同じ願いを分かち合う者
自分に割り当てられた一室に入ると、ベッドの上に飛び乗り、正座したまま顔を枕にうずめた。
なんであんなことを言ったんだろう。
恥ずかしさに後悔を口にしてはみたものの、心の奥ではアリシアさんの願いを叶える手助けができたのを、さほど悔いてはいなかった。
アリシアさんの、テリィを思う気持ちは、本物だと感じた。そう思えるなら、アリシアさんの言った「テレシアを返す」という言葉を信じられるかもしれない。
丸めていた体をゆっくりと伸ばす。
うつぶせになった体に異変を感じた。
胸に感じる妙な圧迫感。
やせていて、決して豊満とは言えない体つきだと思っていたのに、そこに胸があるのを体で感じ取ると、自分がまだテリィの体のままなのだと改めて思い知らされた。
ついさっきまで、テリィのことをあきらめようとしていた自分が、急に変態じみた執着心を持った。
もし、これが本人の体を忠実に再現しているとしたら、
頑張って鍛えている割に、細い腕だ。魔法の強化なしだと剣を振り遅れるわけだ。
肩が薄い。すぐに鎖骨に当たる。細い首。心臓に届くまでに、柔らかな筋肉が隆起して…
それ以上は駄目だ。ゆっくりと動かしていた手を止める。
安易に好きな子の姿になると志願した自分が、下衆で最低な人間に思え、それなのに妙にドキドキして、疲れを感じているのに眠れなくなってしまった。
冴えてしまった目に、机の上で光る白いものが目に入った。
起き上がって確認すると、乳白色の石が付いた指輪が置いてあった。誰かの忘れ物だろうか。
青白く光る指輪に乞われて、月の明かりが届く位置に移動する。もうすぐ満月が近かった。
白い石は月の光を浴びて、その光の中の青さを強めていた。
石の望むまま、しばらく月光浴をさせた。忘れ物なら、そのうちだれかが取りに来るだろう。
ノックの音がして、ドアを開けると、アリシアさんが立っていた。
「少し、いいかしら?」
周りから見れば、鏡のように同じ顔のものが向き合っているんだろう。
「どうぞ」
アリシアさんが発するよりも低めの、同じ声が答えた。
机用の椅子を用意してアリシアさんに座ってもらい、僕はベッドに座った。
「その姿、ありがとう。フェルディ、本当にありがとう」
「いえ、あの…術をかけたのは魔王、ヴィットリオさんですから」
「私の願いを伝えてくれたのは、あなたでしょう?」
微笑みながらも、少し寂しそうな顔をしていた。
「あの人は、私の願いがわからないの」
懸命に、笑おうとしていた。いつも笑顔で柔らかく話す人だった。そういう人だと思っていた。
でも力尽きたように、笑顔が少しづつ、消えていく。
「あの人の中にあるのは、私はこう望んでいるだろうと思う自分勝手な解釈だけ。それは自分の望みでしかないことに、気が付いていないの」
「…今、ヴィットリオさんは?」
「夜に来客があるからと、黒い森の館に帰ったわ。明日の夕方に迎えに来ると言って…」
ここには、魔王の目はない。アリシアさんは、本心を告げようとしている。僕もずっと聞きたかったことを、聞いてもいいのかもしれない。
「アリシアさんは、テリィの体で生きることを望んでいますか?」
「いいえ」
その答えは、すぐに返ってきた。少しの迷いもなかった。
「私は、自分の体を失ってから、ずっと長い間、ガラス玉の中に閉じ込められていた。生き返る方法を探ると何度も外に出されて、また閉じ込められて…」
手がぎゅっと握りしめられる。手に爪が食い込むほど、強く。
「あの人は、魂さえあれば、私が生き返ると思い込んでいるの。それが私の幸せだと。だけど、そうじゃない。私が消えた時から、いえ、消える前から私の願いは変わることはなかった。ずっとそう言っていたのに、あの人は私の願いを叶えようとしてくれなかった。だから、私は自分の願いを叶えることにしたの。自分の力で」
ゆっくりと、アリシアさんは立ち上がった。
「手伝ってほしいの」
向かった先は、机。
「私は、もうすぐ消える」
机の上の指輪を手に取った。
「月の光を与えてくれたのね。フェルディ、やっぱりあなた、素敵だわ」
そして、ゆっくりと僕のそばに来て、
「月の光の加護を、あなたに託すわね」
僕の手のひらに、その指輪を乗せた。同じ指輪が、アリシアさんの左手にもつけられていた。見た目は全く同じなのに、感じる力は全く異質のものだった。
手の中の指輪には、さっき持った時には感じられなかった、圧倒的な力が込められていた。
吸い込んだ月の光をまき散らすように光り、目がくらむ。
思わず目を閉じると、体が後ろに倒れた。吹き飛ばされるような衝撃だった。
目を開けると、そこは荒れ狂う世界。
指輪を狙う3人の魔法使い。
指輪を守ろうとするアリシアさん。その姿はさっき見た、テリィより少し背の高い、金色の髪の姿。
リーフィ、テレシアを守って!
