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リーヴェ家へ

 翌朝、フェルディよりも先に目を覚ましたアリシアは、ゆっくりとなら体が動くようになっているのに気が付いた。あんなことがあったのに、約束が果たされていることに驚いた。

 無意識なのかもしれない。しかし昨日の拒絶を思うと、本当に受け入れられなくなったら、無意識の力さえも止まってしまうだろうに。

 力を借りられることに、感謝した。

 ゆっくりと起き上がると一人で歩き、執事がフェルディに掛けた毛布をそっと掛け直す。

 あと5年もすれば、自慢の息子になるのかしら、と思わず笑った。

 笑い声に呼ばれたのか、フェルディが目を覚ました。

「おはよう、フェルディ」

「…テリィ…。 あ、アリシアさん。おはようございます」

 笑みが違う。同じ顔であいさつしても、テレシアではないと見破ってしまう。そして悲しそうな顔でうつむく。どんどん弱っていく心が心配だった。

「昨日はごめんなさい。どこか痛むところはある?」

「いえ。…大丈夫…です」

「今日は、あなたに一緒に行って欲しいところがあるのだけど」

 フェルディは何を言っているのかわからない、と言った顔でアリシアを見ていた。

「起き上がれるようになったの、昨日、ですよね」

「そうね。おかげでやりたいことがいっぱいよ」

 にっこり笑って返事を待ったが、特に反対はされなかった。


 様子を見に来たヴィットリオは、アリシアが再び立ち上がっているのを見て安心した。

 アリシアの言うように、この男が拒絶してアリシアが動くことができなくなったなら、次の手が思い当たらなかった。

 そばにいて何とかなるのなら、とりあえず策が決まるまではそばに置けばいい。逃げることのないよう手を打つべきだが、下手なことをして警戒されるのもよくないだろう。

 力技では何ともならないこの男の魔力が悩ましかった。


 朝食の準備ができ、3人で食卓を囲みながら、魔王が言った。

「今日は用事があって、私は少し家を空けなければいけない。せっかく君がいるというのに…」

「あら、大丈夫よ。私も出かけるつもりだったの」

 今朝まで寝込んでいた人が、けろりと言った。さすがの魔王も驚きを隠せなかった。

「馬車をお借りするわね。フェルディも一緒に行くから。もしかしたら、戻るのは明日になるかもしれないわ」

 二人で行くことが決まっているかのような展開に、魔王は不機嫌を隠さなかった。

「一体二人でどこへ行くつもりなのかな?」

「リーヴェの家よ」

 魔王が手にしていたカップを落とした。

「せっかく動けるようになったんですもの。フェルナンやレティに会いたいわ。子供達もきっと大きくなってるわね」

「…急に行っても驚かせることに」

「驚かせに行くのよ」

 笑顔で答えるアリシアに、魔王が圧倒されていた。

「大丈夫よ、テレシアの振りをすればいいんでしょ? フェルディに一緒に行ってもらったら、ますますテレシアっぽいでしょ?」

 魔王が頭を抱えた。

 にこにこと笑いながら、次々に迷案を口にし決定事項にしていく。

「それは、もうしばらく、体調が整ってから」

「今でなければ駄目」

 口元に笑みを浮かべながら、アリシアの目が、じっと魔王を見据える。その瞳には強い意思があった。決して、揺るがすことのできない…

 魔王もまた、アリシアを見ていた。

「…わかった。私が送ろう」

 折れたのは、魔王の方だった。

「私の呼び出しも、フェルナンからだ。君には内緒にしておきたかったんだが、…」

 テレシアとフェルディが行方不明になってすぐに、魔王は二人の行方を確認するための照会を受けていた。

 何か知っていれば、といった程度のことであれば適当に言い逃れるつもりだったが、アリシア本人が行けば、アリシアがテレシアの振りをしたところで、恐らく1分もかからず見破られる。何故テレシアがアリシアになっているのか、今回の事件との関わりについても説明を求められることになるだろう。

 とはいえ、魔王にとっては、二人の入れ替わりはもう決まってしまった過去のことだ。魔王はあえてばらしていい、とさえ思っていた。

 魔王に必要なのは、アリシアただ一人。テレシアの成り行きを責められようと、痛くもかゆくもない。


 テレシアの振りをすると言いながら、アリシアの格好はテレシアが選ぶとは思えない空色のワンピースだった。

 馬車に乗りながらも魔法で街のすぐそばまで移動し、実際に馬車を使ったのは街から屋敷までのごく短い距離だった。アリシアの体への負担が何より優先されていた。

 馬車の中でアリシアと魔王が向かい合い、アリシアの隣に座らされたフェルディはできるだけ窓際に寄り、ずっと窓の外を見ていた。

 馬車の上にでも乗っている方がましだ、と言いはしたものの、あの笑顔で「隣に座ってね」と言われ、魔王も不機嫌な表情を見せながらもそうするように言うので、そこに拒否権はなかった。

