魔法使いを呪う
すっかり自分たちのことに気をとられて、ここ、空洞の中のことを確認するのを忘れていた。
忘れる程度に魔物だとか、魔法装置とか、そういったものがない空間だった。
フェルディの放った『白百合の静寂』の浄化の力が充分に効いていて、瘴気どころか空気は外よりも清浄に思えた。
少しづつ地面は下り、天井が高くなっていく。そして現れたのは、見たこともないようなかなり古い時代の建造物、遺跡だった。
封印が解け、たまりきった瘴気が漏れ出していたのかもしれない。
柱には見たことのない文字のようなものが刻まれていた。魔法の仕掛けがあるのかもしれないけれど、『白百合の静寂』の浄化の光に洗われて、今は何も感じられなかった。
「テリィ、指輪を貸してほしい」
珍しくフェルディが指輪を欲しがった。
指輪は簡単に指から外れ、左手の甲を差し出されたので、指につけた。
明らかにフェルディの方が手が大きいのに、小指だとぶかぶかで、薬指だとぴったりだった。さすが魔具だけあるけど、指を選ぶ指輪の意図がわからない。
指輪を渡した途端、急に周りが暗くなった。地下の洞窟なのだから真っ暗なのが当たり前なのだけど、さっきまでの充分歩けるほどのほのかな光は、『白百合の静寂』の魔法の名残だったんだろうか。
暗闇の中、探るようにフェルディの右手が私の手に触れ、指を絡ませた。
時間が経つとともに、ぼんやりと周囲に光が湧き出してきた。
あまりにぼんやりとしていて、物をはっきりと見るには弱い光だった。光の源はティルたちが洞窟の入口で採っていたのと同じ、ヒカリゴケだ。地下の洞窟の中は、その壁も、地面も、天井も、遺跡そのものにも、たくさんのヒカリゴケが生えていた。
私たちの足跡が黒く転々と続いている。その部分のヒカリゴケを踏んでしまっていた。そっと手のひらを広げ、ゆっくりと魔法をかけて踏み潰してしまったヒカリゴケが蘇るのを助けた。
「テリィ。…強くならなくていいよ」
フェルディの握る手が強くなる。
「どんなに君が強くなっても、僕はきっと不安なんだ。だから、少しだけ不安を取り除かせてほしい。…いいかな」
変なことを聞く、と思った。でも、断る理由がない。
「いいよ」
私が答えると、フェルディがこくりと頷いた。
突然、強い光で目がくらんだ。
手を引き寄せられ、強い力で抱きしめられて、今まで受けたことのない強さで唇を重ねられた。
開いたままの目が、じっと見る。
押さえられた手が動かない。
違う。いつものフェルディじゃない。
目はもうまぶしくないのに、さっき浴びせられた光が頭の中をくらませている。
離れようとして押しても叩いてもびくともしない。腕を振り払おうとするとますます強く、抱きすくめられて、口移しで何かの呪いを流し込んでくる。
自分にかけた強化の魔法が効かない。力が出ない。もがいても身動きがとれない。
とっさに魔法が飛び出る。雷の魔法がフェルディと私の腕に当たり、刺すような痛みが走った。雷光が激しさを増していく。
フェルディを傷つけてしまう、そう思っただけで、怖くなった。
フェルディに、魔法を向けられない。
雷が消えていく。
束縛する腕の力は、傷を受けても緩まない。
だまされちゃ駄目だ。これは心ない口づけ。呪いを隠すための隠れ蓑にすぎない。腕を解き、呪言を切りさえすれば…
ゆっくりとほぐされる唇に、甘い呪いの言葉が伝わってくる。
背中に悪寒が走る。ぞくりとするのに、それが心をしびれさせる。
力が抜けていく…空から落ちていくように。空の上で魔力が切れた、あの後の、自分が知らないはずの記憶。
空に放り出され、地面に乞われ、落ちるスピードが増していく。
ポチャン、という音を立てて、丸くなった私がゆっくりと水の中に沈んでいく…
水が口を覆う。呼吸ができない。
ああ、私は、あの時、死んだんだ…。
体の力が抜けて、ずるりと滑るように背中が反り返る。
死ぬなんて、許さない
背中に回された手が崩れる体を支えながら、それでも容赦なく流される呪いの呪文。
ゆっくりと全身に呪いが広がっていく。
止めないと、早く。
そう思うのに、とうとう瞳を閉じてしまった。
涙が一滴、頬を伝った。
フェルディの心が一瞬、揺れたような気がした。それでも力は緩まらない。呪いの最後を吐き出すまで。
心臓が熱い。…鼓動が痛い。
