心を食う羊
Λιεφιε、テレシアを助けて!
Σηουχηι σιτα
金属音のようなノイズ
地を揺るがす雄叫び
手が離れる
かあさま!
黒いものが、金色のギラギラした目が、薄緑色の膜の外で渦になってかあさまを襲う。
助けて…誰か、かあさまを助けて!
守る緑が崩れていく
かあさま!
悪夢で目が覚める。
見覚えがないはずの、夢。知らない。覚えていない。
それなのに震えが止まらない。
今いるのは、自分の部屋。何故かリーヴェの家に戻っている。
覚えているのは、…知らない場所。
腕が引きちぎれそうなほど引っ張られて、
青い光で眠らされて、
助けに来てくれた。
あきらめてたのに、来てくれた。
泣きそうな顔で、起きろ、と叫んでいたのに。
なぜ自分がここにいるのか、わからない。
黒い影があざ笑う
「ニセモノ令嬢だ」
指をさされる
「魔物の子だ」
怖がられる
「魔族だ」
突き飛ばされる
「ばけものだ」
悲鳴を上げそうになって口を押える。
知らない。こんなの知らない。
逃げなければ、
裸足のままでいい、外へ…どこかへ…
「笑えよ」
「何したって泣きもしない」
「可愛げがない」
「誰にも似てない、みすぼらしい髪の色」
「あんな子のそばにいるなんて心配だわ」
「なんて乱暴な子だ」
知らない、知らない、知らなければ、ダイジョウブ
「四聖様なんだから、当然」
「できないとはいわせない」
「とっとと行って来い!」
「どうせ代わりはいる」
「使い倒せ」
「あれ以上力をつける前に始末すれば」
「欲しがるものに売ればいい」
幻聴だ。夢だ。何の夢? 知らない。
いない、あの人がいない。
かあさまが消えた。
緑の人が消えた。
あの人も消えた。
私のせいで…
私の近くにいるから…私の…
これはいけないものだ。頭の中にいてはいけないもの
これは違う。退治しないといけない。
これはないものだ。
これは記憶じゃない、いらないもの。
食べてしまえ。
みんな食い散らせ、消してしまえ!
■
誰かの悲鳴で目が覚めた。
まだリーヴェ家にいる。
ああ、また倒れてしまったのか。今回はちゃんと最後まで、家まで送り届けたのに。
今日こそは自分も家に帰ろうと思っていたのに。
今は悲鳴は聞こえない。
夢だったのか。
まだ熱っぽい。どんなに鍛えてもすぐに熱が出てしまうこの体は、どうなってるんだろう。
心当たりは、…あれか。
テリィを背負って歩く間、ずっとテリィが目覚めることを願っていた。
僕の「慈悲の力」が本当なら、温かい背中から力のおすそ分けをねだられれば、無意識じゃなくても嫌だとは言えない。それで倒れていちゃ本末転倒なんだけど。…それは今後の自分への課題だ。
夜中らしく、辺りは静まり返っている。
丸い月が空高くに上ってる。テリィが戻ってきたときは、昇り始めたばかりだった赤い月が、金色に変わっていた。
できるなら、無事な姿を見たい。目覚めるところは見ることができなかったけど、無事なのは確かだ。
まずは自分が調子を取り戻さないと。こんな状態で誰に会いたいと言っても、どうにもならない。
ゆっくりと息をつく。
目を閉じると、さっきの悲鳴がまた聞こえたような気がした。
ベッドから降り、窓を開けて外を覗いてみる。
わずかに風を感じるだけで、何もない。それなのに、やけに気になる。
行儀が悪いのは承知の上で、窓から手の届きそうなところにあった木の枝を伝って、下に降りた。
かすかに聞こえる、うなるような低い声。
とぎれとぎれで聞こえてくるその声に近づく。
少し草の茂った木の下に、小さく頭を抱えてうずくまった人がいた。
その頭の上には、黒い闇色の丸いものが乗っかっている。
モヤモヤとした闇は、じっと見ているとやがて二頭身の羊に変化した。
見るからにかわいげのない黒い羊が、横長の瞳孔を光らせ、反芻しながら髪を食べている。…いや、食べているのは…
とっさに羊を手で払いのけると、羊はコロンと転がり、そのまま黒い闇になって消えた。
魔物?