 途中、フェルディの家の近くを通り過ぎた。フェルディの都合されるはずもなく、二人の楽しい旅を邪魔しないよう、自分の希望は口にしなかった。

 ジラルディ伯爵邸に行く前に兄に頼んだとおり、兄がリーヴェ家に連絡を取っているなら、リーヴェ家から自分の安否も伝わるだろう。いっそ、事情聴取の名目で呼び出され、二人から離れられれば好都合だと思いはすれど、魔王がいるとなるとありえない。

 アリシアが、フェルディから離れられないからだ。

 フェルディ自身にも、なんとなくわかってきた。何故かはわからないまでも、アリシアはフェルディが近くにいるとテレシアの体に馴染み、より滑らかに、自由に動けるようになる。

 魔王がほかの男をアリシアの隣に置いて黙っているのは、魔王もそれを充分理解しているからだろう。

 自分はこの男にとことん利用される。フェルディはその事実を変え得ない自分が悔しかった。

 自分の大切なものは奪われたというのに。


 何故、自分はアリシアさんを信じているんだろう。

 本当に、信じてる?

 ふと疑問を感じた。

 テリィを、返してくれるといった、あの言葉。半信半疑なのに、どうして僕は協力してるんだろう。

 …それしか、選択肢がないからだ。

 すべて終わった後、結局騙されていたとしても、今はこれしかない。

 それに、中身は違っていても、テリィの体が動き、喜び、笑う姿を見られるのは、やはり嬉しい、のかもしれない。認めたくはないけれど。


 馬車を降りると、テレシアの中身が見破られるのは1分もかからなかった。

「テレシア!」

 その体の名を呼んで、駆け付けた弟、フェルナンに

「ああ、フェルナン! 会いたかったわ」

 そう言って、素敵な笑顔で抱き着いたのだ。

 その体を受け止めながらも、呆然と立ち尽くしていたフェルナンは

「テレ、えっ? …姉上?」

と、正しい回答を導き出していた。

 続いて出てきたテレシアの今の母、レティシアにも抱き着き、

「レティ!」

と旧友を懐かしい名で呼び、甥には子ども扱いで、両手で頬を包んで、のぞき込み、

「ウリィね、こんなに大きくなってるなんて、信じられないわ!」

と、笑みを浮かべ、頭をそっとなでた。見た目は年下なのに、そのしぐさは伯母以外の何物でもなかった。

 アリシアにはテレシアの振りをする気など、全くなかったのだ。

 かくして、再会の魔王同様、リーヴェ家の面々も突然現れたアリシアに圧倒され、何を聞くよりその状況を嫌が応でも受け止めざるを得ない状況に仕立てられてしまったのだった。


 魔王夫妻と、同行していたフェルディも客間に通された。

 ぱっと見は当家の次女なのに、アリシアとして存在するアリシア。

 ここでも、テレシアがいないことよりも、アリシアが現れたことだけが注目され、フェルディはいたたまれなくなった。一人場違いなことも充分承知していたフェルディは、隙があればここから消えることばかり考えていた。

