月明かりの道
アリシアさんが抜けた後も、テリィの体は普通に呼吸をし、鼓動を打っていた。
ちゃんと生きている。
あとは、心の戻し方だ。魔王が追いだしたテリィの心はどこにあるんだろう。
多分、探すためのヒントは、『白百合の静寂』。
僕は、自分の左の薬指にはめられていた、乳白色に輝く指輪を取り外した。
僕より細い指を考えると、親指あたりか、と、テリィの手にはめようとしたけれど、全然通らない。この指輪、こんなに小さかったっけ。中指…入らない。僕より指が太い? まさか。
その隣の指に入れると、すっぽりと収まった。まあいいか。
指輪を預けると、寝転がったままのテリィを何とか背負い、丘の下にあるリーヴェ家に向かって歩いた。
月明かりのおかげで、真っ暗ではないのが助かる。
周りには、百合の花が咲いていた。
アリシアさんが去った場所に群生し、その道すがら所々に藪から長い茎が飛び出し、凜とした花が月の光に白く浮かび上がっていた
黙々と歩きながら、ふと、ぼそぼそと独り言のように言葉が口からついて出た。
「月の道をたどり
波の元へ帰る
海の泡は集い
我の元へ還る」
思い出そうとしても、思い出せない、リーフィさんが教えてくれた呪文。
言葉として記憶できないのに、やりたいことを思い浮かべると、音が口から流れ出す。まさに呪文だった。
テリィに渡した指輪から泡のような光が渦巻きながらはじけ出ているのに、僕は気がつかなかった。
急にあたりが真っ暗になった。
気が付くと、僕は一人で立っていて、背負っていたはずのテリィはいなくなっていた。
白い百合の花が暗闇の中でぽつぽつと浮かんでいる。
突然、背中に衝撃が走った。
自分は立っているのに、倒れていくような錯覚。
胸を貫いた刃を腕に突き刺す。止められない。
刃を掴んで、止めようとする。刃先を天に、もう一つの心臓を狙わせないように。
刃に手が触れる。
パリンッ
刃が、砕けた。あんなに、あまりにも軽い音で、あんなにも簡単に。
あの禍々しい色の呪いに満ちた刃が、虹色に輝いて割れた破片が空気に溶けていく。
これは、あの時の…、僕が知らない、僕が死んだ後の世界。
あれは、僕がやったの、か?
信じられないけれど、呪われた刃から呪いを解いたのは、僕だ。
テリィの怒りに傀儡が一瞬で蒸発し、消えた。ほんの一瞬。なんて力だ。
僕の体に流れる、治癒の魔法。足の、手の、顔の、体中の傷を癒し、そして潰れた心臓を再生する。
心臓が熱い。
不足する血液が増やされても、ポンプが動かない。
死んだ僕を見て、テリィが泣く。僕を抱きしめて、絶望する。
「うわあああああああああ」
慟哭と共に、北の魔女が瞬時に燃え尽きる。破片も、灰さえも残さず。まさに、瞬殺だ。
四聖として、この国のNo.4の魔法使いとして戦ってきた、テリィの魔力はわかっているつもりだった。
でも、そんなものじゃない。これは、感情が発動する、理性の制限を超えたテリィの真の力。
迷うな、…行け
『白百合の静寂』から発せられた呪言の光に怯みそうになった時、あの時確かにテリィはいた。
どんな大きな魔法を前にしても怯まない。それは魔力の多さだけがもたらすものじゃない。ずっと戦ってきたテリィが身につけた強さだ。
テリィはすぐ近くにいる。魔王に消されたなんてみじんも疑う必要はない。
僕の体が崩れて、テリィも倒れる。
テリィが何かに気付く。
疑いながら、僕の体に魔法を流す。
何かを探している魔法だ。
刺された後に残る、目には見えない傷。そこからもっと奥、ずっと奥を探る。
――その命がその役目のために散りかけた時、最後の魔力の雫を我が手元に隠した。
――わずか一滴残ったそれに気づき、手当てする者が命をつないだ。
テリィが探しているのは、リーフィさんが隠し持った僕の魔力。
強い魔法が流される。
目に見えない傷が邪魔をする。
テリィはまだ「5つの心なき口づけ」の呪いを持っていた。
目に見えない傷は、「合わせ心」の呪いを受けた刃で負わされた、解除しきれていない呪いの残骸。
その傷に、テリィが口づける。水竜の魔法に乗せて二つの「心」の呪いが合わさり、二つの呪いは解け、傷が消える。
水竜の魔法がより奥にあるものを目指して流れ込む。
体の中に巡る力に、チリチリとした痛みを覚える。今じゃない、過去のことなのに。
僕の魔力に届く。一滴の魔力を水竜が飲み込む。
竜の体の中で、うねる水は僕の魔力に代わる。
傀儡に吸い取られ、呪いで極限まで減らされた魔力で、なおこの量。
…国と魔王との交渉にだって使われてしまうわけだ。
もう二度と、テリィに破滅の魔法を使わせてはいけない。
誰にも知られてはいけない。
僕は、守らなければいけない。
――自らを侮るものも、やがてその真実を知るだろう。
リーフィさんの言葉がよみがえる。
――お前は無意識のうちに慈悲の力を使う。
僕は、自分を知らない。
でも、いくつか心当たりはある。
誰かが怪我をした時、誰かが病気になった時、僕はいつもつられて倒れ、その人よりも長く寝込んでいた。
ベアトリーチェ姫の呪いを感じた時もだ。
同じようなだるさや熱は、昔から何度も味わってきた。ただ体が弱いと思っていた。でもそうじゃないとしたら。
僕は、知らなければいけない。
呪いを砕ける、自分の力を。
周りに与える、慈悲の力を。
そしてそれを自分の意志でコントロールする方法を。
呪詛を、魔法を、自分自身を。
自分の力不足を嘆くより、倒れる理由を知って、倒れない人間にならなければ、あの子は守れない。
テリィが僕の魔力の最後の一滴を見つけてくれたように、僕もテリィを見つけよう。
…いや、もう見つかっている。
僕の胸がじんわりと暖かい。
僕らは、合わせ心の呪いでつながっている。
僕の心臓は、テリィが再生した。だから僕の心臓は、僕のものでありながら、テリィのものだ。
そして、呪いをかけた魔女、北の魔女が作った指輪『白百合の静寂』が、僕らをつなげてくれている。
あの日僕を殺した北の魔女に感謝していい。
僕はあの子の呪いになっているんだから。
シュワシュワと泡がはじける。
僕の心から泡が生まれ、ゆっくりと集まる。
心臓から沸き立つ泡が指輪に引き寄せられていく。
そして、指輪からテリィの体にゆっくりと広がり、満ち渡っていく。
僕は、テリィを背負って、月明かりの道を歩いていた。
背中で眠るテリィには、テリィ自身の心が戻ってきているのを感じた。
寝息を聞きながら、今度こそきっとテリィを無事に連れ帰る、とふらつく足を踏みしめて、緩い下り道を降りて行った。