この屋敷に、魔物が、いる?
うずくまっているのは、テリィだった。
テリィの内側から、黒い靄が上がる。少しづつ大きくなって、また羊が現れた。
近くに僕がいても見向きもせず、テリィの頭に食らいつく。
チガウ、チガウ、・・・・シラナイ、シラナイ・・・・
バリッ ムシャムシャムシャ
羊が頭の何かを音を立てて食らう。
すると、頭を抱えて縮こまっていたテリィが、すうっと嘘のように冷静になった。
冷静? …違う、無表情だ。
「テリィ?」
僕の声にビクン、と体が動く。目を合わせない。軽く肩に触れると、大きく動揺する。
また闇が浮かび、羊が出てくる。
テリィがガタガタと震えだす。
キエナイ…キエナイ、キエナイ
羊が食らう。
羊は軽く払っただけですぐに消える。でもまたすぐに出てくる。
頭を抱える手をそっとつかむと、
コレハ クワネバナラヌ モノダ
答える魔物、逃げるように震えているテリィ。心を乗っ取られているわけじゃ、ない。だけど、あきらかに怯えている。
僕は羊に問いかけた。
「何を、…食べてるんだ?」
羊はそっぽを向き、口を動かし続ける。
「おいしい?」
マズイ
そういいながらも、バリバリと食べる。
ハヤク、クウ。ハヤク、ケス。イラナイ、イラナイ、コンナモノ。イラナイ
マズイ、イヤダ、シラナイ、シラナイ
クエ。クエバヘイキ。クッテシマエ
羊が徐々に増えていき、気がつけば群れを成していた。
食べても食べても減らない、湧き上がる一方の何か。
羊がつながり、どんどん大きくなる。
小さな羊で食い尽くせない何かを、大きくなった羊が一口で「クッテヤル」、と襲い掛かってきた。
近くにあった枝で羊を追い払うと、大きな羊は大きな口を開けたまま、固まり、はじけて、消えた。
あまりにあっけなくいなくなる。
だけどまた小さな闇が浮かび、それが羊になる。
生み出しているのは、テリィ自身だ。
「私は平気だ」
四聖だったころのような無表情。
羊が食い続ける。
「ちっとも平気じゃないじゃないか」
「何を言われたって、気にしない」
「変なこと言われたら気にして当たり前だ」
「私は化け物だ」
「化け物なんかに負けないだろ?」
テリィの肩に乗った羊が笑う。
「私は生意気でかわいくない」
「大丈夫、とってもかわいい」
その羊を指で弾き飛ばすと、風船のように割れた。
「私なんていなくなればいい」
「いてほしい。いなくなるなんて、…許さない」
そっとテリィを腕の中にとりこむと、テリィは僕のシャツをぎゅっとつかんだ。
出てくる言葉は、「おまえは」で始まる、浴びせられてきた言葉。
ずっとこの「羊」の魔物に食わせて、なかったことにしていたんだろう。
羊は、言葉と一緒にテリィの心も食っている。
甦ったばかりの心にあふれる言葉を、記憶を、羊が消化しきれない。
「私はリーヴェ家の恥だ」
「お父さんも、お母さんも、テリィを大事に思ってるよ」
「私だけみすぼらしい灰色の髪」
「僕は好きだ」
「私がいるから魔物が出る」
「魔物が出るところに呼びだされているだけだ。言いがかりだよ」
「私が…いるから、…かあさまが死んだ」
無表情が崩れ、目から涙があふれる。声を上げて、しゃくりあげて泣く。
思い出してしまったんだ。アリシアさんが目の前で死んでしまった、ずっと昔のことまで…
大きな羊が現れる。
口を開けて待っている。
辛い記憶を食わせろと。全て消してやると。
「テリィのせいじゃない」
白百合の王が動かす体の中で、僕は過去の真実を聞いた。
「テリィは、何も悪くない」
「緑の人も死んでしまった」
「リーフィさんは死んでないよ」
「フェルディも死んでしまった」
へ?