 しかし、自分を呼び出す声はかからなかった。

 アリシアの希望で、フェルディの席はアリシアの近くに用意されたが、フェルディは座るのを断り、壁際に立っていた。

 その距離はアリシアに影響を与えるには充分で、昨日のように途中でゼンマイのねじが切れたように動きを止めることは避けられそうだった。

「昔より、優しい部屋になったわ。あなたのおかげかしら、レティ」

 アリシアは、記憶と少し違う調度に囲まれた部屋をゆっくりと見回した。

 もう二度と戻ってくることはない、と諦めていた家だった。

「お義母様がいらっしゃらなくなってから、少しづつ手を加えて…」

「お母様はいつ?」

「あなたがいなくなった翌年に…。以前から悪くされていた心臓の病で」

「そう。では里帰りでお会いできたのはよかったわ」

 その「里帰り」で、アリシアは命を落としていた。アリシアの死も、母の命を縮めた原因の一つであったことは違いなかったが、誰もそのことを口にしなかった。

「もう一人のアリシアは、結婚したのだったかしら?」

「ええ。私ももうすぐおばあさんよ」

「全然そうは見えないわ」

 女友達同士はすぐ慣れ、見た目のギャップも超えて話したいことが次々と押し寄せていた。

 その間に男たちもまた次の対応をどうすればいいか、考えていた。

「…それで、どうしてテレシアがアリシアになってしまっているのか、これは君に聞けばいいんだろうか」

 フェルナンは、姉アリシアの夫、ヴィットリオに尋ねた。

「少しの間、体を借りているだけよ」

 ヴィットリオが不用心なことを答える前に、アリシアが答えた。

「テレシアは必ずあなたたちのもとに返すわ。今はあなたたちの娘ですもの。この子を育ててくれて、ありがとう」

 アリシアは、自分の胸に両手を当て、「この子」、自分がテレシアであることを改めて示した。

「せっかくの機会だから、もう一度みんなに会いたかったの。驚かれるのはわかってたけど、これは私のわがままなの。ヴィットリオを責めないで」

 その言葉に、ヴィットリオが一番驚いていた。

 何故、アリシアは体を返すというのか。なぜアリシアのわがままなのか。責められたところで気にもとめない自分を責めるな、と言うのか。

 魔王はアリシアの心がつかめないまま、小さな嘘を黙って見守ることにした。

 アリシアは「見張り番」と称してフェルディを連れて屋敷中を巡った。

 アリシアを知る者はほとんどいなかったが、数人の古参の者を見つけると、懐かしそうに声をかけた。

 誰もが驚くと同時に涙ぐみ、喜びの声を上げていた。

 アリシアがみんなから慕われていたことがよくわかった。テレシアが滅多に見せない笑顔を、アリシアは常に見せ、気さくに声をかける。誰が見ても、この家の次女とは別人の、懐かしいアリシアだった。

 かつてのアリシアの部屋は、そのままテレシアが使っていた。

 中に入ると、アリシアの私物は何もなく、壁紙も変わっていたが、机も椅子もベッドも、当時のままだった。テレシア自身が今はここで暮らしていないため、荷物も少なかったが、棚に残る本が学校に行く前のテレシアのささやかな好奇心を残していた。

 フェルディもまた、この部屋に入ったのは初めてだった。

 アリシアが部屋のベッドに腰を下ろし、興味深そうに笑みを浮かべて本をめくる姿は、どうしてもテレシアと重ならなかった。

 時々右手の人差し指の関節を唇に当てながら、無表情で本を睨み、急にぽかんと口を開けると、考えがまとまった合図で、何かをノートに書き記す。何度か目にしていたそんな姿を思い出した。

「フェルディ…。フェルディ、泣かないで」

 アリシアにそう言われるまで、自分が泣いていることにさえ気がつかなかった。言われても実感しないほど、心を揺さぶられる思いがないままに、先に涙が一粒こぼれ出ていた。

「あ。…いえ、大丈夫です」

 自身の袖で頬をぬぐうと、そのまま窓から遠くを見た。それはいつかテレシアが見ていた風景だった。


 その日の夜はリーヴェ家に滞在し、夕食を共にすることになった。

 隙を見て、ウリエレがフェルディに声をかけ、少し離れたところで話をした。

 しかし、フェルディの反応はぼんやりとしていて、適当な相槌しか戻ってこなかった。

 魔法で言葉を封じられている様子はなかったが、自分が知る妹のお気に入りの、あの穏やかで控えめな印象はすべて閉じ込められてしまっているように思えた。

 家族に無事を伝えてほしいと言われ、承知した。

 聞けると思っていたテレシアのことは、言も言わなかった。ただ「すみません、連れて帰れなくて」と謝っただけだった。


 貴族階級に属する者たちと魔王に取り囲まれてする食事は、フェルディにとってはただ場違いで、居心地が悪いものだった。

 相変わらず食欲はなく、口に入れたものの味もよくわからなかった。

 アリシアの命を保つため、魔王の画策はまだ時々続いているらしく、急にだるくなったり、目眩がすることもあった。最後は、アリシアの餌として魔力を生み出す屍として飼われるのかもしれない。

 アリシアは、変わらず家族との談笑を続けながら、しかし同じく食欲はあまりわかないようで、出されたものはほとんど手付かずだった。

 話は昔話から近況に移り、最近の王都の様子や、街の流行なども語られた。

 テレシアの話も出てきた。

 寄宿舎に住んでいて、一時は四聖と称されていたことや、王立学校に行くのを嫌がり、街の学校に行っていること、学校の成績があまりよくないことも暴露され、そのたびに「そうなの?」とアリシアに聞き返されたフェルディは、頷くばかりだった。リーヴェ家、特に兄ウリエレが持つテレシアの情報はほぼ正しかった。