ようやく離れようとした唇に、少し息をつくと、そこからまた新たな呪いを受けた。
謝らない…
心が聞こえた。
テリィを、守る。
テリィ…君が、好きだ。
封をするように強く押しつけられた後、ようやく顔が離れた。
目の前のフェルディは心を失ったかのように、表情がなかった。
昔、私がフェルディに向けた心ない口づけは、こんな感じだったんだろうか。
よろめきながら、その場に座り込む。まだくらくらする。
「…何をした。何の呪い……」
ゆっくりとフェルディが息をついた。
「『合わせ心』の呪いの改良版。一方通行にしてみた」
…ちょっと待て。それは、北の魔女のあの…
「僕の心に残っているから、アレンジは簡単だった」
「ど、どんなアレンジを、」
「君が死んでも、一度だけ復活する。合わせた心が蘇らせる」
急に笑みを浮かべたフェルディはとても悪い笑顔で、少し魔王に似ていた。嫌な予感がした。
「僕の心臓は君が作ったものだから、君に何かあったら君の元に返るようにした」
「そ、それは、私の心臓が止まったら、私は生き返って、フェルディは…」
ただ笑うだけのフェルディ。
「そんなの、嫌だ」
「じゃ、できるだけ、心は大事に」
な、なんて。
大事にするとか、そういうレベルじゃない。
「それともう一つ」
まだその上に?
「あんまり簡単に呪いを受けたから、ちょっと心配になって、僕以外の人が君を呪おうとしても、全てはじくようにした」
「か…、か、か…簡単…?」
あ、あれが?
「…君が教えてくれたんだ」
「私が? 何を」
「目くらましをして、ひるんだ隙に呪うこと。言葉で呪うより、口移しにする方が効果が高いこと」
それって、ベアトリーチェ姫に同行した時…。私は、同じことをした。大して考えもせず。
フェルディを巻き込みたくなくて、追ってこないでほしくて、かけた魔法は、確かに呪いだった。
ちゃんとかけたはずの魔法を振り切って、フェルディは私を助けに来てくれた。そして、その時のことをずっと忘れていなかった。
まさか、自分に跳ね返ってくるなんて…。
…自業自得?
フェルディは硬直する私を見て、吹き出して笑った。さっきかけた呪いの意地悪なんてまるで忘れたかのように、いつものフェルディに戻っていた。
「い、今、自分が悪いかもって思っただろ? あんなことされたのに…。やっぱり、テリィ、君は…僕のテリィだ」
そう言って絡みついてきたフェルディの腕は、さっきとは違って、縛りつけようとはしていなかった。
「…嫌われるかもしれないと思った」
耳元でつぶやく声。寄せられる頬がくすぐったい。
「魔法でやられるかと思ったのに、僕に魔法を使うのをためらったのがわかって、もう、愛しくてたまらなかった」
愛しい、と言う言葉に、過剰反応してしまう。自分の顔に血が上るのがわかる。
「君は僕に自信をくれる。僕がそばにいていいと許してくれるだけで、本当は喜ばなきゃいけないのに、僕はどんどん欲深くなっていく」
フェルディが、私の腕にあった雷の魔法の傷に気づき、そっと唇を当てた。すでに幾分か治っていた傷は、すぐに消えた。フェルディの傷もない。
「君は夢を目指し、僕はもう君のそばにいられなくなる。でも、君を守りたい。…君を止めずに、ちゃんと見守る方法が、他に思い浮かばなかった」
そんなこと言われたって、これを許すわけにはいかない。
「…こんな呪い、解くから」
暗闇でも、フェルディが薄ら笑っているのがわかる。
「フェルディが私の代わりに死ぬなんて、絶対に駄目だ。絶対に、解く」
「何度でも呪うよ。何度でも、だ。」
「次は引っかからない」
「次はもっと簡単にかかるよ」
「絶対にない!」
そう言いながら、自分の力が足りないことをこんなに思い知らされるなんて、悔しくてたまらない。こんなにも、圧倒的に負けるなんて。
フェルディは、自分の指から指輪を外すと、私の指に戻した。
自分の呪いが浄化されないよう、一時的に引き取っていたのかもしれない。あるいは、自身の呪いの力を強めるために…。
フェルディと『白百合の静寂』の相乗効果で呪われて、かなうわけがない。
でもこれは立ち向かうべき「課題」だ。負けていられない。
「…僕のこと、怖い?」
改めて聞かれると、…まだ少し怖い。
思わず、自分のシャツの胸の部分を握りしめた。
悔しくて、意地悪を言いたくなった。