「ちょ…、…テリィ?」
「大きな刃が刺さって、血がいっぱい出て…」
ああ、そうか。僕が死んだときのことも思い出してるのか。
「…私のせいで…みんな…」
なのに、自分が僕を助けたことは、思い出してないなんて。
僕を含めてテリィを一飲みにしようとする大きな羊を、僕は手刀で正面から思いっきり叩いた。
邪悪な顔をして口が裂けた羊は、ぼこんと割れて、あっけないほど簡単に消えた。
「僕は誰?」
テリィを腕の中から引き上げると、目を合わせようともしない顔を自分の目の高さに置いた。
「僕を覚えてる? 羊に食わせて、忘れた?」
じっと僕を見る。本当に忘れてるかもしれない。
僕はもう食われたんだろうか。もう、忘れられてしまった…?
「追いかけて、助けに行ったのに」
ジーっと見る。でも反応がない。
「相棒になって一緒に兄貴を倒したのに」
首をかしげる姿が可愛い。…ああ、可愛いなんて思ってる場合じゃない。
「一緒に魔王の弟子になったのに」
視線が揺れている。何か思い出そうとしている。
もっと印象の強いことで記憶を揺さぶれば…
何か…。
あれだ。
「寝てる僕にキスしたくせに」
自分で言って恥ずかしくなった。
それでも目をそらさずにいると、ぴくっと小さく身を震わせて、顔を赤くした。そして急に
「え…、えっ、あ…」
と慌てまくるので、すかさず
「あんなことしといて忘れて済まそうなんて」
と、わざとらしく文句を言った。
すると、急に羊が3匹沸いて、慌てて食おうと一斉にとびかかる。
忘れられてたまるか! 2匹をパンチで消し、1匹を捕まえてテリィに見せつけた。
「忘れようっての? 思い出しかけたら、こいつに食わせて、なかったことにするつもり?」
自分で言ううちに、だんだん自信がなくなってくる。
忘れたい程度のこと、なんだろうか。
「まさか、僕のこと忘れてないよね」
ちらっと僕を見る。…もじもじしてる。
「僕は誰?」
もう一度聞くと、
「フェ…、フェルディ…」
ようやく僕の名前が出てきた。
それをきっかけに周りにいた羊は動きを止め、少しづつ消えていった。
手の中の1匹は離して欲しそうに暴れている。
「君をここに連れて戻ったのは僕なのに、死んだとでも思ったわけ?」
返事をしない。仕方ない、テリィはずっと眠っていたんだから。
最後の記憶はあのむかつく伯爵の館、もしかしたらそれさえ記憶にないかもしれない。
「こいつに食わせようとするなんて…、テリィにとって、あれは消したい程度のものだったんだ」
自分への自信のなさで、つい愚痴になってしまった。それを
「違うっ」
とテリィがはっきりと力強く否定した。
「は、恥ずかしいのだけ、なくして、平気に、なりたかった、だけ…。」
「平気なふりをしたかった、と」
小さくうなずく。
クールな振りをしたかっただけで、忘れたい訳じゃなかった。
どうしよう。嬉しい。にやけそうになる。
いや、まだだ。喜んでいる場合じゃない。
僕がもらった自信を、テリィに返さないと。
「この羊は、君が作った、自作の魔物もどきだね」
手に残る、僕とのことを食おうとした羊を指ではじいて消した。
「自分の記憶を食ってなかったことにしようなんて、駄目だよ、テリィ。心をなくすと魔物になってしまう」
羊がまた出てくる。でも、頭はかじらない。かじりたそうな顔をしてる。
クワセロ、クワセロ、シラナイ、シラナイ、
「心を消すと、大事なものも一緒に消えてしまう」
羊を指で軽くつつくと、簡単に割れて消えた。
簡単に消え、簡単に生まれる。羊は、テリィにとってなじみの手軽なアイテムだ。
作りがずいぶん簡単で幼稚だ。幼い頃に思いついたんだろうか。いつからこうやって、つらいことを全て羊に食わせ、忘れてきたんだろう。
「愚痴ぐらいなら聞くよ。怖くなったら、逃げてもいい。つらい時には、泣いていいんだ」
甦った心と一緒に戻ってきた消えたはずの記憶は、これからもテリィを困らせるんだろう。
耐えられなくて、いくつかは消してしまうのかもしれない。
消して、なかったことにするのも、幸せなんだろうか。