 アリシアはその話を嬉しそうに聞き、ふと、つぶやいた。

「あの子がここにいないのが残念ね。せっかくみんなここに揃っているのに…」

 それは、叶えようがない願いだった。テレシアの体を使ってここにいる以上、テレシアと、アリシアは巡り会えない。

 わかっているのに。

 レティシアはごまかすように笑みを浮かべ、フェルナンは少しうつむいて、言葉をなくしていた。

 ヴィットリオが全く反応がないのが、フェルディには不思議だった。


 自分が言うのも少しためらわれたが、食後、少し時間が空いた時に、魔王に声をかけた。

「他人の姿、変えられたりするのか?」

「たやすいが?」

 魔王は当然のように答えた。

「…アリシアさんの願い、叶えてあげたら?」

「願い?」

 どうやら魔王は、さっきの話題を聞いていなかったか、聞いていたとしても、理解ができていないようだった。

「…どうせ僕だけ浮いてるし。10分くらいだったら、テリィの振りしてもいい。アリシアさんに、テリィもそろったところ、見せてやったら…」

 急に、余計なことを言った、と思い直し、視線をそらせると、ヴィットリオは

「なるほど」

と言って、突然魔法をかけてきた。

 少し、身が縮まったのを感じた。ほんの1秒もかからない瞬間。

 こっちを見るなり、駆け寄ってきたアリシアが、いきなり抱き着き、

「ああ、フェルディ、あなたって…」

 そういって抱きしめる力を増した。

 肩の高さも、顔の位置も同じだった目の前の「テレシア」が、急にふと背を伸ばした。

 自分の背が縮んだのかと錯覚した。頭半分ほど自分より高くなり、金色の髪をした、さっきまでのテレシアとは違う女性。本来の「アリシア」の姿が目の前にあった。

 「姉上。テレシア…」

 フェルナンの言葉で、魔王が自分の言ったことを理解したのだとわかった。

 今、自分はテレシアの姿をしているはだ。

 そんなにないと思っていた身長差が、意外と低く感じる。着ていた服が少し大きいが、気になるほどでもない。

 ちょっとの間の仮の姿ながら、なってみると意外と自分ではわからない。それなのに、周りの人の目がすっかり変わってしまった。それはアリシアが本来のアリシアの姿をしたのにも影響されているのだろう。

 成り行き上、その姿を並べることはありえなかったはずの親子が、見た目だけにしろ、そろっているのだ。

 ただ、自分にはその姿は見えない。自分が差し出した手が、少しほっそりとしていて、周りがみんな大きく見える。それだけだ。

 アリシアは、かつてフェルディが見たことのある四聖「アリシア」によく似ていた。いやそれ以上に美しく、つややかな唇に柔らかな笑みをたたえ、深く青い瞳は、今は笑みで半分の大きさになっているが、開けば大きく、人を引き寄せる力を持っていた。

 これが、魔王が本当に戻ってきて欲しかった人の姿なのだ。


 どうして、代わりの体でいいと思うんだろう。フェルディにはわからなかった。

 例え代わりでも、もっと自由ならともかく、力のやり取りでぎりぎり生きるようなそんな体でいいと、どうして思えるんだろう。

 もし、テレシアが他の体を使ったら呼び戻せると言われたら。

 少なくともテレシア本人はそれを選ばない、そう確信できた。そして、テレシアが選ばない限り、自分がそれを選ぶことはない。

 アリシアは…どう思っているのか。それを聞かなければいけない。

 フェルディは、これから先に進むためのヒントを、やっと得られたように思った。


 しかし、現実世界では、周りの目線が恥ずかしい。

「いやあ、姉上より、テレシア寄りだなあ…。」

「表情が硬くて、シャイところが、テレシアに近いわね…」

「中身は、レオナールなんだよな?」

 ウリエレに頬をつつかれ、思わずビクリと体が硬直する。

「テレシアってこんな感じなのね。かわいいっ」

 ますますすり寄るアリシアに、周りを取り囲むリーヴェ家の面々。

「10分だけだから!! 10分経ったら元に戻せよ、魔王!」

 あまりにアリシアが気に入った様子に、魔王も機嫌を良くしていた。

「アリシアさんの負担にならないように、考えろよ!」

 ため口で言われたことも気にせず、しかし忠告はしっかりと聞き、おおよそ10分ほどでその姿を元に戻した。…アリシアだけ。

 外観からは、二人のテレシアが並んでいるようだったが、あまりに表情が違うので誰もが間違うことがない。

 これ以上部屋にいるのが苦痛だったフェルディは、

「部屋にいます!」

そう叫ぶと、早々に居間から退散し、今日の滞在のために自分に割り当てられていた部屋に早足で逃げるように向かった。


 昼間充分に同行していたからか、フェルディが離れてもアリシアの体に変調はなく、そのまま家族と語らうことができた。


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