薄緑色の髪をした何かが、小さき者を守る。灰色の髪をした、小さな女の子を。
母を求めて駆け寄ろうとするその子を、緑の髪の守り人が異質な魔法で守る。
――本当は、本当に守りたいのは、我が友、アリシア。
――だが、その時の私に守れるのは、一人だけ。
――アリシアの望みは、娘を守ること。
――私はアリシアの望みを叶える。そう約束した存在だ。
再び暗くなる。
もっと、ずっと過去へ。
白い百合の咲き誇る、森の中の一角。
黒い魔法の塊が空から落ちてきて、一瞬のうちに、一面の百合は枯れた。
何かの争いに巻き込まれた、それだけだった。
白百合を愛した魔女が泣き叫ぶ。悲しみに絶叫が呪いに変わる。
魔女の呪いを受け、白百合の王は、黒く折れた百合の中に閉じ込められた。
長い時を経て、無様な百合が館の庭に植え替えられる。
黒き森の館には、人間の女がいた。その指には指輪が光り輝いていた。指輪の名は『白百合の静寂』。
指輪からあふれる浄化の力が、じょうろを通して水に広まり、黒い森にありながら、中庭にはいろいろな花が咲き乱れていた。森から拾ってきた花たちが。
――かつて、私が魔女に教え、浄化の力を与えた指輪だった。
黒かった百合の葉や茎が土に戻り、その球根から新しい芽吹きを得る。あれほどの呪いを受けながら、奇跡的に再び元の姿を現すことができた。
花が開いた時、敬意と感謝を込めて、白百合の王は人の女にひざまずいた。人は、友になることを望んだ。
森に入り込んだ人間が、黒き森の館に住む人間の母子を見つける。
行方のわからなかった、高貴な家の娘であることがわかると、連れ戻そうとする者が何度も何度も現れた。時に脅しの手紙を持って。
――アリシアは、大事な者を守るため、人の世の家に戻った。
――私はアリシアとその娘のそばにいた。
――かの父は強欲で、黒い森の館の主を恐れず、アリシアが説得できる相手ではなかった。
――アリシアには、別の国に嫁がされる算段がつけられ、娘テレシアも他国に引き渡される話がついていた。
――黒き森の館の主との間で、アリシアは館の主が、テレシアは私が守ることが決められていた。
――だが、その日、館の主はいなかった。
一番初めに見た、指輪を奪い合う光景が繰り返される。
――私が守りうるのは一人。
――私は、選ばねばならなかったあの時、アリシアの望みを選んだ。
――魔法使いの欲と、魔物の飢餓に巻き込まれ、アリシアは消えた。
――テレシアは守ったが、我が力は潰える寸前だった。
黒い森の館の百合は、世話をするものを失い、少しづつ弱り、色あせていった。
子供たちが森に入る。小さな森の恵みと、ささやかな勇気試しのために。
子供たちの後ろに、近づく魔物。
一番後ろにいた幼い者に狙いが向けられ、近くにいた二人が庇う。
そのうちの一人、テレシアに魔物の爪が伸びた。
その魔物の爪から、緑の魔法がテレシアを庇う。
――この時、魔物からテレシアを守ったのが、私の最後の力だった。
人間の、魔物を退治する者たちが駆けつける。
――後の守りは人に任せることにした。
――力尽き、消えることを覚悟した。
――その時、泣き叫ぶ子供の声がした。
「早く、早く助けてあげて!」
もう魔物はいないのに。
周りの者がうろたえる。
――人には私は見えないはずだった。だが、私がテレシアを助け、散っていくのを見ている…いや感じている子供がいた。
「死んじゃだめだ!」
――その子供のもつ魔力は心地よく、引きつけられ、気がつけば取り込まれてしまった。
――だが、それだけだった。
――何年たっても、我が力は戻ることはなく、姿を取り戻すこともなく、長い間、ただ取り込まれていただけだった。
――だが、その者の願いは、その時も今も、私の願いと通じていた。
――私の代わりに、アリシアの願いをつないでいる。
――もし、いつかこの身が役に立つ時があるなら、必ず、テレシアとこの者のために役立てようと心に決めていた。
――その命がその役目のために散りかけた時、最後の魔力の雫を我が手元に隠した。