でも、心をなくし、ようやく見せてくれるようになった笑顔をなくされてしまうのは、僕は嫌だ。羊に食いつくされる前に会えてよかった。今、ここに残ることができた自分の虚弱体質に感謝したいくらいだ。
そういえば、指輪。
『白百合の静寂』は、浄化の指輪なのに、なんで羊には効かないんだろう。
今向けられている「悪意」じゃないから? 思い出の中の、傷ついた心が生み出す痛みだからなんだろうか。
テリィの左手をとって、指輪に触れた。
「これは、アリシアさん、テリィのお母さんのものだ。これは、テリィの言う緑の人の力が込められてる。リーフィさんって言って、お母さんのお友達で、君のことをとても大事に思って、守ってくれた人だ。今はお母さんと一緒にどこかに行ってしまったけれど、それは、リーフィさんの意思で、君のせいじゃない。お母さんは、本当に君の無事を願っていた。…今度、お母さんのことも、リーフィさんのことも、僕が知っていることを話すよ」
指輪が、少し光を持った。
直接指輪をもらったのが僕だから、僕でないと発動できないんだろうか。
それじゃあ、羊の毛刈りを指輪に任せてみよう。
すこし魔力を指輪に送ると、指輪の光が強まり、辺りの羊を一掃するとまた元の指輪に戻った。
「きっと指輪が守ってくれるから」
本当は、テリィ自身がこの指輪の力を使えるといいんだけど。
僕はゆっくりと立ち上がって、少し揺れる世界に酔いそうになるのを我慢した。
部屋に戻る方法を考えていると、僕の背後にいたテリィが僕のシャツの裾を握りしめ、僕を引き留めた。
「…そばにいてほしい」
小さな声だったけれど、それは懇願だった。
「ひとりだと、心を食べてもらわないと、…生きていけない」
ひとりじゃないよ、と言っても、不安は取れないだろう。ひとりじゃないことは、きっとわかってる。でも、怖くて仕方がないんだ。
「怖いものがなくなれば、ひとりで生きていけると思ってた。でも」
「もう、テリィは、心なくはなれない。そうだろ?」
僕はゆっくりと振り返って、テリィを見た。
「一応、先に言っておくけど。僕は結構残念な男だよ。優秀な兄2人に何をやってもかなわなくて、劣等感丸出しだし、魔法では多分君の足元にも及ばない。この通り、体が弱くてすぐ寝込むし、助けに行ってもちゃんと助けられないし」
テリィが首を振って、僕の言葉を否定する。でも、僕はそういう人間だ。
「それでもきっと、何かあったら助けに行く。そばにいる。だから、約束してほしい」
例え約束を破っても、そばにいるつもりだけれど。それは今は言わないでおこう。
「自分を大事にすること。僕や周りの人を理由に自分を投げ出さないこと。心をなくした魔物にならないこと」
「…努力、する」
そこで「はい」、と言わないところがテリィらしい。
僕は、熱でもうろうとしながらも、今の3つの言葉を呪いに仕立てて、ほんの一瞬、額に唇が触れるだけの封をした。
「僕は、ずっと一緒にいるなら、人がいいな。魔物じゃペットにはできても、お嫁さんにはできないし」
茶化してそう言ったのに、
「…努力…し…」
僕に呪われたテリィの声はとても小さくて、語尾までは聞こえなかった。
できるだけ音を立てないように気を付けて、テリィを部屋まで送った。
そして、自分の借りている部屋まで戻った時が、もう限界だった。
ドアを閉めて、倒れ込んだのはベッドの上だったはずだ。
息苦しさとだるさとめまいに、気を失いそうだった。それでも、迷子になりそうなテリィを取り戻すことができて、何より嬉しかった。
もしも僕がもっと丈夫で、もっと強くて、どんな時でも守ってあげられるほどの力があれば、今でも不安に思う人のそばで、一晩中見守って、手をつないでいてあげられるんだろう。
それができない自分を悔しがるしかないのがいつもの僕だったけど、今日はこれでいい、そう思えた。
窓が開けっぱなしなのに気が付いた。
でも、もう閉めに行く気力もなかった。
ギリシア文字は人名と、日本語のローマ字表記(ヘボン式)を変換したものです。
正しく発音できるかはわかりません。
変換:
http://smallvoice.la.coocan.jp/greekstring/
活用させていただきました。ありがとうございます。




