下げる。


「俺に礼を言うな。客に言われろ」


 そう言って、伊織は帰ろうとした。


 店先で、しるべが縫いかけの敷き布団を狙っていることに気づく。


「若旦那」


「はい」


「猫をどけろ」


「今、対応します」


「初仕事を猫に潰されたら、笑い話にもならん」


 伊織は自分でしるべを抱き上げた。


 しるべが暴れる。


 伊織の黒い羽織へ、毛がつく。


 顔がさらに険しくなる。


 だが、猫を落とさず、しるべ布へ置いた。


「意外と優しいですね」


「取引品を守っただけだ」


「猫を両手で」


「うるさい」


 黒瀬伊織。


 猫にも合理性で接する男。


 しるべは不満そうに尻尾を振っていた。


 五日後。


 四組の布団が店先へ並んだ。


 赤い花柄。


 紺の縞。


 蛙の刺繍が入った緑。


 金糸が少しだけ光る黄色。


 大きさも、形も違う。


 頭の大きな人形には、枕を低くした。


 木彫りの細長い人形には、敷き布団を少し厚くした。


 向きが日替わりの布人形には、上下のない丸い布団を作った。


 千代さんが、一体ずつ考えたものだった。


 子どもたちが、迎えに来る。


「おはなの!」


「金だ!」


「蛙いる!」


「丸い!」


 店先が、一気に騒がしくなった。


 おはなの持ち主は、仮布団をきちんと畳んで返した。


「ありがとうございました」


「寒くなかった?」


「少しだけ」


「今夜からは大丈夫です」


 千代さんが赤い布団を渡す。


 少女は人形を寝かせ、掛け布団をかけた。


「ぴったり」


 その一言で、千代さんの表情がほどけた。


「これ、誰が作ったの?」


 少女が聞く。


 千代さんは、一瞬だけ答えに詰まった。


「千代さんです」


 私が言う。


「ちよさん?」


「はい」


 少女は千代さんを見上げた。


「ありがとう、ちよさん」


 小さな言葉だった。


 だが、千代さんは深く頭を下げた。


「こちらこそ、ありがとうございました」


 こちらこそ。


 作った側が、客に礼を言う。


 お金をもらったからではない。


 自分の手を、名前ごと受け取ってもらったからだ。


 四人の子どもが帰ったあと、藤兵衛が帳面を千代さんへ見せた。


 担当職人。


 千代。


 四件、納品済み。


 手直し、なし。


 千代さんは、その文字をしばらく見つめていた。


「私の名前が、帳面に」


「はい」


「黒瀬屋の帳面では、縫い手一、縫い手二、と書かれることが多くて」


 伊織が聞いたら、すぐ改善しそうな話である。


 いや、まずは本人へ言うべきか。


 ただ、今日は急いで問題にしなくてもいい。


 まず、この一行を受け取る日だ。


「小さな仕事でしたけど」


 千代さんが言った。


「小さかったですね」


 私は答えた。


「でも、千代さんの最初の仕事です」


 大きさと、重さは違う。


 人形の布団は小さい。


 使う布も少ない。


 代金も高くない。


 だが、職人が初めて自分の名で受けた仕事なら、軽くはない。


 夜。


 帳面に今日のことを書く。


 人形用寝具、四組。

 担当、千代。

 子ども四名、それぞれ布を選ぶ。

 仮布団、一枚貸し出し。返却済み。

 四組、納期内に完成。

 持ち主より、千代へ直接礼あり。

 しるべ、製作途中の布団を狙う。

 黒瀬伊織、猫を移動。


 最後の一行は、残しておこう。


 伊織は嫌がるだろうが、記録は正確でなければならない。


 小さな仕事。


 誰でもできそうな仕事。


 値段の高くない仕事。


 そういうものは、つい軽く扱われる。


 でも、小さいからこそ、最初の一歩にできることがある。


 大きな反物を任せる前に。


 高価な帯を縫う前に。


 人形の布団で、客の名を聞く。


 寸法を測る。


 納期を約束する。


 値を受け取る。


 自分の名で、ありがとうと言われる。


 どうせ一度死んだ身だ。


 今度は、仕事の大きさだけで、人の成長を測らないでいたい。


 小さな布団にも、職人の名は書ける。


 むしろ、最初の名は、小さい布の方がよく似合うのかもしれない。


 そう思ったところで、店先から声がした。


「若旦那」


 見ると、若葉が立っていた。


 手には、小さな人形。


 花街で使う、稽古用の人形らしい。


「この子にも、お布団をお願いできますか」


 千代さんが顔を上げる。


「私でよろしければ」


「千代さんにお願いしたいです」


「私をご存じで?」


「さっき、子どもたちが町じゅうで話していました。人形のお布団は、千代さんが作るって」


 早い。


 また噂が速い。


 納品から半刻も経っていない。


 この町の噂は、もはや脚ではない。


 翼がある。


 千代さんは人形を受け取った。


「どんな布がお好きですか」


 自分から聞いた。


 もう、声は震えていなかった。


 その横で、しるべが丸い人形布団の見本へ近づく。


「しるべ」


 私が呼ぶ。


 止まらない。


「あなたには小さすぎます」


 止まらない。


 しるべは丸い布団の上へ、無理やり身体を乗せた。


 当然、ほとんどはみ出す。


 だが、本人は満足そうだった。


 若葉が笑う。


「しるべも、千代さんのお布団が気に入ったみたいですね」


 千代さんも笑った。


「猫用は、もう少し大きくしないと」


「作らなくていいです」


 私は即答した。


 しるべが、にゃと鳴く。


 人形寝具部門は開店した。


 だが、猫用寝具部門まで増やすつもりはない。


 今のところは。


 私は小さな布団から大きくはみ出すしるべを見た。


 逃げたのではない。


 今日は職人の名を帳面に書き、明日は花街の人形を寝かせる布を選ぶのである。

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