――私にできたのはその程度に過ぎず、それも長くはもたないはずだった。だが、わずか一滴残ったそれに気づき、手当てする者が命をつないだ。
――その者の願いも、また、私の願いと同じだった。
――同じ願いを分かち合う者に、
――私は乞う。
――我が見守りし二人に。我が願いを継ぎし、二人に。
――力をなくした私に最後の力を貸してもらいたい。
――私の最後の願いは、アリシアを救うこと。
――命を長らえさせるのではなく、
――アリシアの願いを叶えること。
目を開けると、指輪を手渡した直後のアリシアさんがいた。
僕も、倒れてはいなかった。
手の中の指輪には、光はなく、その手は見慣れた自分の手に戻っていた。
目の前のアリシアさんは一人ではなかった。
うっすらと、陽炎のように、アリシアさんの隣に立つ、薄緑色の髪の、人ではない何か。
薄い硝子に映った影のようにその姿は儚く見える。にもかかわらず、何物にも揺るがされない強い意志を持ち、確かな存在感があった。
さっきの白日夢の中で、幼い「テレシア」を守っていた存在だ。
「あなたが、さっき見えた、精霊ですか?」
――いかにも。10年近く、お前の中で眠っていただけの、役立たずの精霊。リーフィと名乗るものだ。
音ではない言葉が聞こえた。
精霊リーフィが僕の手の上に手をかざすと、手のひらにあった指輪が光に代わり、僕の左の薬指に絡みつき、その光がそのまま指輪に戻った。
――お前の心の瘴気が取れてよかった。やはり人はあの黒き森に長居すべきではない。
指輪についた乳白色の宝石は、かすかな光を放ちながら、僕の中の迷いや絶望を少しづつ癒そうとしていた。
「この指輪の力ですね」
――いや、お前は自分の力で甦った。指輪はそれを補っているに過ぎない。
――力を、貸してほしい。お前の魔力を、だ。
「魔力、ですか? 僕の魔力は大したことは」
――構わない。自らを侮るものも、やがてその真実を知るだろう。己を知らぬものは身を亡ぼす。…お前だけに言っているのではない。私もまたそうだ。
さっきの話が本当なら、リーフィさんは「テレシア」を守ってくれていた人だ。
「テレシア」を守ることが願いだというのなら、僕らは同じ願いを持っている。
そして僕もまた、アリシアさんの願いを叶えたいと、今、そう思っている。
「僕は魔力が少ないので足りなくなるかもしれませんが、どうぞ使ってください。」
リーフィさんはゆっくりと頷くと、僕に近づき、耳元に顔を寄せた。
――呪文を3つ、教えておこう。使う、使わないは任せる。
そして、3つの呪文をつぶやいた。そのどれも、そのまま覚えることはできなかった。
――そして、意志をもって、干渉を止めてもらいたい。
「干渉?」
――お前は無意識のうちに慈悲の力を使う。だが、意志を持てば、止めることができるはずだ。黒き森の館の主が、アリシアを通してテレシアを辱めようとしたとき、お前は怒りからその力を止めただろう。
そのことは覚えていない。僕の心が黒い闇に飲み込まれたときだ。どうやったのかも、どうすればいいかもわからない。
――お前は、聞き届けるべき願いがわかる者だと信じる。
「努力、します」
その時になって、考えよう。本当に自分に慈悲の力があるとしたら、それを止めるべき時が来たら、自分に呪いをかけるしかない。
「どうにも駄目だったら、僕の力を吸い取って、変な力を使えないようにしてもらっても構いません」
そういうと、アリシアさんだけでなく、リーフィさんまでもが変な顔をし、そのまま笑い出した。
「変…変な力、ですって」
――あの力を吸い尽くせと言われた。面白い。
「やっぱり素敵でしょ? フェルディって」
――アリシアの素敵は計り知れぬが、気に入るのはわかる。
笑う二人の柔らかな表情に誘われるように、急に眠気が襲ってきた。
あなたが、あなたの思う人の願いを叶えられるように
リーフィさんに伝えたかった言葉が口から出る前に、僕は眠りに落ちた。