「怖い。怖いから許さない。許してほしかったら、呪いを解いて」
「同じ方法でないと解けないと言っても、そう言う?」
…からかわれてる。
「解く気、ある?」
「ない」
「…絶対、解くから。解いてくれないなら、自分で解くから」
「頑張るのは、ここを出てからで。でないと、テリィが本気を出すと、この遺跡も、ヒカリゴケも、みんななくなってしまう」
そう言われて、周りを改めて見回した。
うっすらと光るこけの光に照らされて、ぼんやりと浮き上がる遺跡。
とても、きれいだった。もうしばらく、ここにいたかった。淡い光を受けた不思議な景色を見ながら、フェルディと二人で。
でも、みんな心配しているだろう。
「テリィ。僕は、専科に行こうと思う」
フェルディの手が、少し私を引き寄せた。
「君との将来を決めるのは、ちゃんと自分で稼げるようになってからにしたい。もう3年、伸びてしまうけど」
専科、つまり学生を続けると言うことだ。
伯父の呪術の講義は、私よりフェルディの方がちゃんと聴いているし、伯父も私より優秀な弟子だと言っている。私は黒い森の館では水やり要員だ。
『白百合の静寂』も、フェルディだけが使いこなせる。フェルディ自身の癒やしの力も、少しづつコントロールできるようになっている。それに、あんな呪いまで…。
フェルディの力は、きちんと学んで、きちんと使えるようにした方がいい。
「フェルディがそうしたいなら、いいと思う」
一緒にいられるのは、あと1年もない。
ずっと一緒にいてくれたフェルディと私の進む道は、もうすぐ変わるんだ。
さみしい、と思ってしまった。当たり前のことなのに。
「ずっとそばにいてくれて、ありがとう。…フェルディのこと、好きだった」
感謝の気持ちを込めたその言葉に、露骨に眉をひそめられ、
「ええ…?」
と言われた。
…変なこと、言っただろうか。
「そこ、過去形? 過去のことにするつもりなら、あんな呪い、かけないけど」
…? …ああ、そういうつもりじゃ…ない、けど。
「じゃ、呪い、解いてくれる?」
「…挑発するなあ…」
フェルディは、両手で私の頬を挟んで、鼻が触れるくらい近くにまで寄ってきた。
コツン、と額と額がぶつかった。
「じゃ、解こうか? 仕方がない。失敗するかもしれないけど」
寄せられた唇は怖くない代わりに、呪いが解ける気配は全くなかった。
転移魔法で無事地上に戻ると、ティルとジェイスは先生のところにも行かず、私たちを助けるために土を掻き出そうと懸命になっていた。
フェルディは二人と交渉して、遺跡の「発見者」に仕立て上げた。
ティルとジェイスはヒカリゴケと一緒に壁にあった魔法石を外していたらしい。
「石を外したことがさっきの落石と関係があるかもしれないけど、黙っとくし」
そう言われたティルとジェイスは、速攻で首を縦に振った。
ティルが地下に遺跡があることを話すと、クラスのみんなは大盛り上がりになり、先生もノリノリで、そこから野外実習本番となった。
みんなで魔法を駆使して洞窟の周りの土壌を固定し、崩落した部分を掘り出して、私たちが通った地下への穴を見つけると、そこからクラスの全員で地下の遺跡にたどり着くことができた。
ジェイスが走り出したので、足がヒカリゴケの生えた地面に着く寸前に魔法をかけ、この洞窟内全体、地上5センチのところにガラスの床を張り巡らせた。
1時間ほどしか持たないけれど、ヒカリゴケを踏むことなく、遺跡まで近づけるようになった。
先生を含め、何人かは私の魔法だと気がついたようだった。
そこへティルが
「すっげえ、遺跡の自動防御の魔法か??」
と言いながらジェイスの元に走り、つるんと滑って転んだ。
転んでも床が割れなかったので、周りのみんなも安心してその上に乗って、ゆっくりと遺跡に近づき、ぼんやりと柔らかな光に浮かぶ遺跡をみんなで見守った。
誰も私の魔法をすごいとも怖いとも言わなかった。
それが嬉しかった。
後で、魔法騎士団と王城の研究者が来ることになったので、そのときの事情聴取はティルとジェイスに頑張ってもらうことにした。
後日談ながら、この洞穴の中の浄化があまりにすごい、これは古代魔法かと研究者が興奮していたそうだ。
『白百合の静寂』の、そしてフェルディの浄化の力であることは誰も知らないし、知られることもないだろう。




